優秀な部下と協力者
どいつもこいつも馬鹿にしやがって。
どうせ友膳と手を組んであんな嫌がらせをしたに違いない。
部下を手玉に取って脅すとは趣味が悪いにも程がある。
そんな風に怒りながらも警察官としての公務を全うしているうちに、少しの冷静さは取り戻していた。
そうして次第に考え始める。
……本当に怖がらせるためだけに、あんな嫌がらせをしたのか?
友膳のことだから、大塚と小宮佳奈との接点とうさぎのぬいぐるみの存在くらいは認識しているだろう。
しかし、その認識だけであんな子どもじみた嫌がらせのようなことをするとは思えなかった。
「お願い返して! あの子は大事な家族なの!」
ここ最近、ふとした瞬間に泣きながら縋る小宮佳奈の顔が頭に浮かぶことがある。
当時の大塚はそれを見て、泣き縋らせたことへの優越感とぬいぐるみを「家族」と言った彼女への嫌悪感しか覚えなかった。
彼女がいなくなり警察が探していると聞いた時も、真っ先に心配したのは自分のしたことが田辺にバラされないかだった。
しかし幸運なことに、周りが信じたのは金魚の糞のような田辺よりも大塚の方だった。
大塚がひとたび「田辺がいじめていた」と声を上げれば、面白いように周りもその声に同調した。
それはなぜか。
実家が資産家。
それだけのことだ。
たったそれだけのことで、同級生も同級生の親たちすらも味方だった。
独りぼっちだった田辺に声を掛ければ周りは称賛し、田辺を利用して小宮佳奈を陥れたとしても責められるのは田辺。
その後は正義の味方を演じて田辺を断罪すれば、周りはまた大塚を称賛した。
小宮佳奈のことなど気にも留めていなかったのに、なぜあんな昔のことを思い出すのか。
まさか本当に何か憑いていたり……。
「んなわけあるか」
一人ぼやきながら管轄圏内ギリギリ範囲内の交差点で車の流れを眺める。
ここから神社まではかなり離れていた。
すると、歩道から老婆がこちらに手を振っているのが視界に入る。
大塚は雑念を消し、白バイから降りて老婆の方へ近寄った。
「どうしました?」
「この子が迷子みたいで」
老婆は眉を下げて困ったように右下へ視線を向けている。
見ると、老婆の右手には小さなうさぎのぬいぐるみが握られていた。
「ひっ……」
思わず小さな悲鳴を上げてしまう。
しかし老婆は気にせず続けた。
「神社に行きたいんですって。あっちは遠いよって言ったんだけど、お友達と待ち合わせしてるからどうしても行きたいみたいで。私は足が悪いから代わりにこの子を連れて行ってあげてくれないかしら」
ぬいぐるみ、神社。
その単語を聞いただけでも気が狂いそうだったが、警察官であるという自覚だけでなんとか正気を保つ。
「いや、いやいやいや! おばあちゃん、ぬいぐるみは喋らないでしょ!」
「はい?」
老婆は不思議そうに首を傾げる。
耳が悪いのかと思いもう一度大きな声を出した。
「それ、ぬいぐるみでしょ!」
しかし老婆の耳にはしっかり届いていたらしく、今度は眉を吊り上げて大塚に引けを取らない大声で怒鳴った。
「こんな可愛い女の子がぬいぐるみに見えるほどボケてないわ!」
ぬいぐるみ、神社、女の子。
もう正気を保つことは無理だった。
全身が震え、嫌な汗が滝のように噴き出し始める。
「とにかく、説得するなり道案内するなりよろしくお願いしますね!」
そう言って、老婆は放心状態の大塚に無理矢理ぬいぐるみを握らせた。
去り際には一度こちらを振り返り笑顔で手まで振っていたが、その視線は大塚の顔を捉えてはいなかった。
大塚の顔よりずっと下。
ちょうど腰辺りを見ていた。
自分の手の中で小刻みに震える、ぼろぼろのうさぎのぬいぐるみ。
恐怖に支配されている時ほど、冷静に観察してしまう。
埃が絡んだ毛に解れた糸。
そして、細かい傷の付いた真っ黒な目。
「大塚くん」
懐かしい子どもの声が直ぐ近くから聞こえた。
勢いよく振り返ると、うさぎと同じような真っ黒な目をした幼女が赤いランドセルを背負って大塚を見上げている。
「あ……ぁ……」
その目からは感情が読み取れない。
ただひたすら深い闇しか感じられなかった。
右手からうさぎのぬいぐるみが滑り落ちて地面に転がるも、幼女から目が離せない。
顔面蒼白でビクビクと震えながら後退りした。
「許さないから」
低い声が頭に響く。
瞬間、
「わああああっ!」
後退りしていた足が絡れ、身体が車道へと傾き視線が宙を浮いた。
そして、
ーーパアアアアア!!!
激しくクラクションが鳴らされるのと同時に、前方へ突き出していた大塚の右手を誰かが掴む。
「大塚部長!」
右手を掴んだ男は大塚を歩道へと引っ張った。
「大丈夫ですか!?」
掴んでいたのは友膳の部下である佐々木巧だった。
慌てて辺りを見回すも、もう幼女の姿はない。
代わりに彼女とよく似た光のない目を持つ少女が、地面に落ちたうさぎのぬいぐるみを両手で拾い上げていた。
そしてそれの頭を優しく撫でたかと思えば、まるで大切な宝物のように抱き締めた。




