僻み
「ちょっとすみません。ーーはい、真壁です」
『神社付近一帯からの立ち退き命令が下りました』
上司から発せられた言葉は、あまりにも事務的なものだった。
「今、榊不動産の秘書の方とお会いして、市が榊不動産に土地を売ったと。本当なんですね」
『はい。立ち退き命令も、なんらかの圧力がかかっているのは間違いないでしょう。私は本部長に呼ばれているので、これから出てきます』
「え? ……父から?」
本部長ーー真壁勝昌は真壁の父である。
この事実も警察内部で一部の人間しか知らない。
優秀な父と比較されるのを恐れた真壁が、一切このことを話さなかったからだ。
勝昌も娘が警察官だと周囲に公言していなかったこともあり、今まで互いに仕事の干渉などしたことはなかった。
それなのに。
「まさか、父が榊家と組んだってことですか?」
『詳しいことはわかりません。追って連絡します。ーー大塚は生きていますか』
「あ、はい、なんとか。代わりますか?」
『お願いします』
当然のことながら、大塚を捨て駒にしなかったことについての言及はなかった。
真壁は手が上手く動かせない大塚に代わって、携帯をスピーカーにして大塚に近づける。
「よう、警部殿。内海の墓参り、お前の代わりに行ってやったぜ」
『内海はあなたを慕っていましたから、喜んでいたでしょう』
穏やかにそんな台詞を吐ける友膳に恐怖を覚える。
異界に送り込んでいる時点で、きっと大塚の生死など虫くらいにしか興味がないのかもしれない。
それを察したのか、大塚も苦笑いを浮かべていた。
「前々から聞きたかったんだけど、お前俺のこと大嫌いだろ」
『ははは、今更それを聞くんですか。仕事に私情を挟みたくなるほどには、もちろん大嫌いですよ』
「悲しいねぇ。心当たり多過ぎるけど、一応理由聞かせてくれる?」
『出会った頃から、あなたは常に誰かからの憎悪を向けられてましたから、過去を知る前からその人間性に嫌悪していました。……ただ半分は、何もかも忘れられるあなたへの僻みでしょうね。私にとって人類の大半は僻みの対象ですから、これは気にしなくて結構です』
仏の友膳。
周りからそう呼ばれる彼の本当の人間性が、まさかここまで腹黒いとは思わなかった。
「ところであなたの処遇ですが、半年の減給で済みそうですよ』
大塚は眉をひそめた。
「俺の予想じゃあ、実家にまで報道陣が押し寄せてネットで叩かれまくって、署の電話線は苦情の嵐でパンクするんじゃねえかと思ってたんだが」
『私も同じ予想だったんですがね。残念ながら、オカルト類のネット界隈で、少し盛り上がってる程度です。あなたの話は一切上がってませんよ』
「どういうことだ?」
『榊家にも優秀な方がいらっしゃる、ということでしょう』
その言葉に真壁は華に視線を向ける。
当の本人は救急車を呼んでいる最中だった。
「榊家? なんの話だ?」
『ああ失礼、あなたには関係のない話でしたね。何はともあれ、お大事に』
それでは、と友膳は一方的に電話の回線を切った。
液晶に映し出された時刻は十三時五十分。
三時間以上異界を彷徨わされていたらしい。
「ったく、昔っから嫌味ったらしくて陰湿で嫌な奴なんだよな」
大塚は軽傷の方の左腕で髪を掻き上げた。
傷だらけの身体に積もっていた雪が落ちる。
「大塚さん、どうして戻って来たんですか」
真壁は震える声でボロボロになった姿の大塚に問いかけた。
これだけはどうしても聞かずにいられなかったのだ。
「あ? 気分だよ気分。ただ、後輩に馬鹿にされてむかついちゃっただけ」
「死んでたかも知れないんですよ!? 奥さんとお子さんもいるのに!」
命を助けてもらった手前、言えるような言葉ではない。
しかし、こんなボロボロにさせてしまった自分が情けなくて、でも生き残れたことが嬉しくて、ぐちゃぐちゃになった感情から八つ当たりの言葉が口から零れ落ちていく。
そんな真壁を見て、大塚は怒るどころかふっと笑って見せた。
「なあ真壁、一つ覚えとけ。俺が人を助ける時はな、自分が助かるって確信がある時だけだ」
彼は全てわかった上で笑っていた。
その笑顔が憎たらしくて、なんだかもう全てが馬鹿馬鹿しくなった。
「クズですね」
「命の恩人に対してひでえな。ーーついでに先輩としてアドバイスしてやる」
大塚は急に真面目な声でこう言った。
「友膳の下には就くな。あいつの部下はこれまで内海一人だったわけじゃねえはずだ。なのに、俺の記憶の中に内海以外であいつと親しくしてた部下はいねえんだよ。言いてえことわかるな?」
異界で亡くなった部下は内海雄大だけではない、と言いたいのだろう。
本当は秘密裏に動いている友膳班もいるが、その人たちも少人数だ。
大塚の言っていることもあながち間違いではないかもしれない。
真壁はゆっくり頷いた。
「そもそも、なんであいつは異界で死んだ人間を覚えてられるんだ? なんか抜け道とかあんの?」
「私にもわかりません。神隠しは現世の書き換えなので、基本的に全ての人間に適応されるはずです」
「ごく稀に特異体質の人間で、神隠しなどが適応されない人間はいますよ」
と、救急車の手配を終えた華が戻ってくる。
「わたくしたちはそれを観測者と呼んでいます」
「観測者……?」
「はい。彼らは縁による記憶操作が通じません。友膳暁人は、同じく特異体質のあの男のことも、覚えていたんじゃないですか?」
「あっ」
そうだ、葵のことも友膳は覚えていた。
友膳警部が能力持ち……?
確かにこれまでのことを思えば、あり得ない話ではない。
「あー……わりぃ、真壁」
突然の大塚の謝罪に思考が止まる。
「限界。……救急車、着いたら……起こし……」
大塚はそのまま眠ってしまった。
というより、気絶に近いのかもしれない。
「その様子だと何日も寝られてなかったんでしょう。よくその状態で異界から出られたものです。ーーさて」
と、華が真壁に向き直る。
蛇に睨まれたカエルの気持ちがよくわかった。
華は一直線に、ドスドスドスと目の前まで歩み寄ってくる。
「な、な、なんですか!?」
「失礼」
華の手が首筋に触れる。
離れたその指には、ボタンのような小型の機械が摘まれていた。
「そこの盗聴趣味の変態男。話は聞いてましたね」
盗聴と聞いて、それが盗聴器だということに気付かされた。
「い、いつの間に!?」
自分の首筋を触れて思い出す。
こんなところ、触れられたのはあの時しかない。
あんのクソ男!!
『……今ちょっと僕弱ってるから……優しい言葉かけてもらっていい?』
小型の機械から聞こえてくるのは、本当に弱々しい声だった。
思わず込み上げてきていた怒りも、数センチほど引っ込むくらいには辛そうに聞こえる。
「婦警すら手玉に取る性根の腐った所、相変わらず素晴らしいですね。わたくしもいつか見習おうと思います」
この状況で容赦のない嫌味が言えるということは、やはり彼女はそれなりに葵と親しいのだろう。
いやちょっと待って、手玉?
私、手玉に取られてたの?
『それ……褒めてないし。華ちゃんは……そういうことしちゃダメだよ』
「あなたに指図される筋合いはありません。わたくしも柳原の人間ですので、榊家を支えるためならなんだってします」
「……相変わらず、馬鹿みたいな……忠誠心だ」
「そういうことですので、旭をそこに呼びました。後は煮るなり焼くなりどうぞ」
『……は? え? ちょっと待って……旭くん? いや、いらないいらないいらないマジでいらないほんといらな……』
華はブチィっと盗聴器を人差し指と親指で押し潰して壊した。
指の隙間からパラパラと部品が地面に落ちていく。
「あ、あのぉ、旭さんって?」
あの葵が、旭という名前を聞いただけで焦っていた。
というより、怯えていた。
それほどの人物、警察内部では聞いたことがない。
「わたくしの双子の弟です。父と同じく可視能力はありませんが、感知能力に秀でています」
視えないのに感知できる?
あまり想像ができない。
「葵さん、なんであんなに怯えていたんですかね?」
職質をする時のように、なるべく相手を刺激させないよう、あははと明るく問いかける。
が、華はにこりとも笑わない。
榊家界隈の女の人たちは、みんな表情筋が死んでいるのだろうか。
愛想笑いをしたら呪われる家系なのだろうか。
ひよりの場合はまだ威圧を感じない分接しやすい。
だが華は、一見するとずっと怒っているかのように見える。
なんならその目からは、殺意さえ感じ取れてしまう。
そんな人と二人きりで会話を続けるのはさすがに胃にくるものがあった。
「彼と随分親しくされてるようですね」
華は真壁の質問に答えるつもりはないようだった。
「いや、そんなこともないです! 捜査に協力して下さってるだけで! ほんっとうに、なんでもありませんから!」
「それだけで、彼との縁が繋がるとは思えませんが」
……やばい、この人さっき元カノって言ってた。
もしかしてまだ未練あるのかな。
もしそうだとしたら、絶対あのことは言えない。
いや、もしかして、すでに首筋に触れられる仲とか勘違いしてる?
本当になんでもないのに!
この人に敵視されるのだけは嫌だ!
「華さんがご心配なさってるようなことは一切! 全く! 微塵も! ありませんから!」
「何を必死に否定されてるんですか」
「えっと、葵さんとのこと気にされてるようだったので……」
「あれがどこで誰とどう生きようが、わたくしには関係ないことです」
じゃあなんで気にしてるようなこと聞いてきたんですかね!?
真壁は笑顔を引き攣らせながら、キリキリと痛む胃を抑える。
「やることがありますので、お先に失礼します」
そう言うと、華は綺麗な一礼をしてから背を向けて去って行く。
遠くの方で救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
華の後ろ姿が見えなくなった頃。
「……つっかれたあ」
真壁はへたりと雪が積もりかけの地面に座り込んだ。