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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
74/104

誠も嘘のように



ーーーーー



遡ること数十分前。

葵が境界を超えて消えていったのとほぼ同時に、真壁の頭には鋭い痛みが走った。

血管が破裂したのかと思うほどの痛み。

ズキン、ズキン、と規則的に脈を打ちつけていた。

耐え切れず頭を押さえながら地に膝をつけると、柳原の慌てふためく声が聞こえる。


「大丈夫か?」


「はい……」


「葵はすぐ戻るから、少しだけ辛抱しなさい」


柳原の声が遠くに聞こえるかのようだった。

……こんな姿、もし千華が見たらきっと罵ったに違いない。

真壁は奥歯を噛み締める。


「ほら、だからあんたには刑事なんて向いてない。守るべき一般人の背に隠れてこうして蹲ることしかできないあんたより、あたしが生きてた方が良かったに決まってる」


まるで千華の勝ち誇るかのような声が聞こえて来るようだ。

最期に私への怨みを抱えたまま死んだあの千華が私を守るなんて、そんなはずない。

それとも昨日の私は葵から千華について何かを聞いていたのだろうか?


思い出そうとすればするほど頭痛が邪魔してくる。

辛うじて思い出せるのは、昨夜の友膳警部の言葉だけだ。


「あなたはきっと明日には榊葵のことを覚えてはいないでしょう。だとしても、何があっても彼からは決して離れないように」


友膳がなにを意図してそう指示したのかわからない。

だが、なにかしらの考えがなければ彼がそんな指示を出すはずがないのだ。

やはり榊葵のことを探っているのだろうか。

千華であったなら、友膳警部の意図に気づけたかもしれない。


なぜここにいるのが千華ではなく私なのだろう。

私はどうしたらいいのだろうか。



『越えたきゃ越えればいいじゃん』



と、今度ははっきり耳元で呆れたような声が聞こえた。

はっと顔を上げて辺りを見回すが、不思議そうにこちらを見ている柳原しかいない。


「どうかしたか?」


「今、千華のーー姉の声が」


真壁は境界の先を真っ直ぐ見据え、足に力を入れて立ち上がった。


「行かなきゃ」


千華にこんな無様なところを見せたくはない。


「死にたいのか」


「死にたかないですよ。でも私、このまま待つのは性に合わないんです」


刑事としての誇りとか責任なんて綺麗事ではなく、真壁紗良として私はこの境界を跨いでその先を越えなければならない。

これからも友膳班の仲間でいるために。

そして、私が私でいられるために。


真壁は一歩一歩、境界の方へ歩み寄った。

その手を柳原が引く。


「ここで全てを捨てる理由がどこにある。葵のことなら大丈夫だ、待っていれば必ずーー」


「別に葵さんは関係ありません。なんとなくこの先で姉が待ってる気がするんです」


「それは怪異がそう思わせてるだけだ。本当に戻れなくなったら、遺された家族はどうするんだ!」


そう言われて、思わず目を伏せる。

父親は口には出さないが真壁に対して千華ほどの期待を寄せてはいなかった。

母親も「辞めたければ辞めて帰って来なさい」とばかり言っている。

本当は両親とも千華が言うように、普通に結婚して普通に幸せな家庭を築くことを望んでいるのだろう。

そんな彼らがまた娘を喪ってしまったら。

子どものいない真壁には想像ができないほど深い絶望を与えてしまうことになる。

それこそ、あの小宮夫妻のような。


ーーだがそれでも、この怪異から逃げたくはない。

胸を張って私だからここにいるのだと証明したい。

千華では成し遂げられないことを、私だから成し遂げられるのだと思い知らせてやる。


真壁は柳原の手をそっと外した。


「柳原さん。私はこれから公務ではなく私情でこの先へ向かいます。でももし私が戻らなかったら、殉死ということにしてください。私に葵さんのそばから離れるなと命じた友膳警部の責任です」


「……は?」


「でも、必ず戻ります。戻って、友膳警部に佐々木刑事と同じくらいそこそこ使える駒くらいには見直してもらいます。両親にも悲しい思いはさせません。私は姉とは違って親孝行な娘なので!」


「いやちょっと待て」


「葵さんが戻って来たら、そのままお二人は下山してください。それじゃ、行って来ます」


柳原の制止を聞かず、まるでちょっと行って帰ってくるかのような軽快さを纏わせて境界を越えた。


頭痛は徐々に薄れて視界も開けて来る。

変わる景色の中を歩み進めると、突然実家の玄関の扉が目の前に現れた。


ーーゥワンッワンッ!


すぐそばで元気のいい犬の鳴き声が聞こえる。


「え、クルミ? なんで?」


実家の飼い犬が尻尾を振りながら真壁に擦り寄って甘えてきた。

その鳴き声に気づいたのか、家の中の住人が出て来る気配がする。

扉を開けて姿を現したのはーーいるはずのない千華だった。


「なんだ、紗良か。帰ったならさっさと入ってきなよ。クルミが鳴くから不審者かと思った」


最後に見た千華は棺の中で花に埋もれた姿だった。

白い顔色に紅がよく映えていたのを覚えている。

本当に死んだのか信じられなくて、棺の蓋が閉まるまで何度も硬直した指を触った。


その彼女が、今目の前で動いて喋っている。

真壁は目を見開いたまま動けなくなっていた。


「なに死人でも見たような顔してんの」


「あ……えと……なんでいるの?」


「は? 大学最後の長期休みだから帰省するって言ったじゃん。警察学校入ったらなかなか帰れないだろうしさ」


確かに千華は一人暮らしをしながら大学の法学部に通っていた。

卒業の年、最後の長期休みを利用して帰省していたのも覚えている。


「そんな驚く? いいからもう、さっさと入んなよ。寒いし」


「あ、うん。お邪魔します」


「自分の家だろうが」


訝しげな目。

サバサバとした態度。

凛とした佇まい。

全部真壁の知っている千華だった。

それなのに違和感が拭いきれないのは、棺の中の彼女を間違いなく記憶しているからだ。


「今日お父さんもお母さんも遅いって言うからさ、久しぶりにあたしが夕飯作ったよ」


リビングに向かいながら胸を張る千華。


「え? 確か料理できなかったよね?」


「一人暮らししてんだから人並みには作れるようになったわ! ね、味見してみてよ!」


そう言われて台所へと押し進められる。

人並みに作れるようになった、と言う割には台所に近づくにつれてなぜか煙の臭いが強くなっているような気がする。


ガスコンロにはシチューらしきものが入った大鍋が置かれていた。

すぐ横の調理台には無惨に切り刻まれ捨てられた野菜たちの残骸が散らばっている。


「はい、どうぞ」


と、期待に満ちた目で小皿にシチューをよそって渡してくる。


「ね、ねえ、シチューのルーの箱が転がってるってことはこれシチューだよね?」


「どっからどう見てもシチューっしょ」


「私の知ってるシチューってこんな茶色じゃないんだけど。カレー粉混ぜたの? てかもう臭いからしてなんかスモーキーなんだけど!?」


「いいから食べなさいよ!!」


真壁は少しだけ舌を出して、渋々小皿のそれを舐める。

その瞬間、舌がビリビリと痺れ出した。


「おえっ!!」


ペッペッと流し台に慌てて吐き出す。

まずい、というか味がわからないくらい舌が痛い。


「だよね! 自分でも天才的な不味さだと思った!」


ケタケタと涙を浮かべながら笑っている千華。

そうだった、こいつはこんなやつだった。


「やっぱ料理は紗良が作ってよ。あたしじゃ向いてないわ」


料理が苦手で掃除も裁縫も苦手。

でも、人一倍努力家。

それを証明するかのように指にはいくつも絆創膏が貼られていた。


そんな千華が愛おしくて仕方なかった。

真壁はまるで幼い子供のように千華に抱きつく。


「ちょっと、何。紗良ちゃんはお姉ちゃんがいなくて寂しかったんでちゅか?」


「寂しかった」


「気持ち悪いな。調子狂うからやめてよ」


不器用な性格もこの温もりも、全てが偽りだとは思えなくなっていた。


ーーだとすれば、今までの記憶の方が間違っていたのではないだろうか。


ふと思い立ってこれまでの記憶を思い起こしてみる。

千華が死に、その遺志を継いで警察官になった。

そこで怪異事件を専門に扱う班に所属して、怪異に立ち向かうことになってーー


そんな夢物語みたいなことある?


真壁は千華に抱きついたまま、千華の顔を見上げた。

そして、両手で千華の両頬を引っ張る。


「にゃにふんほほ!」


真壁の両手を払う千華。


「千華、生きてる?」


「あんたマジで頭打ったんじゃないの? さっきから何言ってんの? あたしのことそんな殺したい?」


「そうだよね。生きてるんだよね。千華は生きてるし私は警察官じゃないし、怪異事件も追ってないよね」


「あんたみたいに平和ボケした子が警察官になれるんなら、この世に事件なんか存在しないだろうね」


次第に棺の中の誰かの顔がボヤけてくる。

ここに来る前、自分がどこで何をしていたかも思い出せなくなっていた。


「酷い顔。写真撮ってあげるよ。ーーほら、見てみ」


と、千華は持っていた自分の携帯で真壁を撮影してそれを見せた。

今にも泣きそうな顔の女子高生が写っている。

ポニーテールをしてブレザーの制服を着込んだ女子高生だった。


そう、だ。

私、高校生だった。

今日は家庭部の活動でクッキーを焼いたんだった。


右手には学校指定の鞄が握られている。

中を開けると、ビニール袋に入ったチョコチップクッキーがあった。


ああ、なんだ。

なんか、凄く悪い夢を見てたみたい。


「今日学校でクッキー焼いたの。食べない?」


「マジ!? 食べる食べる! 紅茶も淹れて!」


「いつものアップルティーでいい?」


「恋しかったんだよー、お父さんの実家の林檎とはちみつで作ったやつ!」


「はいはい」


真壁は冷蔵庫横に掛けてある自分のエプロンを取って、手慣れた様子で台所の片付けを始めた。

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