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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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関節技


リビングの椅子に座っていると、葵からうどんが出される。


「頂きます」


手を合わせ早速食べようとすると、その時はじめて私の格好をちゃんと見た葵の口が弧を描いた。


「あとで僕のパーカーに着替えようね」


……そんなにおかしいだろうか。


「事後、に見えますか?」


そう問うと、台所で食器を落とすような音と「あっつ!!」という巧の叫びが聞こえて来る。

目の前の葵の表情は固まり、柳原は腹を抱え口を押さえながら肩を震わせていた。


「意味わかって言ってる?」


笑顔な上、口調も穏やかだが明らかに怒っているとわかる。


「はしたないってことですよね?」


「具体的な内容はいつか僕が懇切丁寧に教えるから二度とそういうこと言わない。わかった?」


具体的な内容?

事後に内容があるのか?


「なにどさくさに紛れてしっかり独占欲出してんだアホ。ーーあ、巧くん、このケーキ冷やしておいて。あと、お父さんから伝言。はよ帰って飯作って、だって」


「はあ、面倒かけてしまってすみません」


台所から出てきた巧は柳原からケーキを受け取って直ぐに引っ込んだ。

その間、私の方は一切見ようともしない。


柳原は巧の父親とも仲がいいのだろうか。

うどんを咀嚼していると、私の向かいの席に腰を下ろした葵が説明してくれる。


「柳原のおじさんは、巧のお父さんと同じ大学出身で先輩後輩なんだよ。二人とも佐斯上(さしがみ)女子大の大学教員してる」


「私は非常勤講師だけどね」


佐斯上女子大、と聞いて思わず咽せそうになった。

私の進学予定の大学だ。


「そういえばこの間、義彦さんが姪を佐斯上女子の文学部に進学させたって言ってたな」


「えー、初耳。巧は知ってた?」


「……まあ」


どうも巧の歯切れが悪い。

私が父親のいる大学へ進学すると知っていたなら、なぜ今まで黙っていたのか。

巧は気まずそうに台所から再び出てきて、ソファ前のテーブルにコーヒーを出した。

柳原は礼を言いながらソファに腰掛ける。


「佐々木は中世文学と教員免許取得の必須科目担当だから、もしそっちに興味あるなら顔見知りになるかもね」


「そう、なんですね」


今のところあまりどちらも興味はないが、同じ学科なら必須科目でいずれは当たるだろう。

巧の父、どんな人なんだろうか。

やはり巧のようにいつも難しい顔をしているのだろうか。


「でもなんで、佐斯上? 他にも大学あったでしょ」


「叔父に母が行った大学だからと勧められました」


柳原は出されたコーヒーに手を伸ばしながら納得したように頷く。


「ああ、明日香さんも佐斯上だったか」


「母をご存知なんですね」


「一応親戚だからね」


……今度はこちらが初耳である。


「柳原家は榊家に昔から仕えてる一族だったんだよ。歴史的に榊家から柳原家に嫁ぐ人も多くて、今じゃ親戚みたいなもん。そういう親戚たちって正月とかお盆みたいな季節行事にはほとんど全員参加してるから、大体みんな顔見知りってわけ」


私は呼ばれたことがないが。

恐らく、母親が父親と駆け落ちした時に榊家と交流を断絶したためだろう。

呼ばれたところで、肩身の狭い思いをしたに違いない。


それにしても、榊家とは話だけ聞くと随分いい家柄らしい。

叔父の住む大きな屋敷を見る限りお金持ちなのは知っていたが、その歴史については母親からも先生からも聞いたことがなかった。


「あの私、そもそも榊家についてよくわかってなくて」


「貴族だったんだよ。私ら柳原家はその貴族を守る武家だった。今は榊家に纏わる曰く付きの話を表に出さないよう管理するお役目を頂いてるわけだが、今回はちょっと難しそうだな」


やはり、今回の件は榊家が関係しているらしい。

葵はこの人を呼んだ時点で、ある程度予想していたのかもしれない。


「榊家の話はまた今度でいいでしょ」


葵は柳原に視線を向けていた。

こちらから葵の顔を見ることはできないが、恐らくこれ以上は話すな、と圧を掛けている。

柳原は大袈裟に肩をすくめていた。


「ところで、あの子まだ来ないの?」


と、今度は先程から難しい顔で携帯を弄っている巧に声をかける。

あの子、とは真壁のことだろう。

巧は困ったように額に手を当てた。


「迷ってる、というより辿り着けないらしい」


「だと思った。早く迎えに行ってやんなよ」


「……だな」


巧は息をつきながら短く応答すると、そのままリビングを出て行った。

その後に続いて、柳原も立ち上がる。


「念のため、私も巧くんについて行くよ。直ぐ戻るからな?」


まるで葵に忠告するかのようにそう言い出て行った。


「僕のことなんだと思ってんの、あのエロじじい」


なぜ、エロじじい?

うどんを咀嚼しながら首を傾げると、それを見て深くため息をつく葵。

心なしか少し切なそうだった。


「ところで真壁さんが辿り着けない、というのは? 柳原さんと巧さんの妹さんはここまで来られましたよね」


「そもそもここは僕と縁が繋がってない人間は辿り着けないんだよ。といっても、ここの住所を知ってて且つここに来るべき理由がある人と、僕と縁が繋がってる人を尾行してきた人は例外。巧の妹は後者に当たるからたまたま来られただけ」


なるほど。

巧の妹は葵と縁が繋がっている柳原を尾行してここまで偶然辿り着けた、ということか。


「そうなると、真壁さんは辿り着けなきゃおかしいと思いますが」


彼女は昨日葵と会って別れてから一日も経ってない。

いくら特殊体質と言っても、離れてから数十時間で縁が切れることはないだろう。

それに巧から住所を聞いているはずだし、この辺りの道は詳しいと言っていた上、ここに来るべき理由もちゃんとある。

辿り着ける理由しかないが。


「着けばわかるんじゃないの」


葵は興味がないのか、眠たげにくあっと大口を開けて欠伸をした。

そう言えばこの人、昨日からろくに眠っていないのでは。


本当は神社でのことが聞きたいが、聞いたところで葵のことだからまともに答えてくれるとは思えない。

悩みながら空になった器を眺めていると、葵が口元を覆ったまま笑った。


「ふっ、他に聞きたいことがあるなら聞きなよ。せっかくおじさんも気を利かせてくれたんだし」


葵の言葉で無意識に視線を落としていたことに気づく。

昨日、巧に指摘された癖のことを思い出した。

やはり葵にも見抜かれていたか。

私は仕方なく質問することにした。


「葵さんもあの場にいたんですよね」


「いたよ。せんせーに夢日記の場所について聞いたんだけど、ヒントくらいしか教えて貰えなかった」


「それだけ、ですか」


「喧嘩でもしてほしかった?」


「いいえ」


そうじゃない。

もっと、なにか私に対して言ってなかったのだろうか。

例えばーー最後の言葉、とか。

そんなの聞きたくないが、私に対しての思いを誰かに伝えていたならそれはきっと先生の中の嘘偽りのない言葉だ。

私は先生の本当の言葉が聞きたい。


ふと、葵が無言で私の左手に触れた。

その指先はそっと掌のアザを撫でる。


「巧が撃った時の顔、見た?」


なぜ突然、巧の話になるのだろう。

不思議に思いつつ、首を横に振った。


「……いいえ、あの時は余裕がなかったので」


私があの時見たのは、先生の最期の場面が銃声によって途切れ、目の前のマキちゃんが横倒れになる姿だけだ。

そもそも巧まで呼ばれるとは思ってもいなかったため、呼び声を聞いた時は耳を疑った。

巧の魂の記憶によって具現化した拳銃を見て、はじめて巧が撃ったのだと気づいたほどだ。


「そう」


葵は私の左手を両手で包み込んだ。

珍しく、思い詰めたような顔をしている。


「ごめんね、無傷で助けてあげられなくて」


「いえ、痛みませんし」


「責任を持ってひよりちゃんのことは僕が貰うから」


「結構です。ご馳走様でした」


早々に葵の手を振り払う。

真顔でまた冗談か。

珍しく思い詰めているようだったから心配したが呆れた。

私は食器を片付けるため台所へと移動する。


その後に葵が入ってきた。

飲み物でも欲しいのかと振り向く寸前、背中に体温を感じる。

抱き締められていると気づくまで数秒かかった。


「僕じゃ嫌だ?」


耳元で囁かれ、身体が硬直した。

熱っぽい、聞いたことのない男の声。


玄関の方で扉が開く音がする。

瞬間、葵はぱっと私から離れた。


「なーんて、びっくりした? ひよりちゃん僕のこと全然男だって認識してくれないからちょっと脅かし……え、ちょ、いだだだだだだ!!」


解放された私は即座に葵の手首を掴み、くるりと身を捻ると同時に葵の肘を突き上げ自分の前に落とす。

関節を決められ、葵は前のめりになって悶えていた。


「一つ忠告します。女を甘く見ていると痛い目に遭いますよ。気安く女に触れる男は信用してはならないと先生が言っていました」


「それはあいつがただ単にヘタレなだけ……痛い痛い痛い痛い腕もげる!!」


リビングに人が入ってくる音が聞こえる。

葵の悲鳴を聞いたのか、「なんだなんだ?」と台所に人が集まってきた。


「先生はヘタレじゃなくて紳士です。次に先生の悪口を言ったら、アドバイス通り急所を狙います」


「言わない言わない! 先生は紳士!!」


「……何やってんだ、お前」


巧と柳原と真壁は、私に関節技をかけられ悶えている葵を見て眉をひそめていた。

三人の姿を見て、葵を解放してやる。


「葵さんはケダモノです。この格好では集中できないので自分の服に着替えてきます」


ふん、と鼻息を吐いて台所を出る。

背後からは戸惑いの声が上がっていた。


「直ぐ戻るって言っただろうが、なにしてんだ」


「見てわかんなかった!? 僕の方がされた側なんだけど!?」


「ひよりさんが理由もなしに関節技きめるわけないだろ」


「それにしても綺麗な関節技でしたね」


足早にリビングを出て自室に閉じこもる。

部屋の扉によりかかり、発火しそうなほど熱い頬を両手で覆った。


身体が熱い。

やはり体調がまだあまりよくないのだろう。

熱が冷めるのを少しだけ待つことにした。

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