立てど座れど歩けど牡丹
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意識を失う寸前、大きな爆発音がした。
それとほぼ同時に首の圧迫感から解放されて、身体が地面へと叩きつけられる。
その衝撃で意識が引き戻された。
咳き込みながらも必死に酸素を取り込みつつ顔を上げると、大塚が頭を抱えて横たわっていた。
その向こうには真っ赤な炎に包まれて、原型を失った道祖神とバイクだったようなものが見える。
眺めていると、瓦礫の中から二つの光が浮かび上がった。
温かく、見ているだけで心が癒されるような優しい光だった。
人の形をしてはいなかったが、本能のようなものでそれが人の魂そのものだとわかる。
『現世か。この者たちは柳の末裔ではないようだが』
『あの臆病もんの末裔が、前線に出てくるわけがなかろう』
二人の男の声がする。
その後、空間の揺らぎから女の声が聞こえてきた。
「現世では生き残った人間こそが強者です。無駄口叩いてないで、さっさと行ってください」
『おお、この生意気な口調、間違いなく柳の末裔じゃ』
『懐かしんでる場合ではない。行くぞ』
二人の魂は直ぐに何処かへと飛んで行ってしまった。
その後、空間の揺らぎからはスーツ姿に眼鏡の女が現れる。
全体的に丸いフォルムが印象的だった。
その女から向けられたのは、鋭い眼光。
刑事課の厳つい中年たちを見てきた真壁ですら怯むほどの眼光である。
人を殺したことがあると言われても納得してしまうかもしれない。
「うっ……ぐ」
地面に倒れたままだった大塚が呻き声を上げる。
「大塚さん! 大丈夫ですか!?」
真壁は慌てて駆け寄り、安否を確認した。
焦げたような臭いがしているが、特に火傷の様子はない。
しかしさっきの爆発のせいか、右腕には血が滲んでいた。
「……あー、やべ、身体中クソ痛ぇ」
「どこらへんが痛みますか」
大塚に触れようとした。
その時、耳鳴りのような気持ちの悪い音が頭に響いた。
道祖神があった向こう側の空間の揺らぎが大きくなる。
……そうだ、まだ終わってなかった。
このままでは目の異界に飲まれる。
しかし負傷している大塚を抱えて逃げ切ることなど不可能。
真壁自身、体力も気力も限界だった。
ともなればーー
「あなただけでも逃げてください! ここは危険です!」
「わかってますよ」
女は鬱陶しそうにそう言うだけで、逃げようとしなかった。
むしろ立ち向かうかのように揺らぎの方を見据えている。
ーー来る。
「お疲れー」
揺らぎの中から間延びした声が聞こえてきた。
姿を見せたのは、見知った男だ。
「あ、葵さん!?」
出てきた葵の姿に拍子抜けした。
しかし、女の眼光は鋭いままであることに気づく。
「華ちゃん、生きてたんだ。急に連絡取れなくなったから、何かあったんじゃないかと思って心配してたんだよ」
「心配? あたしを? あなたが?」
女は鼻で笑いながら、地面に落ちていた真壁の銃を拾う。
「僕だって元カノの心配くらいするよ」
……元、カノ!?
真壁は葵と女の顔を交互に見つめる。
「例え偽物だったとしても、控えめに言って気色悪いですね。ーーでも、やっと本体に会えて嬉しい。手当たり次第に殺し過ぎて飽きてたところです」
ちょっと待って今この人なんつった!?
真壁の動揺が追いつかぬ間に、女は片手で銃口を葵に向けた。
しかし葵は動揺する様子を見せない。
真っ直ぐ女を見つめていた。
「聞いたよ、柳原のおじさんも旭もひよりちゃんも殺して、挙句に親父まで殺したって。だけど華ちゃんは僕を殺せないよね。だって君、まだ僕のこと好きでしょ」
「黙れ」
「僕も好きだよ、華ちゃん。君を捨てたこと、ずっと後悔してた。これからは二人で一緒にいよう。もうどこにも行かないから」
「……随分と記憶の読み取りの精度が落ちてるようですね。あたしが、あなたを捨てたんですよ」
ーーダン! ダン! ダン! ダン! ダン!
女は葵の身体に五発撃ち込んだ。
その躊躇のなさに真壁も大塚も顔を青くする。
葵の身体はその場に倒れて消滅した。
女が握っていた銃も同じように消え、辺りを覆っていた重苦しい雰囲気も取り払われた。
が、空気は依然重いままだった。
「お見苦しい所をお見せ致しました」
パッパと手を払って何事もなかったかのようにこちらに向き直る。
異界からは無事に出られたものの、目の前にいるこの女の正体がわからず警戒態勢は崩せない。
「な、なんで撃てたんですか。弾、入ってなかったはずなのに。……いや、それよりあなたは誰でどこから来たんですか」
女はスーツのポケットから名刺を取り出し、礼儀正しく真壁に渡した。
「榊不動産代表取締役の秘書をしております、柳原華と申します。お恥ずかしながら、道祖神を壊す寸前で怪異に取り込まれてしまいまして。壊してくださってありがとうございました」
名刺に書かれた見覚えのある苗字が目につく。
「柳原って、もしかして民俗学者の?」
「柳原典道はわたくしの父です」
やっぱり。
しかしあまり似ていない。
柳原は柔和で人当たりの良い雰囲気を纏わせているが、娘は真逆のように思えた。
体型すらも真逆で、柳原は枯れ木のようにほっそりしているが華は丸くて貫禄がある。
共通しているのは品の良さだけのようだ。
本当に親子なのか疑わしいほどだった。
「銃弾については黙秘させて頂きます」
華は申し訳ありません、と頭を下げる。
異界でのことまで刑法では取り締まらない上、真壁自身も警察官として褒められたことをしていないため強くは聞けなかった。
ただ、年間で約二十発程度の射撃訓練を行なっている、警察官ですら弾の生成はできなかったのに、彼女にはできた。
恐らく、普段から銃器を使い慣れているのだ。
この人、まさか本当に人を殺しているのでは。
「人何人か殺してそうな顔はしてるな。よく職質されんだろ」
「し、失礼ですよ。すみません」
「いえ。目つきが悪いのでよく言われます」
よく言われるんだ……。
「それより大変恐縮ですがお二人とも、速やかにこの敷地から立ち退いて頂けますか。いくら警察の方でも、無許可で我が社の敷地内で好き勝手されては困ります」
「はあ? 我が社の敷地内ってどういうことだ。ここは昔っから誰のもんかわからねえから、市が整備することになったんだろ」
「ええ、ですから、先日我が社が市から買い取りました」
「「……へ?」」
間抜けな声が揃った後、見計らったかのように真壁の携帯が鳴る。
友膳からだった。