表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
79/104

面影


無言のまま材料をカゴに入れていく作業を終え、売っていた花を選びレジに向かうと当たり前のように巧が財布を出す。

確かに制服を着た少女が大人の男を引き連れて生活費を出していたら変な目で見られてしまうだろう。

そう思い素直にお金を出してもらった。

買った物を袋に詰めると、彼はまたそれを当たり前のように軽々と持ち上げる。


「重くありませんか」


「え? ああ。実家にいる頃、家政は俺の担当だったから慣れてます」


「お金、後で請求してくださいね」


「しません。代わりに美味いもん作ってください」


……教育されている。


私は花だけを抱えて「善処します」とだけ答えた。


交差点に着く。

私は花を邪魔にならない場所に横たえて置いた。

人が往来する横で、巧と二人で手を合わせる。


どうか、迷える魂が安らかに眠れますように。


そう祈りを込めながら、先生を思う。

……先生も眠りにつきたいと思ったりするのだろうか。


目を開けると、横断歩道で佇んでいるサラリーマンの男と目が合った。

血走った目が必死に何か訴えようとしている。

私はポケットから土鈴を取り出してサラリーマンに突き出した。

数回振って音を鳴らすと、男の姿が生前のような綺麗な姿に戻った。


『……僕は、死んでるんですね』


その問いに、私は無言で首を縦に振った。


『……ありがとう』


男はそう言うと、悲しげに目を伏せ光と共に消えた。

あとの二人は未だ彷徨っている。


「それは鈴ですか」


一連の行動を黙って眺めていた巧が話しかけてきた。


「先生から預かっているものです。二つあって、もう一つは先生が持っています」


「彼らは成仏できましたか」


「ええ」


嘘を吐いた。

本当はあと二人、残っている。

彼らの耳には鈴の音が届いていないようだった。

それだけでなく、こちらの様子すら気に留めてはいない。

そんなことを巧に話したところで負担になるだけだろうと思い嘘を吐いた。

しかし彼は見抜いていたと思う。

私の顔をじっと見つめてから、


「そうですか、良かった。行きましょうか」


とだけ答えて、信号が青に変わった横断歩道を渡りはじめた。

その背が少し寂しそうに見える。

彼のために吐いた嘘だったが、逆に傷つけたかもしれない。

胸が痛い。

なぜこんな気持ちになるのだろう。

嘘なんてこれまでいくらでも平気で吐いてきたのに。


少し前を歩く巧の後を追って横断歩道を渡り切った。

それから彼はなぜか直ぐに左へと方向転換し、葵の家の方向とは別の道の角を曲がる。


「巧さ……!」


呼び止める余裕もなく、伸びてきた手に腕を掴まれ引っ張られる。


「すみません」


巧は私を道に引き込んだ後、角から顔を出して本来行くべき道を見つめた。


何かあったのだろうか。

同じように顔を出すと、前方から二人組の女性が歩いて来るのが見えた。

よく見ると一人の顔は知っている。

巧の妹だ。

遠くから見ても目立つほど可愛らしい。


「なんでさっきから同じ道に出ちゃうんだろー。この地図アプリ壊れてんじゃないの!」


苛立ちのこもった声がここまで聞こえてくる。


「……遠回りしましょう」


心底気まずそうな巧。


「妹さんの隣の女性は彼女さんですか」


とても綺麗な人だった。

ショートの髪に丈の短いニット、スリットの入ったマーメイドスカート。

ザ・いい女の代表のようなスタイルをしている。

なんだかいい匂いまでしそうだ。


「あの格好してる時、大体勝負ごとの時なんだよな……」


巧のぼやきを聞き逃さなかった。

つまり、彼女は巧妹から彼氏が浮気している報告をされ浮気相手の家に殴り込むために葵の家を探している、ということだろうか。


「今会っても話し合えません。行きましょう」


私もあんな綺麗な人を傷つけるのは本意ではない。

巧に従って遠回りすることにした。

が、


「は!? なんなの、うっざいんだけど!」


と、これまた強めの怒気を含んだ巧妹の声が聞こえてくる。


「迷ってんだろ? 俺らが駅まで道案内してあげるからさ、ちょっとお茶しようよ」


「そうそう、ここら辺の道入り組んでるから」


巧の足が止まる。

……なんとまあ、典型的なナンパ文句だろう。


「うちら、彼氏いるんで」


この声は彼女さんだろうか。

角から再び顔を出すと案の定、二人が男たちに絡まれている。

こんな田舎のような町にもあんなナンパはいるのか。


後ろから深い深いため息が聞こえた。


「ひよりさんはここにいてください」


買い物袋を私に渡して巧が出て行く。

角から行く末を見守っていたが、巧が警察手帳を出すと男たちは直ぐに解散した。

そして、解散した男たちが今度はこちらの方に向かってくる。

そのうちの一人と目が合った。


「えっ、めっちゃ可愛いじゃん。お母さんに頼まれて買い物帰り?」


最悪だ。

こいつら手当たり次第ナンパしている。


「お家どこ? 荷物持ってあげる」


と、買い物袋を持つ私の手に男の手が触れた瞬間、躊躇なく右足を上げた。

急所を狙って蹴りを喰らわせようと足を伸ばす寸前、巧が私と男の間に割り込んで来る。

左手で私の膝を抑え、右手で男の手を制した。


「迷防でしょっぴくぞ」


無理矢理穏やかな声を出しているが、台詞は物騒極まりない。


「は、はは……お巡りさんこっわ。俺らただ親切で声掛けただけなんだけど」


「そうそう! 人の親切に対してそれは酷くね?」


「なら聞くが、彼女に触れていいか聞いたか? いくら親切心でも初対面の大人の男にいきなり触れられたら怖いと思われても仕方ないと思うが?」


「……チッ。あー、はいはい。どーもすいませんっした」


「もう行こうぜ」


今度こそ男たちはそそくさと逃げ出す。

それを見送ってから、


「その格好でいきなり蹴り喰らわせようとしないでください」


と、呆れ顔で私を見下ろした。


「大丈夫です。叔父の秘書が多少手や足を出しても榊家なら揉み消せると言っていたので」


「……その話あとで詳しく聞かせてもらえますか」


急に真剣な顔になった。

まずい、叔父がしょっぴかれる。


「ねえ、ちょっと」


と、追ってきた巧の妹が声を掛けてきた。

私の顔を改めて見て驚愕する。


「女子高生、だったの!? 兄貴、女子高生に……!」


「黙れ。彼女はそんなんじゃない」


心底不愉快そうに言われて少しだけ傷ついた。

もちろんこちらもそんな気は全くないし、妹と彼女を説得させるには仕方ないことだが。

また胸が少し痛む。


「わかってるよ、巧くん」


と、彼女さんがにこやかに笑いかけた。

それから周りに誰もいないことを確認し、小声でこう言った。


「刑事って言ってたけど、ほんとは公安警察なんでしょ?」


なぜ、そんな結論に至ったのか。


「こうあん? なにそれ?」


隣で聞いていた妹が首を傾げる。


「しっ! 秘密裏に国を守ってくれてるスパイみたいなエリート警察のこと。公安は顔を絶対知られちゃいけないの」


なぜ彼女は少し興奮しているのだろう。

巧はもう居た堪れないという顔をしていた。

ここでそれを肯定すれば嘘になるし、否定すれば彼女を不安にさせてしまう。

仕方がない、ここは私が助け舟を出さなければ。


「あの……初めまして、榊ひよりといいます。訳あって、たく……佐々木さんに身の安全を保護してもらっています」


「身の安全って、まさか命狙われてたり!?」


まあ、間違いではない。


「花村さん、この人あんまりにも胡散臭くない? 兄貴がそんなエリートなわけないし、浮気してんの誤魔化そうとしてんじゃないの?」


妹の方は一筋縄ではいかなそうだ。

疑惑の眼差しを向けてくる。

その眼差しを遮るように、巧が立ちはだかった。


「美月、いい加減にしろ。ーー七海も全部終わったら話そう。悪いが公務中だ」


そうやって私を庇おうとするから余計にややこしくなるのだ。

彼女の顔が不安そうに曇る。


……仕方ない。

ここは最後の切り札を切るしかない。


「私、婚約者がいるので」


その一言で、三人の視線が私に集まる。


「今はその人の家で彼と佐々木さんと三人で暮らしています。佐々木さんとは本当に何もありませんから、安心してください。何があっても、必ずお返しします」


「ふーん。で、その婚約者の名前は?」


腕を組みながら、問いかけてくる妹。


「榊葵。私の従兄で榊不動産グループ代表取締役、榊義彦の一人息子です」


これで少しは信じる気になっただろうか。

表情を伺うと、彼女は目を見開いて口元を覆った。


「うちの住んでるマンション榊不動産だわ。あ、佐々木巧の彼女の花村七海です。ごめんねなんかこんな急に訪ねに来ちゃっ……」


「やめてください」


と、巧が急に彼女の台詞を遮って私を睨んだ。

まるで彼女の言葉など耳に入っていないかのように、その目は私だけを責め立てている。

理解が追いつかず動揺するしかなかった。


「巧くん?」


「彼女は確かに榊葵の従妹だし公務のために三人で暮らしてるのも本当だが、ひよりさんと榊葵は婚約者なんかじゃない。俺のことが信じられないなら、もう構わないからとにかく直ぐに帰ってくれ。公務の邪魔だ」


「はあ!? 何、その言い方! 何様なわけ!? 花村さんがどんだけ……!」


「もういいよ、美月ちゃん」


彼女は噛みつきそうな巧の妹の袖を引いて宥めた。


「ごめん、巧くん。考えなしに行動し過ぎた。……これ、良かったらみんなで食べて。ひよりさんも、変な気を使わせてごめんなさい」


と、手に持っていた紙袋を巧に渡す。


「待ってるから。ちゃんと話してくれるまで、納得なんかしてやんない。だから、ちゃんと帰って来てよ」


「……わかった」


巧が首を縦に振ると、彼女はふっと安心したように笑って「行こ」と未だ納得し切れていない妹と一緒に去って行った。


私は巧から拒絶された意味がわからないまま、呆然と二人の背を見送る。


「どうしてあんな嘘を吐いたんですか」


二人の姿が小さくなると、巧から低い声で問われた。

私が葵と婚約している、と言ったことを怒っているのだろうか。


「あの場で彼女さんを安心させるには、ああ言うのが一番手っ取り早いと思ったからです」


その場凌ぎの嘘なら、これまでだって何度か吐いている。

それなのになぜ今回に限ってはこんなにも拒否反応を示すのか。


「自分の本意ではない嘘を吐くのはやめてください。特に葵と婚約してるなんて嘘、あいつの耳に入ったら無理矢理本当にすることだってできるかもしれない」


「妹さんも彼女さんも葵さんと縁は結ばれていないようだったので、あの嘘が葵さん本人の耳に入ることはないと思いました。差し出がましかったなら謝ります。すみませんでした」


頭を下げると、間髪入れず「そうじゃない」と否定された。


「自己犠牲をするなと言ってるんです。人の為に吐いた嘘であなた自身が苦しむようなことになってほしくない。二度とあんな嘘は吐かないと約束してください」


私は無言で頷いた。

頷きつつも、巧がなぜそこまで私を気遣うのか不思議だった。

私と葵の婚約が嘘だろうと本当であろうと、巧には関係ない。

私の嘘を利用して彼女からの信頼が獲得できるのなら、素直に利用すればいいのに。


「不服そうに頷くな」


そんなにわかりやすい顔をしていただろうか。


巧は本日何度目かもわからないため息を吐くと、私から荷物を受け取って歩き出した。

私は変わらず無言でついて行く。


巧の貰った紙袋には行書で店名が書かれていた。

雰囲気からして老舗感がある。

甘いものが食べられない巧のために、彼女が用意したものだろう。


「自分の気持ちを蔑ろにしていると、他人からも同じように扱われる。俺はあなたにそうなってほしくありません。本来ひよりさんは社会的にまだ守られるべき立場の人間だ。大人の俺や葵があなたを守るのは当然の責務です。それを気負う必要なんてないんですよ」


背中を向けたまま語りかけてくるこの人は、きっと多くの人に愛されて生きてきた人だ。

そして同じように人を大切にしている人だ。


私もそうなりたかった。

守られてばかりではなくて、大切な人を助けられるようになりたい。

だから能力を使うことも自分で決めた。

人のために能力を使うことと嘘を吐くこと、それに違いなんてあるのだろうか。


「あの嘘を吐いたのは、巧さんの力になりたかったからです」


自分でも驚くほど、声に怒気が込められていた。

巧も目を丸くして振り返る。


「あなたにとって私は子どもかもしれませんが、ある程度の分別を持って助ける人間は選んでいるつもりです。誰にでもああするわけではありません」


巧と先生は説教の仕方が似ている。

先生もきっと同じような言い方で私の嘘を叱っただろう。

だからか、先生にも同じことを言ってやりたいと思ってしまった。

あの人ならきっと、仕方がない人ですねと困ったように笑ってくれただろう。


「仕方ない人ですね」


私は思わず巧の顔を見つめた。

巧は照れたような、呆れたような、複雑そうな顔をしている。


「助けようとしてくれたことには感謝してます。でも、これは俺と彼女の問題なのでこれからは無視してください。これ以上、俺の私的なことでひよりさんを巻き込みたくはありませんから」


「……わかりました」


やっぱり差し出がましかったのではないか。

まるで私と葵の婚約話が嘘でも気に入らないみたいな言い方しなくても、それならそうと素直に言えばいいのに。


「それから、やっぱり俺の為だとしても安易にあんな嘘は口にしないでください」


「はあ」


「本当にわかってるんですか? あの葵ですよ?  マジで何するかわかりませんよ?」


「親友ですよね?」


「俺はあいつの歴代彼女の黒歴史全部覚えてます」


「教えてください。あの人の弱みを握れるかもしれません」


「親友なのでそれはしません。ただ、男としてあれは絶対すすめない。それだけは言えます」


ほお。


「……明日、美味しいカツ丼作りますね」


「吐きませんよ、絶対」


ふっ、と不敵に笑う巧。

先程の笑みを見た時、少しだけ先生の面影を見た気がしたが、今は全く先生には似ても似つかない。


気のせいか。

私は近場の人間で心の穴を埋めるような人間ではない。

この穴は先生でしか埋められない傷だ。

代わりなんていない。

巧がまた背を向けて歩き出した時、私はふるふると首を横に振った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ