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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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耐久戦



「めでたしめでたし……なんてハッピーエンドじゃないことくらい、ひよりちゃんはもう知ってるよね」


葵の話に出てきた水神に守られる村も祀りも土鈴も全て実在している所からして、これがただの作り話ではないことは容易に想像できた。

そして話の最後の場面は私も実際に見ている。

あれは先生の生前の話だ。

先生はこの後、荒廃した神社で自ら命を絶つ。

葵はその経緯についても知っているのだろうが、それを話してくれそうな様子はなかった。


「どうしてこの話をしたんですか」


私の問いに対してしばらく間があった。


「……僕は巧と違って優しくないから、こんな方法でしか引き留め方がわからなかった。この話の続きが気になるなら、ちゃんと戻っておいで。おやすみ」


ぽんぽん、と私の頭を撫でて背を向ける葵。


彼はどこまでも私を生かそうとしている。

先生のことしか考えられなかった時は、それが負担でしかなかったし、今でもまだ彼を信用しきれてはいないが、私のためにこうしてそばにいてくれているのは事実だ。


「……ありがとうございました。先生のこと話してくれて」


次第に瞼が重くなっていく。

しかし夢に落ちる前に、これだけは伝えなければと口を開いた。


「……葵さんも、優しいと思います……ただ、私と同じで……人との接し方が、わからないだけ、で……」



ーーーーー



静かな寝息が背から聞こえるようになった頃。

葵は心臓を押さえながら、息も絶え絶えにベッドから這い出た。


無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理。

修行僧も喜んで野寺坊になるくらい無理だ、これ。


同じシャンプーとボディーソープを使っているはずなのに、なぜこんなにも甘い匂いがするのか。

ひよりの匂いや声色、華奢な背中が葵の至る所を刺激した。


ひよりに背を向けたまま深呼吸をして、再び振り返る。


ーー人との接し方、ねぇ。


眠りに落ちる間際の言葉。

まるで巧に言われたかのようだった。

この二日で随分と感化されたらしい。


壁を向いて静かに寝息を立てているひよりに手を伸ばし、頬にかかった髪を小さな耳にかけた。

長いまつ毛に滑らかな白い肌、僅かに桃色に染まった頬が露わになると、ひよりの髪に触れる葵の指が熱を帯びる。

今ここでこの瞼が開いて、あの大きな黒い瞳に捉えられたら、と思うだけで脈が早くなるような気さえした。


絶対に渡さない。


そんなドス黒い感情が心の底から湧き出てくる。

もはやこの感情が自分のものなのか、それとも魂に刻み込まれたものなのか、判断のつけようがなかった。


葵はひよりからそっと髪の毛を数本拝借する。

それから直ぐに柳原に連絡を入れた。


『ーー何の用』


声色からして、不機嫌そうだった。


「異界戻りしたおじさんを心配してる心優しい葵くんでーす」


通話しながら、片手でポケットから護符を三枚取り出す。


『なーにが優しい葵くんだ、この色ボケが。私がどれだけ気まずい思いして、あのお嬢ちゃんと駅に向かったと思ってんだ』


「おじさんもちゅーして欲しかった?」


『埋めるぞクソガキ』


あー、これはさすがにまずいか。

瞬時に判断して話題を軌道修正することにした。


「ごめんて、冗談じゃん。生き残った最後の忠臣が、そんなやわじゃないことくらい知ってるよ。ただ、もう陽春の加護に期待しない方がいいよって伝えたかっただけ」


話しつつ、円を等間隔に三等分するように護符を床に並べる。

中心の接点部分には隙間を空けた。


『なんで』


通話口から少し動揺したような一言が返ってくる。


「もうほとんど消えかかってるから。残ってた魂も巧に預けちゃったし。おじさん次異界入りしたらアウトだからよろしく」


陽春亡き後、柳原家の先祖は陽春の一族をまとめて引き受けた。

それ以来、柳原家は榊家の最もそばに仕えてきたというのに、先祖代々怪異に脅かされることは一度もなかったという。

柳原家はそれを陽春の加護と呼んで、家に立派な神棚を置き大切に祀っていた。


その加護がなくなりかけている、という宣告は柳原家滅亡の未来が見えている、と宣告されたのと同じ意味を示していた。


深い深いため息が聞こえてくる。


『……悪いが私は天寿を全うするのが目標なんだ。というわけで、私今日から引きこもりになるから』


冗談を口にする程度には機嫌は直ったようだ。


「うん、それで明日何時に来れる?」


『人の話を聞け! ……というか、さっきからホラー映画に出てきそうな呻き声聞こえてくるんだが?』


葵は人形(ひとがた)に切られた紙を隙間を空けた接点部分に置き、その上にひよりの髪を乗せた。


「怪異が電子系強いの謎だよね」


『……まじでいんの?』


「まだ見つかってないけど、陽春がひよりちゃんに張ってた結界も解けてるから時間の問題かな」


『お前のところまでは力の範囲外じゃないのか?』


「来てるのはあの隠し神じゃなくて、別の良くないモノ。魂が体から分離してるのを感知して寄って来てる。ひよりちゃんは僕がそばにいないと隠せない」


生者が生と死の狭間で揺れていれば、生に執着する死者を呼び寄せてしまう。

これまでは陽春によって守られていたのだろうが、今はその陽春もいない。

ひよりの魂は巧に託すとして、体は魂が戻るまでの間なんとしても守らなければならなかった。


窓の外を眺める。

特異体質のおかげか、未だ近づいてくる様子はなかった。

ただ、確実に周囲に集い始めている。


「さすがの僕も神と契約した陽春ほどの力はないからさ、ひよりちゃんを守り続けるのも限度がある。だから、おじさんには最後の砦になってもらいたいわけ」


特異体質の能力は常に葵の体力を消耗している。

体力がすり減ればすり減るほど能力も衰え、最終的には寿命をも削る。

このまま数を増やし続けたら、葵自身の命も危うかった。


(あかつき)(いずみ)(やなぎ)

そう書かれた護符三枚に人形とひよりの髪の毛。

これは体力が尽きた時のための時間稼ぎだった。


「まさか、この状況を作り出した忠臣が今更逃げ出すなんてことしないよね?」


『……なんのことだか』


「へー、今更しらばっくれるんだ。ならこっちも気づかないふりしてたこと、口にせざるを得ないけど?」


『どうぞどうぞ、言ってみなさい』


挑発的な口調だった。

葵は遠慮なく口を開く。


「可視能力のないひよりちゃんをあの神社に連れて行って、能力開花の時限爆弾取り付けたのおじさんでしょ。あの頃そんなことできるの、明日香に頼られてたおじさん以外考えられない。ひよりちゃんが覚えてなかったのは、陽春がそれに気づいておじさんとの縁を斬ったからってとこかな」


『私がそんなことするメリットがない。現に陽春の加護がなくなって自分の身も危ういのに、わざわざそんなことする必要があるか?』


「いくつかあるよ。例えばおじさんが本当に忠義を誓ってる陽春のため、とか。隠し神がひよりちゃんを狙うよう仕向けて、僕がそれを解決すれば結果的に現世に縛り付けられてる陽春は解放できる。あと考えられるのは、僕とひよりちゃんの接点を作って、嫌いな榊家をビビらせたかった、とか」


『……うーむ……どっちも正解!』


挑発的だった割りに思ったより早く認めたため、拍子抜けした。


『私、先祖代々榊家滅亡させてでも陽春を現世から解放させろって教育され続けてる、根っからの忠臣なわけ。それに、あの馬鹿げた呪いを信じてる馬鹿どもを見返す機会にもなるだろ。彼女とお前が仲睦まじく夫婦にでもなれば、呪いなんかなかったって思わせることも……』


「気持ちはありがたいけど、それはどうかな」


葵は思わず柳原の言葉を遮った。


「とりあえず、おじさんの考えてることは大体わかってるから。利用できるだけしておいて榊家嫌いなのも知ってるし、娘を使って親父とひよりちゃんのこと監視してたのも知ってる。親父とひよりちゃんには黙っててあげるから、自分がやったことの責任は果たそうね?」


『なんかお前に言われるとすっごいむかつく! 本当のことだけどすっごいすっごいむかつく! 言っとくが、命まで張ることになるなんて微塵も思ってなかったんだからな! お前がいればちゃちゃっと片付くと思ってた!』


まるで子どものように地団駄踏んでいる姿が目に浮かぶ。


「何年一緒にいんの? 神様案件はさすがに荷が重いんだよ。ーーで、明日何時に来れんの? 春休みだから授業ないでしょ?」


『成績付けとか論文執筆とか学会参加とかでいろいろ忙しいが……午前中に行きます』


なるほど、死ぬつもりは微塵もないらしい。


「今回のこと論文に書けば?」


『書けるか! それこそ榊家に殺されるわ!』


「まあ、ひよりちゃんが戻ってこなかったらおじさんも僕と一緒に死んじゃうわけだけどね。そうならないように、僕のお世話ちゃんとしてね」


最後の砦とは言ったものの、陽春の加護だけで先祖代々運良く生き残ってきた柳原自身には、可視能力すらない。

陽春の加護がなくなれば、瞬時に呪い殺されるだろう。

それでも呼んだのは、突然呪い殺されて道端で死なせたくはなかったからだった。


『わかったわかった。私もまだ死にたくないからなんとか耐えろよ』


「はいはーい。……あ、それと、ありがとうね、おじさん」


葵が礼を述べると、柳原はふんっと短く笑った。


『気張れよ若造』


その一言の後、電話の回線は切れた。

通話を終えて一息つく。


ーーお前が家のせいで私より先に死ぬなら、私が榊家を壊してやる。必ず生きて帰って来い。


三年前のこの台詞の裏で、まさかこんなことやらかしているとは想像もしていなかった。

やるじゃん、と思わず笑みが溢れる。


ひよりが隠し神に憑かれて能力開花までしたことは、彼女を厳重に隠していた榊家にとって間違いなく青天の霹靂だったことだろう。

しかもその問題を解決できるのは、彼女との接触を極力避けさせたかった葵ただ一人。

本家も分家も手が出せず、今頃爪でも噛んでいるに違いない。


現状、榊家を守るも潰すも葵次第だった。

そしてこの盤面を作ったのは紛れもなく、最後の忠臣とされている柳原。

忠臣に裏切られ、虐げていた葵に一族の命運を託さなければならなくなった榊家が、実に滑稽だった。


柳原としてはひよりを危険に晒してでも陽春解放を目指し、更に榊家での葵の立場を少しでも良くしたかったのだろう。

呪いを信じず、榊家に背いてひよりと葵の接点を作ったのは素直に敬服するし、感謝もしている。


だが、それだけだった。


「さあて、耐久戦のスタートだ」


葵は赤黒く染まった複数枚の札を扇子のように広げて煽ぐ。

恨めしそうな呻き声が響いてくる中、風は仄かに鉄の臭いがしていた。

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