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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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親不孝な娘


父親の実家から毎年段ボール箱で送られてくる林檎。

それを切って芯を取ったら皮ごと鍋に入れる。

水から煮たたせ、数分したらアッサムのティーパックを放り込む。

しばらく蒸らし、ハチミツを加えて完成。

甘いものが好きな千華のため、いつもハチミツは多めに入れる。

味見をしなくてもどれくらいが好みかわかるほど作り慣れていた。


ティーポットに移し入れてリビングへと持って行くと、既に千華がテーブルの上のクッキーをボリボリと食している。


「ちょっと! 紅茶と一緒に食べるんでしょ」


「遅いんだもん。これめちゃうま」


「知ってる」


紅茶をカップに注いで千華に渡す。

うわあい、と喜んでそれを一口飲んだ。


「はあ、幸せ。マジであんたいい嫁になるわ。同じ母親のお腹から出てきたはずなのに、なんでこうも違うかなー」


首を傾げながらクッキーに手を伸ばす千華。

真壁は無言で向かい側に座った。


いい嫁。

その言葉になぜか胸がモヤつく。


「千華だって、いいお嫁さんになれそうだけど」


「あたしがあ? 無理無理無理。旦那に三食カップ麺食わせる嫁になるよ?」


「千華は好きな人ができたら、その人の好物が完璧に作れるようになるまで練習するような女じゃん。しかもその人には努力してるとこ絶対見せないの」


「そんな健気じゃないよ」


「千華の方がお嫁さんに向いてるなって思う時、結構あるよ。私は千華ほど人に対して親切になれない。よく周りを見てるし、助けを必要としてる時に的確に手を差し伸べられる」


「なに、そんな誉め殺しして。小遣いでもほしいの?」


冷静を装っているつもりでも、顔が林檎のように赤い。

そんなところも可愛いのに、本人はそれを全く認めようとはしないのだ。


「千華はさ、なんで警察官になろうと思ったの?」


「そりゃあ、警察官になって誰もが安心して生活できるような社会を守りたいから、かな」


「本当に?」


「なんなの、さっきから尋問みたいに」


「……なんか、千華が迷ってるように見えたから」


いい嫁になる。

そう言った彼女の目は、少し寂しそうに見えた。

なぜだろうか。

今までこう言われ続けて、そんなふうに感じたことなど一度もなかった。


「千華は本当に警察官になりたかったの?」


強くてかっこよくて誰にでも親切で、人一倍努力家。

そんな千華に対して周りからの期待が大きくなっているのをずっと近くで感じていた。

誰よりも気遣いのできる彼女が、それに気づいていないはずがない。


そんな真壁の心配をよそに、千華は肘をついて鼻で笑った。


「あたしのこと心配するより、自分のこと心配しなさいよ。この間のテスト、散々だったってお母さんから聞いてるよ」


「うっ……!」


「あんたは余計なこと考えず、そうやってのほほんと過ごして可愛いお嫁さんにでもなってな。その生活の安全はあたしが守ってあげるからさ」


……余計なこと、だろうか。

何も考えないで誰かの庇護下にあることは幸せと呼べるのだろうか。


ズキン、と頭が少し痛んだ。


「ほら、紅茶冷めるよ」


と、千華がカップを目の前に置いた。

真壁はそれを手に取る。


飲んではいけない。

そんな気がするのに、飲みたくて仕方がなかった。

手が口元にカップを持って行く。

途端、


ーーパリン!


音を立ててカップが割れた。


「あっつ!」


「大丈夫!?」


冷めかけていた紅茶と共にカップの破片が転がる。


「火傷するから服脱ぎな!」


言われてブレザーを脱いだ。

驚きのあまり思わず熱いとは言ったものの、思ったほど熱さは感じない。


「カップにヒビ入ってたのかな、怪我してない?」


「あ、うん」


「動かないで。布巾持ってくる」


手際よくカップの欠片を集めてから、キッチンへと消えていく千華。

真壁はブレザーのポケットの中に入っているハンカチを取り出し、服にかかった紅茶を拭いた。

そのハンカチを見て、目を見開く。


見覚えのあるブランドもののハンカチ。

どこからどう見ても自分のものではない。

なのに、確かに見覚えがあった。

よく見ると少しカピカピになった鼻水のような汚れがついている。


頭の片隅で、男の声が聞こえてきた。



「期待しないでおくよ」



彼の太々しい嫌味な笑みが思い浮かぶ。

それを皮切りに、乾涸びた地に水が湧き出るかのように記憶が溢れてきた。

映像、台詞、人物情報。

失われていた記憶が様々な形で溢れては一つ一つ繋がっていく。

そして最後に一番鮮明に映像として残った記憶は、棺の中の千華の死顔だった。


「なん、で……」


ポタポタと落ちる大粒の涙が握りしめたハンカチを濡らす。

奥歯を噛み締め、記憶の中の冷たくなった千華の指の感触を思い出していた。

人形のように硬くなった指。

それはかつて幼い真壁の髪を三つ編みにした。

何度も道に迷いそうになると頬をつねられた。

一生懸命慣れない料理の練習をしては傷だらけになっていた。


今、目の前にいる千華はあの千華ではない。

彼女は最期に絶望と憎悪を抱いて一人で死んでいったのだ。


「何泣いてんの!?」


布巾を持ってキッチンから出てきた千華が真壁の様子を見て声を上げた。


「ごめん……ごめん、千華」


とめどなく流れる涙で歪む視界。


どうしてあげたらよかったのか、わからなかった。

日に日に弱っていく中でそれでも健気に家族の前では冗談を言って笑わせようとしていた姉を見て、泣く事しかできなかった。


笑わせなければならなかったのは私だったのに。

千華を安心させたかったのに、千華の歩むはずだった人生を私が奪った。


ーーでも。


しっかりと自分の足で立ち上がって千華と向かい合う。

呼吸を整えつつ、ハンカチをしまって右の腰のそれに手を当てた。

革製ホルスター。

それは真壁の記憶にあるものと同じだった。


「あなたは、千華じゃない……!」


ーー真壁が友膳班に所属が決まった際、先輩から一番最初に教わったのは幸いにも異界からの脱出方法であった。


「ーーもし異界に入ったら、まあ多分出て来られないと思うけど一応教えとくわ。絶対現世には存在しない、違和感のあるものを破壊する。それが怪異の本体の可能性が高い。もし生きて帰りたいなら、躊躇すんなよ」


ホルスターから拳銃を抜き取り、安全装置を外し銃口を千華へと向ける。

その両手は小刻みに震えていた。


「紗良? それ、おもちゃ?」


「来ないで!!」


優しく諭そうと近寄ってくるソレに向かって叫び、引き金に指を置いた。


「紗良、お願いやめて……!」


怯えたような声に思わず躊躇する。


「その声で、その姿で、そんな顔しないでよ!!」


引き金を引けずにいると、ふいに後ろから誰かに支えられるような感覚がした。

温かい何かが、真壁の震える両手を包み込む。


『腰、引けてる。ちゃんと構えなよ』


耳元でまた呆れたような声がした。

手の震えが止まる。

銃口はしっかりとソレの頭に向いた。

引き金に力を込める。


「紗良……!!」


ーーダンッ!


短い銃声と共に、ソレの身体が後ろへ反って倒れた。

瞬間、辺りの風景が砂のように崩れ落ちて暗闇と静寂のみが残る。


心が次第に穏やかになるのを感じた。

辺りはただ闇が広がるばかりなのに、自身の姿はしっかり目視できる。

いつの間にかその手に拳銃はなく、服装もスーツに戻っていた。


涙を拭いながら辺りを見回していると、背後から誰かに呼ばれる。


『おい』


振り返り目に映ったのは、白装束に身を包んだ千華の姿だった。

この暗闇の中でまるで発光しているかのように目立っている。

そんな彼女は物凄く不満そうな顔で両手組み、真壁を睨みつけていた。


「千華……? 本物?」


『あたしが親不孝な娘の千華ですが何か』


今にも暴力的な喧嘩でも吹っかけて来そうな姉の声色に、真壁は生唾を飲んだ。

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