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第6話 待ち人来ず


「俺は軍に入ることにした。……しばらく、戻らない」


 ルカシオンがそれだけを言い残して家を飛び出したのは、この国のお姫様と出会ったあの日から、僅か三ヶ月が過ぎたあたりの、まだぽつぽつと寒さが残る頃だった。


 一ヶ月にはまた『花降りの季節』がやってくるため、一緒に祭典に行こうね、と何ヶ月も前からお互い言い合っていたが、結局その約束が果たされることはなかった。


 ただ、祭典が終わった頃から、ひとつの噂が人々の間で急速に広まりはじめた。

 曰く、突然軍部に現れた平民出身の新人が、凄まじい勢いで功績を上げ、かつてないほどのスピードで出世しているという。


 リナリアは、食堂の客からその噂を初めて聞いたとき、完全に他人事だと思って、「すごいなあ」と素直に感心した。身分格差が根強く残る軍部で平民出の者が出世するには、相当の苦労があったはずだ。


 一体どんな人なんだろう?

 同じ時期に入隊したなら、もしかしてルカの知り合いなのかな?


 なんて、呑気に考えていたのだ。

 だから食堂のおかみさんから


「リナリアちゃんっ……! ちょっとこれ! これ見ておくれよ! これ、あんたの旦那じゃないかい?」


 そう言って新聞を手渡されたとき、思わず目を疑った。

 新聞の一面にでかでかと掲載されていたのは、『平民出身の騎士、佐官に任命か?』というタイトル。そしてその下に添えられているのは、紛れもなくルカシオンの顔と名前だった。



『本紙の取材によれば、平民出身の騎士、ルカシオン・ナレが、近く佐官に任命される見込みであることが明らかとなった。ルカシオン氏は、入隊から一年足らずにかかわらず、数々の功績により急速に頭角を現してきた若き騎士である。


この昇進が実現すれば、平民出身でありながら、上級職に就くという異例の事態となり、王国全体に大きな衝撃を与えるだろう。


特に注目されるのは、ルカシオン氏が王女アイリーン殿下のお気に入りの騎士として知られている点である。アイリーン殿下は、彼の騎士道精神と類いまれなる武勇を高く評価しているとされ、その支援の下での昇進との噂も絶えない。


果たしてこの若き騎士のさらなる飛躍は、王国にどのような新風を吹き込むのか、注目が集まっている』



 新聞を持つ手に力が入り、記事がぐしゃりと歪む。


 荷物をほとんどそのまま残し、家を出たそのままの足で軍へと入隊したルカシオンからは、一度も音沙汰ない。


 だから、まさか噂の平民騎士が彼のことだなんて、想像すらしていなかった。それに、この記事が本当なら、あの日、リナリアたちを助けてくれたお姫様とも関わりがあるみたいな……。


「リナリアちゃん、大丈夫かい?」


 記事を手にしたまま呆然と立ち尽くすリナリアを見て、おかみさんが心配そうに声をかけてくれるが、何も反応することができなかった。


 心臓が強く鼓動を打つ音が、自分の中でやけに大きく響く。耳鳴りのようにルカシオンの名前が頭の中を駆け巡り、何かを言おうとしても、喉が詰まって言葉が出ないのだ。


「リナリアちゃん?」


 おかみさんの声がもう一度聞こえ、リナリアははっと我に返った。

 自分の握った新聞が、手の中でさらにぐしゃりと音を立てて丸まる。


「ご、ごめんなさい、おかみさん……少し外の空気を吸ってきます。」


 リナリアは震える声で言いながら、慌てて新聞をおかみさんに返し、店の外に飛び出した。


 街の喧騒が耳に入る。だが、その音はどこか遠く、現実味を欠いているように感じられる。心の中には、ただひとつの思いだけが渦巻いていた。ルカシオンに会いたい――直接話を聞きたい。


 どうして、なぜ彼が? あんな大きく記事に書かれるほど活躍しているなんて、知らなかった。会えない数ヶ月の間にいったい何があったのか。なぜ彼は突然軍に入ったのか。そしてどうして、リナリアには手紙のひとつすら書いてくれないのか。その本心がただ、知りたかった。


 リナリアは彼の姿を探し求めるように、無意識に王宮の方角へと体を向けていた。

 王都の街の中心にある王宮は、今も変わらずその壮麗な姿をしっかりと見せている。高くそびえる塔と堅牢な石壁が、王国の威厳を象徴するように広がっていた。


 この視線の先に、彼がいる。今も、きっと。



「ルカ……本当に、あなたなの?」



 呟いたその言葉は風に消えてしまったが、心の中でその問いはより大きく、重く、いつまでも響いていた。



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