46 戦いの幕開け
「助けて、クーリア!」
「な、なんですの!?」
バンレティアに冬が訪れた。
すっかり寒くなってしまった学園の庭を走っていたバニラは見知った顔を見つけて、その後ろに隠れる。
驚いた様子のクーリアの隣に立っていたエドガーは、「ああ」と納得した様子で、バニラをその高い背の後ろに隠してくれた。
追って聞こえてくるのは、ドタバタとした足音だ。
「あれ? 聖女様はこっち行ったんじゃなかったか?」
「絶対こっちのはずだ!」
「いえいえ、あちらだと思いますよ」
エドガーがぴっと見当違いな方向を指さすと、走ってきた男子生徒たちが「そっちか!」と大声をあげてそちらに向かって走り出す。
エドガーの後ろから顔を出して「ひえ~」と気の抜けた悲鳴をあげたバニラに、クーリアは腕を組んでため息を吐いた。
「モテモテではありませんの。聖女様」
バニラがこんなことになってしまったのは、バニラが聖女になったからである。
アレイアード領からバレンティアに戻り、ペーパーテストのために引きこもりとなって猛勉強をしたバニラは見事に秋のペーパーテストでも堂々一位を獲得した。
記述式の問題で、教師の想定以上の答えを書いたための加点もあり満点プラス二十点という前回を超える快挙を成し遂げると共にふたつめの試練もクリアすることができた。
その結果が巨大掲示板に貼りだされた頃には、アレイアード領の賢者と聖女の噂はバレンティアにも届いていたのである。
リオンのバディで得をしているという目で見られていたバニラにも聖女という称号が与えられたことに周囲は驚いていた。
バニラの度重なるペーパーテストでの快挙も重なり、バニラを見る目は大きく変わることになる。
なんと、バニラは出来損ない娘から一転モテ女へと変身を遂げることになったのだ。
それもこれも、冬のバレンティアにはダンスパーティーがあるのが問題なのである。
「モテモテっていうか、今話題の聖女とパートナーを組めば目立てるっていうだけの話だと思うよ」
からかっているクーリアにバニラはため息を吐きながらエドガーの後ろから出てくる。
このところ追い回される原因になっている件のダンスパーティーは、バレンティア恒例行事だ。
バレンティアには世間を知るためや魔力制御などその目的は様々であるが、クーリアのような貴族も通っている。
冒険者は泥臭い仕事ではあるが、社会経験としてダンスパーティーという行事を冬に行うことになっているのだ。
ダンスパーティーではバディとは関係なく、男女でパートナーを組んで出席することが義務づけられている。
バニラにとっては毎年誰とも組めず、担任のドウェインと出席して恥をかきつつ嫉妬されるという最悪な状況をつくりだしてきた苦い思い出しかないイベントだ。
しかし、今年は鬱陶しいほどに引く手数多である。
「いや、元々バニラはかわいい顔してるから密かに好きだったって人も多いんじゃないかと思うぞ」
「そんなこと言ってくれるのはエドガーだけだよ」
「ドレスは私が完璧なものを準備中ですわ。楽しみになさってくださいましね」
にこにこしているクーリアとエドガーは、バニラの体のサイズを先日隅々まで測りに来たばかりだ。
ダンスパーティーのドレスなんて、バニラにとってはどうでもよかったのだが、ふたりはそうではなかった。
アレイアード領を救った聖女であるバニラに、少しでも恩返しがしたいとドレスの準備を申し出たふたりは全力だ。
「それで、バニラ。あなたダンスパーティーのパートナーは決まりましたの?」
「ううん。ダンスパーティーより魔力測定会の方が気になっちゃって」
「『虹の絆』は完成しましたの?」
「うん。アレイアード領で買ってもらった本がヒントになって完成したよ」
リオンとの決戦は魔力測定会で行われる。
バニラは古代術式を改造して作った新たな魔術『虹の絆』を完成させた。
クーリアが知っているのは、この術式を完成させるために、『青の結晶』も参考にさせてもらったからだ。
これさえ完成すれば、リオンに勝てるというその魔術『虹の絆』は、魔石に込められた魔力を受け取るというものだ。
ヘリオスに手渡した虹色の魔石はそのためのものである。
バニラが術式を起動するとどんなに遠方でも魔石が虹色に光る。
そのときに魔力を流し込むと、バニラに送り込まれるという仕掛けだ。
ヘリオスは納得して受け取ってくれたが、魔術師ではない彼の魔力は多くはない。
バニラはリオンに勝つためにも、味方を増やす必要があった。
「でも、魔石をまだ全然渡せてないんだよね」
「『虹の絆』は、魔石を通じて魔力をバニラに渡す感じの魔術なんだよな」
「うん。先輩には絶対内緒だよ」
「俺の魔力は人並みだけど、それでもよければ受け取るよ」
エドガーが優しい笑みを浮かべて手を差し出してくる。
リオンとの恋を応援してくれているその姿が嬉しくて、バニラは表情をぱっと華やがせて魔石を鞄から取り出した。
「ありがとう、エドガー! 私、絶対に先輩に勝って結婚……」
「お待ちなさい」
差し出した魔石をぐいっと押し戻したのはクーリアだ。
ツンとした表情をしたクーリアは顎をあげる。
彼女の表情は出会ったときに似た挑戦的なものに変わっていた。
「私がリオン・フラメル様をお慕いしているのは知っていますわね?」
「うん、知ってる。私たちは友達だけど、恋のライバルってやつだよね!」
「ええ、そうですわ。ですから、ライバルらしくバニラがリオン・フラメル様に勝つことを正直歓迎できませんの。私は負け戦はいたしません。ですから、告白はしないできました」
クーリアが告白をしない理由は負け戦はしない主義だからだという話は以前にも聞いた。
だが、なぜここでその話が出てくるのかがわからずにバニラはもちろんエドガーも首をかしげる。
クーリアはびしっとバニラ指さすと、眉をつり上げた。
「ですが、ダンスパーティーでパートナーを組むことで親密度をあげるということはできますわ。ダンスの腕でも、きっと勝てますわね。私は貴族令嬢。バニラ。あなたはダンスは踊れないと見ましたわ」
「うっ。よくご存じで……」
痛いところを突かれた。
去年までドウェインとパートナーを組んでいたが、一切踊ったことはない。
とにかく目立たないことに徹していただけのダンスパーティーだったのだ。
対して、クーリアは貴族令嬢。
ダンスの腕は確かだろう。
「私はダンスパーティーでリオン・フラメル様とパートナーを組んで、ベストパートナー賞を目指しますわ。その過程であの方との距離も縮めます。バニラも誰かと組んで、ベストパートナーを獲得できたなら、その魔石をエドガーはもちろん私も受け取りますわ。この勝負受けてたってくださいますかしら」
自信満々なクーリアをバニラは見つめる。
正直、この勝負はバニラにとっての負け戦だ。
ダンスパーティーでは、その日最も輝いていたふたりにベストパートナー賞が贈られることになっている。
幼い頃からダンスを叩き込まれてきたクーリアが同じく貴族であるリオンと組めたならば、バニラは実力で負けるしかない。
しかも、バニラはリオンを取られてしまったら誘える男性がかなり限られる。
だが、バニラはこの戦いを受けるしかなかった。
執事であるエドガーは心配そうな顔をしてはいるものの、主人であるクーリアが決めたことに逆らうわけにはいかない。
更にバニラは魔石を受け取ってもらい、『虹の絆』の協力者を得なければリオンには勝てないのだ。
この勝負を断ることはできなかった。
「わかった! 絶対に勝って、先輩との結婚を応援してもらうから、覚悟しててね。クーリア」
バニラとクーリアの間で火花が散る。
エドガーが「初めての女同士の戦い、おめでとうございます」と拍手をしていた。
こうして、アレイアード領での邪竜退治のあと、バニラはもっとある意味で過酷な女同士の戦いへ身を投じることになったのである。
*
「先輩は、誰と組むんですか!?」
その夜。
でかけていたリオンが帰って来るなり、バニラはリオンに飛びついた。
ほぼ襲いかかるような勢いの突進を受け流して、リオンは「何の話だ」と鬱陶しそうに答える。
説明不足だったと思い直して、バニラはリオンに向き直る。
「ダンスパーティーですよ。パートナーそろそろ決めなくちゃダメだよって、今朝ドウェイン先生にも言われちゃいました」
「おまえ、まだ薬草園に通っているのか。クエストポイントはもう充分だろう」
「充分なんですけど、薬草は必要なので。お手伝いに行ったら、無料でいただけるのでこれからも通い続けますよ」
「……そうか」
何やらリオンは不服そうだが、そんなことより今はダンスパーティーだ。
クーリアはリオンを誘うと言っていたが、どうなったのか。
「で! 先輩は誰と組むんですか!?」
「去年までは誘ってきた女に適当に返事をして、後はサボっていたんだがな。昼頃エドガーがやってきて、クーリア嬢からの手紙を持ってきたから承諾した」
「承諾!?」
「これだ」
クーリアはすぐに行動に出るだろうと思ってはいたが、リオンがすんなりパートナーを組むことを受け入れるとは思っていなかったのだ。
リオンはダンスパーティーなんて華やかなものは嫌うだろう。
去年までもバニラが観察していた範囲では、リオンを会場では見かけなかった。
今年も適当にサボるつもりなのだろうと思っていたが、リオンが差し出してきたクーリアからの手紙を見て、バニラは目を見開いた。
「ダンスパーティーで俺とパートナーを組みたいらしい。幼い頃から引きこもっていて、参加したことがないから不安なんだそうだ」
手紙には、まさにそのことが書いてあった。
クーリアは、その凄まじい呪術師の才能を持て余した結果、周囲の人間の心の声が聞こえるようになってしまっていた。
そのため、幼い頃はアレイアード家の離れで引きこもっていたのだ。
ダンスパーティーの参加経験がないということも理解でき、その当時の姿を知っているリオンが、それならば一緒に踊ってやろうという気持ちになるのも納得がいく。
リオンの隠れた優しい性格を知っているからこその作戦に、バニラは「うぐぅ」と悔しさから唸った。
「なにを変な声を出しているんだ、おまえは」
「先輩は私と踊りたくなかったんですかっ!? 私は先輩の将来の妻ですよ!」
「魔力測定会で俺が勝つのだから、それはありえん。ダンスパーティーも子どものお遊びだろう。おまえも適当にパートナーを見繕って、サボれ」
「そういうわけにはいかないんですよう」
がくりと肩を落とすバニラは、リオンに事情を説明するわけにもいかない。
リオンを倒すために編み出した『虹の絆』について、リオンにバレるわけにはいかないのだ。
クーリア達にも口止めをしてある以上、勝負のことを話して、何か勘ぐられるわけにもいかない。
それに勝負のことなんか話してしまって、リオンが本気でクーリアと踊ったりすることになんかなってしまえば、勝ち目はゼロにも程がある。
「なんなんだ」と訝しがるリオンをバニラは、キッと睨んだ。
「ダンスパーティーでは覚えてろですよ! 絶対びっくりするくらい綺麗に踊るので、びっくりしたら私をフリータイムのダンスに誘ってくださいね……!」
「ああ、びっくりしたらな」
リオンもバニラが踊れるとは露程も思っていないのだろう。
つまらなそうに言って、ソファーに腰掛けて魔術書を開いている。
絶対に勝つことを決意したバニラは、誰をパートナーにするかで頭を抱え始めた。




