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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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否定


男の姿が見えなくなると、突然ふきが抱きついてきた。

まるで小さい子どもが怯えるように、肩を小刻みに震わせている。


「なぜあの男を庇うのですか」


今にも泣きそうな声だった。


「今夜、父様が集会を開きます。贄の候補たちが集いますが……父様は姉様を……!」


「良いのです。私は身寄りもなく、拾い子ですから稀人かもしれない身です。いずれはそうなるとわかっていました。ふき、あなたは父上様から言われて、私が村から逃げぬよう見張っていたのでしょう? 辛い思いをさせましたね」


ふきの目線に合わせて屈み、改めてその小さな身体を抱きしめる。


「ふきは……ふきは、姉様と生きたいのです! 姉様の家族はふきではないのですか!」


「ええ、もちろん。私の大切な妹です」


「では、なぜあの稀人を庇うのですか!? あの者を贄にすれば、姉様は助かるのに!」


「お慕いしているのです」


恥も迷いもなかった。

凛とした強い意志を感じる声に、ふきは一瞬固まる。

それから、自分を抱きしめていた身体から離れて、呆然とこちらを見つめていた。


「……姉様は、ふきよりもあの稀人を選ぶのですか。あの稀人のために、姉様は死ぬのですか」


正気とは思えない、そう聞こえた。


「私はあの方から、外のことをたくさん聞きました。陽春様の故郷はここよりずっと広くて、神に祈らずとも作物は豊かに実るそうです。あの方はここに留まるべき方ではありません。だから私はーー」


「聞きたくない!! 姉様が死ぬのなら私も共に死にます!!」


ふきが大声で叫ぶ。


「何て馬鹿なことを言うのですか!」


「嫌い!! この村も神も稀人も大嫌い!!」


そう言い捨てると、そのまま走り去ってしまった。


小さな背中が見えなくなると、身体はゆっくりとふきの去った方に背を向けて歩み出す。

家に着くまでのその間、ぽたぽたと落ちる涙が地面を濡らしていた。


本当はずっと怖かったのだろう。

死ぬのが怖くて誰かに縋りたくて仕方がなかったのに、誰も頼ることができず、あの子にも心配を掛けまいと気丈に振る舞っていた。

……この身体の主は、ずっと神に縋るしかなかったのだ。


薄暗くなった空の下、家の中には直ぐには入らず近くの井戸で水を汲む。

男に会う前に顔を洗おうとしているのだろう。


木桶を引き上げ、水面にその顔が映し出された。


その顔は、私と瓜二つであった。


水面に映る私は、この世の絶望全てを一人で背負い込んだかのような表情を浮かべている。

そして、泣き腫らした目で何かを訴えかけているようだった。

彼女の口が動く。


『に げ ろ』


声には出ていないがはっきり読み取れた。

よく見ると、桶の底には土鈴が沈んでいる。


身体が少しだけ軽くなった。

試しに指を動かしてみると、指先が動く。

凍っていた身体が、徐々に解凍されていくかのようだった。

左手には、大きなアザが浮かんでいる。

私は慌ててその手で土鈴を握り締めた。


「中に入らないのですか」


身体全体が動かせるようになった頃、家から出てきた男に声を掛けられた。

このまま、みよりと呼ばれた彼女のふりをして隙を見て逃げようか。

そんな考えが過ったのとほぼ同時に、


「もう解けたのか」


と、男が目を細めた。

どくん、と心臓が鳴る。


「……どうしてあなたは、私にこんなものを見せるんですか」


逃げられないのなら、時間を稼ぐしかない。

どうにか隙を見つけなければ。


「目的はお前ではない。お前の中にあるあの方の魂だ。この情景を見せれば、彼女はまた私を求めると思ったが」


先生の姿をした隠し神が目を伏せる。

彼女とは、みよりのことだろうか。

一体なぜそこまで彼女に固執するのだろう。

隠し神が私を狙うのは、私が願ったからという理由だけではないのか。


「だが、そうか。あの方も私を拒絶するのだな。お前もこの男も、あの子どもたちも。私を求めたのはお前らだというのに。……いつなる世も人間とは、身勝手で卑小な生き物よな」


力なく笑う姿に悲壮感が漂う。

……確かに、アレを祀り捨てたのは人間だ。

でも。


「その人間の願いを食い物にして、自分の欲を満たしてるあなたは、もう神なんかじゃない」


そう言い放つと、突然男の身体が揺らいだ。

胸を押さえ、苦しそうに唸り声を上げる。


「……我を求めた貴様が、我を否定するか……! 許さぬ……! 許さぬぞ!!」


地を這うような怒声が脳に直接響いたかと思えば、風景が一変した。

周囲は暗い木々に覆われ、月の光すら通さない。

男の姿は消え去り、目の前には狐の面を被り松明を持った人間たちが姿を現した。

背後から聞こえてくるのは、大量の水が叩きつけられる音。


「三都波神に仕え、一つになるのだ」


そう唱えながら、狐面の者たちが迫ってくる。

振り返ると、遥か下の滝壺から無数の手が伸びているのが視えた。

ここから飛び降りれば、間違いなく取り込まれる。

かと言って、退路はどこにもない。

土鈴を振って鳴らしてみても、何も反応はなかった。

じりじりと後退し、崖の際に立たされる。

人間の浅ましさを、そのまま突きつけられているかのようだった。


木の枝が足に当たる。

それだけが、唯一抵抗できる術だった。

先生の剣術の真似事にすらならないだろうが、このまま死ぬなんて絶対に嫌。

木の枝を両手に持ち、目の前の人間たちを見据える。


こんなことになるなら、華さんに護身術だけでなく、剣道も教えてもらうんだった。

後悔しつつ、急所の首と股間に狙いを定める。

背が高いのは足を払って体勢を崩す。


ーー今!


地面を勢いよく蹴り、目の前の人間の首元に枝を叩きつける。

続いて姿勢を低くし、足を払って複数人の体勢を崩した。

退路が見える。


一目散にそちらへ駆けようとしたその時、首に太い腕が巻き付いて締め上げた。

そのまま滝へと引きずられる。


「ぐっ……!!」


息苦しさの中で必死に抵抗するも、ぴくりとも動かなかった。

水音が近くなる。


目を閉じたその時、


「見つけた!」


耳を劈くような銃声が三回連続で鳴り響いた。

腕の力が緩み、そのまま身体が地面に打ち付けられる。

酸素を求めて咳き込みながら呼吸するも、間髪入れず叫び声が飛んできた。


「立て!」


その声に顔を上げると、目の前には手のひら。

咄嗟に避けながら足で蹴り飛ばすと、一人はそのまま滝壺へと落ちて行った。

それを眺めている間もなく立ち上がって、開けた退路を走り抜ける。

その先にいたのは、巧だった。


「巧さん!」


彼は返事をする代わりに私の手首を掴み、全速力で走り出す。

怒号を背中に聞かせながら、私たちは山を下り続けた。


体力が限界に近づいた頃、このままでは逃げきれないと判断したのか茂みの中に隠れた。

しばらくして、他の人間の足音が聞こえてくる。

私たちは呼吸を止めた。


「どこに行きやがった」


「まだそう遠くには行ってないはずだ! 探せ!」


既に山の中は、村の男たちに包囲されているようだった。

足音が離れて行くのを待ってから、必死に肺に酸素を送り込む。

少し落ちてから、隣の巧に声を掛けた。


「……巧さん、ありがとうございます。でも、どうやってここに?」


「この土鈴に、ひよりさんの夢を繋げてもらいました。葵が拾ったのを俺が預かってます」


と、私が持っているのと同じ土鈴を見せる。

それは、先生が持っているはずのものだった。


「俺が最初飛ばされた場所は、茜川小学校の図書室でした。そこで水龍と会って、ここに飛ばしてもらったんです」


あの水龍が巧の願いを聞いたということか。

よく会話してくれたな。


「……そんなことより、これからすべきことを聞いてください。とりあえずこの山をこのまま下って、茜川小学校の方まで走ります。水龍の領域に入れば、隠し神はそう簡単に手を出せないはずです。制限時間は日の出まで。葵によると、この夢の時間の流れではそれ以上経つと身体の方が保たないそうです。だから、もし俺と逸れたとしても、とにかく茜川小学校を目指してください。川を頼りに進めば自然と辿りつけるはずです」


口早にそう言いつつ、銃弾の数を確認する巧。


「……チッ、夢の中のくせに弾数まで正確なのか」


リボルバー式の拳銃の装弾数は残り二発だった。

この二発だけで、あれだけの人数の目を掻い潜って小学校まで走り抜けるなんて無理がある。

嫌な予感がした。

ちらりと、横目で私を見る巧と目が合う。


「俺が囮になって真逆に走ります。その間に逃げてください」


「嫌です。絶対、それだけは嫌です」


「あいつらの狙いは俺じゃない。例え捕まったとしても、命を奪われるほどじゃーー」


「昔、贄に選ばれた娘が恋人と駆け落ちして、祀りから逃げ出したことがあったんだけど」


直ぐ近くで聞き覚えのある少女の声がした。

気配は感じず、足音さえ聞こえなかった。

突然の声掛けに、私と巧は肩を震わせる。


「捕まった二人は、そのまま滝壺に突き落とされたんだって」


そっと顔を出すと、ふきの姿があった。

しかし、口調は先程のふきとは違う。

視線はこちらに向けられていた。


「マキ、ちゃん?」


問いかけると、遠くから複数人の足音が聞こえてきた。

巧に手を引かれて、また茂みに身を隠す。


「巫女様!? なぜこちらへ……」


「贄が逃げたと、山がざわついていました」


「申し訳ありません。おかしな武器を持った男と共に逃げられました。直ぐに見つけ出します!」


「村の方へと走る二人の足音が聞こえました。馬を使って逃げるつもりでしょう。直ぐに追いかけなさい」


「さすが巫女様だ! 直ぐ向かいます!」


「巫女様、我々が村までお連れ致します」


「……ありがとう」


足音がまた遠くなっていく。

完全に聞こえなくなった頃、私たちは顔を出した。


「助けられたのか」


あれは、マキちゃんだった。

私が姉のように慕っていた、マキちゃんだ。


「今のうちに行きましょう」


「……はい」


もう少し待ってて、マキちゃん。

絶対に助けるから。


拳を握りしめ、私と巧は川に沿って急いで山を下った。

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