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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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手堂


「葵、札は持ってるか」


「大丈夫、釘もある」


葵はコートの内ポケットから釘と、小さく折り畳まれた紙を取り出した。


「ちゃんと説明してもらえませんか」


シン、と静まり返った空間の中、雪に紛れてこちらの様子を伺うかのように何かが蠢いている。

その気配を察知しているのか、真壁は辺りを警戒していた。


「悪いモノが長い間同じ土地に居座り続けると、その周辺には別のモノが寄りついて他の怪異を生むことがある。僕がここまで歩いて来たのは、その別の怪異を消滅させるため。下等であれば僕が歩くだけでその道は魔除けになるけど、中には抵抗するのもいる。ーーこいつらみたいにね」


葵が背後へと意識を向けた瞬間、木々の間から無数の手が葵の背目掛けて伸び出して来た。


「葵さんっ!」


真壁が叫びながらこちらへ走り寄ろうとする。

葵はそれを左手で制し、右手で広げた紙を指で挟み、振り向きざまに手の方へ差し出す。

その札を前にすると、全ての手がぴたりと動きを止めた。


その姿は目にしただけでも身の毛がよだつ。

男、女、子供、中には到底人間のとは思えない六本指の大きな掌のモノも。


「邪魔だから消えな」


大きな掌に紙を押し当てながら、壁に画鋲を刺すかのように釘を親指でズブズブと刺し込んでいく。

掌はそのまま萎んで枯れて、地面に落ちて霧散した。

地面には釘が刺さった札だけが残る。


真壁は目の前で起きていることが理解できず、呆気に取られながらそれをただ眺めているだけだった。

そんな彼女に、柳原は鞄から取り出した札と釘を渡す。


「これ、その辺の木に刺し込んでもらえますか。金槌はないが留まればいいから」


「あ、はい」


札には赤黒い色の墨でしめ縄のような絵が描かれ、その下に『蘇民将来子孫也』と書かれていた。


「墨には葵の血が使われてる。文字に関してはなんでもよかったんだが、なんか厄祓いしてる感あるだろ」


「はあー? なんでもよかったとか初耳なんだけど? それなら棒線でもいいじゃん、これ画数多くて毎回書くのしんどいんだけど」


「文字には書いた人間の気が篭る。そんなに嫌なら五芒星と急急如律令にでもすればいいだろうが」


「中二病っぽくて嫌だ」


「存在が中二病みたいなくせに」


ぶつぶつと言いつつ、二人で何事もなかったかのように道を進みながら木に札を刺していく。

真壁は混乱しつつもそれに習っていた。


「お前、なにを焦ってるんだ?」


と、真壁から距離を保ちながら柳原が訊ねてくる。

焦っていることを表に出したつもりはなかったが、行動から読み取られたらしい。

確かに普段ならもう少し慎重に動いただろう。

従妹が時間制限付きの呪いにかかっていなければ、の話だが。


「初午の日まであと十日。その十日の間にあの土地から遠藤真希の魂を解放して、祭り上げの準備もしなくちゃならない」


「だからってあのお嬢さんはこの先危なっかしいだろう。神関連の縁が結ばれてようがいまいが、普段のお前なら巧くんを連れて来てたんじゃないか」


「なんでそこで巧が出てくんの?」


「巧くんならお前と親しいし、適度に距離が保てると思っただけだ」


「……どうだか」


巧ならこの空間に一緒に閉じ込められることはなかっただろう。

それが適度な距離と言うのであればそうかもしれないが、今はそうなることを目の当たりにすることの方がしんどかった。

だから真壁と行動することで自身に呪いがかかる可能性を事前に知っていたとしても、きっと巧をつれてくることはなかっただろう。


「怖いのか」


怖がっている小さな子どもをあやすかのような親の口調だった。

巧の凡人性を知っている柳原が、巧が傷つくのを恐れているのかという意味で聞いたとは思えない。


「住む世界が違う、ただそれだけでしょ。それを越えようとしてくるあいつは、滑稽にしか見えない」


越えられるのなら、越えて見せてもらいたい。

もうそろそろ、そばであの凡人性を突きつけられるのはごめんだ。


ーー貴方は何もわかっていない。


男のあの言葉が頭から離れなかった。

わかっていないわけではない。

薄々気づいてはいたが、心のどこかでそれが確信に変わるのを拒んでいたのだ。

親戚でもなんでもない、ただの同級生だった凡人の巧となぜか縁が繋がっていた理由。

それを、あの凡人性が嫌になる程語りかけて来る。


「きゃああああ! 二人とも逃げてください!!」


と、後ろからついて来ていた真壁の悲鳴で思考が停止した。

振り向けば、全力で駆けている真壁の後ろから無数の手がこちらへ迫って来ているのが見える。


「はーい、おじさん運動の時間。走って」


「まじー?」


かったるそうに声を上げつつ、前へと走り出す柳原。

すぐ後に真壁が追いついて来た。


「なんで逃げないんですか!」


「さて、なんででしょうか」


冷静に答えながら札五枚を地面の上に等間隔に並べる。

その後三歩ほど後ろに下がり、アレが来るのを待った。


もう少し。

あと少し。


「葵さん……!」


真壁の怯えた声にも動じず、洪水のように押し寄せる手から視線を外さない。

札の境界線を越え、無数の手が葵に手をかけるその瞬間。

葵は一度だけ両手を叩いた。


ぼとり、と目の前に迫った手が落ちる。

他の手も次から次へとぼとぼとと音を立てて地に落ちた。

よく見ると、手は札を並べた所から先が綺麗に切り落とされている。


「な……な……」


真壁は葵の横で今にも腰を抜かしそうになっている。

そうしている間にも、第二陣でまたも手の波が迫っていた。

しかし今度は札の手前で何かにぶつかり、こちら側へ入って来られないようだった。


「うわー、どんだけの人間取り込んだんだろ、これ」


そう言いながら今度は手を二度叩くと、木に刺していた札が光りを放ち二陣を照らした。

するとソレは忽ち干からびて粉塵と化す。


「ここで生き残りたいなら、変な責任感とか正義感とか振り翳す前に僕の言うことをしっかり聞くこと。わかった?」


真壁は青い顔をしながら、こくこくと無言で頷く。


「一つ、モノに名前を知られないこと。二つ、異界の中のモノを口にしないこと。三つ、モノに心を許さないこと。この全てを破った時、もう元いた場所には戻れないと思った方がいい」


「私、葵さんって名前呼んじゃってますけど」


「うん、だから僕はあと二つ破ったら出られなくなる」


「すみません!」


「とにかく、変な真似しないでね。君に何かあったら僕が君のお姉さんに殺されちゃうから」


真壁は葵の言葉に目を丸くした。


「姉を知ってるんですか」


「昨日君に教えてもらった。お姉さんは少なからず神との縁が結ばれてたんだと思う。だから魂が少しだけ残って、君のことをかなり強引に守ってる。僕は君のお姉さんに危険だって判断されたから、君に危害を与えたりしたら僕にもなんらかの呪いがかかることになる。だから、頼むから大人しく黙ってついてきて」


有無を言わさぬ物言いに、真壁はただ黙って首を縦に振るだけだった。


「おーい」


と、柳原が手を振りながら戻って来る。


「あっちに通れそうな横道があった。前にここを通った時には存在してなかった道だが、どうする?」


「もちろん行くよ。誘ってくれてるなら好都合だしね。ーーほら、行くよ。君も生きて帰りたいでしょ」


真壁はぐっと唇を噛み締め、葵の後に続いた。


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