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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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下僕の民俗学者


数時間後。

泥のように眠っていた私は、女の怒鳴り声で目が覚めた。

ぼんやりとした頭で、目を閉じながらその声が誰のものなのか考える。

母親ではない。

もっと若い感じの女の声だ。

女の怒鳴り声の後に、男のたじろぐような声も聞こえて来る。


それにしてもうるさい。


私はこれ以上眠るのを諦めて上半身を起こした。

枕元にはいつの間にかスポーツドリンクと体温計、そして鈴が置かれている。

額には熱冷ましのシートが貼られていた。

随分と甲斐甲斐しく看病されていたらしい。

そのおかげか、だいぶ身体が軽くなった気がする。

体温を計ってみるも平熱だった。


お腹も減ったし起きるか。


机には着替えと思わしきパーカーが畳まれていた。

男物の大きめサイズのものである。

ご厚意に甘えてそちらに着替えると、ダボついたワンピースのようになった。

これが俗に言う彼パーカーという奴か。


……落ち着かない。


これに憧れるとクラスの女子が話しているのを聞いたことがあったが、他人の匂いがするものを着るのはどうも落ち着かない。


まあ、いいだろう。

少しの間借りるだけだ。

どうせ葵のだろうし。


さてはて、何事か。

部屋を出て階段を降りる。

その直ぐ先が玄関先だった。


「だから!! ちゃんと花村さんに話してあげてって言ってんの!!」


「頼むから喚くな。病人がいるって言ってるだろう」


「はあ? 警察官っていつから病人の看護までするようになったわけ!?」


「美月ちゃん、今日のところは家に帰りなさい。お父さんも心配してるだろうし、巧くんだって公務中なんだから」


声だけ聞いて、お互いに姿が見えない階段の踊り場のところで足を止める。

聞こえて来るのは、若い女ーーとてもギャルっぽいーーと巧と物腰が柔らかそうなおじさんの声だ。

言い争っているのは若い女と巧。

これはもしかして、痴話喧嘩という奴なのではなかろうか。


「仕事仕事って、いつまで経っても家に帰って来ないし話なんかする気ないんでしょ。言っとくけど花村さんだけじゃなくて、なるみさんもお兄ちゃんもみんな兄貴に怒ってんだからね!?」


兄貴、ということは兄妹ということか。

なら痴話喧嘩ではなく兄妹喧嘩なのだろう。

それなら話はややこしくならなそうだ。

お腹が空いて仕方ないから、軽く挨拶でもしてリビングにいる葵に何か食べさせてもらおう。


再び階段を降り始める。


「マジで男としてありえないからね。三年間付き合った彼女に普通メールだけで別れ話済ませようとする!? 浮気でもしてんじゃない……の……」


階段を降りる私の姿を見る若い女ーー清楚系ギャルーーの顔が、どんどん青ざめていくのが見えた。

話の内容的に、とんでもないタイミングで降りて来てしまったことに気づく。


彼女の顔を見て、見た目上品なおじさんと巧もこちらを向いた。

おじさんは口元を手で隠し、巧は頭を抱える。


「違うんだ、美月。彼女はそんなんじゃなくて」


めちゃくちゃ浮気してる男のテンプレのような言い訳だった。


「兄貴……信じらんない……本当に浮気してたの……」


「いやだからこれは公務で……!」


「公務でなんであの女が兄貴のパーカー着る必要あるわけ!? どう見ても同棲じゃん!! なんなら事後じゃん!!」


「馬鹿! はしたないこと言うんじゃない!」


……パーカーは巧のだったのか。

本当に間が悪い。

ところで事後ってなに?


「もう無理。男として最っ低。というか人間として無理。家族の縁切るわ。二度と話しかけないでさようなら」


早口で矢継ぎ早にそう言うと、彼女は私を睨みつけて家を出て行った。


完全に勘違いされた。


三人で呆然と突っ立っていると、リビングの扉が開く。

出てきたのは、眉間に皺を寄せた葵だった。


「やっと終わった?」


「今、巧くんが家族の縁切られたところ。お前もさっさと出てきて説明してやりなさいよ」


「だって僕、巧に三年間彼女いたとか聞いてなかったし。そんな裏切り行為許せないし」


「三年前から電波が届かないド田舎に飛ばされて、音信不通だったお前にどうやって報告すんだ」


「田舎移住が流行ってんだからしょうがないじゃん。ーーあ、ひよりちゃんおはよ。体調どう?」


「お陰様で熱は下がりました」


だが、もう部屋に閉じこもりたい気分だ。

空腹のせいで一人の人間を不幸にしてしまった。


「騒がしくてすみません。起こしてしまいましたよね」


巧が顔を赤らめながら申し訳なさそうに謝る。


「そんなことより追わなくていいんですか。さっきの方、妹さんなんですよね」


「全て終わったら訂正しておきますので、ご心配なく。ーーもし体調が悪いようなら、まだ横になっていてください。何か食べられそうなら部屋まで持っていきます」


「……いえ、もう平気です」


プライベートなことを持ち込みたくない、という思いがひしひしと感じ取れた。

私への対応は飽くまで公務の一環であってそれ以外のなにものでもないのだろうが、そこまではっきり線引きされるとなんだか突き放されているような気分になる。


微妙な空気を察したのか、おじさんーーというより、おじ様という雰囲気を醸し出した人が私に声をかける。


「初めまして。榊家に下僕扱いされてるじじいです。体調が悪い時に邪魔して悪いね。なんせ下僕だから、呼ばれたら行かなきゃ何されるか……」


「どっちが下僕だよ。学生だった僕を散々こき使って地方に連れ回したこと忘れたわけ。出張中も取材とか言って月一で家に転がり込んでくるし」


「だって研究取材にちょうどいいところにばっか住んでんだもん。次は東北あたりとかお願いしますよ」


研究取材。

彼は確か葵が呼んだ民俗学者だったはず。

今日来てくれたのは、あの神社について話をするためだろう。


「従妹の榊ひよりです。神社のことについてお話を伺いたいので、リビングでご一緒してもよろしいですか」


「勿論、ご一緒しましょう。ケーキも買って来ましたからね、後で召し上がってください」


柳原が手に持っていた高級そうな紙袋を掲げる。

ケーキ、と聞いて思わず頬が緩んだ。


「ひよりちゃん、お腹空いたよね。うどん作ってるから用意してあげる」


「俺が、作ったうどんだ」


「うるっさいな、いちいち。別に麺から捏ねて作ったわけじゃないんだから威張るなよ」


「威張ってない。さもお前が作ったみたいな言い方をされるのが癪に触るだけだ」


「そんな小さい男だから妹にも見放されんだよ」


「うるさい黙れ」


始まった。

ぞろぞろとリビングに向かうすがら、柳原に肩を叩かれる。


「あの二人の相手は骨が折れるだろ」


「……はい、とても」


素直に答えると、柳原はくっくっと肩を揺らして笑った。

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