純粋に
「中へどうぞ」
花峯の手がひらひらと俺を手招きする。
一瞬踏みとどまろうとしたが、少し間をおいて俺はリムジンへと向かう。
恐る恐る中に入ってみると、吹き抜けるような柑橘系の香りをほのかに感じた。
全体的な色合いは青を基調としている。
天井の目が眩むほどの照明。車内の大部分を占めるソファ。
辺りにはスーパーやコンビニで拝むことはできないであろう高級そうな酒瓶が大量に並んでいる。
近くに置かれたグラスはそれを注ぐためのものだろう。
まるでリビングをそのまま切り取ったかのような車内とは思えない贅沢かつ快適な空間。
ていうかうちのリビングよりは諸々豪華だ。
比喩でも何でもなく今俺は別世界に居る。
「折角ですし一緒に行きましょう。康太くん」
そんな中で別世界に住む人間は自分の隣をぽんぽんと叩いている。
ここに来い、という合図なのだろうか。
「……お邪魔します」
まるで他人の家に上がり込むような心境だ。
俺は花峯と向かい合うような位置に座らせてもらう。
「もう……」
不満げに花峯は頬を膨らませている。
多分、自分が指示した通りに動いてくれないことが嫌なんだろう。
だが俺にもあるのだ。彼女の隣に行けない理由が。
それは単純に恥ずかしいからだ。
いやすいません。本当酷い理由で。
ただやっぱり思春期絶頂期の俺からしたら女子との接近は中々に厳しい。
更にそれが絶世の美少女だという事実が拍車をかける。
後は……まぁ恐怖症とまでは言わないが、最近は女性問題でいい思い出が無いからな。
少し距離を取りたいと思ってしまうのだ。
それに、今は恋人を演じる必要はないだろう。
「カメラがある訳でもないし、無理に近づきすぎなくてもいいだろ?」
配信や撮影の際ならある程度のスキンシップは仕方ないものと割り切ることができる。
それでお金を稼ぐという約束をしたんだからな。
しかし今は完全にオフ。プライベート真っ只中である。
誰が見ている訳でもないし、動画内でのゆりちゃんとこうくんのように振舞わなくてもいい筈だ。
だから、正直迎えに来てもらうような覚えもない気がするんだが……
俺はきょろきょろと辺りを見渡す。
カメラが仕掛けられてるとか、そういうオチなのか?
リムジンでドッキリ、なんて動画をこっそり撮影してる可能性が……
いや、それはないか。
ドッキリ系の企画を取ろうにも花峯の性格ならまず一度俺に確認は取るだろう。
確認取るならドッキリでも何でもなくね?って話だが、まぁ演出という物が世の中にはある。
万が一取り返しのつかない発言や行動をしてしまった場合、その部分をカットすればいい。
でもそんなことをするくらいなら最初から全容を伝えてリアクションを取ってもらうようにした方が早い。
「勿論撮影はしてませんよ?私ってそういうサプライズとか仕掛けるタイプじゃないですし」
「じゃあ何でわざわざ迎えに?」
「康太くんと一緒に登校したかったから、純粋にそれだけですよ」
……花峯は平然と言い放つ。
一緒に行きたいなんて台詞、とても俺には言えそうにないだろう。
しかも超笑顔。多少なり恥ずかしむような感情表現すら微塵もない。
「純粋に、か……」
その言葉を真正面から受け止められない自分がそこに居た。