49 花の戦場
そして、バレンティアのダンスパーティーの日が訪れた。
日の落ちた月が輝く時間。
いつもは集会などで使われるホールがダンスホールへと変わる。
煌びやかな装飾が施されたダンスホールにバニラはドウェインと訪れた。
「いざ、尋常に勝負ですね」
「いやはや。ダンスパーティーなのにバニラ君は戦場に行くみたいな顔だなぁ」
眉をつり上げて勇んだ表情をするバニラの横で、ドウェインが穏やかに笑いかける。
「ベストパートナー賞を狙うなら、入場の時からの印象は大事だよ。せっかくこんなに綺麗なドレスをもらったんだから、聖女らしくたおやかに微笑んでいれば、魅力は満点だ」
「はい」
ドウェインの言うことはもっともだ。
バニラはできるだけふんわりと笑むと、既に多くの人々で賑わっているダンスホールへと足を踏み入れた。
少し遅れて登場することを選んだのは、ドウェインがその方がいいと言ったからだ。
バニラのドレスは、クーリアとエドガーが作らせた特注品だ。
月色の髪に映える深紅のドレス。
あどけないバニラの顔が際立つ大人の艶を感じさせるそのドレスは、本当に美しかった。
腰からふんわりと広がる裾を持ち上げ、ドウェインにエスコートされたままバニラは会場に続く階段をゆっくりと降りる。
「それだけ綺麗なら、あとから登場した方が注目してもらえるんじゃないかな」と言っていたドウェインの言葉通り、周囲の視線がバニラに集中しているのがわかった。
「あれが、あの落ちこぼれの……?」
「あんなに綺麗な子だったの?」
「本当に聖女様だったんだ……」
ざわざわと聞こえる声が自分を賛辞しているのはくすぐったい。
慣れない褒め言葉に、バニラは顔をあげられなかった。
そっと会場に降り立つと、ドウェインが自慢げに微笑んでバニラを連れていく。
人並みがかき分けられるようにバニラたちから退く中、たたずんだままなのはリオンとクーリアだ。
「バニラ。本当に綺麗すぎてびっくりしてしまいましたわ。似合うとは思っていましたが、ここまでとは……。負けていられませんわね」
挑戦的に笑むクーリアも銀の髪をアップにし、美しい紺色のドレスに身を包んでいる。
隣に立つ燕尾服を着たリオンは呆けたような表情で、バニラをじっと見つめていた。
「私も、負けないからね」
にっと笑ったバニラは猛特訓を積んできた。
今日は腰や足が痛くて、シャルルに摘んできてもらった薬草を食べまくったほどである。
そのシャルルはというと、パーティーに潜入してごちそうを食べながらバニラを見て遠くから拍手を送ってくれていた。
歓談の時間は、バニラたちが遅れて入ってきたこともありすぐに終わる。
ワルツのリズムが流れ始めると、パートナーが連れだってホールの中心へと歩いて行った。
「クーリア嬢。俺と踊ってくれるか?」
「喜んで」
背の高いリオンが軽く膝を折って、クーリアに手を差し出してダンスに誘う。
可憐に微笑んだクーリアがその手をとって歩いて行く姿は、美しすぎて眩しいほどだった。
「う、うう。先輩かっこよすぎる」
「おやおや。バニラ君。君のパートナーは俺だよ」
リオンに見惚れていたバニラの隣にいたドウェインは前に回り込むと、バニラにそっと手を差し出す。
燕尾服を着たドウェインはいつもの適当さはなく、どこからどうみても貴族紳士だった。
「バニラ君。本当に綺麗だよ。こんな先生でよければ、踊ってください」
「よ、喜んで」
照れてぎこちなく頷いたバニラをくすくす笑って、ドウェインがホールの中心に連れて行く。
流れるようにダンスは始まった。
練習を積み重ねてきた結果、バニラは肩の力を抜くことにも成功するようになった。
体をぐっと寄せることの羞恥心もだいぶなくなっている。
恥を感じるより美しく踊ることの方が重要だと頭に言い聞かせれば、ステップに集中できた。
深紅のドレスはバニラが動く度にふわりふわりと揺れ動く。
まだ熟練されていない足さばきをカモフラージュしてくれるドレスの美しさに感謝しつつ、バニラは横目にリオンとクーリアを見た。
ふたりはまるで物語から飛び出したような美しさだった。
聖女であり、美しいドレスを身にまとったバニラを見ている者ももちろんいる。
だが、リオンとクーリアの華やかさは一段違う。
完璧で余裕のある足取り。
微笑むクーリアは相変わらず美しく、銀の髪と共に紺のドレスが靡く姿は芸術だ。
しっかりとクーリアの体を支えて揺れ動くリオンも、いつもの無愛想さは感じさせない柔和さをまとっている。
バニラの目に、ふたりは完全にお似合いカップルに見えた。
「うああ……、ドウェイン先生。私たちベストパートナー賞なんてもらえるんでしょうか」
「期待はしない方がいいだろうね。リオンは邪竜を封じた賢者、そしてパートナーは邪竜のいた領地の伯爵令嬢だ。さしずめ勇者と姫。よっぽど俺たちが素晴らしいダンスをしなければならなかったんだろうけど、俺のダンスも人並みだからね」
「ごめんね」と眉を下げてこちらを見るドウェインに、バニラは首をぶんぶん横に振る。
頑張って練習してきたのだ。
悔しくないとは言えないが、素敵すぎるリオンに付け焼き刃のダンスで勝てるはずもない。
バニラはこの敗北に納得していた。
「ドウェイン先生はたくさん練習に付き合ってくださったじゃないですか。私なんかと踊ってくださって、ありがとうございました」
「君と踊れて役得なのは、俺の方なんだけどな」
勝敗は決したようなものだった。
バニラは負けを確信しながら、ダンスを楽しむことに徹した。
魔石をクーリアとエドガーに受け取ってもらえないとなると、『虹の絆』を使ってもリオンに勝てる魔力量には達しない可能性が高い。
どうにかしなければならないが、そのための思案を巡らせるのは、ダンスパーティーが終わった後でもいいだろう。
ドウェインと微笑みあってダンスを終えたバニラは、エスコートされて壁際へと戻る。
フリータイムがはじまり、ダンスを楽しむ者、食事を楽しむ者に別れる中、バニラは一息を吐いてドウェインに礼を言った。
「ドウェイン先生、お付き合いくださって、ありがとうございました。楽しかったです」
「俺も楽しかったよ。バニラ君はダンスがとても上手になった。努力した結果として、それだけは確かなんだ。気を落とさないでね」
「はい」
毎年ドウェインと一緒にパーティーに参加しているから、バニラにはわかる。
ドウェインはこの後に教師たちと一緒に歓談しなければならないのだ。
ドウェインにとって、バレンティアは職場である。
生徒であるバニラの傍に、ずっと控えているわけにはいかないのだ。
バニラに微笑みかけたドウェインはバニラの耳元に唇を寄せる。
「本当に綺麗だった。俺のものにしたいくらいだったよ」
「へ?」
囁かれた声に驚いて見上げると、ドウェインは冗談っぽく口角をあげる。
「それじゃ、また」と言って去っていたドウェインが給仕係から、さっとグラスを受け取るのを見届けながら、バニラは少し呆然としてしまった。
「イケメンの暴力だ……」
呆気にとられていたバニラは、リオンを探す。
フリータイムなのだ。
踊ってくれても構わないだろう。
ダンスに誘いたくて探したリオンはすぐに見つかった。
彼は人混みでもみくちゃにされていた。
「リオン様! ぜひ、ぜひ私と踊ってください!」
「クーリア様、俺と一曲だけ!」
パーティーで圧倒的に目立っていたふたりには、続々と誘いの声がかかっている。
控えていたエドガーが「並んでください!」と列整備をしているのが、なんだか滑稽だ。
リオンが一瞬こちらを見る。
目が合った気がしたが、リオンはすぐに目の前の女子に声をかけられて視線をはずしてしまった。
「先輩、忙しそうだな……」
「聖女様!」
ぽつりと呟いたバニラは、はたと気づく。
そういえば、自分も今をときめく有名人だったのだ。
「聖女様、僕と踊っていただけませんか?」
「こちらで一緒にお酒はいかがでしょう?」
「疲れましたでしょう、ぜひ一緒に中庭へ……」
気づけばバニラは囲まれていた、じりじりと迫ってくる男性陣が浮かべている微笑みはキラキラしているのに不気味だ。
バニラは、さっと青ざめるとドレスの裾をたくしあげた。
「い、いえ! 結構でっす!」
人混みをかき分けるように走り抜ける。
お相手探しでざわめくパーティー会場の階段を駆け上がり、バニラは人気のないバルコニーを見つけると飛び出した。
ドレスがこんなに重たいものだとは思わなかった。
貴族の令嬢様方は大変だ。
弾んだ息を整えて、空を見上げる。
夜空に浮かぶ星の中に赤い星を見つけて、バニラは手を伸ばした。
「負けちゃったかな……」
圧倒的にクーリアに有利な勝負だった。
それをわかっていて受け入れたのはバニラだ。
負けても仕方がないとは思っていたが、やはり悔しいものは悔しい。
勝敗よりも、リオンとクーリアがあまりにもお似合いだったことが何より悔しかった。
「魔力測定会では絶対に勝ちます」
神に誓うように口にして、赤い星を掴むように手を握る。
心の中の不安を拭うように目を閉じると、何者かが後ろに立ったのがわかった。
「誰? っ!」
振り返ったバニラは、そのまま腕を強く引かれる。
ぐらりと体勢が崩れて、転ぶかというところで体を反転させられた。
視界が回って、どういう状況なのかがわからない。
背中に何かがぶつかった衝撃を感じたときには、バニラは壁際に追い詰められていた。
「なに!? いたっ」
ぐっと壁に体を押しつけられて身動きがとれない。
突然のことにバニラが混乱しながら顔をあげると、そこにはバニラに告白をしてきた男が立っていた。
「本当にかわいいな……。ダンスもとっても魅力的だったよ。どうして教師となんか組んでいたんだい? 年上が好みなのかな?」
「離してください」
両手首を片手でまとめられて頭上に縫い付けられたまま、バニラは男を睨む。
蛇のような顔をしたその男は、ぬろりと舌で自身の唇を舐めた。
「踊ってくれないというのなら、ここで既成事実をつくるまでさ」
にんまりと笑った男にバニラの背筋が粟立つ。
男の唇が迫ってくる。
顔を背けると、無防備になる首筋に吐息がかかって恐ろしかった。
身をよじっても男の力に叶わずに、手を離してはもらえない。
バニラは意を決して、男の顎めがけて力一杯の頭突きをかました。
「がっ、こいつ……!!」
突然の痛みに男が手を離した隙にバニラは『氷結する世界』を使用する。
恐怖に浅くなる息で肩を弾ませながら、バニラはおぼつかない足で駆けだした。
ダンスホールに戻ればいいだろうか。
一瞬そう考えたが、あの人混みでは影に連れ込まれても気づいてもらえないかもしれない。
ドレスの裾を持ち上げて、バニラは更に上階へと駆け上がる途中でバランスを崩した。
「うぁっ、いったぁ……」
重いドレスと慣れないヒール。
精神的に焦っていたこともあるのだろう。
思い切りひねった足には激痛が走ったが、それでもバニラは立ち上がる。
この階段を駆け上がれば、校舎へと通じる渡り廊下があったはずだ。
そこを渡りきれば、どうにかあの男からも逃げられるかもしれない。
華やかなダンスパーティーで、男からひとりで逃げているという状況に惨めになりつつも、どうにか立ち上がって歩き出したバニラは『氷結する世界』を解いた。
長時間魔術を使用して魔力と体力を減らすよりも、今は痛む足をどうにかして動かすことに集中したほうがいいという判断だった。
足首が熱を持っている。
長い階段をあがっていたバニラは、後ろから来る気配に恐怖の表情で振り返った。




