予報
「いけません!」
真壁が葵の手首に手刀を下ろした。
当たる寸前、葵は私の顔から手を放す。
「女性になんてことするんですか! ひよりさん酷い顔になってましたよ! あと一メートル離れてください!」
私の前に立ちはだかり、葵と距離を取らせる真壁。
葵は先程の柳原と同じように両手で顔を覆い、泣き真似を始める。
「親友と従妹に除け者にされて泣いちゃいそう。しくしく。僕だって一生懸命二人のために働いてるのに。しくしく。これはもうひよりちゃんに結婚してもらわなきゃずっと機嫌直らないよ、どうする?」
「一生泣いててください」
間髪入れずに答える私。
巧はさすがに罪悪感を覚えているのか、いつもなら嗤い飛ばしていたであろうに今は無言を貫いている。
「なんで巧には話せて僕には話せないの!? おかしくない? 従兄だよ? 親戚だよ? 他人の巧より信用性高くない?」
葵だから信用ができないのだ。
理由はわからないが彼は私に執着している。
もし和魂が茜川小学校で交換日記を守っていると知ってしまったら、和魂をどうにかして交換日記を奪い、私だけを救って終わらせる可能性がある。
それでは意味がないのだ。
助け舟を求め柳原に視線を送るも、
「なになに、なんの話? 巧くんと葵との三角関係の話? 私も混ぜて」
なぜか嬉しそうだ。
仕方ない、適当に誤魔化すか。
口を開きかけたその時、ちょうどいいタイミングで真壁の携帯電話が鳴った。
「はい、真壁です。……はい、無事到着して神社のお話を伺っていたところです。……え? 葵さんにですか? ……わかりました。ーー友膳警部からです」
真壁が携帯を葵に差し出した。
それを受け取った葵は、面倒そうに携帯をスピーカーにする。
「はい、はじめまして榊葵です」
『昨日ぶりですね、葵さん』
携帯から流れる友膳警部の言葉に、その場にいる誰もが動揺した。
葵は顔をしかめる。
「覚えてて貰えて光栄ですね」
全くそう思っていないのがすぐにわかる。
『残念ながら、完全にあなたと縁が繋げているわけではありません』
「へえ、じゃあどうやったんです?」
『あなたのことを忘れないよう、寝室、デスク、ロッカー、室内の生活スペース全てにあなたの写真を貼り付けています』
……想像してしまった。
「今すぐ剥がせ」
『冗談です』
冗談には聞こえなかったが。
愉しそうな声だった。
あの葵に本気で不愉快だと思わせるこの人も、葵と負けず劣らず性格が捻くれていそうだ。
『ところで今はご自宅ですか? でしたら今日の神社への外出は控えた方がいい』
「なんで」
『その方面にのみ、局地的な雨が降ります。今日は気温が低いので大雪の可能性もありますが』
「それどこ情報?」
『気象情報ではない、とだけお伝えします。ーーでは』
そこで通話は一方的に切られた。
「だってさ。今日はひよりちゃんの体調もよくないし、友膳警部殿の言う通り家にいようか。僕は出掛けてくるけど」
「どこに行くんだ?」
「本当に雨が降るか確かめに。茜川小学校には行かないから安心しなよ。僕が行ったところで和魂は現れないだろうし、遠藤真希を見つけないと交換日記も見つからないだろうから」
そう言いながら、葵は外出用の上着を羽織る。
……知っていたのか。
「先生から聞いたんですか」
「そうだよ。その意味、わかるよね?」
襟を正しながらこちらを見る目は冷たかった。
先生が葵に夢日記の所在を教えた。
つまり先生はあれが消されることを望んでいるということだ。
思わず葵の上着の袖を掴んだ。
「アレを消すのは私の役目です。葵さんは手を出さないでください」
袖を掴む私の手は、大きな手に優しく包み込まれかと思うと引き離された。
「悪いけど約束はできない。僕もひよりちゃんのことを信用してないから」
にっこりと笑顔をつくって見せながら、吐くのは棘のように鋭い台詞。
けれどその鋭い棘は私ではなく、先生に向けられているように思えた。
必ず私から先生を引き離す。
そんな強い信念さえ伺える。
たかが従妹になぜそこまで執着するのか。
私に対して好意があるようには見えない。
からかって遊んでいるだけなのかと思っていたが、どうもそんな軽い感じにも思えない。
であれば、彼にとって私から先生を引き離し信頼を得ることは何かしらのメリットがあるということだ。
それがなんなのかわからない限り、警戒を解くことはできそうにない。
「なんでお前はそういう言い方しかできないんだ」
「素直に心配だからって言えば済むのに。義彦さんが頭を抱えるわけだ」
巧と柳原が葵の態度に物申すも、本人は一切動揺するような様子は見せない。
「なら、僕とは違ってお優しい巧くんが慰めてあげれば」
「ああ、拗ねてるんですね。ひよりさんと佐々木刑事が仲良しだから」
真壁がふふっと笑いながらこんなことを言った。
のほほんとした雰囲気で軽快に図星をつかれたらしい葵は、無言で真壁の方へ近づきその額を指先で弾く。
ばちんっ! と大きな音がした。
「痛っ!?」
「巧とひよりちゃんは家で待機。僕とおじさんはフィールドワーク。君は自由行動。それじゃ」
葵は早口でそう言うと、リビングから出て行ってしまった。
「えー、私寒いの嫌いー」
そう言いつつ、しっかり上着を羽織って外出の支度をして葵を追いかけている柳原。
「ちょ、待ってください、私も行きますから! 佐々木さん、ひよりさんのことお願いします!」
「え、いや、行くなら俺が……」
額を押さえながら二人を追いかける真壁は、振り向きもせず行ってしまった。
途端に静かになった部屋に取り残された巧と私は目を見合わせる。
「……ケーキでも食います?」
物凄くぎこちない笑顔を向けられた。
本当は私と二人きりでいるのが気まずいから、葵と一緒に行きたかったのだろう。
「頂きます」
私も柳原に聞きたいことがたくさんあったのだが。
まあ、あの場で聞いたところで葵に阻止されていただろう。
いつか機会を見て聞くことにしよう。
「どれがいいですか」
巧に柳原が買ってきたケーキの箱の中を見せられる。
箱に書かれた店の名前は聞いたことがなかった。
どのケーキの果物も宝石のように艶があって、デコレーションからしても安いものではないと伺える。
タルト、プリン、シュークリームもあったが、私は既に決めていた。
「ショートケーキで」
即答するとなぜか巧はふっと笑った。
先程まで気まずそうにしていたのに、今はまるで小さい子どもを見るかのような目で見ている。
「用意しますね。座っていてください」
言われるがまま、いつもの椅子に座って葵のあの冷たい目を思い出しながら頬杖をついた。
巧の方が余程兄らしい。
台所でケーキとコーヒーを用意している姿を眺め、そんなことを思った。




