35 実家の邪竜
「……おまえが最近よく口にしていた実家のごたごたと言うのは邪竜のことだったということか?」
「あ~。そうそう。実家の邪竜が目覚めそうで、里長の息子であるオレ様が、がんばって邪竜の封印術式に魔力を送ることで鎮めてたってわけ」
本日の支援クエストとクーリアの勉強会も終えた夜。
バニラはリオンにシャルルからの「アレイアード領の邪竜を倒しにいこう!」という、とんでもない提案を伝えて、シャルルに話を聞いた。
いつも飄々としているシャルルが語りたがらなかったため、彼の素性はバニラも今はじめて聞いたところだが、彼はつまりは竜族の王子というポジションらしい。
そして、竜族は封じられた邪竜の片割れを監視していたが、その邪竜が目覚めそうということで、最近は度々実家である竜の里に帰っていたのだそうだ。
「実家の邪竜という響きには頭痛がするな」
「邪竜が目覚めると、ほんっとに世界は滅んじゃったりするの?」
並んでソファーに座るバニラとリオンの前。
ローテーブルに乗ってふたりに話をするシャルルは、あっさりと頷いた。
「邪竜の吐く黒い炎は何をしようとも三日消えねぇんだ。邪竜が炎を吐いたら、そこでおしまい。延焼して土地は死んじまう。アレイアード領は昔その炎で死の大地になっちまったんだが、賢者がそこで邪竜を封じたからなんとかなったってだけだな」
「そんな邪竜を俺たちに、倒すか再び封印しろと? できると思っての頼みか?」
リオンが片眉を跳ね上げて訊ねる。
シャルルは、一瞬俯いてからリオンをまっすぐな目で射抜いた。
「できなかったら、世界は滅ぶ。それだけの話だ」
リオンが深くため息を吐いて眉間をつまむ。
危険すぎるくらい危険なのは、よくわかる。
だが、バニラはなんの悩みもなく、このクエストを受ける気でいた。
「先輩。このクエスト受けましょうよ。遠征クエストでもありますし、秋の実技テストもクリアできます」
「おまえは正気か? 総合一位をとるためだとか、そういう次元の話ではないぞ。死ぬ可能性の方が大きいくらいだ」
「わかってます。でも、受けたいんです。だって、邪竜が目覚めたらクーリアとエドガーはきっと一番に殺されちゃいます」
バニラの言葉でリオンはハッとした様子を見せた。
アレイアード家は、その領地に眠る邪竜を監視し、邪竜が目覚めた際に足止めをするために呪術に特化した一族だ。
その中でも最強の呪術師であるクーリアは、邪竜が目覚めればきっと最前線に立つことになる。
その傍らにエドガーがいないはずもなかった。
「世界とかよくわかんないですし、邪竜が物理攻撃もきかない、倒し方もさっぱりな恐ろしい存在であることもわかってます。でも、挑戦しないまま友達を失うことになるほうが、私にはよっぽど恐ろしいです」
幸い昨日の様子から察するにクーリアたちは邪竜が目覚めかけていることに、まだ気がついていない。
クーリアたちが気付く前に邪竜をしとめなければ、命を賭すのは彼女たちになるのだろう。
「知ってしまった以上、私はクーリアとエドガーを危険に晒したくはありません。だから、受けたいんです。先輩が行きたくないなら、私はひとりでだって行きます」
バニラの瞳に凛とした光が宿る。
リオンは、頭を抱えて逡巡したあとに唸るように声をあげた。
「そうだな……。おまえは、勇者の娘だからな」
「すまねぇ、むっつり先輩。バニラを危険に晒したくはなかったが、こうするしかなかった。そうじゃねぇと、オレ様の仲間がしびれ切らして、そろそろバニラを浚っちまう」
「……どういう意味だ?」
頭を抱えたままのリオンが低くうなる。
邪竜討伐とバニラを浚うことになんの関係があるのか。
バニラもきょとんとしたまま疑問符を浮かべると、シャルルは「その~」と視線をさまよわせた。
「賢者ってぇのは、邪竜と人の間の子だったって伝説が残ってんだ。邪竜は当時の竜族の里長の血筋でな、その血が流れた半竜半人が賢者になるんじゃねぇかって話なんだ」
「ほう……、それで?」
リオンのシャルルを見る目は絶対零度だ。
ひるみかけたシャルルが、ちらりと見たバニラの表情はまだ疑問符に染まっている。
今更この話を引っ込めるわけにもいかず、シャルルはリオンとは決して目を合わせずに続けた。
「オレの親は死んでて、生きてるのはじいちゃんだけ。子を残せるのはオレ様だけで、え~、つまりはだな」
「おまえ……この阿呆に求婚したと言っていたな」
「あ! わかった! シャルは私との子を賢者にするためにナンパしてきたんだ!」
「大正解だぜ! さっすがバニラだなぁ」
「やった~!」
「暢気に喜ぶ答えではなかっただろう! ゲスか、おまえら竜族は!」
珍しく声を荒げたリオンがソファーから立ち上がって怒っている。
シャルルは「悪かったって~!」と落ち着かせるようにリオンに小さな両手を突き出した。
「オレ様だって無理矢理はしねぇっての。それを里の奴らには重々言い聞かせてんだが、聞きゃしねぇ。それもあって、早めに邪竜を鎮めるか、倒すかする必要があんだよ」
「なるほど、承知した。では、倒しにいこうではないか邪竜をすぐにでも」
「おお、先輩が急にやる気全開で嬉しいです……!」
「邪竜の前にオレ様が殺されるかと思ったけどな」
「おい、ちび竜」
ほっと胸を撫でおろすシャルルを、リオンがぎろりと睨む。
ぴっと即座に背筋を正したシャルルは「はい、なんでしょ!」とキレのいい返事をした。
「お仲間には、最強の魔術師が邪竜を倒しに行くから、もう少し大人しく待っておけと伝えろ。明日には兄さまに報告をして、出発する。おまえも準備をしておけ」
「はいっ。……先輩、わがまま言ってごめんなさい」
早速準備に取りかかるのだろう。
自室に帰るリオンの背中に声をかけると、リオンはドアを後ろ手に閉めかけて振り返る。
鼻を鳴らしてリオンは肩をすくめた。
「行くと決めたのは、この俺だ。勝手におまえのわがままのせいにするな。明日出発だ。よく寝ておけよ」
「はい」
バニラが笑顔で頷いたのを確認して、リオンはドアを閉める。
少し気まずそうにしているシャルルを見下ろして、バニラはくすくすと小さく笑った。
「あ~、バニラ。オレ様は本当にいやがる女の子を抱く趣味とかはねぇからな」
「そうだよね。それにシャルルみたいなちっちゃくてかわいいドラゴンが子どもを作るなんて、無理でしょ? 竜の里の仲間も無茶なこと言うなぁ」
シャルルは一瞬衝撃を受けた顔をしたものの、すぐにぎこちない笑みをつくる。
「いいんだいいんだ。オレ様はこれで今日もバニラと一緒のお布団でおねんねできるぜ」
「そうそう、早くおねんねしなくちゃ。いこ、シャルル」
「おうよ……」
ぴょんと肩に乗ってきたシャルルは、いつもと同じようにバニラの枕元で眠ったが、夜中しくしく泣く声が聞こえた。
*
「邪竜退治? リオンが?」
「いや、私も行くんですよっ。ドウェイン先生!」
翌朝、支援クエストに赴くついでに報告をしようと、リオンは早朝から一緒に薬草園についてきた。
リオンを伴ったバニラの出勤にドウェインは驚いていた様子だが、遠征クエストの行き先と討伐対象を聞くと、当然さらに驚いた。
眼鏡の奥の目をまん丸にしてリオンを見たドウェインは、次の瞬間にはにんまりと笑みを浮かべる。
その瞳の奥がギラギラと光っていることが気になった。
「兄さま。許可をいただけますでしょうか」
リオンはドウェインの前に来ると、相変わらず人形のようだ。
きれいな顔に浮かべる表情をすべて消してしまったリオンの隣で、バニラもじっとドウェインを見つめる。
ドウェインは肩をすくめて愉しそうに答えた。
「いいよ。これはいい実験になりそうだからね。他の先生には絶対に言わないという約束なら、許可しよう」
「わあ! よかったですね、先輩」
ドウェインの言葉にリオンが一瞬眉をひそめる。
兄弟の間にただようピリピリとした空気に、許可をもらえたことで喜んだバニラもすぐに姿勢を正さざるを得なかった。
「実験……とは、どういった意味でしょう?」
「リオンに邪竜が倒せるのかと思っただけだよ。でも、殺されることは許さないよ。かわいい弟と教え子が、あっさりと死んでしまうなんて、俺には耐えられないからね」
「約束はできかねます」
「約束していきなさい、リオン。生きて帰ると誓えない者は本当に死んでしまうよ」
ドウェインの言葉にリオンは黙り込む。
ドウェインが言っていたように、リオンは本当にただの反抗期なのだろうか。
バニラが流れる沈黙の気まずさに気を揉んでいると、ドウェインは諦めたように苦笑を浮かべた。
「バニラ君。リオンが生きて帰れるように、君もがんばってくれよ」
「もちろんです! 私と先輩は絶対に生きて帰ってきて、幸せに結婚するんです。その結婚式には先生にも出席してもらいますからね」
「おお、これは光栄」
おどけて言ったドウェインは「さて」と仕切り直して、書類をバニラに手渡す。
そこには、ギルドでのクエスト受注方法などが細かに記されていた。
「旅のしおりってやつだよ。手続きなんかで困ったら、これを見ればいい。邪竜討伐なんて馬鹿げたクエストはギルドには出ていないだろうけど、討伐証明さえ持ち帰れば受理してもらえるはずだ。一度は情報集めに立ち寄った方がいいだろうね」
「山には他の魔物もいるかもですもんね」
「あと、勝手に討伐しに行って失敗した結果、邪竜を目覚めさせた大悪党として伝説に名を残さないための案も考えてから挑むこと。いいね?」
「了解です!」
力強く頷くと、ドウェインは優しく笑んだ。
「君たちが第二の賢者になれることを祈っているよ」




