48 ダンスの練習
「はあ……」
「さすがにため息が多すぎますわよ……」
ダンスの練習の休憩中。
「すまない」と頭を抱えながらも、またため息をこぼしたリオンは迂闊だった自分を責めているところだ。
リオンはバニラとバディを組む前から密やかにバニラのことを見ていた。
当然彼女がダンスパーティーで毎年、兄であるドウェインとパートナーを組んでいることは知っていた。
友人はいない様子だったバニラは、パートナーを組める相手がいなかったのだろう。毎年、担任であるドウェインとパーティーに出席していた。
バニラは、いつも壁の花になり、必要な時間だけ参加してからとっとと帰っていた。
ドウェインはファンクラブも存在する人気教師だ。
彼と踊れば、嫉妬の対象になって面倒なことになることが、バニラにもわかっていたのだろう。
だが、今回は違う。
昨日のバニラは何故か大張り切りで「ドウェイン先生とベストパートナー賞を目指します」と語ったのだ。
リオンはクーリアと組んでしまった以上、今まで通り担任であるドウェインがバニラに声をかけて、仕方なくふたりがパートナーを組むところまでは、嫌ではあったが想像していた。
だというのに、今回はバニラから声かけをしてドウェインと組んだというのだから驚きだ。
しかも、もうドウェインとはダンスの練習をしたというではないか。
あの小さな体がドウェインの腕に包まれたのかと思うと、頭がおかしくなりそうだ。
「何を落ち込んでいらっしゃいますの? 疲れました?」
「いや、問題ない……」
「あ、そういえば、バニラのパートナーが決まったそうですわね。ドウェイン先生だとか。噂になっていましたわ」
クーリアとしては悪気のない世間話だったのだろうが、リオンにとって今はその話は地雷だ。
「ああ……」とため息と返事が入り交じったかすれ声を返すと、クーリアは苦笑いをこぼした。
「フラメル様はドウェイン先生とは昔から確執がありますわよね。その嫌がりようでは、『呪われた兄弟の一族』という噂にも納得してしまいそうですわ」
「知っていたのか」
「一応フラメル家のあるアレイアード領領主の娘ですもの。根も葉もない噂ですけれど、仲が悪すぎて疑ってしまいますわ」
微笑むクーリアにリオンは目をそらす。
あながちただの噂というわけでもないところが、この噂の怖いところだ。
「兄様はすごい方だ。魔術師としての才能は他に類を見ない。研究者としての才能も両親以上だ。最初に邪竜を封じた賢者は、きっと兄様のような方だったんだろうと思う。……だからこそ、あいつとあまり関わってほしくはない」
「ドウェイン先生は穏やかな方だと思いますわよ」
狂気の魔術師である賢者とドウェインは、きっと似ていたはずだ。
リオンはそう確信しているが、クーリアはそうではないらしい。
首をかしげるクーリアにリオンは唸った。
「あいつを兄様にだけは渡せない」
言うだけ言って、再び頭を抱えるリオンに今度はクーリアがため息をこぼす。
「もう。とっとと付き合ってくださればいいものを」
「ん? ああ、そろそろ練習をするか。すまなかった」
クーリアのぼやきをダンス練習に身が入っていない自分に向けられたものだと解釈したリオンが立ち上がる。
困った顔でため息を吐いたクーリアは、リオンが差し出した手を嬉しそうに取った。
*
場所は変わって薬草園では、いつもの砂を掘る音や水をくむ音とは違う音が聞こえていた。
足が土を一定のリズムで踏む音。
バニラはドウェインとここでダンスの特訓に励んでいた。
「バニラ君は思ってたよりもセンスがないね」
「う、運動は苦手でして……」
バニラは、想像以上に苦戦していた。
勉強にばかりしてきたバニラは、優雅なダンスも結構な運動なのだということを初めて知った。
それに何より、思っていたよりも相手との距離が近い。
リオンを抱きしめたり抱きしめられたり、魔力供給とはいえキスまでしてしまったが、ここまで冷静な状況で異性と向き合うのは初めてのことで、バニラは照れが勝ってしまってうまく踊れないでいた。
対して、ドウェインのダンスは完璧だ。
今までずっとダンスパーティーではパートナーを組んできたが、周囲から嫉妬を買うことが恐ろしく、ダンスは遠慮してきたのだ。
彼の優雅な足さばきに、バニラは彼が本当に貴族なのだということを思い知った。
「バニラ君は照れ屋だね。もっとこっちに寄ってごらん。体を寄せないと社交ダンスなんてできないよ」
「は、はいっ。でも、あの踏んじゃいそうで……」
「できるなら踏まないでもらいたいところだけれど、レディに踏まれて怒るようなら貴族紳士は務まらないよ」
微笑んだドウェインが、バニラの背に回した手をぐっと引き寄せる。
おなかとおなかがくっつくような距離感にバニラは照れて真っ赤になりながらも、ステップを踏んだ。
「そう。俺の足と同じように足を動かせばいい。緊張しないで体の力を抜くんだ。慣れないことは男に任せておけばいい」
ドウェインはわざとバニラの耳に吹き込むように話しているようにしか見えない。
吐息が耳にかかると、くすぐったくて身をすくめてしまう。
それがまた恥ずかしくて、バニラはうまくステップが踏めそうにもなかった。
なにより、ドウェインの顔がリオンに似て、たいへん整っていることが悪いのだ。
「う、うう、せ、先生。あの、ちょっと近いです」
「おや。人をセクハラ魔みたいに。ダンスなんだから当然だよ。早く慣れなさい」
くすくす笑うドウェインは、バニラの顔を覗き込んでくる。
バニラは誓ってリオン一筋なのだが、一筋であるが故に、この兄の顔がリオンに似ていることが心臓に悪いのだ。
「こ、こんなので私、ベストパートナー賞をとれるでしょうか?」
「ベストパートナー賞がほしいのかい? 君がそんな名誉にこだわる子だとは思っていなかったな」
意外といった様子でドウェインは眼鏡の奥の目を丸める。
バニラは、こくんと頷いた。
「あの、実は先輩に勝ちたくて……」
「リオンにか。そういえば、今年はバニラ君はリオンと組むんだとばかり思っていたよ」
「先にクーリアと組んじゃったんですよ、先輩ったら」
「なるほど。ちょっと離れてみたんだろうね」
訳知り顔で頷いたドウェインは、バニラの体を支えたままにくるくるとターンをする。
身を任せていればいいと言った通り、ドウェインのリードは完璧だ。
たどたどしい足つきながらも、バニラもターンすることができた。
「うん。このままじゃベストパートナー賞は厳しいだろうね。十中八九、見目もいい、ダンスもそれなりのリオンとクーリア嬢がベストパートナー賞だ」
「そ、そんなぁ」
にこりと笑んで、バニラも思っていたことを言ってくるドウェインにバニラは肩を落とす。
「あはは」と愉快そうに笑って、ドウェインはバニラに更に体を寄せてくる。
ドウェインの体温が伝わってきて、体が熱くなった。
「諦めないことだね。ダンスパーティーまで、俺も諦めずに付き合ってあげよう。バニラ君はかわいい顔してる上に、今をときめく聖女様なんだから。話題性で勝てるかもしれない」
「ありがとうございます。がんばります」
バニラも意を決して、ドウェインの手を握る手に力を込める。
ふっと笑ったドウェインは、バニラの耳に「ほら、力抜かなきゃ」と甘く声をかけた。
バニラは元来、夢中になると周りが見えなくなるタイプである。
休憩を挟みながらも付き合ってくれるドウェインに感謝しつつ、練習を積み重ねること数時間。
薬草園に注ぐ明かりが日の光ではなく月の光になっていたことにも気がつかなかった。
そして、ドウェインと踊る自分を見つめるリオンの視線にも気がついていなかったのだ。
「バニラ君。もっと腰をこっちだよ。恥ずかしがらないで」
「うぁ、はい」
「そう、いい子だね」
「そろそろ夕飯を食べに帰ってもいいのではないか」
ささやくドウェインの声に従って、身を寄せていたバニラは突然かけられた声にハッと顔をそちらに向ける。
腕を組んでこちらを睨むリオンに、バニラは浮気を目撃されたような気持ちになった。
「せ、先輩! どうしてここに」
「やあ、リオン。バニラ君だいぶ上達したよ。見ていってもいいんじゃないかい?」
「充分見させていただきました」
咄嗟に体を離そうとしたバニラの背に回した手をぐっと引き寄せつつにこにこするドウェインにリオンは絶対零度の視線で返す。
相変わらず仲の悪い兄弟に挟まれて、バニラが「あ、あのう」と困った声をあげると、ドウェインは楽しそうにバニラを解放した。
「リオンの言うとおり、今日はもう充分だね。疲れただろう? 俺も久しぶりに熱が入っちゃったよ」
「ドウェイン先生、明日もよろしくお願いします」
「うん。明日は恥ずかしがらずに、もっと楽にね」
「はいっ」
ぴしっと背筋をただしてお礼を言ってから、バニラはリオンの元に駆け寄る。
不機嫌そうなリオンの前に飛び跳ねるように駆けていったバニラは満面の笑みを見せた。
「先輩! 迎えに来てくださるなんて嬉しすぎます」
「ああ。夕飯が冷めるからな」
さっぱりとした口調で言ってリオンはすぐに踵を返す。
やっぱり愉快そうに手を振るドウェインに、もう一度お辞儀をしてから早足に歩き出したリオンに追いつくと、リオンは眉をしかめて唇を歪めていた。
「先輩? おなか減りました?」
「なんでだ」
「私が早く帰らなくてごはんが遅くなったから怒ってるのかと思いまして……」
「俺は子どもか」
呆れたような口調で言って、リオンはため息を吐く。
薬草園を出て、寮へと続く庭を突っ切りながらも怒っている様子のリオンにバニラが緊張していると、リオンは頭を抱えて「すまん」と口にした。
「おまえが悪いわけではない。俺が悪い」
「先輩が悪いんですか?」
「自分の感情もコントロールできないんだ。幼くて嫌になる」
前髪を掴んでため息をこぼしたリオンの苦悩は、バニラにはわからない。
話してくれる気はなさそうなリオンに、バニラは無理強いをするつもりもなかった。
「先輩。いつからダンス見てましたか?」
「だいぶ前から見ていた。おまえ下手だな」
「なっ、失礼な!」
リオンの気持ちをそらすことはできないかと提供した話題に、リオンは鼻で笑って返事をする。
確かに上手ではないだろうが、だいぶ練習したのだ。
鼻で笑われるほどではないはずである。
「緊張しすぎだ。体が硬すぎる。俺も大してうまくはないが、あれではベストパートナー賞は厳しいだろうな」
「先輩も上手じゃないんですか?」
「クーリア嬢との練習では俺が足を引っ張っている。俺は外に出る予定はなかったからな。兄様の練習を隠れ見て、外に出たときのために練習していただけだ」
貴族であるリオンには、てっきりダンスの講師がついていたのだと思っていたが違うらしい。
自主練で体得したというそのダンスがバニラは気になってしまった。
「先輩。ダンス教えてくださいよ」
月明かりが注ぐ庭で立ち止まり、バニラはリオンに手を差し出す。
少し進んだところで立ち止まったリオンは驚いた様子で目を大きくし、逡巡してから手を広げた。
無言は了承だ。
そっと近寄ってバニラがリオンの左手に右手を重ねると、リオンの手が背中に回る。
無言で密着していることが、途端に恥ずかしくなったバニラの腰をリオンが引き寄せた。
「ホールドだけ見てやる。兄様も言っていたが、おまえは体が遠い。もっとこっちに来い」
「は、はい」
じりりと少し踏み出すと「もっとだ」と言われて半分抱き寄せられるように近づけられる。
つま先とつま先がくっつきそうな距離まで行くと、上半身はほぼほぼくっついてしまう。
ドキドキしていると、リオンに「力を抜け」と言われて慌てて肩の力を抜いた。
「近いな……」
「せ、先輩が来いって」
「そうなんだが、兄様とも……。いや、いい。基本的におまえは力の入りすぎだ。これでは肩がこるだろう」
言いながらもさらりとホールドの姿勢を崩して、すり抜けるようにバニラから身を離したリオンは気まずそうに頬を掻く。
遠くなったぬくもりが少し寂しかったが言わなかった。
「そういえば、おまえ。兄様と組んだことが噂になっていたぞ」
「あ、はい。わざと目立つところでドウェイン先生にパートナーになってくださいって申し込んだんです。これで追いかけられることもなくなるかなって」
バニラはパートナーに誘う際、あえて薬草園の中ではなく、廊下を歩いているドウェインに声をかけた。
周囲に見せつけるように誘ったのは、バニラはドウェインとパートナーを組んだということを知らせるためだ。
教師であるドウェインと例年通り組んだとなれば、バニラを追いかける男子生徒も諦めるだろうと考えたのだ。
去年までは嫉妬の対象になることを恐れてダンスは踊っていなかったが、今年は聖女という称号を与えられ、テストでも優秀な成績を残しているため、そこまで表だった嫌がらせを受けることもないだろう。
計算の上で流れるべくして流れた噂だ。
バニラの意図を理解したのだろうリオンは「なるほど」と得心した様子で頷いた。
「それで、追いかけられることは減ったか?」
「はい。作戦通りです」
未だしつこいのは、バニラに末永くパートナーになってほしいと願ってきたあの蛇のような顔の男子生徒だけである。
物好きもいるものだと放置中だ。
「ダンスパーティーでは、できるだけ兄様と離れるなよ。今のおまえは目立ちすぎる」
「先輩ってば心配性ですね」
「勘違いするな。バディが絡まれれば、俺にまで被害が及ぶ可能性があるだろう。予防策だ」
突き放すように言って、リオンは寮へと歩いて行く。
長い足に追いつけるようにバニラは駆けだした。
「もっとダンス教えてほしかったです」
「本番で俺をびっくりするくらい綺麗に踊るんだろう。そのとき踊る約束だ」
リオンはバニラの言った言葉を覚えてくれていたらしい。
びっくりするくらい綺麗に踊ったら、フリータイムで一緒に踊ってほしいとお願いしたときは興味がなさそうにしていたくせに。
そういうつっけんどんな優しさが、いつもバニラの胸をくすぐるのだ。
「はい。絶対に一緒に踊ってもらいますね」
ダンスパーティーはすぐに当日を迎える。




