38 賢者の正体
「う~ん? 私には何も見えないけど」
じっくりと見てみても、シャルルが指さす先には、岩壁しかない。
顎に手を当てて首を捻るバニラに、シャルルはふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「ここは邪竜のいる竜の里だぜ? 旅人が迷い込んだりしないように、オレたち竜族と邪竜の監視者であるアレイアード家しか扉を開けないようになってるんだよ」
「いくぜ?」とシャルルが見ているように促してから、岩壁にそっと手を触れる。
何の変哲もなかった岩壁にシャルルの手が触れた場所から、まるで水面に手を浸したかのように波紋が広がり、やがて岩壁には大きな穴があいた。
穴の向こうにはテントのような布張りの建物が並んでいる。
シャルルのようなドラゴンが大量にいる世界を想像していたバニラは、人里に似た雰囲気に驚いてしまった。
「これが竜の里? なんだか人間の村みたいだけど」
「ドラゴンの姿で集落つくってると、でかすぎて邪魔なんだよな。オレたち竜族は人の姿もとれる。だから、普段は人の姿でここで生活してるってわけよ」
「それはつまり、シャルも人の姿になれるってことか?」
後ろで腕を組んで様子を見ていたヘリオスの疑問に、シャルルは「おうよ」と頷いた。
「オレ様の美形ぶりには驚くぜぇ?」
「なら、なんで人間の姿でついてこないんだよ、おまえは。町中で隠したりすんの割と面倒なんだぞ」
「わかってねぇなあ、親父殿は。オレ様が愛らしいドラゴンだから、バニラはかわいがってくれてんだろが! イケメンっぷりを知ったら、卒倒しちまうかもしんねぇだろ」
「そんなことより、早く行ってみようよ、竜の里!」
ヘリオスがシャルルに呆れた視線を送る中、バニラは嬉々として竜の里を指さしている。
あまりの興味のなさに若干へこんでいるシャルルをさすがに哀れんだ目でリオンが見ていたが、バニラは気づきもせずに岩壁をくぐる。
山の中の開けた土地の中。
巨大な岩壁にぐるりと囲まれたそこには小さな家が並んでいる。
そして、里の中心には巨大な穴があいていることも確認できた。
「あの穴はなんだ?」
バニラの後ろから里に入ったリオンも真っ先に里の中心の穴に気がついた。
静かな里に似合わない不気味さを持つ大きな穴は異様な雰囲気を放っている。
へこみながらもバニラの肩に着地したシャルルは「ああ」となんでもないように穴を見やった。
「あっこに邪竜がいんだよ。会いに行くか? たぶん、里の連中もいるだろうしな」
『見に行く』ではなく『会いに行く』と言ったシャルルの言葉が引っかかったが、バニラたちは同意してシャルルの後に続いた。
眠っているとはいえ、邪竜は邪竜。
気を引き締めて穴を覗きこんだバニラは目を見開いた。
「お、起きてる!?」
階段で降りられるようになっている穴の底には巨大な黒い竜がいた。
闇を垂らしたような黒い鱗を輝かせて、竜は周囲に集まった人々を見下ろしている。
その金色の目は、しっかりと開いていた。
当然のバニラの疑問に答えるためにシャルルが口をあけたのと、邪竜がこちらを見上げたのは同時だった。
邪竜の目は、その片方の眼球だけでバニラほどの大きさがある。
規格外の大きさの目が見据えたのはリオンだった。
「おおお!」
邪竜が雄叫びをあげる。
巨体に似合う大声ではあったが、その響きがこちらを恐怖させるものではないことに戸惑った。
むしろ、旧知の人間と再会したような声音だったのだ。
「賢者の血かの? わずかではあるが、またその血を感じることができるとはのう。でかしたぞ、シャルルよ!」
「賢者ぁ?」
邪竜の声かけにシャルルが目を眇める。
シャルルも戸惑っている様子だが、まずはこちらの疑問を解決してもらいたい。
「ねえねえ、シャル! 邪竜なんだよね、あのドラゴンは! なんで起きてるの? 封印されて眠ってたんじゃないの!?」
「アレイアード家の人間がきたときは寝たふりしてんだ。あんな緩いじじいが邪竜だって知ったら、アレイアード家の人間も監視に張り合いが出ねぇからな」
「おほー、かわいいお嬢さんも連れてきておるではないか。もっとちこう寄れぃ」
邪竜がその大きな目でにこにこ笑いながら声をかけてきているのは、恐らくバニラだ。
「私?」と首を傾げるバニラにヘリオスが神妙な声を出した。
「俺の娘はドラゴンにモテるらしいな」
「え~っ、先輩にモテたかったなぁ」
「こんな時にくだらんことを……。邪竜が起きているのなら、世界は滅ぶはずだろう。どうなっているのか、きちんと説明をしろ」
「説明すっから、まずは降りようぜ。じいさんが呼んでんだ」
シャルルが見下ろす先。
邪竜が嬉しそうに笑んでいた。
「おお、近くで見るとますますかわいいのう。アレイアード家のお嬢さんと張れる可愛さじゃわい。お主がシャルと子を成してくれるのかの?」
穴の底まで降りていくと、首をまげてバニラをまじまじと見ている。
邪竜の目からバニラを庇うように前に出たのはヘリオスだ。
「いいや、こいつは俺の娘バニラだ。俺はヘリオス。勇者であるこの俺は邪竜を倒しにきただけ。娘を差し出しにきたんじゃない」
「な~んじゃ、それは残念じゃのう」
じとりと邪竜を睨むヘリオスの横で、緩い空気に咳払いをしてからリオンは邪竜に訊ねた。
「いくつか聞きたい点はあるが、まずなぜ邪竜が起きているんだ? 封印されていると聞いたんだが、これは封印されている状態なのか?」
「封印されていた、という言い方が正しいじゃろうな。わしはグイード。善の心を持った邪竜じゃ」
「善の心だと?」
予想外の言葉にぽかんとするリオンにグイードは頷いてから語り出す。
昔、アレイアード領が死の大地と化したときのこと。
黒い炎が燃える中に現れた賢者が邪竜を封印した。
そのとき、邪竜の膨大な魔力を封印するために、賢者は邪竜の心を善と悪のふたつに分けたのだ。
善の心を持った邪竜は竜の里に封印し、悪の心を持った邪竜は、ある地下迷宮に封じられた。
「わしはただの馬鹿ほど魔力を持った女好きの邪竜じゃ。じゃが、悪の心を持った片割れが倒された今は違う。器を失い、行き場を失った悪の心がわしの中に戻ってしまった。今はわしが抑えておるが、いつ悪の心が目覚めて暴走してもおかしくはない状況じゃ」
グイードが語った内容は、衝撃的だった。
特に『悪の心を持った邪竜は地下迷宮に封じられた』という部分が。
「おい……、シャル。今地下迷宮と言ったな、グイードは」
「あ? 言ったなぁ。それが?」
「そういえばシャルには言ってなかったんだけど……、地下迷宮で先輩がドラゴンを倒したの。金色の目で、黒い鱗の」
地下迷宮の闇に輝く金色の瞳を思い出す。
暗闇に溶ける体は確かに黒い鱗をまとっていた。
目の前にいるグイードよりは、小さいサイズではあったが、あれがこの邪竜と同じ存在だと言われても不思議ではなかった。
「あなたが悪の邪竜を倒したと?」
傍らで話を聞いていた里の者たちが驚いた声をあげる。
怒られるのかと身を堅くしたバニラとは違い、リオンはいつでも魔術を使えるように心構えをし、ヘリオスは大剣の柄に手を伸ばした。
邪竜復活の原因となる行為を意図していなくとも行ってしまった罪は重いだろう。
内心でリオンが冷や汗をかいていると、予想外にも、里の者は次々にひざまずいて頭を垂れはじめる。
バニラたちとグイードのみが頭をあげているという状況に困惑していると、グイードがカラカラと大声で笑った。
「わしより遙かに弱いとはいえ、片割れを倒すとは。やはり、賢者の血を引くものであったか。においが薄いから確信が持てんかったわ」
「どういう意味だよ、じいさん」
「シャル、おまえはアホじゃのう。もっと勉強せいとわしは何度も言うたじゃろ。おまえ、邪竜の孫のくせに邪竜伝説も一切勉強せんしのう」
「じいさんも里の連中も、オレは人との子を作ればいいんだって言ってたんじゃねぇか!」
ぷりぷりと怒るシャルルに対して邪竜は「まあ、そうなんじゃがな」とまた豪快に笑ってから、首を動かしてその大きな頭をリオンに寄せる。
不思議と食べられてしまうという恐怖を感じなかったのは、邪竜の目がその名に似合わず優しかったからだろう。
リオンのにおいをすんすんとかいで、邪竜は「う~ん」と渋い声を出した。
「ほんっとにわしの血のにおいが薄いんじゃが、お主は間違いなく賢者の血筋じゃな。名は?」
「リオン・フラメルだ」
「リオンか。おまえ、長子ではないな? これでは賢者としての活躍は期待できんかもしれんぞ。どうせなら長子を連れてこんか、シャルよ」
「ちょっ、邪竜さんでも先輩に対する無礼は許せませんよっ」
いきなりリオンのにおいをかいで、無礼なことを言っている邪竜にバニラが怒りを露わにする。
しかし、言われたリオンは気にした風もなく邪竜を見上げていた。
「フラメル家の祖が賢者であると?」
「そうじゃ。賢者は頭のおかしい奴でのう。わしが自身の生まれ持った悪の心に負けてしもうた時に、『実験だ』とか抜かして、封印を成功させおったのじゃ。その功績を称えられて貴族にもなったようじゃが、なにせ頭がおかしいでのう。賢者としての名も残さず、屋敷にこもって研究ばかりして死んだ」
「なんともフラメル家らしい話だな」
皮肉っぽく言って、リオンは肩をすくめる。
バニラはそんなリオンを瞳を輝かせて見つめた。
「せ、先輩。さすがです。すごい方だとは思っていましたが、まさかまさかの賢者様の血を引いているだなんて」
「だが、俺は次男。フラメル家では長子がもっとも力を得る。だから、俺には期待できないんだろう?」
リオンの冷静な声に邪竜は静かに頷いた。
「そうじゃな。おまえはまともじゃ。あの狂気の魔術師と同じ力を持てるとは思えん。じゃが、わしの善の精神がいつまで保つかわからんのも事実じゃ。長子を連れてきておる暇もないじゃろう」
大きな目を細める邪竜が言う現状は最悪なものに聞こえる。
邪竜の悪の心を抑える力はもう保たない。
だが、ここにいるのは力不足の賢者のみ。
「お主ら勇者ご一行は、わしを倒しに来たんじゃったな?」
「おう、そうだ。アレイアード伯の命を受けてな」
頷いたヘリオスに邪竜は低く唸る。
しばし悩んでから邪竜は口を開いた。
「悪の心を封印する術はある。賢者の一族にしか使えん術式だ。一度の失敗であれば、わしはまだ悪の心から自分を取り戻すことはできるじゃろう。じゃが、一度の失敗でもリオン。お主は間違いなく死ぬ。それでも、わしはやってみてくれと頼む他はない」
命を賭した賭けをしてくれ。
グイードはリオンに、そう頼んでいる。
無茶な頼みを聞いたヘリオスは、強ばった表情でリオンを見ている。
優しい彼は、まだ年若いリオンに命を賭けさせるなんて真似をしたくはなかったのだろう。
バニラもそっとリオンを見上げると、リオンは躊躇うこともなく、力強く頷いていた。
「邪竜の片割れは俺が倒した。迷惑をかけた以上、責任はとる。その術式を俺に教えてくれ」




