43 決戦の覚悟
これほど自分の方向音痴を恨んだことがないというほどに迷ったリオンは、目的地であるシャルルの部屋の前にようやくたどり着いた。
ここに来た言い訳は、もう用意してある。
シナリオ通りではないからだ。
バニラにはリオンが姿を消すそのときまで、リオンに恋をして諦めずに三つの試練に取り組んでもらう必要がある。
そうしなければ、バニラは強くなれない。
強くなれなければ、バニラは自分の身を守る術を手に入れられず、近い内にうっかり命を落としてしまうかもしれない。
だから、今は止めに行くのだ。
そういう言い訳を、頭の中で繰り返した。
決して、嫉妬だとかそういう気持ちではないという言い訳をしていることはわかっていた。
ドアにかけられた鍵は魔術を使えば一瞬で破壊できる。
バキッと鈍い音を立てて折れた鍵が床に落ちるのを見つめるリオンは、もう自分を完全には騙しきれないでいた。
勢いよくドアを開いて、ベッドの上にいるバニラとシャルルを見つけた瞬間に喉が引きつったのが、その証拠だ。
「シャルル! やめろ!」
嫉妬、躊躇、困惑、焦燥、憤怒、悲哀。
様々な感情の込められた声は、想像以上に大きな音量となってリオンの喉から吐き出される。
ベッドの上でバニラに覆い被さっていたシャルルが、弾かれたようにこちらを振り返り、泣きそうな表情をした。
「むっつり先輩じゃねぇか……」
シャルルはリオンに咎められているというのに、どこか救われたような表情をしてバニラの上から、のそりと体をどける。
バニラの隣にそのままごろんと転がって、シャルルは顔を腕で覆った。
「危なかったぜ……。薬なんかで、この世で一番大切な女を泣かせるとこだった」
呻くように言ったシャルルは顔を覆ったまま少しの間黙って、意を決したように唇を動かした。
「なんで、止めた?」
「俺が生きている間は命の限り、こいつを守ると誓ったからだ」
「あんたはオレ様に、バニラを奪ってほしいのにか?」
からかうような口調でシャルルが言う。
腕を動かして目元を見せたシャルルの表情は、やはり泣きそうだ。
「むっつり先輩よ。オレ様はバニラを奪えねぇよ。こんなにあんたを好きなこの子を奪ったって、幸せになんかしてやれねぇ。むっつり先輩もバニラのこと好きなんだろ? なら、ちゃんと幸せにしてやってくれよ。この子はオレ様の一番なんだよ」
切実なその声は祈りにも似ていた。
リオンの胸に裂かれるような痛みが走る。
唇を噛んでも、その痛みは誤魔化しきれないほどに強かった。
「俺は、バニラに手を伸ばすわけにはいかない」
低くうなるような声に、シャルルは「くっそが!」と叫ぶ。
怒りに震えるシャルルにリオンは反論はできなかった。
「わけわかんねぇよ。なんで、あんたは殺されなきゃなんなくて、愛し合ってるバニラとは幸せになれねぇんだよ。どうして、あんたも抗おうとしねぇんだよ」
ベッドの上からこちらを睨むシャルルに、リオンは目を伏せる。
運命に抗う。
ひとりの身ならば、それは可能かもしれない。
だが、周囲を守りながら運命と戦えるほどリオンは強くはない。
リオンを殺す者は、リオンを苦しめるためならば、バニラもきっと簡単に殺してしまうのだろうから。
「だんまりかよ」
「……俺は運命に一度抗って、今ここに立っている。こいつとバディを組めているのも、運命に抗ったからだ。現状が最高。これ以上抗っても、更なる高みなんてない」
「むっつり先輩がそう思うなら、今はこれ以上はなんも言わねぇよ。オレも酔ってる。賢いあんたをやる気にさせる言葉も思いつかねぇ」
ぐっと体を起こしたシャルルは、ベッドで寝こけているバニラを抱え上げる。
不機嫌なままに小さな体をリオンに押しつけたシャルルは、リオンの目をまっすぐに捉えた。
「だが、約束しろ。バニラが三つの試練を乗り越えて、むっつり先輩に勝てたなら。そん時はつべこべ言わずに、自分たちのためだけに運命に抗え。幸せになれる最大限の努力をしろ。そうしなきゃ、オレ様の恋が報われねぇ」
「俺は負ける気はない」
力強くそう言って、リオンはシャルルの部屋を去る。
背中に「この頑固者!」という罵声が浴びせられたが、リオンは反論はしなかった。
*
祈りの宴は、竜の里の民たちが気持ちよさそうに寝始めて静かに終わろうとしている。
グイードも眠っていて、里は静けさに包まれている。
明日、リオンは邪竜を封印する。
必ずだ。
それは、バニラを竜族を滅ぼした血塗れ勇者の娘にしないためであり、バニラとまだバディでいるためであり、自らの死後にバニラを託す予定のシャルルを救うためであった。
リオンはバニラを間違いなく愛している。悲しいほどに。
「おい。着いたぞ」
散々、里の中を迷い歩いてたどり着いたバニラの部屋の前で、リオンはおぶったバニラに声をかける。
耳元で「ふふふ」と何やらいい夢を見ているらしいバニラが笑ったのを聞いて、リオンは部屋への侵入を決めた。
明日は決戦なのだ。
いつまでも、バニラを背負っているわけにもいかない。
女子の部屋に入るのは少々憚られたが、リオンはドアを開けることにした。
「なんだ、これは……」
バニラは旅慣れている。
遠征クエストに出るときも、彼女は最低限の荷物しか持ってきていなかった。
だから、バニラの部屋はすっきりしているとばかり思っていたのだ。
だが、現実は違った。
部屋中に散らばる紙と書籍。
大事そうに枕元に置いてあるのは、リオンが贈った魔術書だが、床に積まれているのは竜族の里で保管されていたものだろう。
勉強熱心だとは知っていたが、三日でここまで読んでいることに驚いた。
床に落ちている紙に書かれたのは、無数の術式だ。
リオンが依頼していた『氷結する世界』の術式を改造した形跡が見てとれる紙もあるが、他は見たこともない言語で術式が書き散らかされている。
他にも見たことも聞いたこともない術式が踊る紙を見て、リオンは高揚した。
気づいたのだ。
バニラが新たな魔術を生み出そうとしていることに。
そして、同時にこれがリオンを倒すためのものだということにも。
リオンは賢者の一族フラメル家の人間だ。
古代語は大体は把握しているため、散らばった紙に書かれた言語が古代語ではないことがすぐにわかった。
暗号化された言語は、おそらくバニラが作りだしたものだ。
他でもない、倒すべき相手であるリオンに作戦がバレないように。
バニラは本気でリオンを倒そうとしている。
その意思が詰まったこの散らかった部屋に、リオンはぞくりとした喜びが全身を這い上がってくるのを感じた。
「先輩? 見ちゃいましたね?」
とろんとした声が背中でする。
バニラをベッドに下ろすと、まだ寝ぼけた顔をしていた。
これは、あまり意識もないだろう。
「ああ。俺を倒す準備は着々と進んでいるようだな」
「ふふ、先輩にだって解読できませんよ。バニラ語は」
「俺をナメるなよ」
強がって笑ったが、目を走らせる限り、この暗号は相当難解そうだ。
今のところ規則性がひとつも見つけられない。
「勝負までに、私の作戦がわかるといいですね」
「まずは明日の邪竜封印だろう」
「邪竜封印だなんてぽぽいのぽいですよ。私の先輩はすごいんですから」
もうバニラの目は既に開いていない。
ほぼむにゃむにゃと言っているバニラに布団を掛けてから、その顔を見下ろす。
子どもみたいな寝顔をしているくせに、その顔は驚くほどにきれいだ。
「おまえは俺がいなくなっても生きていられるか?」
ぽつりと聞いてしまったのは、シャルルの感情に感化されたのもあった。
リオンだって運命に抗えるものなら抗いたい。
その言い訳として、全力で戦った末にバニラに負けたかった。
「私は、先輩がいなくなったら、私じゃなくなっちゃいます。心の全部を失っちゃうようなものですから」
ささやくような声で言って、バニラは本格的に眠り出す。
たまらない気持ちになって、リオンは眠るバニラの額に額をくっつけた。
胸がかき乱されたように苦しい。
バニラを抱きしめたい気持ちを抑えるために、ぐっと目を閉じて、リオンは額から感じるぬくもりだけに集中した。
「それなら、おまえは俺に必ず勝て」
そのために、明日は俺が邪竜を封印する。
*
邪竜封印当日。
バニラは里の穴底にいた。
リオンと向き合っているグイードには、昨夜の穏やかそうな雰囲気はない。
竜の里長らしい、荘厳な雰囲気にバニラは思わず息をのんだ。
「リオン。逃げずによく来たのう。わしを封印できそうか?」
「当然だ。安心して悪の心に身を委ねてくれ」
グイードが押さえつけていた悪の心を目覚めさせれば、グイードは荘厳な里長ではなく、凶悪な邪竜へと変わる。
三日燃え続ける黒い炎を吐かれれば、ひとたまりもないだろう。
バニラの後ろに控えているヘリオスも痺れるほどの緊張感を放ちながら、グイードを見ていた。
「わしに何かあれば、里の者は任せたぞ。シャル」
「ああ。わかってる」
事故に備えて、里の民たちは避難済みだ。
残っているのは、里長の跡継ぎのシャルルだけ。
彼は見届け人として、リオンを見やった。
「じいさんは、一度だけなら悪の心を抑えつけ直すことはできるはずだ。でも、もう一度っていうのは厳しい上に、抑えられる時間ももうほとんどねぇ。むっつり先輩が失敗すりゃ、近い内に世界は焼き尽くされることになる」
「世界を救うなんて大それた目標はない。俺のために邪竜を完璧に封印するだけだ」
シャルルの最後の忠告にリオンは真剣に応える。
シャルルは、ふっと笑んで肩をすくめた。
「おまえはバニラ以外に負けるわけにゃいかねぇんだ。しっかりやれよ」
リオンとシャルルのやりとりに、グイードは愉快そうに目を細める。
その表情はどこか安堵しているようにも見えた。
「リオン。強い願いがあるお主を信じよう。頼んだぞ」
グイードが、ゆっくり目を閉じる。
次の瞬間、体が震えるほどの魔力を感じてバニラは目を見開いた。
地下迷宮で出会った邪竜はこれほどまでの魔力を有してはいなかった。
体の大きさから考えても、邪竜の魔力はグイードの器にほぼすべて詰め込まれていたのだろう。
悪の心を抑えるために総動員されていた魔力が解放されると、目眩がするほどの威圧感だった。
圧倒的力。
圧倒的絶望。
身動きがとれなくなるほどの魔力量を前にバニラが固まっていると、グイードが目を開けた。
金色のその目には理性がない。
「グォオオオオオオオオオオ!!」
邪竜の叫びは山中に響き渡った。




