雨野目
火照りを冷ましてから制服に着替え再びリビングへと戻ると、なぜか葵が床に正座をしていた。
その正面には柳原が腰に手を当てて仁王立ちしており、隣では巧が蔑んだ目で葵を見下していた。
真壁は少し離れた所でその様子を少し緊張したように見守っている。
「怒らないから、あの子に何したのかちゃんと言いなさい」
「おじさんが怒らなくても隣にいる警察官の顔が怖いので黙秘権を行使します」
「どうせ強制わいせつだろ」
「証拠はどこにあるんですかー?」
舐め腐った態度に巧が舌打ちした。
「真壁さん、ひよりさんの聴取お願いします」
「はい」
突然真壁に別室へ連れて行かれそうになり、慌てて声を上げる。
「大丈夫です。ただ後ろから抱き締められて驚いただけですから」
こんなことに時間を割くくらいなら、早く先生のためにできることを探したい。
その一心での言葉だったのだが、なぜだか漂う空気感がおかしい。
みんな、私から葵の方へと視線をスライドさせた。
視線を集めた葵は、項垂れた様子で両手首を差し出す。
「魔が差しました。でも後悔はしてません。ひよりちゃん、めちゃくちゃいい匂いした」
素直に気持ち悪い。
なぜそんなことを勝ち誇った顔で親友に言えるのか。
「真壁さん、手錠」
「は、はい!」
「はあ、義彦さんに合わせる顔がない」
柳原は両手で顔を覆って泣き真似をし始める。
もしかしなくても、この茶番劇は被害者である私のために開催されているのだろう。
可哀想な真壁はこれが本気なのか冗談なのかわかっていないらしく、終始おどおどしている。
これを終わらせられるのは私しかいない。
謎の決意を胸に真壁の手を取った。
「本当に大丈夫ですから。軽い兄妹喧嘩みたいなものです。気にしないでください」
兄妹喧嘩、と自分で言っていてなんだか気恥ずかしさを覚える。
これを兄妹喧嘩としていいものかも疑問である。
「僕のこと兄だと思ってくれてたって、こと?」
目を輝かせてなに感動してんだこの男。
そんな葵に向かって、巧は人差し指を向ける。
「今回は大目に見てやる。お前は今日からひよりさんから半径一メートル圏内に近づくな。柳原さんも、ちゃんと監視していてください」
「はい、うちのが申し訳ありませんでした」
柳原が葵を立たせて頭を下げさせる。
その姿はまるで本当の親子のようだった。
叔父よりも柳原の方がよっぽど父親らしく見えるのは、単純に私が叔父と葵が一緒にいる所を見たことがないからなのか、それとも柳原の性格がそういう風に見せているのかはわからない。
どちらにせよ、この二人の関係性は主従関係などではないことだけはよくわかった。
「あの、私が遅れてしまったせいで申し訳ありませんでした」
と、真壁が申し訳なさそうに頭を下げる。
それから、
「ご挨拶が遅れましたが、初めまして。榊葵さんと柳原さん。この度は捜査にご協力くださりありがとうございます。今日からよろしくお願いします!」
「え?」
私、思わず声を上げる。
が、葵は全く疑問に思ってもいないかのように自然と会話を続けた。
「はいはい、初めまして。今日はこちらの柳原先生に神社について話してもらうので、友膳警部にちゃんと報告できるようによく聞いておいてね」
「友膳警部をご存知なんですか?」
「巧からいろいろ聞いてるから諸々の説明はいらないよ。あ、そうそう、昨日は大変だったみたいだね」
「……はい。でも小宮さん夫婦どちらも命に別状がなくてよかったです」
そう言って微笑む真壁。
この二人の違和感だらけの会話を聞きながら口を噤む巧と柳原。
巧の表情からはやるせなさが読み取れた。
「待ってください」
堪らず声を上げた。
「昨日、葵さんとは会ってますよね。二人で佳奈ちゃんの両親の自殺を止めたじゃないですか」
「え? ……いえ、昨日は私一人で行動していましたが」
不思議そうに眉を寄せる真壁。
が、直ぐに何か理解したかのように目を見開く。
「あ! あなた、榊葵さん!」
「急に人の名前叫ばないでもらえる?」
「す、すみません」
「思い出したんですか?」
巧が問うと、真壁は首を横に振る。
「いえ、昨日署に戻った後で友膳さんに何か言われたような記憶があったんです。『明日には〇〇さんのことは覚えていないでしょう』って。その〇〇さんが榊葵さんのことだったんだなと、合点がいったといいますか」
「なるほど。僕の存在だけを紐付けしたわけね」
「私たち、本当に初対面じゃないんですか?」
「あんまり考え過ぎるとまた頭痛起きるからやめときな」
「……これが特異体質」
真壁は驚きつつ感心したように呟いた。
一方の私は未だ信じられなかった。
別れて数時間しか経っていないというのに、こんなにも早く縁が切れるなんてこれこそ呪いではないか。
どれだけ深い関係を築いたところで、数時間後には自分の存在がその人の中から消える。
そんな孤独を葵はずっと抱えて生きてきたのだろうか。
昨日の夜、帰ろうとする真壁を巧がなぜかしきりに呼び止めていた理由がわかった。
きっと、巧なりになんとか彼女の記憶の中に葵を繋ぎ止めようとしていたのだろう。
たまたま縁が結ばれている人間から見れば、この状況は側から見ているだけでも辛い。
「そんな顔しなさんな」
柳原に肩を叩かれる。
「葵にとっては縁が繋がること自体が稀で、真壁さんみたいなのが通常の反応なんだよ。それに毎日のように会ってれば、そのうち一時的に縁が繋がることもある」
「そうそう、それに昨日言ったでしょ。期待してないって」
「期待って、私にですか?」
「君以外に誰がいるの?」
「酷い! ーーん? このやりとりしたことあるような……痛たたた」
真壁が頭を押さえ痛みに耐えるような苦悶の表情を見せる。
「ほら言わんこっちゃない」
これ以上、真壁に無理矢理葵のことを思い出させようとするのは危険らしい。
これから縁がまた繋がることに懸けて、今はぐっと言葉を飲み込むことにした。
「もういいからさ、早く神社の話してよ。ちゃんと、かいつまんでね」
葵は柳原に鋭い視線を向けた。
柳原は困ったように頬をかく。
「かいつまむの苦手なんだが、努力はしましょう」
その言葉を合図に、それぞれ近くの椅子やソファに腰を下ろす。
真壁は巧から水をもらい、常備している頭痛薬を飲んでいた。
ソファに腰を下ろした柳原は冷めたコーヒーを一口飲んで唸る。
「どこから話すかな。歴史からにするか」
柳原はそう言って、あの神社の歴史について話し出した。
ーー今から約千年近く昔のこと。
かつて、あの地域は多くの水害に見舞われていた。
度重なる豪雨によって近くの川は氾濫し、村や作物を飲み込んでいたと記録にはある。
飢えに苦しんだ者たちは皆武器を手に取り、略奪や殺し合いも後を絶たなかった。
当時は村というコミュニティの外の人間を稀人と呼び迫害する風習が根強く残っていたため、それも手伝って協力関係を築けるような状況ではなかったという。
そこで、とある一人の村人がこれを嘆き村の中にある大きな山に小さな祠を建てた。
それが、かの神社の最初の姿である。
後に名を雨野目神社という。




