50 親友の激励
「っ、どうした? 何があった」
恐怖の表情で振り返ったその先。
階段の下からこちらを見上げていたのはリオンだった。
「せ、んぱい」
弱々しい震えた声が自分から出たことに驚く。
安堵から泣きそうになって唇を噛むと、リオンがすぐに駆け上がってきた。
足の痛みでまっすぐに立てないバニラの肩を抱くようにして支えたリオンは、バニラの様子に困惑しているようだった。
「姿が見えないからシャルに聞いたら、階段を上がっていったというから来た。なんだ。兄様と何かあったのか?」
心配しながら声をかけてくれるリオンにバニラは首を横に振る。
リオンに遅れて駆け上がってきた蛇のような男は、リオンに支えられたバニラを見て顔を歪めた。
「なんだ。今度はバディに慰められているのか。聖女様は気が多いな」
「なに……?」
リオンは顔をしかめて、すぐにハッとする。
腕の中にいるバニラを見下ろした彼は、男をにらみつけた。
「おまえ、何をした」
聞いたこともないような低い声に、バニラもぞっとする。
冷たい殺意を向けられた男は、バニラよりもびくりと体を揺らした。
「あんた、ただのバディだろ。俺はその子が好きなんだ。バディだからって色恋に首をつっこんでいいわけないだろ」
「色恋に首を突っ込むつもりはない。だが、俺のバディは怯えている上に怪我もしている」
そっとリオンに手を取られて、バニラはそこでようやく気づく。
男に押さえつけられていた手首には赤い痕がついてしまっていた。
「これは色恋沙汰の域ではないと思うのだが?」
赤く変色した手首を見せつけられて、男は顔をゆがませる。
「貴様の顔はよく覚えた。俺は記憶力には自信がある。おまえのことは教員に報告しておこう。処分を待つことだな」
リオンの宣告に、男は舌を打って階段を飛ぶように降りていく。
恐怖の対象がいなくなったことで、バニラのこわばっていた体から力が抜けた。
膝から崩れるように体勢を崩したバニラをリオンは文句も言わずに支えてくれた。
「おまえは……。なぜまたこんなことになっている」
「私、人生経験上モテたことがなくって……。もしかしたら対応を間違ってて、こういう感じになっちゃったのかもしれません。すみません」
「原因はどうでもいい。他人のわけのわからん感情などコントロールできるものではない。俺が言っているのは、なぜ俺に助けを求めないのかということだ」
「……先輩に、ですか」
リオンなら、きっと助けてくれるだろう。
わかってはいたが、咄嗟に浮かばなかったのは迷惑になるかもしれないと考えたからだ。
リオンはクーリアと共にダンスパーティーを楽しんでいる。
それなのに、こんなトラブルを持ち込みたくはなかったのだ。
「どうしてダンスパーティーの会場とは逆に駆け上がっている。降りてくれば、おまえを守ってやることくらいできた」
「先輩、楽しんでいらっしゃったので邪魔しちゃ悪いって思ったんです。クーリアも楽しそうだったから」
「なぜそこでクーリア嬢が出てくる」
「だって、ふたりが物語から出てきたみたいに素敵で、お似合いだったんですもん」
拗ねたような口調になってしまう自分の幼さが恥ずかしい。
付き合ってもいないのに、こんな嫉妬の感情を向けられてもリオンは迷惑だろう。
呆けているリオンに「もう大丈夫です」と言って、バニラは慌てて立ち上がる。
これ以上恥を晒したくない。
「おい、まともに歩けんだろう。足をひねったんじゃないのか?」
「大丈夫です。先輩はまだ楽しんできてください」
「おい!」
よたよたと歩き出したバニラをリオンが捕まえる。
視界が回って、ぼふりとリオンの胸に抱き留められた。
腰に回された腕がきつい。
ぬくもりが愛しくて涙が出そうになった。
「先輩?」
「そんな傷で帰すわけにはいかん。今だけでいい。俺の言うことを聞け」
切実な声は熱を持って掠れていた。
リオンにそんな声で言われて、聞けない話なんてなかった。
「まずは座れ。足を見せろ」
「……はい」
そっとバニラを離したリオンに従って、バニラは階段に座る。
リオンが「めくるぞ」と言ってドレスの裾を捲るところを見つめるのは、気恥ずかしかった。
相当慌てていたせいで、足首はひどくひねっている様子だ。
リオンがガラス細工に触れるような手つきで足をとり、そっと足首を動かしただけでも激痛がして指先が反った。
「治癒術をかければ多少はましになるかもしれんが、処置して安静にすることが一番だろう。手首はどうだ?」
「押さえられただけなので、赤くなってるだけです」
言われてリオンに片手を差し出すと、リオンはその手を掬い取って、じっと見つめる。
慈しむように赤くなった痕を撫でて、眉を下げた。
「折れそうなくらい細いな。本当に、折られてしまわなくてよかった」
バニラよりもバニラの身を案じてくれている様子のリオンに、バニラは照れてうつむいてしまう。
その視界の端で、リオンは立ち上がると何の躊躇いもなくバニラの膝裏に手を差し込んだ。
「え、ちょっと!? 先輩!?」
「歩かせるわけにはいかんだろう。即、治療だ」
体に浮遊感が訪れる。
リオンは細身の体でバニラをひょいと、いとも簡単に持ち上げていた。
「いや、歩けますよ! 大丈夫です!」
「共に恥をかいてもらうぞ。会場を突っ切って帰る」
「え、ええええ」
宣言通り、リオンは階段をずんずん降りていく。
重くないだろうかとハラハラしているバニラを余所に、リオンは会場へと続く階段を降り始めた。
ざわついていた会場でバニラたちを見つけた参加者たちが、黙り込む。
やがて静まった会場に、リオンはバニラを横抱きにしたまま降り立った。
「バディが怪我をした。お騒がせして申し訳ないが、早めに失礼させていただきます」
静まりかえった会場の真ん中をリオンはそのまま突っ切りだした。
クーリアとエドガー、そしてシャルルもぽかんとこちらを見ている姿を発見してしまってバニラは羞恥で爆発しそうになる。
救いを求めるように見上げたリオンはバニラを見下ろして、口だけで「問題ない」と声を出さずに返してくれた。
*
リオンが会場を突っ切ったのは、バニラの羞恥心を爆発させるためではないことはすぐにわかった。
医務室へのルートとして最短だったからである。
方向音痴のリオンは、このルートを通らなければ迅速に医務室へたどり着けなかったのだろう。
誰も居ない夜の医務室に、リオンは断りもなく入り込むと、薬草を練り込んだ湿布を取り出す。
椅子に座らされたバニラにドレスをたくしあげるように声をかけ、ひざまずいたリオンは足首にその湿布を貼ってくれた。
「これで一晩様子を見よう。手首の方も薬を塗る。手を貸せ」
「自分でぬれますよ……?」
「今だけでいいから、俺の言うことを聞けとさっき言ったぞ」
さっさとしろと言わんばかりに、ひざまずいたままのリオンが手を差し出してくる。
その手に手を乗せると、リオンは取り出した軟膏を手首に塗り込み始めた。
すべる感覚が気持ちいい。
「怖かっただろう」
ぽつりと呟かれたリオンの言葉にバニラは顔を上げる。
手首を見ていたリオンは「もう片方」と言ってバニラに、もう一方の手を要求してくる。
慌ててもう片方の手も差し出すと、リオンは同様に丁寧な手つきで手首に軟膏を塗り込んだ。
「突然男に迫られて怖くないはずがない」
「こ、わかったです」
こくんとバニラが頷くと、リオンは手は握ったままにバニラを見上げた。
「何もされなかったか?」
「はい。すぐに逃げたので」
「そうか。よかった。よく逃げたな」
安堵した表情をしたリオンが立ち上がりざまに頭を撫でてくれる。
恐怖で堅くなっていた心をリオンの手が溶かしたように、心が緩んだ。
「クーリア嬢とは、何もない」
軟膏の瓶を棚に戻しながら、リオンは言い訳のように口にする。
「恥にならないよう、ダンスは練習してそれなりに仕上げたが、それだけだ。ただの友人なのだから、おまえが気にする必要はない。バディなのだ。遠慮なく俺に助けを求めろ」
視線をそらして、気まずそうに言葉を尽くすリオンにバニラはパチパチと目を瞬かせる。
バニラの態度に「なんだ」と不快そうな声を出す彼がかわいくて、バニラはくすくすと笑ってしまった。
「なんだか、浮気を詰められた旦那さんみたいな顔してたので、嬉しくって」
「自惚れるな、阿呆が」
むっとした表情を見せたリオンは、再びひょいとバニラを持ち上げる。
「重くないでしょうか……?」と控えめに訊ねると、「俺を馬鹿にするな」とだけ言ってリオンはそのままバニラを自室にまで運んでくれた。
「ドレスは自分で脱げるか?」
「難しかったら脱がしてくれます?」
「……目隠しを用意しなければならん」
「冗談ですよ」
最後まで心配してくれるリオンをからかうと、彼はじとりとした目でこちらを見てくる。
真面目で優しい彼がやはり大好きだ。
「阿呆にこれ以上付き合えん。とっとと寝てしまえよ」
「先輩と踊りたかったです」
自室を出て行くリオンの背にぽつりと声をかけると、リオンは立ち止まる。
そのまま出て行ってしまうかと思っていたのに、彼は振り返ってくれた。
「おまえを会談で見つけられたのは、おまえがびっくりするほど綺麗に踊れていたからだ。フリータイムのダンスに誘うためにおまえを探していた」
「え?」
「ダンスの約束は足が治ってからだな」
ダンスパーティーは、苦い思い出ばかりのイベントであったが、リオンのおかげで今年はいい思い出になった。
出て行くリオンに「はいっ」と頷くと、彼は満足そうにして今度こそドアを閉めた。
*
翌朝。
早い時間にバニラたちの部屋の戸がたたかれた。
早めに湿布を貼ったこともあってか、バニラの足の痛みは大分引いている。
手首の痕も残らず、湿布を貼れば普段通り歩けるほどに回復したバニラの怪我を確認して、リオンはほっとしていた様子だ。
朝食を食べてゆっくりしていたところへのノックに対応したのは、バニラだった。
「は~い。あれ、どうしたの?」
ドアを開けると、そこに立っていたのはクーリアとエドガーだった。
腕を組んだクーリアは、拗ねたような諦めたような、微妙な表情をしている。
後ろに控えたエドガーは眉を下げたまま、何かを抱えていた。
ドアを開けたままバニラが首を傾げると、クーリアはため息をこぼしてから告げた。
「約束通り物々交換をしに来ましたの」
「物々交換?」
そんな約束していただろうか。
バニラが考え込んでいると、クーリアはドアを閉めるように手で促す。
指示通りに体ごと共用廊下に出て、後ろ手にしっかりとドアを閉めると、クーリアはエドガーが持っていた何かを受け取ってバニラに差し出した。
「ベストパートナー賞のトロフィーですわ」
「おめでとう、バニラ」
「え? え? ベストパートナー賞?」
ドウェインとのダンスでベストパートナー賞がとれたとは思えない。
諦めていた賞が転がり込んできたことに、バニラが目を白黒させていると、クーリアがため息交じりに説明してくれた。
「バニラとドウェイン先生が獲得したんではありませんのよ。バニラと、リオン・フラメル様が獲得しましたの」
「私と先輩が? 踊ってないのに?」
「最も輝いていたふたりに贈られる賞だからな。あの日一番輝いてたのは、お姫様抱っこされてるバニラと抱えたまま堂々と階段を降りてきたフラメル様だったことは、全員異論なしだ」
確かにあの日、リオンとバニラは目立ちすぎるほどに目立ちすぎた。
深紅のドレスの聖女を赤い瞳の賢者が抱えて階段を降りてくる。
それだけ聞けば、その光景は神聖なものに思える。
実際は羞恥心で死にかけていたのだが、受け取ったトロフィーには確かにバニラとリオンの名が刻まれていた。
「ほんとだ……。私、ベストパートナー賞とれたんだ……」
「あなた方がいない会場で、代理人としてこのトロフィーを受け取る屈辱を考えまして? ほんっとうに悔しいことのこの上ないですわ」
鋭く言うクーリアに「ご、ごめん」と苦笑いをこぼすと、クーリアは頭を抱える。
しばらくそのまま額に手を当てていたクーリアは、バニラに近寄ると、そっと抱きしめてくれた。
「怪我をしたと言っていましたわね。大丈夫でしたの?」
「うん……。ありがとう、クーリア」
「あなたは危なっかしくて、神経が太い、私の大事な大事な友人ですわ。あなたに負けるのならば、仕方ないと思わせてくれたことに感謝いたします」
「うん」
バニラは静かに頷く。
クーリアに今渡せる言葉を、バニラは持っていなかった。
「リオン・フラメル様への想いは封じますわ。これからは、私はあなたと彼が結ばれることを支援いたします。約束通り、このトロフィーと魔石は交換ですわ」
体を離したクーリアが手を差し出してくる。
バニラは、虹色の魔石をエドガーの分も合わせた二つ、鞄から取り出してクーリアに手渡した。
「確かに受け取りましたわ。この石が虹色に光ったら、私は『青い結晶』をこの身に吸収してでも、すべての魔力をバニラに送りますわ。あなたが勝たなければ、私が身を引く理由がありませんもの。絶対に魔力測定会では、あなたが勝つんですのよ」
「任せて。絶対に先輩に勝って結婚してみせるから」
バニラは戦場に赴く騎士のように気高く、勇ましい笑みを浮かべてトロフィーを抱え直す。
クーリアはその姿を見て、優しげに目を細めた。
その目尻には一粒の涙が輝いていた。




