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54 絶望の影


 部屋に帰る道中、シャルルにも先程の話をした。

 シャルルは衝撃を受けていたが、「むっつり先輩の話なら信じるぜ」と納得していた。

 駆け落ちにも賛成したシャルルは、バレンティアから身を隠したまま、かつ遠くへと行く手段を見つけてきてやると言って、止める間もなく飛び出していった。


 医療施設の誰も居ない裏通路から抜け出したバニラとリオンは、学生たちに見つかって騒ぎにならないよう遠回りをして自室に戻る。

 その間に駆け落ちの話を少し詰めておくことにした。


 まず、駆け落ちした後の金策だ。

 先立つものがなければ、生きていくのも困難だ。

 冒険者になるためには、バレンティアを卒業しておく必要がある。

 リオンは卒業間近であるため、卒業したタイミングで駆け落ちすればいい。


 だが、バニラはまだ四年生であり、卒業にはほど遠い。

 そこで武器になるのが、バニラが積み重ねてきた実績だ。

 ペーパーテストで達成してきた偉業、邪竜退治の戦績、魔力測定会での堂々優勝。

 バレンティアには飛び級制度があり、実際にクーリアは入学して早々四年生になっていたし、ヘリオスは四年生の段階で魔王が従えていた四天王のひとりを倒した実績を買われて、その年に卒業している。

 バニラも申請さえすれば、卒業は可能だろう。


 駆け落ち後は、冒険者として身を立てる。

 その方向で固まった。


「先輩と本格的にバディを組んであちこちで活躍できるようになるんですね。楽しみだなぁ」

「なるべく有名になる必要がある。兄様が俺たちに手を出しにくいようにな」


 冒険者として有名になるということは、英雄になることと等しい。

 リオンとバニラの顔と名前が世界中に知れ渡れば、ドウェインは手出しをすることができなくなるだろう。

 ドウェインから逃げ回りながら、世界中の強敵を倒す必要があったが、バニラは胸が弾んだ。


「だが、おまえの飛び級申請をすることになれば、兄様はこの計画に気が付くだろうな。身の安全には気をつけて、なるべく俺の傍にいろ」

「了解ですっ」


 リオンと一緒に居られる未来を語れることが嬉しい。

 彼の過去と抱えていた闇を知ったことはショックではあったが、バニラはもう未来を向いていた。

 殺されることを前提に生きてきたリオンが、これからは前を向けるように傍で支えていきたい。

 そのために、どんな楽しいことを提案しようと頭がいっぱいだった。


 にこにこしているバニラをリオンが呆れた表情で見ている。

 その呆れ顔に、愛しさが滲んでいることがバニラにはわかっている。

 幸せな心地のままに自室にたどり着き、玄関のドアを開けたバニラは、「ふう」と長い息をひとつ吐いた。


「なんだか疲れましたね。やっぱりビバ我が家って感じです」

「そうだな。少し眠るか」


 後から続いて部屋に入ってきたリオンが、後ろ手にドアを閉めながら欠伸をこぼす。

 家に帰ってきて気が抜けたのだろう。

 リオンを見ていると、バニラも眠い気がしてくる。

 まだ夕方ではあるが、一眠りしてもいいだろう。


「そうですね。私もちょっと寝ます。おやすみなさい、先輩」

「まだ挨拶には早いだろう。寝る直前に言え」


 言われている意味がわからずに、首を傾げたバニラの手をリオンが握る。

 そのまま手を引かれて、戸惑ったままについて行くと、リオンの私室に連れ込まれた。

 簡易な机と整えられたベッド。

 バニラの私室と同じつくりであるのに、部屋全体からリオンの香りがする。

 「え? え?」と戸惑う内に、バニラはリオンにベッドに連れ込まれていた。


「ふぁっ、あの、私、まだ、心の準備が……!」


 ベッドに転がされて身を縮めるバニラをリオンが見下ろす。

 その目は楽しげに細められ、彼はバニラの上に覆い被さってきた。


「いや、ほんとに……。嫌じゃないんですけどっ」


 頭の両脇にリオンの手がある。

 こちらを見下ろす瞳の美しさに目眩がしそうだ。

 心臓が狂ったようなリズムで鳴っている。

 ぎゅっと思わず目を閉じると、リオンの吐息が耳殻にかかった。


「勘違いするな。阿呆が」


 びくっと反応したバニラの髪をリオンがからかうように撫でる。

 くしゃっと少々乱暴に撫でられたバニラが驚いて目を開けると、リオンはもうバニラの隣に寝転がっていた。

 上掛けを引き上げて、バニラにもかけてくれたリオンは肩をぽんぽんと寝かしつけるようにたたいてくる。

 本当に一緒に寝るだけであり、あらぬ勘違いをしていたと悟ったバニラは羞恥で真っ赤になった。


「も、もう! 先輩意地悪です!」

「いいだろう、少しくらい。添い寝は嫌か? 俺はずっと、こうしておまえを抱いて眠ってみたかった」


 そろりと窺ったリオンは片腕を枕にしてこちらに顔を向けている。

 視線が合うと「うん?」と甘やかすように目を細めるのが、かっこよすぎてずるい。

 バニラは首を小さく横に振った。


「い、いいですよ。嫌じゃないです」

「そうか。なら、もう少し我が儘を聞いてくれ」

「まだあるんですか!?」

「嫌なら断れ。そうだな。まずは、こっちに体を向けろ」


 バニラの体は上を向いたままだ。

 リオンの方向に向いてしまえば、密着しすぎてしまうだろう。

 それでも、リオンの我が儘なのだ。

 聞けないわけがない。

 バニラは緊張しながらも、寝返りを打ってリオンの方へと体を向けた。


「いい子だ」

「う、ううう。恥ずかしいです」

「もうひとつ、いいか?」

「は、はい」

「……名前を、呼んでもいいか?」


 余裕綽々だったリオンの声が詰まる。

 照れた様子で視線をそらすリオンに、バニラは目を瞬かせる。

 しかし、呆けたのも一瞬だ。

 バニラは、すぐにぱっと表情に華を咲かせて頷いた。


「はいっ」


 リオンがそらしていた視線をこちらに向ける。

 期待に満ちたバニラの瞳と目が合うと、リオンはゆっくりと唇を動かした。


「バニラ」


 頭がしびれそうだ。

 好きすぎる。

 こんなに好きでいいのだろうか。

 もうこれが限界と思っていた感情を余裕で超えていく好きレベルだ。

 バニラが歓喜で瞳を潤ませていると、リオンは堅かった表情を崩す。

 甘やかな笑みを浮かべたリオンはそのままバニラを抱き寄せて、額にキスを落とした。


「はあ、全く眠気はなくなってしまったな」

「ふふ、そうです? 私はなんだか今なら、とってもいい夢が見れちゃいそうです」

「じゃあ、このまま寝てしまえ。……おやすみ、バニラ」


 背中を優しく撫でられて、バニラは「おやすみなさい」と笑んだまま返事をする。

 暖かい腕の中、バニラは本当に心地よく眠った。


 穏やかな目覚めは、来ないとも知らずに。 


 *


「……本当に寝るのか」


 腕の中で寝息をたてはじめたバニラに、リオンは呆れた声を出す。

 そっと覗くと、心地よさそうに眠っている姿に胸が綻んだ。


 バニラに、自身の過去を話すことに勇気はいらなかった。

 リオンはバニラから愛されていることを充分すぎる程に知っていたからだ。

 そんな彼女が、リオンの過去を知って逃げ出すことはないと確信していた。


 だが、駆け落ちを提案するのは緊張した。

 彼女のこれからの人生を縛ることになる提案だ。

 断られた場合は、即刻ドウェインの元に行き、被検体として身を差し出すことでバニラに被害が及ばないようにするつもりではあったが、バニラが包み込むような笑顔で頷いてくれたことは嬉しかった。


 リオンは、決戦で勝つつもりだった。

 全力で戦って勝利することで、バニラに恋を諦めさせて、卒業後はドウェインの被検体になる気でいたのだ。

 だが、こうして腕の中にあるぬくもりを感じてしまうと、もう手放すわけにはいかなかった。

 負けてよかったとすら思ってしまうのだから、おかしな話だ。

 

 聞けば、バニラは新しい魔術『虹の絆』をリオンに勝つために開発したという。

 魔術開発なんて、フラメル家の人間でも大変なことだ。

 バニラはリオンが買った本が決め手になったと笑っていたが、彼女の頭脳には頭が下がる。

 彼女とバディを組んで旅をすれば、本当に世界に名を轟かせる冒険者になれるかもしれない。

 そんな浮ついた夢を抱けたのは人生で初めてのことであった。


 ―――トントン。


 窓の鳴った音に、リオンは身を起こす。

 まだ駆け落ちには時間がかかると引き留めたにもかかわらず、「善は急げだぜ」と飛び出していったシャルルが帰ってきたと思ったのだ。

 が、違った。


「兄様……!?」


 ここは三階。

 窓の外にドウェインが立っている状況は、どう考えてもおかしい。

 だが、彼の魔力と技術は、それを可能にしていた。

 リオンと目が合うと、眼鏡の奥の目を細めて笑ったドウェインが、魔術で窓の鍵を開けてしまう。

 大きく開いた窓から、風と共にドウェインは室内に侵入してきた。


「どうされたのですか。こんなところに」


 努めて冷静に振る舞いながら、ベッドから立ち上がる。


 もう、リオンからバニラへの好意は、随分前からドウェインに知られている。

 ロイア殺人事件やエドガーがナイフをバニラに向けた事件は、ドウェインからリオンへの『見ているからな』というメッセージだったはずだ。

 今更バニラと想いが通じたことを隠すつもりはない。

 今は、『バニラと恋人になったとしても、卒業すれば必ずあなたの被検体になる』という姿勢をドウェインに見せなければならなかった。


 できる限り従順な態度を意識する。

 今まで通り感情を殺した表情でドウェインに向き合うと、彼は愉快そうに笑みを深めた。


「いやぁ、恋人の寝室に無断で立ち入るのは無粋かと思ってノックしたんだけどバニラ君は本当に無防備だね。全然気が付かないで寝てるんだから」


 くっくと喉を鳴らしたドウェインがリオンの横をすり抜けてベッドの縁に座る。

 そのまま彼は眠るバニラの髪を撫でた。

 今すぐにでも、その手をはねのけてやりたがったが、ぐっとこらえる。


「今だけの遊びです。卒業すれば、必ず兄様の元に戻ります」

「おや、リオン。女遊びを覚えたのかい? 被検体は泳がせてみるものだなぁ。欲の欠片もないみたいな目をしてた子どもが女遊びだなんて」


 ドウェインは心の底から楽しそうだ。

 人好きのする穏やかな笑みを浮かべて、ドウェインはバニラの髪を指で梳く。

 その柔らかな毛先を指に絡めて、ドウェインは「でも」とリオンを見上げた。


「この子は遊びなんかにしちゃダメだよ、リオン。バニラ君は一生、君と共にあるのだから」


 冷たく響いた声にぞくりとする。

 背中が粟立つような恐怖が全身を這う。

 この人は何を考えているのだろう。

 底の見えない目にリオンは心拍数があがるのを感じながら口を開いた。


「それは、どういう……?」

「呪いをかけたからさ。ダンスパーティーで一緒に踊ったからね。あの呪術師のクーリア嬢にばれないよう、根深く奥底まで呪いをかけるのに苦労したよ。前にエドガー君にかけた時は簡単に解かれてしまったらしくて、悔しかったからね。ダンス練習を装って時間をかけた甲斐あって完璧だ」


 喉がひくつく。

 思い描いていた幸せな未来をドウェインが蹴り崩していくようだった。


「『束縛』の呪術だよ。バニラ君は俺から離れれば心臓が止まる。入院中だって、怪我したふりして教師特権を行使して、わざわざ隣の部屋に入院させてもらっていたんだから。ここまでかわいい弟の自由時間に猶予をあげたんだ。感謝してほしいよ」

「そく……・ばく……?」


 絶望で体が震える。

 かつて恋人と生涯いることを誓うために作られたと言われる『束縛』は、術者から一定以上離れると苦しみもがいて死ぬ呪いだ。

 駆け落ちだなんて、とんでもない。

 この呪術が解けない限り、バニラにはこの先ドウェインと共にある人生しかあり得なくなった。


 リオンは膝から崩れ落ちる。

 呆然と見上げたドウェインはベッドに座ったまま、悠然と足を組んだ。


「バニラ君のことが好きなんだろう? ずっと傍に居て構わないよ。君たちが子を産んでくれれば、被検体も増えて好都合だ。バレンティアに卒業までいる理由もないね。誰かにかぎつけられて面倒になる前に、屋敷に戻ろう」

「……俺は、あなたを、許しません」


 怒りに震える声をあげるリオンを見下ろすドウェインの口角が、ゆっくりと引きつったようにあがる。


「それは楽しみだ。さ、リオンにはバニラ君と過ごせる特別な部屋をあげよう。末永く愛し合って、そこで一生を過ごすんだよ」


 にんまりと笑ったドウェインが、ぱちんと指を鳴らす。

 部屋は白い光に包まれ、その後は誰も部屋に残らなかった。


 

 

 

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