08 殺意の呪術
殺されるかもしれない。
目の前にいるウルフの数は、そういった恐怖を抱くには十分な数だった。
「ガルルル」
低く唸るウルフたちの口の端からよだれがしたたり落ちる。
今にも襲いかかってきそうなウルフたちを睨んでバニラが短剣を握り直すと、リオンが「動くなよ」と鋭い声で言い放った。
「『氷結する世界』がいくら優秀な魔術とはいえ、これだけの数を時を止めている間にしとめることは不可能だろう」
「グルォッ!!」
リオンがバニラを冷静に制止したのと先頭のウルフが飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。
バニラはしびれ薬のついた短剣を反射的に振るったが、その切っ先は空を切る。
リオンが張ったドーム状の結界にウルフが弾き飛ばされたからだ。
「さすが先輩……。こんな強度の結界なかなか張れませんよ」
ドウェインが集合場所に張った魔除けの結界も張れるものは限られるが、衝撃を受け止めるほど強固な結界を張るには相当な技術がいる。
しかも先頭の一匹を皮切りに大量のウルフが結界に向かって強襲している中、結界はびくともしなかった。
結界にウルフがぶつかる衝撃音の中、リオンは肩をすくめる。
「学内最強と言われる力をナメるなよ。それより、いくらウルフが群れるとはいえ、これは異常だ。軽く百匹はいるだろう」
結界にぶつかってきているものの他にも茂みの奥から、まだ続々とウルフたちが集まってきている。
この森中のウルフがここを目指してやってきているかの様子だ。
まるで何かに引き寄せられるかのように。
「緊迫してるとこわりぃんだけど、さっきからなんかめちゃくちゃうまそうなにおいしねぇか?」
鞄から顔をだしたシャルルがくんくんと小さな鼻を動かす。
バニラもつられて鼻を動かしたが、ウルフの獣臭しかしなかった。
「え? シャルルってウルフ食べるの?」
「食わねぇよ! こんな獣くせぇの! 人間にゃわかんねぇにおいだろが、このにおいは魔物を寄せるはずだぜ。バニラ、さっき手握られたとき呪われたんじゃねぇか」
「手を握られただと? 誰にだ!?」
ウルフが充分に周囲に集まったのを見極めて、リオンは結界の周囲に一気に魔力を解放する。
果敢に結界に挑んでいたウルフはもちろん、その周囲でうろついていたウルフたちも巻き込んだその光の一撃はすさまじかった。
爆発音をさせて、何十ものウルフが地面を転がるように飛んでいき、そこで事切れる。
あまりの力の差に茂みからこちらをうかがっているウルフたちも怯んでいる様子だ。
「すっごい……」
「おい。一体誰に、手を握られたのかと聞いている!」
知ってはいたが、あまりの実力に驚いていたバニラは不機嫌な声にあわててリオンを見やる。
眉を寄せて「早く答えろ」と急かすリオンに、バニラは先ほど握られた手を差し出した。
「あの、この間図書室で絡んできたいっちばん気の強そうな女の子に……」
「なんだ女か。この阿呆が。なぜ気を許している」
「突然だったもので……」
「学生とはいえ、冒険者のはしくれが突然手を握られるなど阿呆としか言えん」
「おっしゃるとおりで」
しょぼくれたバニラは自身の手をじっくり見る。
握られた手にはなんの痕跡もないが、呪術とはそういうものだ。
魔術の一種である呪術は、まじないを込めた自身の魔力を相手に送り込むことで様々な影響を与える。
効果があらわれない限りは、どんな呪いをかけられたかもわからない厄介なものだ。
呪術は相手の体に直接触れなければかけられないという難点があるが、彼女はその関門をバニラの間抜けのおかげで突破したということだろう。
「このウルフの集まりようから考えるに、おそらく口寄せをかけられたな」
「においがしてきたタイミング的にゃ、トリガーは『バニラが魔術を使うこと』か。かわいい顔してたわりにゃ趣味わりぃぜ」
呪術のひとつである口寄せは魔物を誘い出すにおいを発するものだ。
効果は一時的なものだが、威力は絶大。
さらに、攻撃魔術を使えないバニラは回復魔術か生活魔術を使うしかないとあの呪術師の女は考えていたはずだ。
戦闘中ではない油断をしているときにこの口寄せの呪いが発動していたら、バニラは本当に命を落としていた可能性がある。
向けられた殺意の強さにぞわりとした。
仲間の死に怯んでいたウルフの中でも勇あるものが飛びかかってくるのを次々に魔術で打ち落とすリオンの表情が歪んだ。
「あの女の魔力量を考えるに、それほど長時間口寄せが効くとも思えんが、あまりに数が多すぎる。しかも……」
リオンが危惧していることの正体にバニラも気がついていた。
ドスンドスンとさっきから地面が揺れている。
なにか大きなものが近づいてきていることは確かだ。
この森にはウルフを討伐にきた。
だが、ウルフ以外にも魔物は存在する。
「私がひとりで逃げるっていう選択肢はどうです?」
「ダメだ」
「魔物は私を追ってくるはずですし、『氷結する世界』を使えば距離は稼げます」
「危険すぎる。長時間は効果を持続できないんだろうが」
「でも、共倒れする必要はないじゃないですか。私のせいで、こんなことになってるんですし!」
「確かにおまえのせいでしかないな。しかし、口寄せが発動している以上学園に逃げ込むわけにもいかん。しかも、おまえはオレがこの状況を脱せないと思っているのか?」
「そう言うとは思ってましたけど、さすがすぎる先輩も大量のウルフ相手にしながらは厳しくないですか? あれは」
地面の揺れが大きくなっている。
木々の隙間からその正体が見えるほどに音は近づいていた。
見上げるほどに背の高い森の木々に匹敵するほどの大きさのそれは真っ黒い人型をしていた。
ぎょろりと大きなひとつ目は血走り、その下にはざっくり切り裂いたような口がある。
その巨体を支える太い足に対して、腕はひょろひょろと細いのがまた不気味だ。
鞭のように振るわれる腕が木々をなぎ倒しながら一歩一歩こちらに進んでくる。
ゆらゆらと化け物が歩みを踏み出す度に地面が揺れていた。
「むっつり先輩、リンベルの花いるか?」
「魔力回復薬くらい自分で持ってきている」
襲い来るウルフをはたきおとすように魔術を使いながら、リオンは腰にさげていた試験管のような入れ物を取り出して一本飲み干す。
リオンは最強の魔術師であり、魔術師一族として高名なフラメル家の次男だ。
だが、彼の魔力はおおよそフラメル家の人間のものとは思えないほどに人並みだった。
そんな彼を最強たらしめるのは、そのたぐいまれなる魔力の操作技術である。
魔力の操作技術に凄まじいものがあっても、大量のウルフを相手にしながらの大物相手は魔力量的には不利でしかない。
「私だけが逃げるっていう案を却下するのであれば、もうひとつの案は採用してもらいます」
「聞こう」
「ウルフの大群は私に任せてください。その間に先輩が全力で、あの化け物を倒す。どうです?」
「『氷結する世界』は、大勢相手には不利だろう」
「確かに少数相手の方が有利ですけど、あんなでかぶつ倒す術が私にはないですから、先輩にあいつは任せるしかないです」
振るわれる鞭のような腕がもう迫ってきている。
バニラは「先輩」と声をかけると、ちらりとこちらを見たリオンにニッと口角をあげて笑った。
「私がさっきわざわざ『氷結する世界』をわかるようにお見せしたのは、大好きな先輩に無茶させないためです。私も戦えるんだってところを見たら、先輩も私に少しは背中を預けてくれると思ったんですが、いかがでしょう?」
つっけんどんだが優しいリオンは、戦う力のないバニラを守るためにひとりで無茶をすると思っていた。
だからこそ、バニラは奥の手だった『氷結する世界』を見せたのだ。
バニラの覚悟に満ちた瞳を見て、リオンは「そうだな」と力が抜けたように頷いた。
「おまえも非力な子どもではないか」
「見習いとはいえ、冒険者。しかも、勇者の娘ですからね! ばっちり背中はお任せください!」
「いざとなりゃ、竜であるこのオレ様が絶対にバニラは守り抜いてやっから。むっつり先輩はドンと構えて行ってこい」
「任せた」
バニラの目をしっかりと見つめて頷いたリオンが飛び出した瞬間、バニラは『氷結する世界』を発動する。
飛び出すリオンに食いかかろうとするウルフに短剣を突き立てて、術を解除。
リオンが化け物に到達したのを確認して、また術を発動し、彼の背中を追おうとするウルフから優先してその体に短剣を突き立てていく。
「ッはぁ」
時を止めているとはいえ、その間バニラは動き回っているのだ。
眼前にウルフが迫ったところで、また時を止めてその喉を掻き切ったバニラは息切れを起こしていた。
時を止めては、また動かす。
ウルフたちの目から見れば、理解不能な光景だっただろう。
さっきまでそこにいた人間が、次の瞬間には違う場所で仲間を切り裂いている。
「あぶなっ」
次から次へと襲いかかってくるウルフの一匹があわや足首にかみつくという寸前で時を止めた。そのウルフの頭に短剣を突き立てながらリオンの方を仰ぎ見る。
鞭の腕による攻撃をかわして、魔術の光線を巨大な眼球に打ち込んだ様子だ。
時を動かすと、足下で突然頭から出血したウルフが倒れ伏す。
眼球に光線を食らった魔物が血を流しながら叫んだ声が森に響いた。
「っは、うぐっ。さすが、先輩……ッ」
「おい、バニラ! ちょっと消耗が異常だぞ! なんか他の呪いもかけられてんじゃねぇだろうな」
「かもだね。でも、そんなことっ……言ってられないでしょ」
心配してくれているシャルルの声に返しながら、バニラはまた時を止めてウルフをしとめる。
体がおかしい。
魔術を使用する度に全身が沈むように重くなっている。
殴られたように響く頭痛と魔力切れ寸前の息苦しさにあえぎながら、バニラはリンベルの花を口に突っ込んで時を動かした。
「バニラ! 撤退だ、撤退! むっつり先輩に任せて逃げちまえ!」
「もう! っはぁ、そういうわけにいかないでしょ!」
「いつものバニラならやれたろうが、こりゃ明らかにおかしい! 口寄せだけじゃねぇはずだ。もう立ってるのも厳しいくらいだろが」
「大丈夫だから、シャルは絶対に出てきちゃダメだよ。竜の痕跡がこんなとこで見つかったら、捜索されるかもしれない」
今にも鞄から飛び出してしまいそうなシャルルに釘をさして、バニラは唇を噛む。
めまいがして遠のく意識をその痛みが現実に引き戻した。
リオンの攻撃により巨大な魔物の体に次々に穴が空いていく。
ほかの学生が相手をしていたら、いったい何人の生徒が命を落としていただろう。
考えればぞっとするような一撃をリオンが余裕でかわしていくのを確認して、バニラは時を止めてはウルフを倒し、息継ぎをするように時を動かす。
苦しい。
苦しい苦しい。
息がほぼできていないような気がする。
めまいで世界がよく見えない。
吐き気までしてきて足がうまく動かない。
「バニラ!」
『凍結する世界』を解除した覚えはなかった。
術を持続する魔力と体力が底をついてしまった。
シャルルの声でハッと気づいたバニラの眼前には大きく開かれたウルフの口が迫っていた。
シャルルが鞄から飛び出すが一歩遅い。時を止めていたため、飛び出すタイミングがずれてしまった。
獣臭い呼気が顔にあたる。
牙が迫り来る。
ごめんなさい、先輩。
ぐっと拳を握りしめて目を閉じたバニラは、死を覚悟した。
訪れるだろうと思っていた激痛は、しかしいつまで経っても訪れない。
揺れる視界でどうにか焦点を合わせると、リオンがバニラを抱き留めていた。