42 竜との同衾
頭痛がする。
ぼんやりする頭で、シャルルは記憶をたどった。
祈りの宴で、シャルルは里の誰よりも酒を飲んだ。
祈りの宴はより酒を飲んだ者の願いが強いとされる。
酒に強い竜族ならではの文化なのだが、あまりにも一気に飲み過ぎてしまったようだ。
里一番の酒豪と競って勝利をおさめたシャルルは、その後眠ってしまったらしい。
起き上がって、ここが自室だと気づく。
大きなベッドは慣れ親しんだ自分のものだ。
外からは宴の音色が聞こえているため、まだ祈りの宴は続いているのだろう。
里長のグイードがいるとはいえ、跡継ぎのシャルルがいつまでも寝ているわけにもいかない。
ちゃんと戻って宴の締めまでは見届けようと、ベッドから立ち上がるために手をついて、柔らかいものに指先が触れた。
「……ったく。予想通りのことをすんなよな」
シャルルの指先が触れたのは、バニラの金色の髪だった。
柔らかな髪が指先に絡んでいる。
すよすよと気持ちよさげに眠るバニラの頬は上気していて、彼女も酔っているのだとすぐに理解できた。
酔ったバニラとシャルルを密室に閉じ込める作戦。
シャルルが予想していた通りの作戦を実行してきたのは、間違いなくシャルルを愛する里の者たちだろう。
一応ベッドから起きて確認したドアは、想像通り外から鍵をかけられていて脱出はできなかった。
「バニラぁ。起きられるか?」
予想通り閉まっていたドアから離れて、シャルルはバニラの体を揺する。
「う~ん」と色気なく寝返りを打って、ベッドの上に大の字になったバニラが起きる気配は微塵もない。
シャルルは酔った頭で途方に暮れて、視線を横へと流し、そこにある瓶を見て更に頭を抱えた。
「里の技術を無駄に使うな」
ぼそっとシャルルが呻く原因となっているその瓶の中身は、丁寧に瓶に敷いてあったメモに書かれていた。
薬草園の管理者からのメモの内容は「竜族に先祖代々伝わる惚れ薬です。どうぞお使いください」というものだ。
確かに、竜族には惚れ薬をつくる技術がある。
媚薬などの一時的に効果があるものではなく、永久に効果が続く毒のような代物だ。
その強力すぎる効果故に制作工程はかなり面倒で、使用する薬草も希少なものばかりだ。
そんなものをこんなことのために利用している里の者たちからの愛されぶりには、頭が痛む思いだ。
実際に頭痛がしている。
「はあ」と短くため息をこぼして、シャルルはベッドに乗ろうと足を動かす。
里の者たちの策に嵌まってやるつもりはないが、ドアをたたき破って外に出る気もない。
里の連中にはバニラが古代魔術を使えると知られては面倒であるため内密にしているが、バニラは明日リオンと共に邪竜を封印することになっているのだ。
せっかくよく寝ているというのに、騒いで起こすことも忍びなかった。
小さな竜の姿になってベッドで共に眠るのならば、それはいつものこと。
さっさと変身してしまおう。
そう思ってベッドに歩み寄ったというのに、シャルルの足下は狂った。
シャルルは自身が想像していた以上に酔っていたのだ。
ぐらっと視界が揺れて、倒れた。
咄嗟についた両手がベッドに沈み込む。
思わず閉じてしまった目を開けると、眼前にはバニラの整った顔があった。
部屋には甘い匂いがしている。
柔らかな頬。桃色の唇。影を落とす長い睫。
体を起こそうとしたが、できない。
もっと近くでバニラの顔を見ていたいという欲望が、どうしてか理性より大きくなっていた。
「バニラ……」
こぼれた声は、想像以上に熱を帯びていた。
*
祈りの宴のはじまりを告げにきたバニラに、リオンは最初は断るつもりでいた。
封印術式の解読自体はもう終わっている。
バニラが努力してくれたこともあり、これ以上やれることはもうない。
あとはゆっくり休んで明日に備えるだけという状況ではあったのだが、リオンはそもそも騒ぐことが好きではないのだ。
しかし、こうしてリオンが宴の場にいることになったのは、バニラが仁王立ちをして怒ったからである。
「主役がいない宴会なんて、寂しすぎるじゃないですか!」
「先輩がど~っしても、死ぬほど、嫌なら強制はしません」と言いながらも参加してほしそうにこちらを見ているバニラに、リオンは折れて今ここで酒をちまちまと飲んでいる。
やはり、ヘリオスは昨夜の宣言通りに宴会には出てこなかった。
「えへへへ、せんぱぁい。竜の里のお酒は天下一品ですぅ」
「おまえ……、明日二日酔いになったりでもしたら、許さんぞ」
にへらと笑うバニラが酒に強いとは意外だった。
里一番の酒豪と競った末に勝利して、ぐーすか寝だしたシャルルとほぼ同量を飲んだバニラは浮かれている様子だ。
「お、バニラちゃん。気持ちよく酔ってんなぁ」
「あいっ。おいしいお酒をありがとうございまひゅ」
バニラに話しかけてきたのは、竜族の男性だ。
つぶれたシャルルを運ぶところらしい。
「バニラちゃんもそろそろ寝た方がいいだろ? ひとりで帰れるか?」
「しぇんぱいとかえりまひゅ」
「おや、ダメだよぉ。バニラちゃん。賢者さまに迷惑かけちゃ。あたしが送ってってやるから、賢者さまはもう少し楽しんでいきな」
ふにゃふにゃ返事をしながら、リオンにしなだれかかってきたバニラを竜族の女性が笑いながら引き剥がしていく。
別にリオンが送って行っても構わなかったのだが、彼女が送るというのであれば任せてもいいだろう。
「その阿呆を頼んだ」
「あいよ」
にっと笑って女性はバニラを、男性はシャルルをそれぞれ運んでいく。
お似合いすぎるふたりの潰れっぷりを鼻で笑ってから、リオンはまた酒にちびりと口をつけた。
「なぁんじゃ、賢者の子よ。おぬし、全然飲んでおらんではないか」
長い首を動かして大きな頭をこちらに寄せてきたグイードがリオンを見下ろす。
指摘通り、リオンはこのちびちび飲んでいる杯が一杯目だ。
里一番の酒豪と次期里長の飲み比べも終わった、この宴もたけなわという状況でリオンはまだ一杯目すら飲み終えていない。
多くの人々が察している通り、リオンは酒に弱い。
「酔って、明日俺が使い物にならないとおまえも困るだろう」
「かーっ。素直に『酒に弱いんだ』と言えばいいものを。かわいくないところは、あの気狂い賢者にそっくりじゃわい。で? 術式は理解できたんじゃろうな?」
「ああ。任せておけ」
正直なところ、成功させられるかはわからない。
古代術式とほぼ同等である魔力消費量にシャルルの体が最後まで保つのかが問題だ。
それでも、成功させるしかリオンには道がない。
しっかりと頷いたリオンに、グイードは大きな口の端をあげた。
「明日、封印が失敗に終われば、きっとわしはお主を殺してしまうじゃろう。わかってはおっても、わしがお主を殺したらあの娘はわしを殺すじゃろうと考えてしまうの」
「あいつは、きっと俺が殺されてもおまえは殺さんな」
「ほう。あんなにもお主を好いておるのにか?」
「あいつは誰かを恨んで殺したいと思うような人間じゃないんだ。ただただ悲しんで苦しんで絶望して、泣いて、欠片も悪くない自分自身を責め続けるだけだ」
きっと、バニラはリオンが死ねば自分自身を責めつづけることになる。
だから、リオンはここで派手に邪竜に殺されるわけにはいかない。
遠くない未来でバニラの前からひっそりと姿を消して、誰にも気づかれずに殺される必要がある。
「そんなにあの娘が悲しむとわかっておるのに、おぬし死ぬ気なんじゃな」
「今回は死ぬ気はない」
「今回は、じゃろ? 『呪われた兄弟の一族』を長年生きてきたわしが知らぬと思うか? リオンよ」
その通称を聞くのは久しぶりだ。
フラメル家に関する悪い噂。
貴族であれば、少しはある悪い噂のひとつだろうと一蹴されるほどの伝説だ。
リオンは、邪竜の口から出た意外な言葉に一瞬目を丸めてから、苦い顔をした。
「あいつには、それを言うなよ。変な勘ぐりをされても困る」
「おぬしもあの娘が大事なんじゃのぉ」
「ただのバディだ」
「ふむ。ただのバディであれば、あのかわいらしいバニラがわしの孫と同衾しておっても構わんな」
「いつものことだろう」
「いつもと違うのは、あいつが成人男性の姿で、酒に酔っていて、部屋に気化しやすい惚れ薬が用意されておるということじゃろうな」
「……は?」
小さい銀竜がバニラの枕元で寝ている姿を想像していたリオンは、ぽかんと口を開ける。
持っていた杯を落としかけて、慌てて机に置いた。
成人男性の姿というのはわかる。
シャルルは酔っていたし、変身し損ねるということはあるのかもしれない。
だが、最後の惚れ薬とはなんなのか。
「どういう意味だ?」と思わず低い声でうなると、グイードはいたずらっこのように目を細めた。
「うちの里の連中は仲がよくてなぁ。特にシャルのことはかわいがってきた。だから、あいつの恋を応援したいと思う者は多いということじゃ」
「っ……、さっきの奴らが仕掛けたのか?」
つい先ほど、バニラとシャルルを抱えていった男女の姿が脳裏に浮かぶ。
グイードは笑みを深めて肯定した。
「悪気は一切ない。善意しかない行為なんじゃ。黙っておってもよかったんじゃが、おぬしがいつも大事そうにあの娘を見ておるから、教えてやっておこうと思うたんじゃ。どうするかはおぬし次第じゃがな」
「あいつらが、親しくしようが俺には関係ない」
答えた声が震えた。
嫉妬なんかしてはいけない。応援しなければいけない。
頭が痛むのは酒のせいにしなければ。
そう言い聞かせているのに、体は今にも走り出してしまいそうだった。
「おそらくシャルの部屋にふたりは閉じ込められておるじゃろうな。竜族のつくる惚れ薬は天下一品じゃ。しかも、さっきシャルを抱えて行ったあの男は薬草園を管理しておる薬師でのう。腕がいい。香るだけで頭が理性ぶっ飛ばす薬をつくるのが得意じゃ」
「……そうか」
「惚れ薬自体は飲んでからはじめて見た相手を永遠に愛し続ける毒のような薬での。あの薬師はシャルの恋を応援したいと、シャルがあの娘と結婚したいからそれまで待っててくれと里を出たときから、あの薬を作っておったんじゃ」
「それがなんだ」
「気化した薬でシャルの理性がぶっ飛んで、あの娘に薬を盛れば、もうおぬしをキャンキャンと追い回す愛くるしい犬はおらんようになる。それでよいのか、と聞いておるのじゃ。わしはどちらがあの娘を得ようと構わん。じゃが、かわいい孫はもちろんのこと、一体誰がその結末を望んでおるのじゃろうなと思うただけのことよ」
大きな目を細めて諭すように語るグイードの言葉に、リオンは立ち上がっていた。
「シャルルの部屋の場所を聞いても構わないか」
「おお、里で一番大きい屋敷の最上階じゃよ。薬草園が目印じゃな」
「感謝する」
バニラはシャルルと結ばせる。
だが、今はそのときではない。
シナリオ通りではないから、止めるのだ。
頭の中で言い訳をしながらも、走り出したリオンの表情は焦燥に染まっていた。




