恐怖の愛妻弁当
僕の妻の葵は、毎朝自分の分と僕の分の弁当を作ってくれる。
共働きであるにもかかわらずにだ。
「1つ作るのも、2つ作るのも一緒よ」と言って。
独身の頃は、昼ご飯といえば、ラーメン、牛丼、立ち食いそば、コンビニ弁当、ほぼそんな感じで、なんとも味気ない日々を過ごしていた。
26歳で同い年の葵と結婚して、昼ご飯に、鮭の塩焼きや、ピーマンの肉詰め、豚の生姜焼き、チンジャオロースーなどが食べられるようになった。
愛妻弁当は素晴らしい!と感動したものだ。
しかし、半年が過ぎて、まず焼き魚が登場しなくなった。
まぁ、朝から魚を焼くのは大変だしね、僕も、それほど魚は求めていないし……と、あまり気に留めることはなかった。
2年目頃から、ピーマンの肉詰めや、チンジャオロースーも姿を消した。
まぁ、それほどピーマン、好きってわけでもないしね……と、ちょっと残念だな、と思いつつも、黙っていた。
3年目になると、豚の生姜焼きの出番も減って来た。これに関しては、僕の好物なので、できれば続けてほしかった。
他にも手作りの品は、いろいろあったのだが、それらもだんだん登場することはなくなった。その一方、冷凍食品が、徐々に増えていった。
しかし、朝、バタバタと忙しそうにしている妻を見ると、作ってもらえるだけでもありがたいと思い、文句は言わなかった。
そして4年目の今年。
月曜日、冷凍のミニハンバーグ、火曜日、冷凍のから揚げ、水曜日、冷凍のコロッケ、木曜日、冷凍の肉シューマイ、金曜日、冷凍のミートボール。
これに毎日卵焼きがつく。野菜といえば、申し訳程度にミニトマトがつくぐらい。
今は10月だが、春先くらいから、ずっとこんな感じが続いている。
もう完全にローテーション化している。
つまり、葵は、卵焼きは毎朝作るけれど、それ以外は、冷凍食品をレンジでチンしてつめるだけというわけだ。
ちなみに朝食はトーストとコーヒー。
僕としては、ハムやベーコンも食べたいのだが、それを焼く時間はないらしい。
「はい、お弁当」
葵に渡され
「……ありがとう……」
一応お礼は言うものの、今日は木曜日、もう、見なくてもシューマイと卵焼きとわかってしまう……。
葵自身は、飽きないのだろうか?毎週毎週同じものばかりで、平気なのだろうか?
聞いてみたい気もするが、まぁ、大丈夫だからこそ、こうして繰り返しているのだろう……。
ある意味では、独身の頃の方が、まだレパートリーはあった感じがする。
ラーメンと一口に言っても、基本は醬油ラーメンだけど、たまにはタンメンを食べたり、夏には冷やし中華を頼んだりもしていた。
立ち食いそばでも、かき揚げにしたり、ちくわ天にしたり、トッピングはその日の気分で替えられた。
コンビニ弁当でも、いくつか種類があって、そこから選ぶことが出来た。
ところがである。今は、僕に選択の余地はない。
これって、ある意味、今の方が状況としては、ひどいのではないか……?
会社の昼休み。今日は火曜日。弁当のふたをあける前からメニューはわかっている。
憂鬱な気分でふたをあけると、おなじみのから揚げが当たり前のように入っていた。
僕は、から揚げは好きだ。しかし、こう毎週だと、最早、嫌いの部類に入りそうになってくる。
から揚げを嫌いになりたくない!
どうしたものか……。罰ゲームでも受けているような気分で、から揚げを口に入れた。
それから数週間がたった。
今日は、ちょっとしたトラブルがあり、僕は、ずっと社外にいた。
ひと段落ついたときには、時計の針は、もう1時を過ぎていた。
社に戻って、休憩室で弁当を食べるか、と思いながら駅に向かっていると、ふと、立ち食いそば屋が目に入った。
今日は水曜日、コロッケの日だ。歩き回ったわりには、あまり揚げ物という気分ではなかった。
自然と足が立ち食いそば屋に向かっていて、僕は、「わかめそば1つ」と、注文していた。
ほぼ無意識だったため、あ、弁当!と思ったものの、そのときには、もう、わかめそばが出来上がってしまっていた。
「はい、わかめそば!」
ドン!とそれは差し出された。もう取り消すことは出来ない。
ぼくは、そばをすすった。
おいしい!なんておいしいんだ!
立ち食いそばに感動する日が来るとは、思いもよらなかった。
弁当、どうしよう……。そばを食べてしまったので、弁当は、当然手つかずのままである。
こっそり社内のゴミ箱に捨てようか、と思いもしたが、誰かに見られて、夫婦仲が悪いらしいなどと噂を立てられても困るので、そのまま持って帰ることにした。
「ただいま……」
非常に気まずい気分だった。
幸い、妻は、まだ帰ってきていなかった。
今のうちに、何か袋にでも入れてゴミ箱に捨てよう、そう思ったものの、手頃な袋が見つからない。
そうこうするうち、葵が帰ってきてしまった。
間に合わなかったかー……。
「お、おかえり」
ドギマギする僕を見て、葵は、
「どうしたの?」
と、不審げに聞いた。
「あ、いや、その……」
僕が言い淀んでいると
「変なの」
そう言って、洗面所に行ってしまった。
手を洗って、うがいをしているようだ。その後洗濯機を回す、それが妻の習慣になっている。
そして、キッチンに来る。
「あれ?」
葵が言った。
いつもならば、流しの桶に水を張って、食べ終わった弁当箱をつけておくことになっているのだが、今日は、その弁当箱がないのだから、不思議に思われても仕方がない。
「お弁当箱は?」
葵が、僕に聞いた。
どうしようか、時間がなくて食べられなかった、とごまかすか、正直に、もう、葵の作る弁当に飽きたんだ、と言うか……。
いつか言おう、いつか言おうと思いつつ、ずっと言えずに来てしまった。
でも、今日、思いがけないアクシデントがあって、食べずに帰って来た。
言うなら今なんじゃないか?今日を逃したら、もう、ずっとこのまま、地獄のルーティーンから抜け出すことは出来ないのではないか?
そう思った僕は、意を決して言った。
「あ、葵の弁当、もう、飽きたんだよ!!」
妻がびっくりした顔をしている。
しまった。言い方がストレート過ぎた。打ち明けるにしても、もう少しオブラートに包んだ言い方があっただろうに……。
でも、それだけ僕も、自分が思っていた以上に、きつかったのかな、とも思った……。
ひどい!と、怒鳴られたりするかな?と、思わず身構えてしまった僕だったが、葵がぽつりと言った。
「……私も、飽きたわ……」
そう言うと、その場にぺたんとしゃがみ込んでしまった。
「え?えーーー?」
あまりに予想しない展開に、今度は僕が、超驚くはめになった。
泣きはらした顔の葵が、食卓で天丼を食べている。
僕も、葵の向かい側に座って、同じ天丼を食べている。妻がスーパーで買って来たものだ。ふたには、20%引きのシールが貼られている。
「本当は、今日、晩ご飯、作るつもりだったんだけどね、なんか疲れちゃって……」
葵はそう言って、海老天を齧った。さっきからあまり食べていない。
「うん、大丈夫だよ。20%引きとか、お得じゃん」
「お昼のお弁当もね。なんか、意外と大変で……」
「うん」
「一応、マンネリ化しないように、冷食も、いろいろ試してみたんだけど……」
「そうだっけ?」
「そうよ。でも、意外と、司の好みに合うのがなくてね。味が微妙とか、なんかこれじゃない、とか、いろいろ……」
「僕、そんなこと言った?」
「言ったよぉ。でも、ハンバーグとか、から揚げとか、要するに、今出しているのに関しては、特に何も言わなかったから、あ、これならいいんだな、と思って、それで毎週続けてた……」
そう言うと、はー……と葵は、深いため息をついた。
そうか、このローテーションになった原因は、僕にもあったということか……。
僕も軽いため息をつきながら、いか天を口に入れた。続いてかき揚げも。そして言った。
「もうさ、つらいなら、朝お弁当作らなくていいよ」
「え?でも、あんなに喜んでくれていたじゃない!?」
確かにそうなのだけど……。
僕が言い淀んでいると
「私、もう、妻失格だよね」
涙ぐみながらそう言った。
「そんなことないよ!共働きで、なのに、葵がほんど家事やってる状態で、普通なら、僕が夫失格って言われる立場でしょ?」
あわてて僕は言った。
「世間がそうでも、やっぱり、私としては、家事も仕事も、ちゃんとやりたいっていうか……」
真面目で健気なんだよなぁ。そういうところが好きで結婚したんだけど……。
でも、やっぱり、無理なものは無理なのだ。そして、そう言っても納得しないのが僕の妻なわけで……。
しばらく沈黙が続いた。
僕は食べ終わったけれど、葵はまだ、半分ほどしか食べていない。
いろいろ考えて、僕は言った。
「弁当は作らなくていいからさ、朝ご飯、たまにはハムとかベーコンとかも食べたいんだけど……」
「そっか。いつもトーストだけだものね……」
「別に毎日じゃなくてもいいんだ。余裕のない朝は、今まで通りでいいし。でも、ちょっと時間があるな、というときに、目玉焼きとか、ウィンナーとかさ、そういうのを出してもらえると、うれしいかな、って……」
「お弁当を作らなくていいなら、できるかも……。でも、司が、もうラーメンとか立ち食いそばとか飽きたって言ってたんだよ、大丈夫?」
「今日、立ち食いのわかめそば食べたら、おいしかったよ」
「何それ?」
ちょっとあきれたようにしながらも、葵は笑った。そして言った。
「そっか……。いろいろ変化していくんだよね」軽く頷いている。少しは納得できたようだ。そして、葵はご飯は残したが、天ぷらは全部食べた。僕は、ちょっと安心した。
翌朝。
食卓には、いつものトーストとコーヒーの他に、目玉焼きがついていた。
「今日、帰り、スーパーで、ハムとかも買ってくるね」と葵は言った。
「うん。でも、ほんと、無理しなくていいからね」と僕が言うと
「ありがとう」ちょっとはにかみながら妻は言った。
「じゃ、行ってきます」と僕。いつも僕の方が、少し早くに家を出るのだ。
「行ってらっしゃい」葵が笑顔で見送ってくれた。
今日の僕のかばんは軽い。
弁当が入っていないからだ。
今日の昼は何にするか、ラーメンか牛丼か……?ちょっと楽しみだった。
でも、またいつか、飽きたと思う時が来るかもしれない。
その時には、また葵と相談すればいい。
人は変化する。そのことに、お互い気付くことが出来る関係でいたいな、と僕は思った。
ずっとずっと、葵と夫婦でいたいから……。