57 七色の絆
「なぜ、邪竜がここに……!?」
ドウェインが驚愕の声をあげると、黒い竜は木々を激しく揺らしながら屋敷をつぶすようにして地面に舞い降りる。
邪竜と呼ばれたそのドラゴンは、優しげな金色の瞳をおどけるように細めた。
「邪竜とは失礼じゃのう。もう悪さする方は封じられたんじゃ。わしは、竜族の里で長を務めるグイード。孫に渡された聖女からの託しものが光ったので参上したのじゃ」
「バニラ、おまえ……。グイードにも石を渡していたのか?」
思わぬ協力者の登場にリオンも驚いた様子でこちらを見てくる。
バニラは笑顔で頷いた。
「はいっ。とは言っても、渡したのは先輩と戦った後なんですよ。グイードが手紙で『協力できることがあったら教えてくれ』って言ってくれたので、甘えたんです。シャルルに届けといてねって預けたので、持って行ってくれてたんですね」
「おまえは……、本当に誰とでも仲良くなるな」
「グイードだけじゃないぞ」
大きな声が響いて、バニラはそちらに顔を向ける。
グイードの背から何かが飛び降りる。
地面に着地し、顔をあげたその人は勇者ヘリオス・ラッカウスだった。
「呼ばれたから来たぞ、バニラ。星空先輩には勝てたのか?」
「うん! 結婚式には呼ぶね!」
「おまっ、」
なにやらたじたじしているリオンにヘリオスは笑う。
それから抜いた大剣を背負ってドウェインを見上げた。
「かわいい娘の角出を邪魔しやがるのは誰かと思や、こりゃ魔王級じゃねぇか。腕が鳴るなぁ、おい」
突然現れた邪竜と勇者の助太刀に、さすがのドウェインも表情を崩す。
苦々しく顔を歪めたドウェインは、そっとバニラを指し示した。
「これはこれは。伝説に名を連ねる方々にお会いできて光栄だよ。でも、俺はバニラ君に『呪殺』の呪いをかけてるんだ。俺からあまり離れたらこの子は死んでしまう。俺が死んでしまうときも、もちろんバニラ君は道連れだよ。それでも、俺を殺そうというのかな?」
余裕たっぷりに首を傾げるドウェインに、バニラは自分が重荷になることを悟る。
だが、それでもバニラは自分は死んでもいいとは言えなかった。
リオンは、きっとバニラが死ねば悲しむからだ。
そんな未来は望んではいない。
解決方法が見つからずに、ぐっと胸の前で手を握ると、空気を裂く凜とした声が響いた。
「遅れましたわね。呪術については問題ありませんわ。私の手にかかれば、あっという間ですわ」
「クーリア!」
「傷だらけじゃないか……。遅れてすまない」
森の奥から銀色の令嬢が現れる。
彼女の隣には、エドガーが控えており、バニラとリオンの満身創痍ぶりに眉を寄せる。
「エドガー。ふたりをここに」
「承知しました」
クーリアの指示で、エドガーが風の魔術を使う。
ふわりと浮き上がった体はそのままクーリアへと引き寄せられ、バニラの体にはクーリアの光の粒子と化した魔力がつながった。
「あなたが呪われていたことに、また気がつけなかっただなんて悔しいですわ。解呪ばかり極めていて、追跡を怠っていたのが徒となりましたわね。リオン・フラメル様はその腕は、骨は折れていませんこと?」
「腕については、どうだろうな……」
「大丈夫です。若いとすぐくっつくと俺も言われました」
バニラたちの間に余裕の空気が漂い始める。
ドウェインがこめかみをひくつかせていると、上空からまたひとり地面に降り立った。
「待たせたなぁ、バニラ!」
「シャル! 来てくれたの!?」
「あったりまえだろ!」
人間の姿で現れたシャルルは、バニラとリオンを振り返る。
ぼろぼろの二人を痛ましそうに見て、シャルルは眉を下げた。
「ひでぇ有り様じゃねぇか。オレ様はふたりが駆け落ちできるように馬車の手配から抜け道の確保まで済ませてたんだぜ。こんな強行突破じゃ、努力が台無しになっちまう」
「ごめんね、シャル」
「全くだぜ。でも、オレにゃ強行突破のほうが性に合う」
にんまり笑んだシャルルは、ドウェインを睨む。
宙に浮かんだままこちらを見ているドウェインは表情が見えない。
「さあ、どうすんだぁ、先生よぉ! こんだけのメンツとどう戦うつもりか教えてくれよ」
ドウェインの肩が震える。
恐怖しているのかと一瞬思ったが、違う。
彼は、笑っていた。
「くくくく。いや、こんなにたくさんの被検体を用意してくれるなんて、本当に俺の弟と教え子は優秀だな」
「なんですの?」
宣言通り、すぐに解呪を終わらせたクーリアが呆けた様子で呟く。
次の瞬間、バニラとリオン以外の仲間の足下に黒い穴が出現した。
「なんだ、こりゃ!?」
「転移術じゃ!」
困惑した様子のシャルルが足下から伸びた影に飲まれて消える。
即座に転移術と気づいて羽ばたいたグイードも伸びた影に捉えられてしまった。
動揺する仲間たちは次々に飲み込まれ、あっという間に消えてしまう。
とぷん、と闇の中にすべての仲間が消えると、場は静寂に包まれた。
「大丈夫だよ。みんな俺が作った隔離した世界に送っただけだ。洗脳術を完成させてから、彼らは迎えに行けばいい。さ、みんなを迎えに行くためにも、リオンたちは研究をがんばらなくてはいけないよ。いつまでも、ぐずっていないで部屋に……」
「絶対に、帰りません!」
バニラがゆらりと立ち上がる。
見上げるドウェインは相変わらず恐ろしい。
それでも、バニラは凜とした目で彼を見つめた。
「みんな、私と先輩が幸せになるためにここに来てくれたんです。それなのに、私たちが諦めるわけにはいきません」
「……被験者と研究者になることは、君たちにとって幸福なことになるはずだよ。なんせ洗脳するのだから。このまま外の世界で生きていたら辛いことだってあるだろう。でも、俺の洗脳術を受けて、この屋敷で暮らしていれば、怖いことは何もない。リオンにだって可能な限りの延命を施す。それの何が不満なんだい?」
「俺はバニラと世界が見たいんだ。心から笑っているバニラといろいろなものが見たい。苦しい思いをしたって構わん。心があるという証明だ」
腕を押さえたリオンの台詞にドウェインはため息をこぼす。
「本格的に洗脳をしなければいけないようだね。仕方がない。殺さない程度に、痛めつけてあげよう」
ドウェインが魔力を練り出す。
そのタイミングでバニラは、『氷結する世界』を使った。
止まった時の中で、リオンがバニラを見つめる。
ドウェインに小細工は効かない。
今持てる力のすべてをぶつけなければ、勝てることはないだろう。
「魔石はあるか?」
「はい」
バニラとリオンの考えは一致していた。
持っていた魔石をリオンに手渡すと、バニラはドウェインを見上げる。
ドウェインが今練っている魔力が完成してしまえば、間違いなく負けてしまうだろう。
膨大な魔力の塊を見上げていると、リオンがバニラに魔術をかけてくれた。
ふわりと体が浮き上がる。
浮遊術なんて高度な術を使用するリオンに、バニラは笑みを向けた。
「さすが先輩っ」
「兄様の近くまでおまえを飛ばす。『虹の絆』で持てる全魔力を放出して、ぶつけろ」
「はい!」
体が空へと舞い上がる。
ドウェインの目の前にまで来ると、バニラは術を解除した。
突然目の前に現れたバニラにドウェインは目を見開いて、慌てて魔力障壁を張ろうとする。
バニラは隙を与えずに、両手を突き出した。
「先生! 私は、先生のことやっぱり心の底からは嫌いになれないです! 毎年、パーティーに誘ってくれて嬉しかったから!」
ドウェインが一瞬、優しい顔をした気がする。
ひとりぼっちで、ダンスパーティーに行く相手もおらず困っていたバニラに、ドウェインは毎年毎年声をかけてくれた。
壁の花になっていたときも「俺とでよければ踊るかい?」と優しく声をかけてくれたのだ。
歪んではいたが、きっとドウェインは心の底から悪事を働きたいと思っている人間ではなかった。
愛の欠片もない人間ではなかったはずだ。
お別れが寂しい。
それでも、バニラは自分たちの未来のため、周りが望んでくれた幸せのために『虹の絆』を使うことを選んだ。
「ありがとうございました、ドウェイン先生」
「……君は、本当に自慢の教え子だったよ」
手からすべての魔力が放たれる。
ドウェインは、魔力障壁を張る時間があったはずだが、そうはしなかった。
邪竜や勇者の魔力がすべて合わさった攻撃は尋常なものではなかった。
周囲のすべてを破壊するような力に飲まれ、ドウェインの姿はあっという間に見えなくなる。
視界が光に飲まれる。
あまりの衝撃によろめく体はリオンの魔力が支えてくれた。
屋敷は倒壊。
森を抉ったような巨大な穴が広がる中、バニラはリオンの魔力にサポートされて軽やかに地面に舞い降りた。
作成者がいなくなった異界から、戻ってきた仲間達が次々に現れ、バニラが開けた巨大な穴を前に驚愕し、勝利を確信する。
全員の無事を確認して、バニラはリオンに歩み寄る。
動く腕を広げて、誘ってくれたリオンにバニラはゆっくりと抱きついた。
「先輩。お兄様を、ごめんなさい」
「……恩師を、すまなかった」
森を風が吹き抜ける。
勝利の余韻よりも、ここには寂しさが残った。
*
王都に美しい鐘の音が響く。
記念すべき日にふさわしい鐘の音を聞きながら、バニラはヴェール越しに窓の外を見る。
「賢者様ばんざーい!」
「聖女様ばんざーい!」
窓の外には人だかり。
静かな結婚式を望んでいたリオンには悪いが、ここまで有名になってしまった以上、密やかな式など行えるわけもなかった。
ドウェインを倒した後、バニラはバレンティアを飛び級で卒業した。
約束通り、バニラはリオンと旅に出た。
各地で人々を困らせる強敵を倒し、時に無茶をしてはリオンに怒られ、バニラとリオンはいつしか最強のバディと呼ばれるまでに至っていた。
どこに行っても自分たちを誰もが知っているというのは、なんだか気恥ずかしくて時々息苦しかったが、悪くはなかった。
リオンは「鬱陶しい」と口では言っていたが、人々の好意を無碍にすることもなかった。
旅をして一年。
いつプロポーズしてくれるのかと思ってドキドキしていたら、リオンはもうする気になっていたらしく「え? するんだろう? 結婚」と言って、唐突に式場を押さえてきたことだけを告げられた。
ロマンがないと怒ったが、その後「すまん」と言いながらたくさんキスをしてくれたので、すべて許してしまったから惚れたもん負けである。
リオンはバニラがいつか言っていた、王都で一番綺麗な教会に結婚の申し入れをしてくれた。
王都なんて、人の山である。
既に国の英雄レベルで名が知られているバニラとリオンの結婚式は、王と王妃が結婚するレベルの騒ぎになっていた。
「先輩、また照れてぶーぶー言っちゃうかもな」
窓の外の光景を盗み見たバニラがくすりと笑う。
こんこんとノックの音が聞こえて、バニラは緊張したまま振り返る。
式の日まで、リオンには花嫁姿を見せないことにしていた。
この後は、リオンと共に一緒に教会に歩いて行く予定である。
確実にこのノックはリオンだろう。
ドレスを気に入ってもらえるだろうか。
かわいいと言ってもらえるだろうか。
ドキドキしながら「はい」と返事をすると、ドアがゆっくり開く。
覗いたリオンも緊張しているようだったが、バニラを見て、彼はきょとりと目を丸めた。
そのまま花をひっくり返したようなデザインの純白のドレスには、レースと宝石がふんだんに使われている。
鉱石が編み込まれたヴェールは光の加減で七色に煌めいた。
化粧をした頬は上気し、ほのかに赤い唇が純白のドレスの中で際立つ。
完璧な美しさを体現したこのドレスは、クーリアとエドガーのプロデュースだ。
「……先輩。かわいい、でしょうか」
ドキドキしながら上目遣いに訊ねると、リオンが黙って歩み寄ってくる。
そのままぎゅうと抱きしめられて、バニラは身を固めた。
「かわいすぎる。あのとき、おまえに負けて本当によかった」
「ふ、ふふっ。その台詞は何度も言われました」
「何度も思うんだ。生きる道を選べて、おまえと歩める道を進めて、よかったと」
バニラもリオンをぎゅっと抱きしめる。
多幸感で胸が苦しい。
泣いてしまいそうなのに、頬は緩むばかりだった。
「プロポーズがなかったと、怒っていただろう」
「はい、怒ってました」
「今、ここで言ってもいいか?」
「聞かせてください」
体が離れる。
式場でもあげることになるヴェールをリオンはそっと持ち上げた。
それはまるで、ふたりだけの秘密の結婚式を執り行っているかのようだった。
「出会ったあの日に交わした約束を更新しよう。俺は、おまえを生涯守ると誓う。だから、俺と結婚してくれ」
「はいっ。だいっすきです、先輩。私も先輩を生涯守り抜くと誓います」
唇を重ねる。
神にではなく、互いに誓った約束だった。
その後、七つの魔石を持った者たちは、七賢人として歴史に名を残す。
七賢人の中でも特に名を馳せることになったのは生涯支え合い、愛し合った賢者と聖女。
二人は愛の象徴として、この国に未来永劫語り継がれるのであった。
〈終〉




