白朮神社
「悪いな、うちの馬鹿が。中にどうぞ」
ひとまずリビングに案内され、椅子に座らされる。
柳原はその向かいに腰を下ろした。
もしかしたら最悪死ぬかもしれないというのに、なぜかとても冷静に見える。
葵も巧もひよりも、みんな死に直面しているというのに見ているのはその先だ。
ーー今朝、署を出る前に先輩から言われたことを思い出した。
『警察ってのは頭のネジが飛んじまってる奴ばっかだ。なんでかわかるか? 死に近い場所に身を置いてると、そうゆうのに慣れちまうんだよ。俺含め友膳班に集まる奴らは特にそうだ。お前がこれからもここでやってくってんなら、友膳班が介入する事件に関わる人間全員が狂人だってことを忘れんな。いいか、上が何と言おうがお前はちゃんとそこらへんの線引きをしろ。佐々木みたいに境界を見失うなよ』
彼らと出会う前の真壁なら、きっと今頃辞表を書いて実家に帰って婚活でもしていたかもしれない。
しかし幸か不幸か、とんでもない狂人に出会ってしまったばかりに、彼女の人格は捻じ曲げられ、頭のネジも数本飛んでしまったのである。
「私にできることがあるなら、何でも言ってください」
巧とひよりを助けたい。
あとついでにあの狂人(一応命の恩人)も。
そのためにできることがあるのなら、断る理由などない。
そんな真壁の決心をした表情を見て、柳原はなぜか罪悪感を滲ませた顔をする。
その顔に一抹の不安が過ぎる。
「本当に申し訳ないが、時間がないから早速聞きます。あなたの母方のご実家の神社というのは白朮神社で間違いありませんか」
全身に鳥肌が立つ。
そしてある事実を思い出した。
この人はあの狂人の保護者だ。
あんな小さな神社、どうやって調べたのだろう。
このことを知っているのは、友膳班の人間くらいだ。
なんにせよ、警察の親族の情報を第三者に握られるということは望ましくない。
「ああ、そんな警戒しないでくれ。別にご家族に危害を加えようなんて思ってませんよ。ただ縁の問題で少し確認しておきたいだけです。葵の話によると、あなたのお姉さんは神との縁のおかげで、魂が僅かに残ってあなたに憑いていたらしい。力自体は強力ではないが、あなたも神と縁が結ばれてるはずなんです」
「それが結ばれてると、何かあるんですか」
「普通の人よりは、いくらか頑丈」
「なんて心許ない……」
「そんなあなたにこれを授けましょう」
と、柳原は腕に通せる程の茅の輪を真壁に差し出した。
「これ、白朮神社の大祓守じゃないですか!」
毎年、六月と十二月に行われる大祓祭。
この時期は近所の人たちも集まり、大きな茅の輪を三度潜り厄を落とす。
その茅の輪を模して小さく編んで作られたのが、この大祓守である。
蘇民将来子孫也。
葵の札に書かれていた文言は、真壁にとって馴染みのある言葉だった。
よく神社周辺の民家の玄関先には、そう書かれた札が貼られていたものだ。
その文言の由来となった説話は、祖父から幼い頃に聞いた。
素戔嗚尊はとある兄弟に宿を求めた。
裕福な弟の巨旦将来は追い払い、困窮していた兄の蘇民将来はもてなした。
結果、弟は報いとして子孫を滅ぼされ、兄は疫病から免れ子孫は繁栄する。
その際、素戔嗚尊は「今後病が流行ったら、茅の輪を腰から下げ蘇民将来の子孫であることを示せ」と言った。
現在の茅の輪潜りや蘇民将来子孫也という言葉は、これが元になっているのだという。
「この神社の祭神は確か素戔嗚尊だったか。あの地域は昔疫病が流行ったとかで、厄除けの祭りが盛んだった。白朮という生薬の名前がついてるくらいだ、多くの人が参拝に来てたんだろう」
「なんでそんなに詳しいんですか」
「気持ち悪いだろう。学者はみんな基本変態なんですよ」
白朮神社を知っている理由を話す気はないらしい。
代わりに変態であることに誇りを持っているかのように、鼻高々である。
「で、これを持って私は何をしたら?」
待ってましたと言わんばかりに、ハンマーと釘のようなものをテーブルに置いた。
なにやら犯罪の臭いがする。
「これであるものをぶっ壊してもらいたい」
めちゃくちゃ犯罪だった。
真壁の表情を読み取った柳原が付け加える。
「壊してもらいたいのは私の所有物だから、犯罪じゃないですからね。いや、正しくは私の祖先が作ったものなんだが。ーーほら、昨日一緒に異界入りした時に見た石像があっただろ。道祖神ってやつなんだが、あれを壊して来て欲しい」
確か、手の怪異に追われて辿り着いたところにあった。
あの石像の先を越えた所のことは、思い出したくもない。
「これから壊してもらう道祖神、実はある二人の骨を混ぜて作られたものなんですけどね、それに魔除けの効果があって怪異たちを閉じ込めてるんですよ。葵曰く、もうひび割れてるから効力も薄いらしいが……」
「もうあの怪異たちは葵さんが消してましたよね?」
凄く嫌な予感がする。
そしてその予感はよく当たるのだ。
「残念ながらあそこは隠し神の領域だから、葵の力は消すまでに及ばない。今頃は復活してるだろう」
「じゃ、じゃあ、壊したらまずいんじゃ……?」
「まずい。ただ、あれは一種の呪物みたいなもので、あれを壊すと中に閉じ込められてる二人の魂が解放されると言われてる。こっちとしては、その魂を解放して巧くんとひよりさんのことを助けてもらいたいわけだ」
「本当に助けてくれるんですか? 普通、自分の骨を呪物にされたら恨みません?」
「その二人は私の先祖と同じく榊家の忠臣だった。きっと助けてくれる……はず。会ったことないから知らんが、記録では義理堅いって書いてあったから! 大丈夫!」
不安しかない。
「問題はその魔除けの石を割った後の話だ。私には視えないが、あそこには怪異がいるだろう。それをなんとかして隠し神の領域から引き離して欲しい」
「引き離した後はどうなるんですか? まさかなんとかしろとか言いませんよね?」
柳原は無言で目を伏せる。
額には僅かに汗が滲んでいた。
死んでくれと言っている自覚はあるらしい。
「昨日の今日でそれなりに力は弱まってるはずだ。隠し神の領域から離れさえすれば、あとは葵の札で消滅できる……はず。無理を言ってるのはわかってます。だが、あなたが命をかけるだけの価値はある。このまま何もせず二人のことを待ち続けても、その前に葵が潰れたら全滅だ。ーー今葵は、一人で家の周りの怪異たちから私たちを守ってる。だがあの体質も万能じゃない。怪異の力が集まれば集まるほど、葵の身体には負荷がかかる。可能であれば私が代わってやりたいが、私にはあなたのように神との縁もなければ視る力さえないんだ。……本当にすまない……こんなことになるとは……」
柳原は肩を小刻みに震わせながら謝罪した。
葵の風邪のような症状は、怪異からの負荷によるものらしい。
断ってもいいとは言っていたが、やる以外に選択肢などないではないか。
痩せ我慢も甚だしい。
真壁は呆れつつ深く息をついた。
「佐々木さんとひよりさんは今、仮死状態で二階に?」
「あ、ああ。……魂が抜けた身体ってのはある程度は仮死状態でいられるが、戻らなければそのまま衰弱死する。それだけならまだしも、その身体を容れ物にして別の悪意あるモノが入ったら物凄く面倒なことになる。例えば、その容れ物と縁を結んだ人間が伝播的に呪われたり、容れ物本人に成り代わって犯罪を犯したり。たまにいるだろ、数日前までは普通に生活してた人間が、ある日突然狂うこと」
「そうならないように、葵さんが守ってるってことですね」
「そういうことです」
友膳からの命令は遂行できそうにない。
そして、生きて戻ってこられるかどうかも怪しい。
……となれば。
「お願い聞いてもらえますか」
「なんでしょう」
「ケーキ、もし残ってたら一つ貰えます? あと紅茶もあれば。用意してもらってる間、少し席を外します」
柳原はその願いの真意に気づいたのか、申し訳なさそうに頷いた。
「……チョコケーキでいいですか?」
「はい」
答えながら、立ち上がってリビングを出る。
そして、震える指で母親に電話を掛けた。




