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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
四章
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忠臣



ーーーーー



「……めんっどくさ」


壁一面に札が貼られた部屋の中。

ひよりが眠るベッドに背をもたれ、葵はかったるそうに項垂れた。


異界の中でもギリギリ使える超小型無線機は華によって壊されたのか、もう声が聞こえてくることはない。


「真壁さんが元気そうで良かった。さすがにあの子に何かあったら、罪悪感でまともに生きていけそうにないからな」


やり取りは全て、葵の携帯を通じてスピーカーで聞こえて来ていた。

それを一緒に聞いていた柳原は、胸を撫で下ろす。


「予想以上にお守りが効いてたな」


「僕が渡した札が強力過ぎたとでも思ってるだろうね……。羨ましいくらい、馬鹿素直な性格してるよ」


ひよりの守備に全振りしている葵には、他にまで力を回す余裕などない。

葵が真壁に渡した札は、真壁と縁のある神ーーつまり素戔嗚尊との縁を強化する程度のものだった。

いざという時に、柳原の渡したお守りを媒体にして、札に直接力が発動するようになっていたのである。


しかしそれを真壁に説明したところで安心材料にはならないと判断した柳原は、「葵特製超強力魔除け札」として渡すよう指示していたのだ。

異界での使用の影響も未知数だったため、異界内への持ち込みは禁止と伝達させたが、華のせいで無意味になってしまった。


華は誰よりも早く、あの道祖神を壊しに向かっていた。

こちらが彼女を派遣したわけではないとするなら、榊家しかいない。

そしてその榊家は市からあの地を買取り、警察に圧力までかけて隠蔽しようとしている。

この仕事の早さからして、榊家の隠蔽担当の旭が絡んでいるのは確実。

遅かれ早かれ榊家が手を出してくるとは思っていたが、ここまで迅速とは思っていなかった。

葵を恐れている彼らが手を出せるのは、せいぜい金の力を使った隠蔽工作のみだろうが。


「あーあ、これが終わったらぜーんぶ投げ出して隠居してやる」


「その前に、旭くんに処理されるんじゃない?」


「……ありえる」


我が息子ながら、その名前を聞くと頭が痛くなる。

そんな息子を娘がここに派遣した理由。

それもわかりきっていた。

親として、あの二人に人の心というものを教えてやれなかったことが悔やまれる。


「依代、用意したのか?」


柳原は床に置かれた護符に手を伸ばす。

暁、泉と書かれた二枚は道祖神が壊されたタイミングで煌々と白い光を放った。

しかし依然、柳と書かれたものには光が灯っていない。


「お袋が海外土産でくれた、悪趣味なフランス人形五体……一階にばら撒いてある」


人間の形をしたものほど、身体を求めているモノは惹き憑けやすい。

葵の力が弱って家に侵入を許した時のため、少しでも時間稼ぎするために用意したものだった。

ただ、侵入したモノの数によっては意味を為さないかもしれない。


葵の顔色はどんどん悪くなっている。

このままでは、夕刻まで保つかもわからない。

それを見越して、華は旭を送り込んだのだ。

柳原は柳と書かれた護符を手にする。

すると、光が灯った。


「私と旭も依代の数に入れなさい。生身の人間なら、抵抗すれば少しは時間稼ぎできるだろう」


「贖罪?」


「ただの親心」


「その親心……自分の子どもにも注いでたら、あの二人もう少しまともに育ったんじゃない?」


「親心ってのは、いろんな形があんの。こう見えて、あの子らのことは自慢の子どもだと思ってるんですよ」


身内と怪異に対して人の心がないだけで。


「……まあ、自分の子どもが早死にする前提で育てる親よりマシか」


葵は自虐的に笑った。

その親が誰のことを示しているか理解できるのは、誰よりも榊義彦という男を知っている柳原だけだ。



ーーかつて、彼はこう言った。


「葵は薬にも毒にもなる。薬として使い続けるには、ひよりとの余計な接点は持たせないことだ。御霊写(みたまうつし)の儀まで、葵のことはお前に任せた。ひよりのことは陽春に任せるとしよう」


柳原は義彦のことが好きではなかった。

まだ幼い葵を道具扱いする様は勿論、葵が御霊写の儀で死ぬという前提で話を進めていたことが何より不快だった。


御霊写の儀とは、故人の魂を物に移す儀式のことをいう。

榊家先祖はそれを利用して、死者の魂を生者の身体へ移すという外法を編み出した。

榊家に生まれた長男は、二十五になる年にその儀式を行わなければならないという習わしが現代まで続いている。

しかしその儀式の後、まともに生きて帰ってくる者はほとんどいなかった。

そのため、何も知らない分家の人間たちの間では、この儀式は人身御供と同じように、先代の魂に体を捧げることで家の繁栄が約束される、という認識が広まっている。


柳原は三年前、葵が出張に行く前最後に会ったあの日の会話を今でも鮮明に覚えている。


「僕が突然いなくなったらさ、死んだとでも思ってよ」


言葉に似つかわしくない笑みを浮かべ、彼はこう言った。

その言葉は、明らかに御霊写の儀が行われることを示唆していた。

それを聞いた柳原は、義彦に対して腑が煮え繰り返るような思いを抱いた。


「お前が家のせいで私より先に死ぬなら、私が榊家を壊してやる。必ず生きて帰って来い」


御霊写の儀など、行わなくていい。

だから逃げて逃げて逃げ通して、お前はお前の人生を歩め。

そう言えるものなら言いたかった。

だが、葵が御霊写の儀を敢えて口にしなかったということは、会話をしていたあの場所のどこかに分家の人間がいたのかもしれない。

中には無知なくせに過激派な人間もいるため、儀式のことを公言するのは憚れた。


だから、柳原はいるのかわからない榊の息がかかった人間に、聞こえるように宣戦布告をしたのだ。

お前たちが葵の死を前提に話を進めるのなら、こちらは葵の生を前提に進める。

隠し神とひよりの縁から作り出した時限爆弾。

これは、葵が生きて帰らなければ解除はできない。

しかも仮に解除できたとして、その過程で葵とひよりの縁が結ばれる。


柳原は陽春の解放よりもなにより、榊家に事実を突きつけたかった。

呪いなんてものはない。

お前たちがやっていることはただの愚行だ、と。



その後、葵の消息は不明になり、義彦からは御霊写の儀がつつがなく執り行われ始めたことを聞かされた。

葵は逃げなかったのだ。

いや、もしかしたら逃げられなかったのかもしれない。

榊家であれば、育ての親を人質にして息子を脅すくらいわけもなかったはずだ。

そして葵は華や旭とは違い、人の心を知り過ぎてしまっていた。


柳原はこの時初めて、葵に親心を抱いて愛情を注いでしまったことを後悔した。

いっそ子どもたちのように自分のことを恨みながら、長生きしてくれた方がずっと良かった。

柳原はそんな思いを抱きながら葵のことを待ち続けた。


そして三年後、葵は戻ってきた。

近所のコンビニから帰ってきたかのように「ただいまー」とへらりと笑って、柳原の前に現れたのである。

抱きしめずにはいられなかった。

五体満足で精神に異常もきたしていない状態で帰って来た葵を見た瞬間、涙が止まらなかった。


ーーだが同時に、柳原の中である疑念が湧き出していた。


「……これから私は命を懸ける。だから今のうちに聞きたいことがあるんだが」


柳原は決心したかのように葵に向き直った。


人は三年もあれば声や姿や雰囲気などどこかしらに変化があるものだが、葵は不自然なほど何も変わっていない。

まるで、二十五から時が止まったかのように。


「お前は、榊葵か?」


葵は質問に対して動揺を見せなかった。

穏やかな表情で柳原を見つめている。

その瞳に吸い込まれそうで、柳原の鼓動は早くなった。


「もし……僕が榊葵じゃなくなってたとしたら?」


葵は片膝を立てて挑戦的に笑った。

それを見て、柳原も笑う。


柳原は葵が幼い頃から学校の勉強や榊家の歴史、そして自身の知識を叩き込んできた。

その時、片膝を立てて面倒そうに授業を受ける葵の太々しい仕草は、何度も注意しても一向に直らなかった。

だがある日、葵がそんな行儀の悪い仕草を見せるのは自分にだけだと気づく。

学校での授業や親戚が集まる場では、典型的ないい子だったのだ。

きっとあの時間が、葵らしくいられる時間だったのかもしれない。


お前は私の忠義が陽春にあると思ってるだろうが、本当はそんな亡霊に固執などしていない。

……なんて言ったところで、お前は信じたりしないんだろうがそれで構わない。

お前がお前である限り、すべきことに変わりないからな。


「決まってるだろ。当時の生活様式、儀式の詳細に現代まで残ってる資料との整合性の確認、何から何まで取材する。貴重な生きる資料だぞ」


「……死ぬ気も隠居する気もないじゃん」


心なしか、柳原の目にはその表情が満足げに見えていた。


しかししばらくして、その表情が苦悶に変化していく。


「どうした!?」


呼吸が荒くなっていく。

胸を押さえて、肩で息をしていた。

部屋に貼った札が、何かに反応するかのように小刻みに震え始める。


「……あいつ……殺す気かよ……」


「旭がやってるのか!?」


その時、家のドアベルが鳴った。

外からは抑揚のない低い声が聞こえてくる。


「あーおいくん。あーそーぼー」

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