呪い
救急車で運ばれ、処置を済ませた二人。
失血の量が多いものの命に別状はないとのことだった。
一緒に病院へついて行った葵は、真壁が医師や他の警察官と連絡を取り合っている最中に小宮元夫妻の病室へ訪れていた。
「ほら、おかえり」
そう言って、眠る大和と万智のベッドのそばのキャビネットにうさぎのぬいぐるみを乗せる。
心なしか、満足げな顔に見えたような気がした。
三人に背を向けて、そっと病室を出ると目を赤くした真壁が立っていた。
「医師に事情は説明しました。私は一度署に戻ります。葵さんも今日はお帰りください。家まで送りますので」
「会って行かなくていいの?」
「ええ、家族の団欒を壊したくありませんから」
真壁はすっきりとした表情で笑っていた。
再び車に乗り込み、葵の家へと走らせる。
しばらく互いに無言でいると、真壁が口火を切った。
「私、今日初めて自分の意思で人を助けたいって思ったような気がします。警察官としてではなくて、私自身の言葉で話せたような気がするんです」
「そう、よかったね」
「葵さんのおかげです。ありがとうございました」
「なにもしてないけど」
「そばにいてくれるだけで、心強かったので。頼れるバディでした」
「そりゃどうも」
素気なく答える葵を横目に、真壁は気まずそうに問い掛ける。
「あの……私、やっぱり警察官向いてないと思いますか?」
「うん」
即答。
あまりの清々しさに、傷つきを通り越して諦めに変わる。
その心情を見抜いていた葵は、続けてこう言った。
「でもそれを続けたいと思ってるなら、向き不向きなんて関係ないでしょ。決めるのは君自身なんだから」
他人の評価など気にする必要などない。
そんな意味のこもった言葉に、真壁は頷く。
「そう、ですね」
「それとも可愛いお嫁さんにでもなりたい?」
葵が嗤いながら問いかけると、真壁は身体をひくっと震わせ突然何かに怯えるような表情を見せた。
彼女は路肩に車を停め、葵に掴みかかる。
「姉が……姉が視えるんですか!?」
警察官は律儀に車を停めてから人に掴みかからなければならない規則でもあるのだろうか。
葵はそんなことを思いながら、大人しく掴み掛かられていた。
「その声、君のお姉さんなんだ」
「声? 姉の声が聞こえるってことですか……? なんて? なんて言ってるんですか!?」
「落ち着きなよ。ーー結論から言えば、君、お姉さんに呪われてる」
そう告げれば、真壁は急に力なく葵から手を離した。
「呪、い?」
「君の体質について話したでしょ。危険過ぎるものに近づくと視えなくなったり、体調が悪くなったりするのはセーフティシステムだって。そのセーフティシステムが君のお姉さんの呪いなんだよ」
「……姉は……千華はそんなに……私が憎かったの……」
真壁は両手で顔を覆う。
「よければ最期の話聞かせてよ」
何も知らない人間であるなら、ここで慰めの言葉でも掛けてやるのだろう。
しかし彼女の隣で今日一日ずっと呪いの言葉を聞いていた彼は、その呪いの真意にとっくに気づいていた。
葵はそれを彼女に気づかせるため、車に乗り込んだ時から糸口を探っていたのだった。
そうとは知らない真壁は、まるでついこの間のことのように姉の最期を話し始めた。
「癌、でした。見つかった時にはもう手遅れで……。千華の夢は父のような警察官になることだったんです。私なんかと違って正義感の塊みたいな人で、困ってる人には必ず手を差し伸べる太陽みたいな人でした」
真壁の両手が固く握られる。
「私、千華が大好きでした。もう助からないってわかった日から毎日学校帰りに病院に寄って、本人の前で泣いてました。千華はずっと笑っていたのに、一番辛かったのは千華だったはずなのに、私は自分勝手に泣いてこう言ったんです。『千華の夢は私が引き継ぐ。立派な警察官になってみせるから』って。そしたら、今まで見たことないような形相になって泣きながら怒り始めました」
ーーあんたが警察官? 馬鹿にしてんの?
それは、あたしがなりたかったものだ!
あたしの夢だ!!
あんたみたいな女、可愛いお嫁さんにでもなってればいいでしょ!!
なんで、なんであたしなの!?
どうしてあたしが死ななきゃならないの!?
警察官になってくれなくていいから、あんたがあたしと変わってよ!!
あたし、まだ死にたくないのに!!
「千華はその次の日、突然亡くなりました。謝ることもできなくて、どうしたらいいのかもわからなくて、学校にも行かずひたすら泣いてました」
「それで、なんでお姉さんが望んでなかった警察官になったの?」
「それしか、なかったんです。生きるために何か目標が欲しかった。千華のように生きていれば、千華を感じられるんじゃないかって思って。……でも、やっぱり私には無理でした」
「君はお姉さんじゃないからね」
「そんなことにも気付けないくらい、夢中になってたんです。友膳さんに声を掛けて頂いたのは、ようやくそれに気づいて警察官を辞めようと思ってた時でした。私、子どもの頃からよくわからないモノが視えてて、でもそれは絶対周りに気づかれたらいけないんだって思って誰にも言ってなかったんですけど、友膳さんにはわかったらしくて。あの人のそばでなら、こんな自分でも何か役に立てるかもしれないと思ったんです」
「で、いきなりこの難事件の担当に指名されて、何の能力もない巧と同期バディ組まされた挙句、呪いが発動して入院するハメになったと」
恐らく、友膳は真壁の呪いに気づいており、且つ葵の能力についても理解していたために今回の采配を選択したのだろう。
でなければ今回の事件に巧のバディとして真壁を採用するのは、余りに能力不足すぎる。
だとすれば今回の采配の狙い。
獅子の子落としも兼ねていたのだろうが、本当の狙いは葵に真壁の呪いを解かせることだったのだろう。
どれだけ人の能力を万能だと思ってんだ、あのジジイ。
「……この呪いは、解けるものなんでしょうか」
「解きたいの?」
「このままだと公務に差し支えるので。でも、どうしたら千華に許してもらえるのか。亡くなった日から、千華のことはどうしても視えないんです」
「そりゃ、いないから視えるわけないよね」
葵がそう言うと、肩を落としていた真壁は眉を寄せて顔を上げた。
「え? いない?」
「そ。だから僕にも消せない。ないものを視ることはできないし、消すこともできないからね。そもそも僕、呪いは専門外なんだよ。ーーただ、君の中に遺ってる呪いは解ける。君が君らしく生きて見せてれば、そのうちね」
「私が、私らしく……」
「君のお姉さんが遺したその呪いの真意、それが本当に憎しみだけだったなら君はとっくに死んでる」
葵は真壁に人差し指を向けた。
すると、何かに気づいたかのように真壁が目を見開く。
「言ったでしょ、それはセーフティシステムだって。君は呪いに守られてるんだよ」
葵の言葉を聞いた途端、真壁の目からは再び涙が溢れ出した。
「私っ……わたしっ……! 何も、してあげられなかったっ……! 千華に、お姉ちゃんに……守られてばっかりで……うぅっ……」
化粧のことなどお構いなしに、またスーツの袖で涙を拭う。
そんな彼女に、葵はため息を吐きながらハンカチを渡した。
「それ、返さなくていいから」
「ずびまぜん……」
グズグズと鼻水と涙を拭く彼女から窓の外に目を逸らす。
もし真壁が警察を辞めようと思っていたのなら、呪いの話をするつもりなどなかった。
なぜなら、それは千華が妹に望んだとおりの人生だからである。
それを選択していたなら、次第に千華の呪いは消滅していっただろう。
変に話して、姉の呪縛に執着することを危惧していたのだ。
なんなら、当初は千華の意見を尊重して真壁を辞めさせてやろうとまで思っていたほどだった。
しかし彼女が選択したのは、自分らしく警察官でいることだった。
自分の力で人を助け、その責任を背負う覚悟ができていた。
その姿を見て、彼女ならなんとなく大丈夫だろうと思った。
彼女ならきっと、姉の呪縛に甘えたりはしないだろうと。
だから話した。
放っておくこともできたのだが、今日一日だけは彼女のバディとして世話を焼くのも悪くない。
もし今日この瞬間全てを忘れたとしても、きっと彼女はまた迷いながらも今の道を進み続けるような気がした。
それを見届ける義務も責任もありはしないのだが、今は彼女の今後が少しだけ楽しみだった。
「いつまで泣いてんの。早く帰りたいんですけど」
「……はぃ……すみません、今出します」
真壁はハンカチを顔に押し付け、深呼吸を数回繰り返すと前を見据えてハンドルを握る。
その横顔を横目に、葵は呆れたように笑っていた。




