第8話 紋章の魔女
――ヴェンテ冒険者ギルド2階 ???
部屋の中は静寂に包まれており、薄暗い照明に照らされて、微かに見える本棚には魔術書がびっしりと詰め込まれており、さながら雰囲気は魔女の部屋といったところだった。
「お前は・・・誰だ?」
ユートが薄暗い部屋の中で声を発すると、コツコツとヒールが床を叩く音と共に、その女は姿を現した。
紫の巨大な帽子に、魔法使いが着るような長袖のローブ。背丈は帽子を除けば、ユートと同じぐらいであろうか。
「私はヴァニラ。ヴァニラ・マレフィキウム」
「・・・ユートだ」
ヴァニラと名乗った人物が姿を現すと辺りの空気が張り詰めるように感じた。ただの人間であるユートでさえ、ヴァニラが只者では無いことが理解できるほどに。
「ユート、あなた・・・紋章が無いわね」
ユートはヴァニラの芯を突いた発言に、恐怖すら感じた。紋章が無いことはウィーダ以外には伝えていないはず。
薄暗い部屋の中、この距離で紋章の有無を確認することは不可能に近い。
心を読む魔法の類か。
紋章の有無を調べる魔法があるのか。
それとも・・・
「そんなに怖がらないで、私傷ついちゃうわ」
「・・・本題を話せ」
ふざけた様子で揶揄うヴァニラを冷たくあしらう。
ヴァニラが格上の存在である事は確かだが、それで下手に出るつもりは毛頭なかった。
「紋章。欲しくないかしら」
紋章。
アシーディアの言葉を信じるのならば、エフィラムにおいてステータスを表示する際に使用するための魔術。
紋章さえあれば、エフィラムに住む人々と同様に魔法やスキルを使用することも可能なはず。
ユートにとっては喉から手が出るほど欲しい代物だった。
「可能なのか?」
「ええ。出来るわよ」
「・・・対価は?」
タダで紋章を付与。そんな上手い話のはずが無い。
ヴァニラの示した条件次第では、紋章の付与は諦める他ない。この状況においても、ユートは冷静だった。
「あなたを転送した者の名前を教えて」
ヴァニラの要求した対価はユートにとって意外であった。金銭はともかく、最悪の場合身体の一部を失うことまでは考えていたが、転送した人物という情報を要求してきたのだ。
「ア・・・」
ちょっと待て、何故この女は俺が異世界エフィラムに転送された人間だと知っているんだ?
ユートは何がおかしいことに気づき、ヴァニラへと目を向けると、先程とは見違えるような狂気を宿した眼がこちらを覗いていた。
「うっ・・・!」
その眼に酷く恐怖を感じたユートは、呻き声を発すると、少しばかりの後退りをした。
ヴァニラはその後退りを見逃すまいと、左手を振るうと、紫色の光と共に触手が飛び出してきて、ユートの両手足を拘束した。
「くふふ・・・逃げちゃダメ。〈ア〉まで言ったんだから全部言っちゃいなさいよ」
「う、うあ・・・」
触手の拘束は強さを増す一方で、このままでは骨を折られてしまうだろう。
〈アシーディア〉の名前を発することがどれほどのリスクを孕んでいるのかは図りかねるが、現状の状況を打開するためには、その名前を叫ぶ他に無かった。
「ア、アシーディア! アシーディアという男だ!」
「くふふ・・・」
ヴァニラは気味の悪い笑い声を口にすると、再び左手をかざして触手の拘束を解いた。
解けた触手は溶けるようにどこかに消えてしまった。
「アシーディアの駒、長持ちするかしら?」
「はぁ・・・はぁ・・・何を・・・言って」
「詮索は無用、左手を出しなさい」
ヴァニラはアシーディアの話題を深堀されたくないのか、強い語気で会話をシャットアウトすると、ユートに左手を出すように催促をした。
歯向かえば先程と同じような目に遭うことは容易に想像でき、ユートは素直にヴァニラの指示に従うことしか出来ないのだった。
「・・・こうか?」
「痛いけど我慢しなさい?」
ヴァニラは薬品棚のような場所から小瓶を取り出すと、栓をしたコルクを勢いよく抜き取った。
小瓶の中には赤黒い血のような液体が詰まっており、その液体をヴァニラはユートの左手に垂らし始めた。
「これは何だ?」
「くふふ・・・何でしょう?」
赤黒い液体の正体を濁したヴァニラは、ユートの左手に手を重ねると、聞いたことの無い詠唱を始めた。
「禁忌の経典に記されし八つの罪。〈虚飾〉の名の元にその深淵を覗かせたまえ」
「・・・エンブレム・インカーネーション」
ヴァニラが詠唱を終えると、手の甲に垂らされていた液体が細かく震えだし、ユートの手の内側に入り込んで行った。
入り込んだ液体は肉の中で暴れだすと、ユートに耐え難い激痛を伴わせた。
「くっ・・・!」
「くふふ・・・痛そうね」
液体が暴れるのが落ち着き始めたと思うと、液体は手の内側を経由して、腕の中へと登っていく。
腕の中に移動した液体は再び暴れだし、腕の内側がズタズタにされるような感覚を味合わせた。
「ぐ・・・あぁ!どうすればいいんだ?」
「我慢よ。たまに死んじゃう人もいたかしら?」
その後、ユートの体内に入り込んだ液体は
頭部
胸部
右腕
腰
右足
左足
と全身を駆け巡り、最終的には左手に戻ってきたようだった。
「・・・・・・」
「おつかれさま」
ヴァニラは労いの言葉を掛けたが、度重なる激痛により、ユートの精神は崩壊寸前で耳には届いていないようだった。
「だらしないわね」
ヴァニラは呆れた顔で地面に這いつくばっているユートを見下すと、薬品棚から小瓶を取り出し、中に入っている青色の液体を乱雑にユートに振りかけた。
青色の液体がユートの体に付着すると、白い煙を放ちながら浸透していき、しばらくするとユートは意識を取り戻した。
「・・・は・・・はぁっ!」
「左手」
「・・・左・・・手?」
ユートが左手に目をやると、そこには魔法陣のような紋様が刻み込まれていた。
「成功・・・したのか・・・」
「ステータスを表示してご覧なさい」
ユートは以前、ウィーダがやって見せたように左手に刻まれた紋章に触れて、ステータスを表示させて見せた。
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Name:ユート
レベル:2
体力:F-
筋力:F-
魔力:F-
敏捷:F-
知能:EX
ストック:1
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「くふふ・・・弱過ぎないかしら?」
空中に羅列されたユートのステータスは、知能以外が全て最低値。煽られて当然の数値であった。
再度紋章に手を触れて、ステータスの表示を終えたユートは、震える足腰にムチを打って立ち上がると、部屋の出口に向かって歩き始めた。
「紋章については礼を言う、またな」
「あら、もういっちゃうのかしら?」
紋章の付与には感謝こそすれど、ヴァニラには底知れぬ狂気が宿っている。
異世界エフィラムを救うという目的に関してのヒントを得られる可能性があるが、ユートは一刻も早くこの危険な部屋から脱出したいと考えていた。
「・・・じゃあな」
「・・・また会うことになるわ・・・ユート」
不吉な言葉を口にしたヴァニラを振り返ることも無く、ドアを勢いよく閉めて、ユートはヴァニラの部屋を後にした。
「くふふ・・・、少し脅かしすぎたかしら」
ヴァニラはユートの閉めたドアを一瞥すると、薄暗い部屋の奥へと消えていくのであった。