懺悔
職員室へ戻る途中、巧に図書室の中でのことを話した。
「水龍、ですか」
「先生は水龍と隠し神からマキちゃんを解放すると約束したようです」
先生、隠し神、そして水龍とマキちゃん。
恐らくこの四つの存在はそれぞれ深く繋がっている。
「その約束について、先生からは何か聞いてなかったんですか?」
「はい」
水龍は約束について、マキちゃんを解放する代わりに時が来るまで呪物を預かるよう先生に言われたと言っていた。
呪物とは……私の夢日記のことだろう。
夢日記はあの図書室のどこかにある。
きっと、図書室に行くまでに感じた激流のような拒絶反応は、集まる悪いモノや能力に過敏な人間を遠ざけるため。
もしその事実を葵に知られれば、一人で図書室へ行って夢日記を探し出し破壊してしまうかもしれない。
夢日記の破壊は目的の一つだ。
でも、今はまだその時ではない。
判断を下すのなら、自分の手で下したかった。
ふと、左隣を歩く巧の右足に視線を落とす。
このことを巧に話すべきか。
この人は葵の親友だ。
でも……。
「何か言いたいことでもあるなら言ってください」
と、頭上から声が降ってきた。
「そんなにわかりやすい顔をしていましたか」
「あなたは悩んでる時、黙って視線を落とします」
「気をつけます」
巧が気づいているのなら、きっと葵もとっくに気づいているはずだ。
あまり心の内を読まれるのは気分が良くない。
気をつけよう。
「今なら葵もいません。それから、俺は守秘義務は守ります」
巧はこれから悪戯の計画を立てる少年のように笑った。
いつもは仏頂面なのに、突然そういう人間らしい表情をするのは狡い。
「……さっき、警察の内部情報を聞きましたが」
「ひよりさんを信頼してるので」
守秘義務とは。
私は小さく息をついた。
「夢日記はあの図書室のどこかに水龍が隠しています」
信頼は信頼で返すべき。
きっと先生ならそう言うだろう。
「先生は夢日記を守ってもらう代わりに、時が来たらマキちゃんを解放すると約束したようです。ーー夢日記は私が壊します。それまで葵さんには言わないでください」
巧の顔を真剣に見つめる。
それに応えるように、巧はしっかりと頷いた。
「わかりました。ただ、さっきも言った通り無茶だけはしないでください。葵に話しておけばよかったと後悔したくありません」
「はい」
余程、心配させてしまったらしい。
葵と同様、巧もどんどん過保護になっていく。
職員室に着き扉をノックした。
すると田辺が大人しく出てくる。
「で、何か見つかりましたか」
どうせ何もなかっただろうと、わかりきっているような言い方だった。
「ええ、確認したいことはできました。ただ、図書室の扉の建て付けが悪かったせいか、彼女が中に閉じ込められてしまいまして。その際、やむを得ず扉を壊しました。修理については、上司に指示を仰いでから追って連絡します。すみません」
「こ、困りますよ! どうして呼んでくれなかったんですか!」
「図書室からここまでは距離があります。協力者である彼女を、一人にするわけにはいきませんでしたので」
田辺はガシガシと頭をかく。
苛立っているようだった。
「だからって普通壊さないでしょ。はあ、これだから警察は。一応、校長にも伝えておきます」
確かに水龍など存在しない普通の図書室の扉であれば、壊すことなどしなかっただろう。
それにしても、先程までの怯えた態度とは随分と変わっているのが目立つ。
恐怖を隠すため気丈に振る舞っているつもりなのか。
しかしそれだけにしては、かなり棘のある口調である。
「随分と警察に対して恨みがあるんですね」
と、私は田辺の顔を見つめながら口を挟んだ。
「こっちはもう何回も小宮佳奈の失踪事件で聴取されてるんだよ。その度に小宮をいじめてたんじゃないかって同じ質問されて、違うって言っても信じちゃくれない。お前ら警察はただ上から言われた通りに仕事して、税金巻き上げてるだけの脳なしだ!」
「田辺さん、落ち着いてください」
言われ慣れているのか、巧は特に気にする様子もなく落ち着いていた。
相変わらず私のことを背に庇って田辺の対応をしているが、その田辺が警察嫌いなのであれば私(卒業生)が出るしかなさそうだ。
「警察がどうかは知りませんが、私はこの人を信頼しています。それから、田辺先生が優しい先生だということも知っています」
田辺はあからさまに狼狽えた。
「小学校六年の頃にお世話になりました。大橋ひよりです。覚えていらっしゃらないかも知れませんがーー」
「大橋……あ、ノートによくわからない文字を書いてた……」
それで思い出されるとは、余程気味の悪い印象を植え付けていたらしい。
少し申し訳なくなる。
「なんで、警察の協力を?」
「親戚が彼と友人なんです。私はここの卒業生なので、職業見学も兼ねてついてきました」
真実の中の嘘は見破られにくいと誰かが言っていた。
効果はあったようだ。
田辺は深くため息をつき、右手で目元を覆った。
「……卒業生を引き合いに出すのは、卑怯じゃありませんか」
「すみません、そういうつもりではなかったんですが」
巧は軽く頭を下げ、右手を私に見せつけるように背中に回す。
親指が立っていた。
何はともあれ、落ち着いて話をする気になったらしい。
田辺は気まずそうに私のことを一瞥する。
目の下には深いクマがあり、顔色も良くない。
次いで先程の挙動不審さ。
絶対、何かを隠している。
「小宮佳奈さんについて、教えてください。当時、彼女はいじめられていたんですか」
「……はい。ですが、僕じゃありません」
「では、誰が?」
「……言ったって、あなた達はなかったことにしますよ。だったら、僕がこのまま罪を償います。その方があの人たちにとっても報われるでしょう」
「どういう意味ですか」
小宮佳奈をいじめていたのは、本当に田辺ではないのか。
私と巧は目を見合わせた。
もし田辺の言っていることが正しくて、当時の生徒たちの証言が嘘なのだとしたら。
他に主犯がいて、主犯から自分たちの身を守るために周りが口裏を合わせていた可能性がある。
田辺はついには涙を流し始めた。
大の大人が泣くところなど見たことがなかったため、多少面食らう。
だが、もし彼がこれまで無実の罪を着せられ続けていたのだとしたら、と思うと少し哀れに思えた。
「田辺先生がいじめていたわけではないのに、どうして罪を償うんですか。カナちゃんのためにも、本当のことを話してください」
私の言葉に、田辺は更に泣き出してしまう。
「ぼくが……僕が、悪いんですっ! 小宮に、直接……ぬいぐるみを、返してあげていればっ……!」
嗚咽を漏らしながら懺悔する田辺の背を、巧がさする。
「落ち着いて、一旦座りましょう」
職員室に入り、近くの椅子に腰掛けさせた。




