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第2話 宝物の記憶


 人生の一番初めの記憶。

 

 物心がついたかつかないかの頃、まだ乳飲み子だったリナリアは幼い男の子と出会う。出会いは記憶にない。気づいたらあやされていた――それが人生で、一番古い記憶。


 それから少しだけ成長したあとにやっと、自分が両親を亡くしたか捨てられたかで、国の西方の辺境の地にある孤児院に引き取られたことを知った。


 悲しい、という感情はなかった。むしろ最低限の環境ではあるものの善良な大人の庇護下で生きていける孤児院にいたこと自体、恵まれていたと言えるだろう。


 魔物の棲家である大森林に隣接する西の辺境は常に魔物の脅威に脅かされ、似たような境遇の子どもが街の至る所に溢れていた。

 そんな中で飢えることも悪に手を染めることもなく、真っ当に育ててもらえる孤児院は、恵まれた環境だったのだ。


 そしてリナリアは、珍しい黒髪黒目の容姿を理由に周りの子どもにいじめられていたとき助けてくれた、年上の男の子に恋をした。――よくある恋物語のように。


『リナリア、もう泣くな。黒髪黒目なんて初めて見たが、神秘的でとても美しいと俺は思う。お前の髪も瞳も、世界にたったひとりだな。俺にとって、たったひとりの宝物だ。だからもう、泣くのはやめろ』


 そう言ってくれた声も、顔も、昨日のことのように思い出せる。リナリアの心の奥底に、大事に大事にとっている、とても幸せな記憶。

 その日から、ルカシオンはリナリアの唯一無二の存在なのだ。


 その後魔物の動きが活発になり、辺境の地を追われた後も、リナリアとルカシオンは当たり前のように一緒に行動し、体の弱いリナリアをルカシオンが文字通りおんぶにだっこしてくれたおかげでなんとか王都までたどり着いた。


 王都の警吏隊にて働きはじめると持ち前の器用さですぐさま頭角を現したルカシオンは、王都で住む家を探していたある日、リナリアに告げた。


「どうせ一緒になるんだ。いつかは子どもも生まれるかもしれないし、大きめの家を探すのもいいかもしれない」

「それって……」


 真剣な翡翠色の瞳が、宝石のようにきらきらと煌めきながらリナリアだけを映している。


「これからもずっと俺がお前を守る。絶対にお前を泣かせない。だから、ずっと俺のそばにいてくれ」


 それは、リナリアのふたつ目の宝物となる魔法の言葉。

 リナリアは何も応えることができなかった。目の前がぼやけて見えなくなるほど、次から次へと涙が流れていたからだ。


 ルカシオンは長い指でそっと頬を伝う涙を拭うと、


「早速泣かせてしまったな」


 と困ったように、でもリナリアにだけ見せてくれる温かな顔で笑った。




 それから数ヶ月後の、南から暖かな風が吹き、膨らんだ蕾が一斉に開花する頃。

 王都では、『花降りの季節』の到来を祝う盛大な祭典が開かれることになった。


 リナリアとルカシオンも祭典の中日に示し合わせて休みを取ると、活気づいた王都の街へと足を踏み出した。

 市場を巡り食べ歩きをしたり、広場で上映されていた演劇を覗いてみたり。


 手を繋ぎながらルカシオンと並んで歩くリナリアは、街の雰囲気にあてられたかのように浮かれつつも、ポケットに入っている黒曜石のついたブレスレットを渡す機会を窺っていた。


 この日のために、最近始めた仕事の給料を少しずつ貯めて買ったものだった。


 ――この国では、結婚をするときに、互いの瞳の色の宝石でつくられたブレスレットを交換する。


 だから恋人たちの間では、ブレスレット相手に渡したり、交換したりするのが流行していた。相手の色を常に身に纏うことで周りへの牽制にもなる。


 容貌がすこぶる整っているルカシオンは、警吏隊の巡回中にたびたび街の女性たちから声をかけられていることを知っていた。


 だからリナリアのささやかな独占欲の表れでもあるそのブレスレットを、この祭典で彼に渡すつもりだったのだ。


 祭典をひと通り楽しんだ頃、ルカシオンが唐突に「連れて行きたいところがある」とリナリアの手を引いた。


 そのまま連れて行かれたのは、王都の外れにある小さな森の中。

 人がよく通るからなのだろう。歩きやすく整備された道を少しだけ進むと、目の前に美しい湖の青さが広がった。

 太陽の光を反射し、キラキラと湖面が揺らめいている。


「ここって……」

「リーリの湖、というそうだ。別名、精霊の湖ともいわれている」

「精霊の……?」

「ああ。湖の奥に花のようなものが見えるだろう? 大昔、人の願いを叶えて力を失った精霊が花となり、この湖に眠っているという」


 縁から少しだけ身を乗り出して覗き込んでみると、確かに湖の中心、その透き通った水の中に、うっすらと光を放ちながら輝く淡い金色の花のようなものが見えた。


 ゆらゆらと揺蕩う湖面に合わせて黄金色の花が揺れていて、とても幻想的な風景だった。

 だけど、そんなロマンチックな場所と普段の彼がなんだか一致しなくて戸惑いながら隣のルカシオンを見上げたリナリアの視界に飛び込んできたのは――


「……っ!」


 ――翡翠色のブレスレットを差し出す、彼の姿だった。


 足元一面に咲いていた、リナリアと同じ名を持つピンクの小さな花がふわふわと揺れている。


 リナリアはその光景を、まるで他人事のようにぽーっと見ていたが、彼の「リナリア……、」という呼びかけに一気に現実に引き戻された。


「これは、俺のエゴでもある。だが、最近のお前は無防備すぎだ。……食堂の客に何度声をかけられた?」

「ルカったら……、心配しすぎよ。みんな新入りの私が珍しいだけだもの」


 不機嫌さを隠そうともせず眉を寄せるルカシオンに、思わずくすくすと笑ってしまう。

 言葉の節々から彼の思いが伝わってくるようで、くすぐったかった。


「正式に申し込むときには、もっとちゃんとしたものを用意したいと思っている。だからそれまでは、これを身につけておいてほしい。お前は俺のものだと、周りにわかってもらうためにも」

「馬鹿ね。……ずっと前から、私はあなただけのものよ」


 そう言って左腕を差し出すと、彼がその手を恭しく引き寄せ、ブレスレットをつけてくれる。

 そしてつけ終わった彼が顔を上げた瞬間、リナリアは伸び上がり、爪先立ちになってルカシオンの両肩にそっと両掌を乗せる。すると、彼はすっと身を屈めた。

 

 昔からずっと身長差のある二人にとって、それは癖のようなもの。

 リナリアが大事な話や秘密話をするとき、いつも彼は身を屈めて目線をあわせ、話を聞いてくれるのだ。


「ルカ、実は私もあなたに渡したいものがあるの」


 耳元でそう呟くと、彼は驚いたように目を丸くした。

 ポケットから黒曜石でできたブレスレットを差し出す。


「つけてくれる?」

「ああ……」


 嬉しそうに笑う彼の耳が、真っ赤になっているのに気がついた。

 どうやら彼も照れているらしい。

 出会ってから何年も経っているが、こうやって新しい彼の姿を発見すると、嬉しくなってしまう。


 お祭りの喧騒は遠く、二人だけの水辺には、リナリアたち以外に誰もいない。


 どこかから強い風が吹いてくると、足元の花がさわさわと揺れるのに合わせて、互いの瞳の色をしたブレスレットが二つ、しゃらりと音を立てる。


 リナリアは自分を真っ直ぐに見つめてくる彼の翡翠色の瞳を、じっと目に焼き付けた。――きっとこの光景を一生忘れないだろうと、そんな予感を微かに抱きながら。


 感極まって次第にぼやける視界の中で、彼を見つめていたリナリアだったが、その目元から雫が零れる前に、唇を彼の唇で塞がれた。


 最初の口付けはすぐに離れて、リナリアが嫌がっていないことを確認して……、拒絶する様子がないことを見ると、彼の手がそれぞれリナリアの腰と後頭部を抱え込んで、再び唇を重ねてくる。

 触れて、離れて、また角度を変えて触れて。次第に乱れてくる呼吸と注ぎ合う熱い想いに酔いしれながらリナリアは、初めて触れた彼の唇の柔らかい感触を、存分に味わった。


 永遠のように思えるほど長い間互いの熱を交換し合い、息を乱したリナリアが限界だと胸を叩くと、やっと二人の体が離れる。彼は、リナリアの両頬を大きな掌で包み込むと、その瞳だけをただ見つめて、彼女だけに聞こえる声で、好きだと言った。





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