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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
三章
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父母


小宮家に到着し車を停車させると、真壁は突然自分の両頬を両手で叩いた。

あまりの力強さに、葵の口から思わず「痛そ……」と声が漏れ出るほどである。


「ついてきてください」


そう言って車から降りる真壁。

その後に続き、小宮家の玄関へと向かった。


時刻は十九時近く。

他の家からは生活の音や気配がしているのに、小宮家だけは静まり返っていた。

閉められたカーテンの隙間から漏れ出す光すら見えず、外出しているのではないかと思うほどだ。


玄関先のインターフォンを押す。

が、やはり反応はなかった。


「小宮さんの携帯電話にかけてみます」


そう言って電話をかけている真壁を置いて、葵は塀を軽々と飛び越えて小宮家の敷地内に入り込んだ。


「ちょっと!」


「しっ」


電話をかけている真壁に人差し指を立てて見せる。

そして、窓の方へそっと耳を近づけた。


遠くの方で音楽が聴こえている。

独特な電子音がゆったりと奏でるその曲は、かつて訪れた教会で耳にしたことがあった。

アメイジング・グレイス。

神への賛美と祈りと喜びを謳うこの曲が、これほど皮肉に聞こえたことはない。


ーーまるで、葬送曲のようだ。


そんなことを思っていたほんの数秒の間に、真壁がひらりと塀を飛び越えてきた。

着地後、間髪入れずに警棒を振り翳し、なんの躊躇もなく窓ガラスを突き破る。


「小宮さん! いらっしゃいますか!」


靴のまま家の中へと突き進む真壁。

内気で自信のなさそうな彼女はどこにもいなかった。


葵も続いて家の中へと入り込む。

リビングの電気を点けると、突然白いうさぎが真壁と葵の目の前に現れた。


「あんまり近づくと消し飛ぶから、それ以上近づかないようにね」


葵の言葉を聞き入れたのか、うさぎは葵から距離を置いて走り出し二階へと上がった。

後をついて行くと、小宮佳奈の部屋の前で立ち止まっているうさぎを見つける。


うさぎは小宮佳奈の姿に変わり、泣きながら訴えた。


「パパとママを助けて」


それだけ言うと、彼女は空間に溶けるように消えていく。

葵の特異体質の能力に抗うほどの霊力がない彼女にとって、目の前に現れて助けを乞うことはかなり危険な行動だ。

消滅はしていないようだが、しばらく顔を出すことはできないだろう。

そんな危険を冒してでも父母の助けを求めたということは……。


同じように察したらしい真壁は、意を決して扉を開いた。


廊下からの灯りが部屋の中を照らす。

見えたのは、部屋の中央で手を繋ぎながら横たわる小宮元夫妻の姿だった。


「小宮さん!」


葵は現状を把握するために部屋の電気を点ける。

まず目に飛び込んで来たのは、絨毯に広がっている赤黒いシミ。

小宮元夫妻の手が繋がれていない方の手首を中心に広がっていた。


手首を切ったのか。


真壁は首元から二人の脈を確認すると、持ち合わせていたハンカチを引き裂いた。


「まだ息はありますが出血が酷い。とりあえずこれを傷口に巻きつけてください」


葵は万智を真壁は大和を、それぞれの傷ついた手首にハンカチを巻きつけ力強く縛り付ける。

と、


「……やめて、ください」


弱々しい声が聞こえてきた。

それは大和が真壁の治療を拒否する声だった。


「このまま、死なせて、ください。お願いします」


真っ青な顔で、弱々しく抵抗する大和。

それを見た真壁は、下唇に噛み付いた。

手が小刻みに震えている。


「僕が代ろうか」


声を掛けるも、真壁は首を横に振った。


「やめてください……お願い、します……このまま、生きていても……私たちはもう……」


なにもない。


生きていると信じていた娘は死んでいて、大和自身の余命も少ない。

この先、延命治療をしたところで娘が帰ってくることはないのだ。

彼らに残されたのは、絶望と孤独のみ。


「それでも……私たちに生きろと言うんですか」


縋るような目からは涙が溢れ出す。

そんな目を向けられた真壁は、痛みに耐えるように顔を歪めた。


「救急車を、呼んでください」


なんとか絞り出した真壁の声は、大和の望みとは違う言葉を紡いだ。


葵は言われた通り、携帯電話で救急車を呼ぶ。


「あなたは悪魔だ! 私たちにまだ絶望を味わえと言うんですか……!? 恨んでやる! 死んでも、恨んでやる!」


悪魔と呼ばれた彼女は下唇に噛みつき、大和の呪いの言葉に耐えていた。

彼女の中の声すらも、大和の言葉に便乗するかのように騒ぎ立てる。



ーーほら、あんたには誰も救えない。


助けに来たのに、恨まれて馬鹿みたい。


だから行くなって言ったのに。



「……どうぞ、好きなだけ恨んでください」


ふと、真壁は呟くように答えた。


「恨まれることには慣れています。どれだけ恨まれようと、目の前にある救える命を見捨てて生き続けるよりずっといい」


「偽善者が……!」


「その通りです。あなたの都合なんてどうだっていいし、これから先どれだけあなたが絶望しても私には関係ありません。どうぞ、いくらでも恨んでください。それであなたが生きられるのなら、私はいくらでも恨まれます」


真壁は大和の傷ついた手首を自分の両手で包み込む。


「お願いですから、これ以上佳奈さんを悲しませないでください。彼女から目を逸らそうとしないでください」


肩を震わせながら、必死に泣くのを堪えているのがわかる。


「……あの子の父親なら! 父親らしくあの子と向き合って、最期まで生きて足掻いて見せたらどうなんですか!!」


祈るかのように大和の手をとって、思いの丈をぶつける。

そんな彼女の言葉に目を見開き、大和はゆっくりと隣に目を向けた。


その目に映るのは、同じく青い顔色をして浅く息をしている元妻。

大和は繋いだ手を握り締め、悔しそうに顔を歪めた。


「佳奈が見つかったら……一緒に死のうと、約束していました……余命が短い私が、彼女のためにできるただ一つの贖罪のつもりでした。……私は夫としても父親としても、逃げていたんでしょうね」


大和は一生懸命身体の向きを万智の方へ変え、その細い身体で万智の身体を抱き寄せた。


「すまなかった……! 本当に……すまない……!」


娘に遺された悲しみと、愛した人を遺して逝かなければならない苦しみと後悔。

小宮大和はその全てを、病に侵され小さくなった身体で必死に抱きかかえていた。


やがて、遠くの方で救急車のサイレンの音が高らかに鳴り響く。


Amazing grace, how sweet the sound

(驚くばかりの恵、なんて美しい音色だろう)

That saved a wretch like me

(私のような卑劣な者まで救ってくださる)

I once was lost, but now I'm found

(迷っていたが、道が開けた)

Was blind, but now I see

(見えなかったものが今なら見える)


堪えきれず、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら横たわる二人を見つめる真壁。



ーーやっぱりあんたみたいなグズにこんな仕事、耐えられるわけない。



「そう言わずにさ、もうちょっと様子見てあげたら?」


「え?」


鼻水をスーツの袖で拭きながら、葵の言葉に反応を示す。


「いや、なんでも」


葵はゆっくりと首を横に振った。

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