クソガキと家来
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神社近くに着いた頃には辺りは薄暗くなっていた。
人通りの少ない狭い道を、街頭がぽつぽつと照らしている様が不気味さを助長させる。
「……いつ来ても気味が悪いな」
大塚は巧の車から降りると、神社へと続く道を眺めながら呟いた。
「もう直ぐ、真壁と榊葵も到着するはずです」
「榊葵は……ああ、コンビニで会ったあの兄ちゃんか」
葵のことを見かけたことがあるのか、嫌そうに顔を歪める。
「彼らが来たら私はこのぬいぐるみを持って、ここから神社に向かって歩きます」
「本当にそんなんで小宮の居所がわかんのか?」
「絶対に見つけます。カナちゃんは神社のどこかで待ってるはずです」
真っ直ぐ見つめてそう言うと、大塚は生唾を飲んだ。
少しすると、真壁が運転する公用車も到着する。
運転席から出てくる真壁の表情は暗い。
「お待たせしました」
「や、お待たせ。あ、いじめっ子の大塚芳信くん? 僕は榊ひよりの優しい従兄で、そっちの仏頂面の親友(笑)やってる榊葵です。別に覚えてくれなくてもいいからね」
対して、相変わらず空気を読もうともしない葵。
真壁と大塚の間に入って、にこにこと棘のある自己紹介を始める。
「いじめっ子ってなあ……三十年も前のことだろうが」
三十年。
その三十年も前から、カナちゃんはここでずっと待っていたのだ。
カナちゃんの両親だって、娘がいつか帰ってくる日を待ち続けていたに違いない。
泣き叫びながら田辺を責め立てるカナちゃんの母親の顔と、辛そうにその妻を宥める弱った父親の姿を見てわかった。
小宮家にとってこの三十年は、私なんかが想像できるほど軽々しいものなどではない。
あの人たちは、ずっとあの日から解放されないまま生き地獄を味わってきたのだ。
「君の罪の重さについては、これからこの子がちゃんと視るから。ーー準備はいい?」
葵の言葉に頷く。
私はぬいぐるみを抱えたまま、ゆっくり歩き出した。
神社へと続く鬱蒼とした道の前に立ち、振り返ると葵が直ぐ後ろに立っていた。
「怖い?」
「……いえ」
「大丈夫、ちゃんと支えるから」
その言葉を聞いて、私は再び前を向いた。
もし、そばにいたのが先生であったなら、きっと今目の前に見えている景色は先生の背中だけだっただろう。
そして、先生はこう言うのだ。
ーー目を閉じていなさい。
ああ、私は本当に守られてばかりだったのだな。
「行きます」
一歩一歩、足を踏み出す。
先生は今の私を見てどう思うのだろう。
変わらず、こんな私をまた守ってくれるのだろうか。
……いつまでも。
視界が次第に霞み始める。
それでも止まらず進み続けると、あの時と同じ砂嵐が広がった。
鈍痛が頭に走り思わず両目を閉じると、身体も鉛のように重くなる。
将平くんの時と全て同じだった。
「佳奈ちゃん、この間のお誕生日、お父さんとお母さんから何もらったの?」
子どもの声がする。
「えへへ、ふわっふわのうさぎのぬいぐるみだよ! あとね、お母さんとレストランに行って来たの!」
カナちゃんの嬉しそうな声を聞いて、目を開ける。
目の前に広がっていたのは、見覚えのある教室だった。
ここは茜川小学校の低学年の教室だ。
机も椅子も小さいが、背が低く身体も小さいカナちゃんには丁度いい。
カナちゃんは仲の良い友達を集めたかと思うと、そっとランドセルの中を見せた。
「内緒だよ、この子は宝物なの。ずっと一緒なんだ」
ランドセルから出て来たのは、毛がモフモフとした白いうさぎのぬいぐるみだった。
買ってもらったばかりのそれは、まだ真っ白で本物かと見間違えてしまうほど精巧な作りをしている。
その様子を、二人の男子生徒が遠目から眺めているのが見えた。
一人はもう一人の男子生徒を肘で小突き、顎でカナちゃんの方を示す。
示された男子生徒は、こくこくと頷きカナちゃんの方へ向かって勇み歩き寄った。
そして、無言でカナちゃんのランドセルの中に手を突っ込みぬいぐるみを奪い取る。
「や、やめて! 田辺くん!」
「お前、学校にこんなの持って来てんの?」
「返してよ!」
田辺、と呼ばれた男の子は嗤いながらそれを後方で見ていたもう一人の男の子に渡す。
カナちゃんの周りにいた友人たちは、その男の子を見てみんな一斉に散って行った。
カナちゃんは怯えた顔をしている。
「なにこれ」
まるで汚い物でも触るようにぬいぐるみを摘み上げた。
「……た、誕生日プレゼントに買ってもらったの……返して、大塚くん……」
ビクビクと下を向くカナちゃん。
この男の子が大塚芳信か。
余程怖いのか、周りにいるクラスメイトたちはカナちゃんと大塚のやりとりをただ静観していた。
「これ、俺が先生に預けておいてやるよ。このこと知られたら、お前んとこの親呼び出されるかもな」
「も、もう持って来ないから!」
「学校に関係ないもん持って来たお前が悪いんだろ」
田辺が誇らしげに声を上げる。
なるほど、彼は完全に被害者というわけではなかったようだ。
みんなが恐れる大塚の忠実な家来、とでも思っていたのかもしれない。
正論を返されてしまったカナちゃんは、目に涙を溜めて震えていた。
大塚は満足げに笑いながら、そのぬいぐるみを自分のランドセルの中に放り投げる。
すると、タイミングよくチャイムが鳴った。
「はーい、席に着いてください」
教室に担任らしき大人が入ってくる。
みんなが慌てて自分の席に着く中、カナちゃんだけは大塚の背を睨んだまま立ち尽くしていた。
「小宮さん、どうかしましたか」
余程、ぬいぐるみを学校に持って来ていたことを知られたくなかったのだろう。
悔しそうに涙を服の袖で拭いて、
「なんでも……ありません」
と、そのまま席に座った。
その後、カナちゃんは授業と授業の間の休憩時間にも大塚の席に行き、何度も返して欲しいと震えながら懇願していた。
大塚は完全に無視で、応対は田辺がしていた。
カナちゃんが大塚のランドセルに触ろうとすれば、
「汚いから触るなブス!」
と、暴言を吐かれる。
それでもカナちゃんは放課後になっても粘っていた。
「お願い、返して! わ、私のお小遣い全部あげてもいいから!」
「お前のとこみたいなド貧乏な家の小遣い貰ったってなんも嬉しくねえわ」
やっと口を開いた大塚は鼻で嗤う。
そう言われてみれば、大塚の私服は他の子が着ている服とは違ってなんとなく高級そうに見える。
皺のないシャツには、私でも見知っているブランドのエンブレムが刺繍されていた。
親の偉業をさも自分のものであるかのように勘違いしている、典型的な金持ちのクソガキか。
帰宅中もカナちゃんは大塚の後を追っていた。
走って逃げられようと、田辺に邪魔されようと、転んで足から血が出ようと一生懸命追いかけていたが、怪我した足では走って追いかけることもできず、泣きながら元来た道を引き返していた。
少し歩いて、カナちゃんが辺りをきょろきょろと見回していることに気づく。
どうやら迷子になったらしい。
しかしなぜか、
「どうしたの? 迷子になっちゃったのかな?」
すれ違う大人に何度か声をかけてもらっていたが、カナちゃんは首を横に振って「大丈夫」と答えるだけだった。
溢れ出てくる涙を拭いながら、やっと交番を見つけた頃には完全に日が沈んでいた。




