39 バニラのできること
邪竜を倒す決意をしたリオンたちに、竜の里の民たちはそれぞれ部屋を用意してくれた。
邪竜はシャルルの祖父であり、里長も兼ねているらしい。
里の者に慕われる邪竜というのはリオンが持っていたイメージからはかけ離れていた。
里の者から渡された封印術式についての書類は膨大なものであった。
賢者の残したその資料は、確かに頭のおかしいフラメル家の人間がつくったもので間違いないだろう。
『犠牲者の足掻き』が記されていた本と同じ暗号化された古代語で書かれた資料をリオンが読みあさっていると、部屋のドアが控えめにノックされた。
「……入れ」
誰が来たかの察しは、なんとなくついている。
そっと開けられたドアの隙間から顔を出したのはバニラだった。
「先輩ってば、やっぱり寝てなかったんですね」
「少しでも早く解読しておきたいからな。術式があまりに複雑すぎる」
夜更かししている子を注意するかのようなバニラの声音を無視して、リオンは手にした書類をめくる。
その書類をバニラは容赦なく奪った。
「なんなんだ、おまえは……。おまえこそ、もう寝ろ。昨夜は馬車、今日は山登りで疲れただろう」
「それは先輩も同じはずです。早く寝なくちゃ、働く頭も働かなくなっちゃいますよ。グイードさんは解読に三日もくれてるんです。夜くらい寝たって、先輩なら絶対間に合います」
にこっと笑んだバニラが、壁際に座っていたリオンの隣に座ってくる。
バニラの甘い香りが鼻腔をくすぐり、リオンは酷使した頭がしびれるような感覚がした。
「……夜中に男の部屋になんて入ってくるな。もう帰れ」
「先輩も眠れないように、私も眠れないんですよ。でも、寝なくちゃいけないので、ちょっとふたりでお話したいんです」
「ダメですか?」とこちらを窺ってくるバニラを見れば、リオンは「好きにしろ」と言うしかない。
惚れた弱みというのは恐ろしい。
「そういえば、おまえ。シャルはどうした? あのちび竜はおまえがひとりで俺の部屋に来るなんて黙ってないだろう」
「シャルはおじいちゃんと話してるみたいですよ。実家ですもんね。募る話はあると思います。でも、まさかかわいいシャルが邪竜の孫だなんて思いませんでしたね」
ふふっと笑うバニラに、リオンも肩をすくめる。
人の姿をしたシャルルから溢れる魔力は尋常ではなかった。
邪竜の孫だと言われても魔力量では違和感がなかったが、あの小さな姿からだと違和感はありすぎるほどだ。
「俺があのちび竜の親戚だったとも思わなかったがな」
「あ、そっか。賢者は、里長と人の間の子で、フラメル家の祖なんですもんね。里長がグイードさんなら、先輩とシャルは親戚ですっ」
「さすが先輩!」とバニラはいつものノリで褒めてくる。
先ほど、命を賭した賭けを承諾したリオンにバニラは怒っているものだとばかり思っていた。
「おまえは、俺が邪竜を倒すと承諾したことを怒ってはいないんだな」
ぽつりと聞いてしまってから、「しまった」と思う。
これでは、死に向かう自分を叱ってくれと言っているようなものだ。
気まずい表情でバニラを見ると、バニラは驚くほどに優しく微笑んだ。
「怒ってないですよ。信じてますから」
言いながら、バニラはリオンの肩に金色の頭を乗せてくる。
甘い香りが増して、頭がくらくらするようだった。
ちらりと見やると、窓から差し込む月明かりがバニラの髪を輝かせていた。
「力のない俺が邪竜を封じることができると?」
「はい。先輩は私が大好きなすばらしい方です。先輩がやろうと思って、できないことなんてありません」
「術式は難解だ。解読することは可能だろうが、使いこなすのにも相当な技術力が必要だ。魔力量も膨大に必要だろうから、同時に『賢者の足掻き』を使う必要もある。それでも、できると思うのか?」
声に出してみて、はじめてリオンは自分自身のことを信じられていないのだということを知った。
だから、バニラに情けなくも「怒ってる?」なんて質問をしてしまったのだ。
自分の弱さに辟易していると、バニラはなんでもないように頷いた。
「先輩はすんごい上に、優しい人ですから。絶対に成功させますよ」
「優しさは関係あるのか?」
「ありますよっ!」
力強く言ったバニラが、リオンの腕に腕を絡めてくる。
ぎゅっと抱きつかれると、バニラの温もりが心地良かった。
「先輩は私にはちゃめちゃに愛されているのをよ~く知ってらっしゃいます。先輩が死んじゃったら、私が私ではいられなくなっちゃうこともわかっているはずです。だから、先輩は死にません。グイードさんも救って、竜の里も救って、先輩は私と結婚するんです」
未来が見えているかのように語るバニラに、リオンは胸の奥が痛む。
三日後に封印に成功して生きながらえても、リオンは間違いなく殺される運命だ。
それを知らされずに、明るい未来を信じているバニラを思うと苦しくなった。
そして、同時にこの封印を成功させて、少しでも長くバニラと共にありたいとも思った。
「おまえに頼みがある」
「っはい! なんでしょ!」
ぴょこんと跳ねるようにリオンから離れたバニラは、リオンの前に慌てて正座をする。
役に立てることに嬉々とした表情を浮かべるバニラに、思わず笑みを浮かべてしまいながらもリオンは告げた。
「『氷結する世界』を使用中におまえだけでなく俺も動けるようにすることはできるか?」
「理論上は可能です。術式をちょっと考えなくちゃいけませんけど、先輩とバディとして動く以上必要かとは思って考えてはいました。必要なら三日後には必ず完成させます」
割と無茶を要求しているとは思ったのだが、バニラは意外にもあっさりと頷く。
古代魔術の術式を改造するのは難しい。
古代語を覚えるだけでも難しく、更にそれを理解して組み合わせるともなると至難の技だ。
それを簡単に了承したバニラにも驚いたが、リオンとバディとして動くためにそもそもそれを考えていたということにも驚いた。
どこまでもリオンと一緒にあろうとするその姿勢が愛しく感じられたが、表情には出さなかった。
「必要だ。俺は有能ではない。この難解な術式を組みあげるのに時間を要する。その間、邪竜が黒い炎を吐いてこようとした場合には、おまえが時を止めて俺だけを動かせ。そうすれば、時間が稼げる」
「わっかりました。となると、薬草がもっと必要ですよね。先輩が『犠牲者の足掻き』を使うとなると、体力回復薬もつくっておきたいですし……。役に立てそうなことがあって、嬉しいです」
一瞬にして思案を巡らせて、自分にできることを探し当てたバニラは嬉しそうに笑む。
ひとりで戦うことにはならなそうだと思うと、肩の力が抜けて忘れていた眠気が襲ってきた。
「先輩、眠いです?」
「……ああ、おまえと話していたら眠くなってきた。いったん寝ることにする」
「了解です! 私が先輩のゆたんぽを勤めましょう」
「いらん、帰れ」
「え~!?」と驚愕しているバニラにリオンはため息をこぼす。
拒否するバニラの腕をとり、立ち上がらせるとドアの前に送り出す。
恋人でもない男女が同衾だなんて、リオンの考えではあり得ない話だ。
「もう寝ろ。おまえももう眠れるようになっただろう」
「先輩にぎゅってしてもらえたら、もっと寝れます」
「あまり寝ていたら、術式改造が三日後に間に合わんだろう。いいから、部屋に帰って寝ろ。なんならヘリオス様に迎えに来ていただくが?」
「男女の話に父を出してくるなんて無粋ですよっ、もう」
唇をとがらせて拗ねた表情を見せるバニラに、リオンはふっと笑む。
「おやすみ」
できるだけ呆れたような、小馬鹿にしたような雰囲気を醸し出したつもりではあったが、もしかしたら声音に愛しさがにじんでしまっていたかもしれない。
リオンが自分の想いがバレてしまってはいないかと、若干不安に思っていることにも気付かない様子でバニラは花が開いたように笑った。
「はいっ。おやすみなさい。大好きです、先輩」
足取り軽くバニラが去っていく。
リオンはドアを閉めたあと、ひとつため息をこぼしてからベッドに倒れ込んだ。
*
翌日から、バニラはとても忙しかった。
邪竜グイードはリオンが封印術式を解読する期間を三日間設けてくれた。
その間、リオンは術式解読にいそしむことになるため、バニラは別行動で他のことに取り組むことにする。
まずは『氷結する世界』の術式改造だ。
今は時が止まった世界で動けるのはバニラのみであるが、術の範囲を拡大すれば意図した相手も動けるようにすることができるはずである。
この術式改造については、以前から考えてはいたため、それらを試してみるしかないだろう。
もうひとつは、薬づくり。
バニラは薬草を丸かじりして魔力や体力を回復すればいいが、リオンは薬草の味を好まない。
甘味好きなリオンのために薬草をシロップに混ぜた薬を作成したかった。
「これはまたでかい釜だな」
「一気にたくさん作った方が効率がいいでしょ」
バニラの前の巨大な釜を見て、ヘリオスが目を丸くする。
バニラがすっぽり入ってしまえそうなサイズの大きさではあるが、薬は一気につくる方が効率的だ。
バニラが最初に取り組んだのは薬づくりの方であった。
魔力と体力が同時に回復する薬を大量につくってしまえば、『氷結する世界』の術式改造で何度も術を使って試す際にも使えるはずだ。
竜の里の者に借りた巨大な釜に持ち込んだ薬草を放り込み、シロップを流し込んで、水と共に煮ているところだ。
大量の薬であるため、かき混ぜるのには全身の力をこめなければならず大変だ。
「これはシロップ入れ過ぎじゃないのか?」
「先輩は甘すぎるくらい甘いものが好きなの」
「プレゼントに張り切るのはいいが、もうちょい薬草を入れてもいいんじゃないかって思うんだが、どうだ?」
釜を覗きこむヘリオスは優秀な冒険者だ。
冒険の基本である薬づくりに関しての勇者のアドバイスは聞いておくべきだろう。
「う~ん。でも、私が町で買ってきた薬草は全部入れちゃったんだよね」
「俺も今は自分用の体力回復薬とか毒消しとかしか持ってないな……」
普通の人間は薬草を生でかじったりはしない。
当然ヘリオスも薬草は薬にして持ち歩いてしまっているため、今ここで所持してはいないのだろう。
少し考え込んだあと、ヘリオスはぽんと手を打った。
「そうだ。里の奥の方で、薬草園を見たぞ。一番でかい建物のとこだ」
「本当!? わけてもらえるかな?」
「シャルはこの里の王子みたいなもんなんだろ? シャルに頼みゃ分けてもらえるだろ」
得意げなヘリオスの笑顔を見て、バニラは少しほっとする。
ヘリオスは昨夜、部屋に案内されてからは里の者とは交流もせずただ里を見て回っていた様子だった。
今日になっても、人好きなヘリオスにしては珍しく里の者に話しかけられても距離をとっている。
ヘリオスは邪竜退治を引き受けたリオンに「今からでもやめておけ」と説得していたが、ついに首を縦に振ってはもらえなかった。
そのことを嘆いているのだろうかと心配していたが、今はいつも通りの明るい父だ。
バニラはそんな父に借り物のかき混ぜ棒を押しつけた。
「ん? なんだ?」
「焦げないように、ちゃ~んとお薬混ぜててね。私、シャルを探して薬草をわけてもらってくる!」
ぐっと拳を握って意気込んだバニラは、ヘリオスの返事も聞かずに駆け出す。
「お~い! これ混ぜてるの相当大変だぞ!?」というヘリオスの声を背中に聞きながらも、バニラはまっすぐに里の奥へと走っていく。
確かに大量の薬をかき混ぜるのは大変だろうが、父の筋肉量は凄まじい。
ひょろひょろのバニラが混ぜるよりは、遙かに簡単なことだろう。
ヘリオスが言っていた里の奥の大きい建物には心当たりがあった。
邪竜グイードと話していたときから、背後に見えていたとびきり大きい建物のことだろう。
里の中心にあいた穴をぐるりと回り込むことになるが、走ればそう遠くはない。
穴の縁に沿って走っていたバニラは、穴の底にいるグイードを見る。
今日も里の者たちと会話をしているグイードは優しげだ。
里の者たちがグイードの傍に集まっているのは、彼が悪の心を抑えつけていられるよう魔力を送るという目的もあるらしいが、半分はグイードと話をしたいというのが理由なのだろう。
体の大きい人気者の里長からは恐れるほどの魔力は感じられない。
今は抑え込んでいるのだろうが、そのせいもあってグイードが邪竜と恐れられる存在には未だに思えなかった。
「うぷっ」
「うおっ」
穴の底ばかりを見ていて、バニラは前を見ていなかった。
ひらけたこの場所でなにかにぶつかることは想定していなかったのだが、ぼふりと暖かい何かにつっこんでしまってバニラはおかしな声をあげる。
自分の声と同時に聞こえてきた声は、おそらくぶつかった相手のものだろう。
バニラが慌てて顔をあげると、そこには銀色の髪をツンツンさせた美青年が立っていた。
「あ! クーリアが私を責めてたときの!」
「うわ、かわいいと思ったらバニラじゃねぇか。なんでこんなとこに」
同時に叫んでバニラは目を丸める。
「あ」と口を抑えた男は間違いなく、クーリアがバニラを殺人犯扱いしたときに庇ってくれた男ではあったが、口調がまるで違っていた。
しかも、それはどこかで聞いたことのあるような口調だった。
「シャル?」
こてんと首を傾げたバニラに、シャルルは「あ~」と顔を覆ってうずくまった。




