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56 希望の影


 豪華すぎるベッドしかない小さな部屋。

 昼も夜もわからないこの部屋では、どれくらいの時が経ったのかもわからない。


 わかるのは、リオンが治癒術で無理矢理回復されて、引きずられるように連れ出された回数が十回ということだけだ。

 部屋の唯一の出入り口であるドアを穏やかに開けて入ってくるドウェインは、本当にいつも通りのドウェインなのだ。

 「おや、バニラ君。ちゃんとごはんは食べているようだね」とにこにこと笑みながら、バニラの健康を確認して、リオンを魔力で縛って連れて行く。

 学院に居た頃と変わりがないということは、あれが彼のそのままの本性で、何一つ取り繕ってはいなかったということなのだと知って、それにまたぞっとした。


 だが、バニラはドウェインに恐怖してばかりいたわけではない。

 頭の中に記憶した大量の術式を組み合わせて、虹色の魔石に最小限の魔力のみで、魔力回路を繋げる方法を考えていたのだ。

 魔石は、バニラが信頼に値すると思った相手にしか渡していない。

 彼らなら、きっとここに助けに来てくれるだろうとバニラは信じていた。

 だからこそ、魔力回路をつないで魔力を送り、居場所を知らせさえすればなんとかなると確信していたのだ。


 寝る間も惜しんで、リオンとああでもないこうでもないと言いながら、どうにか完成した術式は一人分の最低限の魔力量で発動できるものとなった。

 限りなく省エネの術式の完成は人類の偉業だ。

 「おまえの頭の回転だけは、心から尊敬している」という、褒められているのかは微妙な言葉をリオンから賜り、それだけでバニラは世界中の人たちに褒められるよりも幸福感を味わえた。


 ふたりが監禁されている部屋には全体に魔力量を最低限にする術式が張り巡らされている。

 魔力を使い果たして気絶してしまわないよう、二人はそれぞれの魔力を半分ずつ出して、魔力回路をつなぐ術式を展開することに決めた。


 二人でひとつの魔法陣を起動させるには、体内に埋め込んだものではなく、物理的な魔法陣が必要になる。

 考案した術式を組み込んだ魔法陣は、ドウェインが食事と共に持ってきたナイフで指を切り、血で地面に書いた。

 リオンは「俺が切る」と最後まで主張していたが、「先輩は私の頭の中にある魔法陣を覗けないじゃないですか」というと、悔しそうにしながらも身を引いてくれた。

 ハラハラしている様子のリオンの前で指を切り、黙々と書いた魔法陣を前に、今二人は立っている。


 食事の際のナイフを得るために、食事時を狙ったのだ。

 早く起動してしまわなければ、ドウェインが食器を下げに現れてしまうだろう。


「指は平気か?」

「問題ないですっ。それよりも、ここからは持久戦ですからね。ここから魔力を送ったら、まず間違いなくドウェイン先生にバレます。取り繕えるほどの魔力量が今の私たちにはないです」

「フラメル家の研究所はこの屋敷と王都にしかない。両親のいる王都に厄介ごとを持ち込むわけにはいかんだろうからな。兄様はこの屋敷内で俺たちを隠すか、あるいは面倒ごとを嫌って殺すだろう」


 この魔法陣を起動させなければ、バニラたちに自由が訪れる未来はない。

 だが、起動させればドウェインにバレてしまう。

 仲間が到着するまでに、どのくらいの時間がかかるかもわからないが、ここは賭けるしかなかった。


「先輩。絶対に二人で駆け落ちしましょうね。王都で一番綺麗な教会で結婚式をあげましょう。私はお花みたいな綺麗なウェディングドレスを着るのが夢です」

「そうか。その夢は俺が叶えてやろう。だから、生き延びるぞ」


 隣に立ったリオンがバニラの手を握る。

 視線を合わせて頷いてから、二人は地面に書いた血の魔法陣に手をついた。

 魔力を送り込むと、魔法陣が赤く光る。

 その輝きは虹色の輝きに収束し、部屋の壁を突き抜けるようにして、飛び出していった。


 魔力回路がつながり、魔力がそれぞれの魔石へと飛んでいったのだ。

 理論上正しくできていたとはいえ、魔法陣が想定通りに動いたことにバニラはほっと胸をなで下ろす。

 しかし、安心したのもつかの間。

 すぐに両開きのドアが開け放たれた。


「驚いたな。何をしたんだい?」


 ドアの向こうから現れたドウェインは、手のつけられていない食事と転がっている血のついたナイフを見やる。

 そして、最後にバニラ達の足下に魔法陣を見つけて、目を見開いた。


「こんな魔法陣は見たことがない……。バニラ君か」

「どうして、私だと?」


 つい、と魔法陣から視線をあげたドウェインが、魔法陣を書いたのがバニラだとすぐに特定したことに驚く。

 思わず訊ねた質問にドウェインは微笑んだ。


「そりゃあ、わかるよ。俺のかわいい教え子だもの。魔力測定会で使っていた魔術も新作だろう? 驚いたよ。こんなに優秀な子がいたなんてね。今、リオンを使って考案している呪術は、殺意を増幅させる呪術を応用した、洗脳の呪術なんだ。これは、バニラ君のための呪術なんだよ」


 ドウェインの笑顔はどこまでも優しい。

 悪意なんか微塵も感じさせない笑みが恐ろしい。


 毎回毎回、リオンはドウェインに連れて行かれて帰ってくる度に疲弊していた。

 うずくまって頭痛に耐えていたときもあったし、呼吸がおかしくなってしまって苦しんでいたときもあった。

 あんな非道な実験で考案しているのが、バニラのための呪術だなんて、ぞっとする。


「なにが、私のためなんですか」


 嫌悪からの問いに、ドウェインはにっこりと無邪気に笑う。


「俺と魔術を研究する研究者になってもらうためには、まずは君を洗脳しなければならないだろう? バニラ君はリオンが好きだからねぇ。リオンが苦しむような実験はしたくないだろ?」

「私にも先輩を被検体にしろっていうんですか!?」

「ほら。そう言うと思ったから、まずは洗脳の呪術を完成させようとしているんだよ。俺は被検体であってもリオンのことを愛している。バニラ君もリオンを苦しませながらも愛していけるはずだよ。君たちはこの屋敷で一生お互いを愛し合いながら生きていくんだ」


 ドウェインの口調からは恍惚めいたものを感じる。

 フラメル家は狂った魔術師の家系だとは聞いていたが、ここまでだとは思っていなかった。


 バニラが愕然としていると、ドウェインはひざまずいて血の魔法陣を観察しだす。

 うっとりとしたドウェインが「美しい術式だ」と呟いた瞬間、リオンは足で食事用ナイフの柄を踏んで跳ね上げた。

 わずかな魔力を使ってナイフが描く弧の軌道を修正したリオンは、ドウェインに振り上げる。

 すぐに気が付いて顔をあげたドウェインに、そのままリオンはナイフを投げつけて、バニラの手を引いて駆け出した。


「行くぞ!」


 一瞬の隙をついてドウェインが開けっぱなしにしていたドアから外に出る。

 広い屋敷の廊下を走っていると、背後から「つい美しすぎて見入ってしまったなぁ」というドウェインの気の抜けた声がした。

 屋敷の廊下には窓がある。

 外に見えるのは鬱蒼とした森で、外が見えても朝なのか夜なのかわからなかった。


「先輩! 窓割って外に出ましょう!」

「ダメだ! この屋敷はアレイアード領の立ち入り禁止区域になっている。化け物級の魔物がごろごろいる場所だ。魔除けもなしにうろうろしていい場所ではない」

「その魔除けはどこかにないんですか!?」

「兄様しか持っていないんだ。幼い頃は外に出るときだけ、魔力の首輪と共に貸し与えられていた」


 入り組んだ廊下を無茶苦茶に走る。

 どこまで逃げても、この広い屋敷から外に出ることは叶わず、助けを待つことしかできないのだと思うと心臓が強ばった。

 それでも必死で足を動かし、リオンは玄関ホールにたどり着くと物陰に身を潜める。

 荒い呼吸を整えたリオンはバニラの手を離して、そっと頭を撫でた。


「魔力は回復したか?」

「はいっ。部屋を出たときから少しずつ回復してます。……先輩は?」

「実験による疲弊だろうな。いつも通りというわけにはいかんが、回復してきていることは確かだ。兄様と戦うことになるのなら、広い場所の方がいい。見つかったら、応戦するぞ。援軍が来るまでは持ちこたえる。いいな?」

「『氷結する世界』で援護します」


 力強く頷いたバニラに、リオンは柔らかく微笑む。

 狭い物陰で身を寄せ合い、二人は息を潜めた。


 コツリ、コツリと余裕のある足音が少しずつ近づいてくる。

 心音が高まり、恐怖で閉じてしまいそうな目を必死で開けていたのは、ドウェインがいつ現れても対処できるようにするためだ。


 足音が少しずつ近くなる。

 確実に近づいてきた足音は玄関ホールの真ん中で止まったようだ。

 気づかれなかったのだろうか。

 それなら、もう少し時間を稼げるかもしれない。

 一瞬安堵したのもつかの間、ふっとバニラの前に影が降りた。


「かくれんぼが下手だなぁ。俺のかわいい弟と教え子は」


 逆さまになったドウェインの顔が目の前に現れる。

 ひゅっと喉が鳴って一瞬反応できなかったバニラの隣で、リオンが腕を凪いだ。

 魔力でできた刃がドウェインの首をかすめて、彼は「おっと」と言いながら空中を回転する。


 空を自在に飛び回りながら、ドウェインは空中で直立した。


「危ないじゃないか、リオン。俺は、まだ、君たちを殺す気ではいないんだよ。バニラ君は洗脳するし、リオンには被検体としての役割を全うしてもらう」

「兄様。残念ですが、俺はあなたを殺す気です」


 悲しそうな目をしていたドウェインは、リオンの発言を聞いてその表情を一変させる。

 にんまりと愉快そうに口角をあげて、「くくっ」と笑いを漏らした。


「いいね、リオン。まさか、『兄様のようになる』と口癖のように言っていたおまえに殺意を向けられる日が来るとは思わなかった。やっぱり、リオンをバレンティアにやったのは正解だったようだね」

「兄様のようになれば、被検体として殺されずに済むのではないかと思っていたからだ。俺は、兄様には魔力量でも技術でも遠く及ばない。だが、それでも、戦うことを選ぶ」

「あははは!」


 心の底から楽しげに笑ったドウェインが魔力を解放する。

 彼がなぜその魔力をバレンティアでは抑えていたのかがよくわかった。


 彼の魔力は邪竜を上回る。

 空気がビリビリと震えるほどの魔力にバニラは目を瞠る。

 死を感じるには充分なその圧を前に、バニラはそれでも自身を奮い立たせた。


「先輩っ。術を使います。その間に魔力を練ってください」

「承知した」


 真っ向から挑んで勝てる相手ではない。

 不意を突かなければ殺される。


 『氷結する世界』をバニラが使用すると、リオンは即座に魔力の弾丸を大量に空中に生み出していく。


「いけ!」


 ドウェインの周囲を四方八方から覆うように弾幕を張ったリオンが叫んだのと同時に、『氷結する世界』を解除すると、考えられない量の魔力の弾丸がドウェインに向かって飛び出した。

 激しい爆風と閃光が散る。

 屋敷の一部が爆風で吹き飛び、外の森がむき出しになる。

 響く轟音の中、バニラもリオンも風で吹き飛ばされないように踏んばっていると、中から光の塊が空へと飛び出した。

 目で追って気づく。

 それが無傷のドウェインであると。


「嘘……。あの攻撃でかすり傷もないの?」

「魔力障壁を張ったんだろう。出せる限りの速度は出した。これで効かんのなら、他に手はない」


 苦々しく言うリオンに、空に浮かんだドウェインが困った様子で頬を掻く。

 大穴があいた屋敷の壁を見て、ドウェインは肩を竦めた。


「こら、リオン。ここは王国所有の魔術研究所なんだよ。壊しちゃダメじゃないか」

「こんな歪んだ研究所など、壊れてしまえばいいのだ」

「まったく。うちの弟は反抗期がひどくて困ってしまうよ。ちょっと、お仕置きがいるね」


 ドウェインがそう言うと同時に、リオンとバニラの周囲に魔力の弾丸が瞬時に現れる。

 さっきリオンが出現させた弾丸の倍は優に超えている数に、二人は目を見開く。


「死んじゃダメだよ」


 ドウェインが言うと同時に、魔力の弾丸が発射される。

 咄嗟にバニラは『氷結する世界』を発動。

 必死にリオンと共にその包囲網から逃れようと走ったが、範囲があまりに広大すぎる。

 ようやく弾丸に囲まれた範囲から飛び出して術を解除すると、弾丸は当然のようにその矛先をこちらに変えた。


「追尾するんですか!?」

「どこまでも無茶苦茶な人だ……!」


 爆風と共に弾丸が放たれる。

 リオンが『犠牲者の足掻き』を使用して厚く張った魔力障壁も次々にぶつかる衝撃に耐えられない。

 ピシッという音を立ててヒビが入ると、崩壊はあっという間だった。


「伏せろ!」


 リオンに抱き込まれるようにして、バニラは後ろに転がる。

 弾丸の爆風に転がされた二人は、壁に激しくぶつかって止まった。

 バニラが上体を起こすと、同じく起き上がろうとしているリオンの腕に大きな傷が入っている。

 バニラも全身を打撲したような痛みが走っており、満身創痍だ。


「そろそろ諦めて、眠っておきなさい。あの部屋に帰ろう、二人とも。大丈夫。君たちが呼んだ仲間たちもみんな被検体にでもしてあげるから」

「それだけは、ありえません。ドウェイン先生」


 とどめを刺そうとしていたのだろう。

 ゆらりと手をあげたドウェインが、バニラの言葉に首を傾げる。


「どういう自信だい?」

「私は、勇者の娘で聖女なんですよ。仲間だってとんでもないんです」


 ぼろぼろのままに、バニラは笑う。

 意表を突かれた様子で黙っていたドウェインは、突如現れた気配に視線を空に向ける。


 何かが羽ばたいている。

 大地に影を落とすそれが巨大な黒い竜だと気づくと、ドウェインは目を見開いた。


「邪竜……!?」

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