誰かの追憶
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真っ暗な視界が徐々に明るくなっていく。
何も見えないが、鳥の囀りや風で木の葉が擦れるような穏やかな音が聞こえていた。
ここはどこだろう。
暖かくてとても心地がいい。
「みよ姉様、どこにいるの」
遠くの方から、聞いたことのある声が誰かを探している。
閉じられている重い瞼をこじ開けようとするも、まるで動かなかった。
……また誰かの記憶の中らしい。
隠し神はこの記憶を見せて、私にどうして欲しいのだろう。
「いつもは神社近くにいるのですが」
「ふき殿、あとは私が一人で探しますからお戻りください。稀人の私といては、お父上がいい顔をされないでしょう」
「構いません、あんな恩知らずな父など。陽春様がいらっしゃらなければ、今頃この村は荒地でした。なのに、村の人たちもよくもあんな礼儀知らずなことを言えたものです」
この声は、先生とマキちゃんだ。
ようやく体の主が目を覚ましたのか、瞼がゆっくりと開く。
ぼやけた視界に入って来たのは、木々と草花だった。
どこかに横たわっているらしく、世界が傾いている。
上半身を起こされると、周りの様子がなんとなくわかるようになった。
ここはやはり神社の境内だ。
そして、私がいるここは拝殿の回廊。
古くはあるが朽ちてはおらず、立派な屋根で日差しを遮っている。
「そうだ、もうじきこの村で十年に一度の祭りが始まります。五穀豊穣を願って、村の人たちはご馳走を作って朝までお酒を飲むんですよ。ぜひ、陽春様も……」
「ふき」
姿を現した二人に私は声を掛けた。
まるで、ふきと呼ばれた少女の言葉を遮るかのようだった。
「みより殿。家にいらっしゃらなかったので、勝手ながらふき殿と探しておりました」
帯刀をした背の高い男が、眉間に皺を寄せながら近寄ってくる。
その姿はどこからどう見ても先生だった。
しかし、先生のこんなに険しい顔を見たのは初めてだ。
一方、ふきの容姿も同様にマキちゃんそっくりである。
ただ、彼女の目には包帯のような布が巻かれており、マキちゃんよりも表情が読み取りにくかった。
「姉様ったら、またここで昼寝していたの?」
からかっているようだったが、それを聞いた男には面白く聞こえなかったらしい。
「このようなところでいつも昼寝を? あなたには警戒心というものがないのですか。もしここに来たのが私たちでなく別の者であったなら……」
諌めようとする口調もそのまま先生だ。
しかしなぜか違和感が拭えなかった。
顔も背丈も声も口調も、全て私の知っている二人なのに、まるで人形と話している気分になる。
身体の主はさも鬱陶しそうに、また言葉を遮った。
「村を直ぐにでも出て行ってほしいと、何度申し上げたらわかっていただけるのですか」
「姉様まで、そんな言い方……」
「ふき、あなたはこの村の巫女様なのですよ。そのあなたが稀人と共にいるなど、村の者に示しがつきません。私はどこにも行きはしませんから、早く村へお戻りなさい」
嗜められ、肩を落とす。
「……私はただ……姉様のことを助けたくて……」
「わかっています。でも、それはあなたの役目ではありません。己が役目を果たしなさい。ーーさあ、もう日が暮れますから早く下りましょう。ここは祭りの日以外、日が暮れてから近づく場所ではありませんから」
立ち上がり、三人で神社から下り始める。
言葉の通り、徐々に嫌な空気が山の中全体に漂い出していた。
ふきが前方を慣れたように進んでいく。
それも、人ならざるモノを器用に避けていた。
盲目だということを一切感じさせない足取りである。
「ふき殿は生まれた時から盲目なのですか」
と、何食わぬ顔で隣を歩く男が聞いてくる。
「いいえ、あの子は神主の子として生まれて間もなく巫病を患い、視力を失いました。代わりに常人には視えぬモノが視えるようになり、神の言葉を聞けるようになったのです。今では神の言葉を村人に伝える役目を果たしています」
「……物言う神ですか」
男は訝しげだった。
その様子を見ても、身体の主が気を悪くすることはなかった。
物珍しいものでも見たかのように、目が丸くなるのがわかる。
この身体の主はどんな顔をしているのだろう。
「あなた様は信仰心が薄いのですね」
「生憎、私は神も仏も信じてはおりません」
「きっと、陽春様はこれまで生きる中で、神や仏に縋る必要がなかったのでございましょう。……人の力ではどうしようもないことが起きた時、私たちには縋り付ける存在が必要だったのです」
「あなたも神に縋るのですか」
「はい。陽春様の怪我が早く良くなり、この村から出て行くようにと。なかなか叶えてはくださいませんが……きゃっ!」
木の根に足を取られ、身体が大きく傾く。
それを男が片腕で支えた。
「どうも私は、恩人を放っておける気質ではないようで」
「……あ、ありがとうございます」
柔らかい笑みに体温が急上昇する。
この先生は、私の知っている先生よりかなり表情が豊かであることに気づいた。
だが、その豊かな表情を向けられているのは私ではない。
それが少しだけ悔しかった。
慌てて離れて顔を背け、乱れた着物を正した。
着物は良く見るとボロボロで、所々ほつれている。
ふきのものと比べると、ボロ雑巾のようだった。
「私は神も仏も信じてはいませんが、人間の域を超える力が存在するということは認められます。確かにそういう力を持つ人間は、故郷におりました」
男は何か考え込むように腕を組む。
「思うに、ふき殿の力は先天的に備わっていて、盲目は後天的なものだったのではないでしょうか」
「何が仰りたいのですか」
「信心深い村の者たちはその力をあたかも神から与えられたものとして扱い、彼女を巫女として縛りつけているのでは。先程、あなたはふき殿に己が役目を果たせと仰った。あの言葉は、ふき殿にのみ向けて述べたように聞こえませんでした。……あなたも、縛られているのではありませんか」
男の言葉に心臓が痛む。
今、彼の目を見たら、思わず手を伸ばしてしまうかもしれない。
身体の主を通じて恐怖と使命感が、波のように押し寄せてきた。
ぎゅっと拳を握りしめる。
「……あまり、罰当たりなことは仰らない方がよろしいかと」
そう言って、男を置いて再びふきの背を追った。
ふきは森を出た所で足を止めて待っている。
「なんの話をしていたのですか?」
「いえ、なんでもありません」
手がふきの頭を撫でる。
その優しい手つきから、彼女をとても大切に思っていることがわかった。
「……あの、姉様……少し二人でお話しできますか」
後ろから男が追いついてくる。
彼に聞かせたくない話なのだろう。
「わかりました。ーー陽春様、私はふきと話してから帰ります。先にお戻りください」
「もうじき日が暮れます。お気をつけて」
男もふきの様子を察したのか、直ぐに了承してその場を立ち去った。




