似た境遇
リビングへ向かうと、巧がコーヒーの入ったマグカップを一つずつ両手に持ってキッチンから出てきた。
「美味しそうな匂いですね」
「味見されますか?」
「いや、先に食ったらうるさそうなんで」
苦笑しながらマグカップをテーブルに置く。
先に食べたところで話さなければわからない。
それをわかっていながら彼は敢えて味見をしないのだ。
葵が無事に帰ってくるための願掛けのつもりなのかもしれない。
私はコーヒーを淹れてくれたことに礼を言って、巧の向かいの席についた。
「早速ですが、遠藤真希についての情報をお伝えしますね。他の二人同様、ひよりさんにとっては辛い話だと思いますが」
「大丈夫です。覚悟はできてますから」
「わかりました」
巧は胸ポケットの手帳を取り出して遠藤真希のことを話し始めた。
ーー遠藤真希、十二歳。
茜川小学校の六年生だった。
彼女は生まれつき盲目ではあったが、通っていたのは盲学校ではなく市立の茜川小学校。
当初はクラスメイトと同じ教室ではなく、彼女専用の特別教室で教師と一対一で勉強していた。
なぜ盲学校ではなく市立の学校に進学することになったのか。
それは両親が世間の目を過剰に意識し過ぎた結果であった。
彼女の父親の家は先祖代々この地域に根付いてきた地主。
仕事は市議会委員で、目境町で遠藤家といえば真っ先に浮かぶのが彼の名であったほどだ。
妻は学生時代に出会い地方から嫁いだ一般家庭の田舎娘。
彼女にとって彼との生活は華やかなものであったに違いない。
しかしその華やかさの裏では、完璧な妻であり母であることの重圧が常にのしかかっていた。
そしてそれは、いつしか彼女の人格すらも変えてしまったのである。
遠藤家の親戚の話によると、二人の間に子どもはなかなかできなかったという。
マキちゃんはようやく授かった一人娘だった。
余程嬉しかったのか、父親は子どもができたと聞いたその日からベビーグッズを買い揃え、将来進学させる私立学校の資料を取り寄せするほどだったらしい。
そんな両親にとって、盲目の娘が生まれたのは大誤算であったことだろう。
父親は大いに落胆し、子どもの教育面は全て母親任せになったそうだ。
母親は自分の娘を特別支援学校に通わせることが屈辱に感じたのかーーかと言って娘に多くの金を費やす気にもなれなかったのかーー近所の市立学校に強引に入学させた。
そうして世間から得たのは、「遠藤さんの娘さんは全盲なのに他の子と同じように小学校に通っていて凄い」という賞賛だった。
「当時の遠藤真希の同級生の親や近所の人からの印象から察するに、母親の明子はかなりプライドの高い女性であったことが伺えます」
まだマキちゃんが小学校に入学する前、近所の人たちは母親のこんな怒鳴り声を聞いていたという。
「真希は人より劣ってるんだから、人より何百倍も努力しなくちゃいけないんだよ!? なんでそれがわかんないの!?」
遠藤家を出入りしていた家庭教師は、明子との教育方針が合わないという理由で何人も辞めたそうだ。
マキちゃんは誰よりも普通以上を求められていた。
それはマキちゃんにとって到底超えられないような高い壁だったに違いない。
「そういった経緯もあり、当初は遠藤明子の虐待を疑って家宅捜査も行ったようですが、遠藤真希の遺体は出てこなかったそうです」
「学校での様子はどうだったんでしょう」
「六年間、同級生で親しい友人はなし。学校行事は常に欠席。休み時間はいつも図書室で過ごしていたようです。ーーただ不可解な点がいくつかあります」
ここからが本番、とでも言いたげに巧は私の目を見た。
「彼女は全盲だったはずなのに、学校では常に白杖を持っていなかったそうです。しかも小学校二年生からは特別教室ではなく、普通教室でクラスメイトとほぼ同じ通常の授業を受けています」
マキちゃんが白杖を使っていなかったのは、私が夢で見ていた時と変わらない。
それも不思議ではあるが、全盲の子供が健常者と変わらない授業を受けていたとはどういうことなのだろう。
「教科書はさすがに点字で体育の授業も水泳以外ほとんど見学だったそうですが、学力は他の子とほぼ大差なかったようです」
それがクラスメイトには異様に見えたのか、マキちゃんが全盲であることを疑問視する噂が立った。
しかし不思議なことにそれが原因でいじめに発展するような事態にはならなかったそうだ。
とあるクラスメイトの話によると、ある男子がイタズラでマキちゃんの机に悪口を書いたことがあったようだ。
当然、マキちゃんはそれが見えないので一日何事もなく過ごしていた。
次の日、その落書きをした男子の机だけが水浸しになっており、机の中のもの全て使えなくなっていたという。
男子はマキちゃんがやったと訴えるも、大人たちは信じなかった。
それからまた別の女子がマキちゃんにちょっかいを出した。
するとクラブ活動後の夕暮れ時にその子が学校のトイレに入ると、何故か鍵が開かなくなり便器から止めどなく水が噴出し始めたという。
よっぽど恐ろしかったのか、その子は直ぐ転校した。
そんな怪異現象が頻発したために、いつの間にかマキちゃんの周りには人が寄り付かなくなった。
ただでさえ白杖なしで歩き回り、休憩時間には図書室で過ごすような不思議な子だ。
誰もが怖がっていたに違いない。
その話を聞いて、私は自分が小学生だった頃のことを思い出した。
ノートで先生と筆談していたのをクラスメイトに見られた時、その子はまるで異様なものを見るかのような目をしていた。
それでも時々「何を書いてるの?」と勇気を振り絞って訊ねてくる子もいたが、
「私の先生と話してるの。目に見えないかもしれないけど刀を持ってて、怖いモノから私を守ってくれてる。今日は理科室に首の折れた女の人がいるから近づくなって。この学校、ずぶ濡れの女の人ばっかりだねって話してたところ」
こんなふうに素直に話せば、どんなお調子者でも聞いた途端顔を真っ青にして今にも泣きそうな顔で去って行ったものだ。
やはり、マキちゃんと私は似ているのかもしれない。




