表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
三章
56/104

更けゆく夜



ーーーーー



巧と夕食の支度をしている最中、玄関のドアベルが鳴り響いた。

巧の後に続いて玄関へ向かうと、葵と目が合う。


「ただいま。いやー、さすがに疲れた」


そう言って呑気に伸びしている彼の服のシャツには、赤黒いシミが所々についていた。

まるで人でも殺して来たかのような出立ちである。


今から数十分前に巧が真壁から連絡を受けていたことは知っていた。


「もう直ぐ帰るそうです」


電話を切って直ぐのその一言で、何も聞くなと制しているのに気づいた。

だから何も聞かずにいたのに、これを見せられてしまったらさすがに気にせざるを得ない。


同じことを思ったのか、巧も苦虫を噛み潰したような顔をしている。


そんな私たちの視線に気づいた葵は、きょとんと目を丸くした。


「え? 小宮佳奈の両親が手首切って自殺未遂してたこと聞いてない? 凄い出血だったけど、命に別状ないってさ」


「人の気遣いをなんだと思ってんだ」


恐らく巧は私に気負わせないよう伏せていたのだろう。


「なんで? ひよりちゃんが助けたかったのは小宮佳奈であって彼女の両親じゃないでしょ」


……そうだ。

もし佳奈ちゃんの両親が助からなかったとしても、佳奈ちゃんを見つけたことに後悔などしなかったと思う。

私が助けたかったのは佳奈ちゃんだ。

佳奈ちゃんの両親までは私の手の届く範囲ではない。

誰かを救うことで誰かを失う可能性もある。

その現実から目を逸らしてはいけないと思った。


「お気遣いなく。私は私のしたことに後悔はしていませんので」


とは言ったものの、巧は納得していないらしくどこか心配そうな顔をしている。

微妙な空気の中で真壁が声を掛けてきた。


「小宮さんたちのことは私が気にかけておきます。だから、ひよりさんはひよりさんのすべきことをしてください」


なぜか目を赤く腫らした真壁が鼻を啜りながら、けれど真剣な眼差しを私に向けてこう言った。


ーー思えば、佳奈ちゃんの口から親の悪口など聞いたことがなかった。

彼女の中で、あの両親は間違いなく家族だったのだろう。

もしその家族が自分が原因で死んだとしたら。

それは彼女の心も救ったことになるのだろうか。


「佳奈ちゃんの大切な家族を助けてくれて、ありがとうございました」


深々と頭を下げる。


私の手の届く範囲は狭い。

けれど、こうして手の届かないところで救ってくれる存在がいる。

それがなにより心強かった。


真壁は顔を赤くして、


「いえっ、とんでもないです! 私なんて全然!」


と、手をぶんぶん横に振る。

真壁と私のやり取りを見ていた巧は、何か言いかけていた言葉を飲み込むように口を噤んでいた。


「僕も頑張ったんだけど?」


「飯あんぞ」


「雑すぎない? てか、お前に労って貰っても嬉しくないんだけど」


「中華炒めを作りました。簡単なものですけど、よければ」


ひとたび私が真壁と葵に声をかけると、不貞腐れていた葵の目が瞬時に輝く。


「まじ? やったねー!」


「その前に風呂入れ」


巧が血のついたシャツを着たままリビングへ向かおうとする葵の首根っこを掴み、それ以上先に進むことを阻止した。


「私は署に戻って友膳警部にいろいろ報告することがありますので、ここで失礼しますーー葵さん、ハンカチ、明日必ず洗って返しますので!」


風呂場へと押し込まれかけている葵に向かって、真壁が声を掛けた。


「いい、いい。君の鼻水、洗っても落ちなさそうだし」


「酷い! ちゃんと綺麗に洗って返します!」


唇を突き出してむっと怒る様がとても幼く見えて微笑ましい。


出会った時の自信がなさげで不安そうな印象は、今では不思議と感じられなかった。

涙や鼻水でぐしゃぐしゃなのに、晴れやかにさえ見える。

葵と行動を共にしていたためなのだろうか。

だとすればそれは大変喜ばしいことだ。


密かに真壁との関係性に期待を込めて葵に視線を向けるも、


「そう。期待しないでおくよ」


それだけ言って、そのまま背を向けて風呂場へと引っ込んでしまった。

これはモテるわけがない。

叔父に密告してやろうと決意した。


「すみません、愛想がなくて性格が悪いだけなので気にしないでください」


「ひよりさん、それはもう悪口です」


巧が苦笑する。


「あはは、気にしてないので大丈夫ですよ。ーー確かに今日一日振り回されっぱなしでしたけど、おかげで大切なことに気付けた気がするんです」


微笑む真壁が天使のように見えた。


「それでは失礼します。明日、またお伺いしますね」


「あっ、真壁さん」


軽く頭を下げて家を出て行こうとする真壁を、突然巧が引き留めた。

不思議に思って巧の方を向くと、何故か少し名残惜しそうに見える。


「あの……明日、集合場所をメールするので」


「え? ここですよね?」


「はい」


「大丈夫ですよ。ここら辺の道は覚えましたから」


笑顔で答える真壁に対して、とても複雑そうな表情を浮かべる巧。


「でも、メールしますから」


「はあ、わかりました。よろしくお願いします」


「あと、あいつの写真も一応送っておくんで」


「え? 写真なんて署にあるじゃないですか」


「……個人的に持っておいた方がいいかと」


バツの悪そうな顔をして一体何が言いたいのだろう。

私と真壁は眉を寄せて顔を見合わせた。


「まあ、あの、必要そうだと思った資料は共有してください」


「わかりました」


「じゃあ、これで……」


「はい」


真壁は未だ不思議そうに小首を傾げていたが、そのままそっと家を出て行った。


「巧さん?」


「……すみません」


私に背を向けた巧の拳は、悔しそうに固く握られていた。


夕食の料理をテーブルに並べていると、スウェット姿の葵が濡れた髪をバスタオルで拭きながらリビングに入ってきた。


「帰った?」


その問いかけに、皿を用意していた巧が答える。


「ああ。でも、このまま帰してよかったのか? もし彼女も隠し神と縁が結ばれてたら……」


「それはないね。体質が特殊だから、結ばれる前に病院送りになると思うよ。ーーうわ、めっちゃ美味そう」


と、私が簡単に作った夕飯の中華炒めを覗き込んで早々と席につく。


「体質が特殊?」


葵の特異体質と同じようなものなのだろうか。

どうぞ、と席に白米を装った茶碗を置きながら問えば、


「僕がそばにいないとあそこには近寄れない。よって、縁が結ばれる前に病院送りになるってこと。ーーいただきまーす」


と、両手を合わせて先に食べ始めた。

私は葵の向かい、私の隣に巧が座る。

これが昨日からの定位置になっていた。


「お前にはどうすることもできないのか」


「無理。でもまあ、これから先の彼女の行動次第である日突然治ってたりするかもね。ただ、友膳班からは外した方がいいと思うよ。こんな案件ばっか担当してたら、何回病院送りになるかわからない」


「随分心配されてるんですね」


純粋に真壁への好意を期待して出た言葉だった。

しかしこの言葉は逆に葵に変な期待を抱かせた。


「もしかして嫉妬してる?」


にこにこと嬉しそうにこちらを見つめてくる。

その視線を完全に無視した。


「してません」


「今日一日、葵にーにと一緒にいられなくて寂しかった?」


「いいえ、全く。今度叔父に会う時、いい報告ができそうで楽しみです」


早口でそう答えて炒め物を頬張ると、葵は途端にげんなりしたように顔を歪めた。


「うっわ、親父と直接会ってんの? まじ? なんか言ってた?」


「葵さんの結婚を心待ちにされてますよ」


「この一軒家はやっぱり圧だったんだな」


と、巧が他人ごとのように呟いている。


「いいこと思いついた! ひよりちゃん以外の子と結婚なんてしない、とでも伝えといてよ」


今度は私がげんなりする番だ。

そんなことを伝えれば、大喜びで着々と準備を始めるだろう。


「葵、そういうことはもっと真剣に考えてから発言しろ」


「構いませんよ」


私の返答に、巧が「え゛?」と突飛な声を出した。


「先生のそばにいさせてくれるなら、あなたと結婚しても構いません」


先生と一緒にいられるのなら好意のない相手と結婚するし、後継ぎだって産む。


「ほんとブレないねー。てか、あいつに見られながら新婚生活送るの絶対嫌なんだけど」


「交渉決裂ですね」


「そもそも結婚って交渉でするもんなのか……?」


ついに巧が頭を抱え出した。

恐らくこの中で一番まともな思考をしている巧には一生理解できないだろう。


「そんなことより、明日はどうするんだ」


咳払いを一つして、話題を変える。


「神社の話聞いてから遠藤真希探しかな」


ふと、水龍の姿が思い浮かんだ。

水中を泳いでいるかのような揺らめきと、今にも本棚から浮き上がりそうな本の数々。

その中を透明な鱗を持つ龍が、何かを守るかのようにとぐろを巻きながら泳いでいた。

マキちゃんと話す彼の声は、まるで誰も足を踏み入れたことのない静かな水底のように穏やかだった。


マキちゃんと水龍の関係性が知りたい。

そのためには、もう一度あの図書室に行かなければ。

私はそっと、これからのことを話す葵の顔を盗み見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ