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32 狂気の教会


 イニジオにあるスラム街。

 そこにある教会は孤児院を兼ねていた。

 子を育てられなくなった親が訪ねてきては子を捨てていく。

 そんな教会に捨てられた子のひとりがバニラだった。


「すべてを救うことはできないことが私は悔しいです。けれど、あなたたちと共にいられることは私にとっての誇りであり、幸福であることもまた事実。あなたたちといられる今をくださっている女神様に感謝しましょう」


 スラムの教会に捨てられる子の数はあまりに多い。

 女神のように心優しいシスターは、溢れてしまった子どもたちもどこかに預けるなどして、救える命を増やそうと手を尽くしてきたが、すべてを救うことはできなかった。

 そんな中で、この母と慕うシスターと過ごせている幸運が子どもたちにとっても誇りであり、守るべき幸せでもあった。


「あなたたちは何者も傷つけない心優しい大人になるのですよ。暴力などもってのほか。悪い子は罰せられる。それが女神様の教えであり、この世界を正常に戻すための唯一の術なのです」


 子どもたちは仲もよく、女神の教えに従って喧嘩すらなく、金もなかったが、シスターの愛に包まれてすくすくと成長をしていた。

 だが、ここは聖域であってもスラム街。


 悪い奴らはいるもので、教会にはそういった連中が寄りつくようになっていった。

 子どもを人質にして食事を横取りし、少ない金品を奪い

、果てにはこの教会の土地を寄越せと毎日のように怒鳴り込んでくるようになった。


 いつか本当に誰かが見せしめに殺されてしまうんじゃないか。

 そんな恐怖が教会を包む中、バニラだけは書庫にこもっていた。

 バニラは、昔からあるこの古い教会の書庫に古代魔術を見つけていたのだ。


 あの悪い連中をやっつければ、教会に平和が戻る。

 愛する母であるシスターにも褒めてもらえる。

 バニラは、その一心ですべての時間を研究に注いだ。


 そして、その晩は訪れた。


「おう、シスター様。今日こそは、この土地を譲る気になったかよ」

「こんな腐れた教会で誰も聞かねぇ狂った教えたれ流してても意味ねぇんだ。とっととガキ連れて出て行きやがれ」


 武器を振りかざしてやってきたのは男二人組だった。

 肩を小さくふるわせながらも気丈に振る舞って、子どもたちの前に立っているシスターは玄関で男たちと対峙していた。


「おかえりください。衛兵を呼びますよ」

「こんなちっぽけな教会守ったところで意味ねぇんだよ。つか、暴力嫌いな女神様は衛兵様に暴力ふるってもらって解決する気かぁ?」

「女神が聞いてあきれるぜ」


 げらげらと下品に笑う男たち。

 その男たちの笑い声がぴたりと止まって、周囲のときもぴたりと止まったあの瞬間。

 バニラは初めて完成させたばかりの『氷結する世界』を使用した。


 誰も動かない、時の止まった世界に幼心に孤独感を覚えた。

 おそるおそるシスターの背中から出て行き、笑っている男たちの前に隠し持っていたナイフを振り上げる。


 どこに、このナイフを振りおろせばいいのか迷った。

 胸に突き立てれば、死んでしまうだろう。

 足に突き立てれば、死にはしないだろうが逃げてもくれないかもしれない。

 ならば、腕……だろうか。


 人を傷つけることは初めてのことだった。

 しかも、ナイフを突き立てるだなんてことは。


 心臓が恐ろしいほどに鳴って自分を追いつめた。

 『氷結する世界』を持続させられる時間が短いということもバニラの精神を削った。


 そして、バニラは意を決して男の腕にナイフを突き立てたのだ。

 時の止まった世界では血も噴き出さない。

 ナイフを抜くとただ傷口が開いている。


 ひとり刺してしまったのなら、もうひとりを躊躇っているわけにはいかない。

 報復されるわけにはいかないので、もうひとりの男も武器を持っている腕にナイフを刺して、引き抜いた。


 そこで、『氷結する世界』は途切れた。


「は? う、ぐぁあああ!!」

「い、いてぇ!! いてえ! なんだこれ!?」


 瞬間傷口から血があふれ出した男たちの叫び声をバニラは全身に浴びた。


 深く刺しすぎてしまったのだろうか。

 男たちの痛がりように、バニラはおびえてナイフを抱いたままシスターの元に駆け寄ろうと振り返って固まった。


 シスターは見たことのない顔をしていた。

 その顔は嫌悪に染まった顔色だった。


「シ、シスター?」

「なんて……汚らわしいの?」


 傷口を押さえてうずくまっていた男たちもひるむような冷たい声だった。


「このガキ、さっきまでこんなとこにいなかったろ」

「気味わりぃ……! 殺されんぞ! 逃げろ!」


 男たちが転がるように出て行った後、教会は凍ったような空気に包まれた。

 シスターの背中では子どもたちがおびえたように震えている。

 シスターは汚物でも見るような視線でバニラを貫いていた。


「なにをしたのですか、バニラ」

「あ、の……。書庫で見つけたの。『氷結する世界』っていう古代魔術で、時を止めることができるんだって。シスターが文字を教えてくれたから、私勉強して……」

「私が文字を教えてしまったことが、あなたを化け物にしてしまった原因だったのですね」


 胡乱な目をしたままに呟いたシスターは、ふらりと書庫の方へ歩き出す。

 子どもたちがシスターを追いかけたのと同じように書庫へと向かったが、バニラだけは突き飛ばすようにして書庫の外へとはじき出された。


「シスター! ごめんなさい、ごめんなさい! 私、教会を、みんなを守りたくて!」

「暴力をふるう者であるあなたの言葉はすべて悪魔の言葉です。私は今から女神様に許しを請います。悪魔はこの聖域から出ていきなさい」

「へ……?」

「おお、女神よ。私は悪魔を育ててしまいました。私は悪の元凶。罪深きものです。これ以上、この世に悪を生み出すことのないよう、この身を捧げます」


 バタンと目の前で扉が閉められて鍵がかけられる。

 呆然と立ち尽くしていると、書庫の中からは子どもたちの悲鳴が聞こえだした。

 何が起きているのかわからないまま、扉をたたき続けていると扉の隙間から煙りがこぼれだしてくる。

 焦げたにおいに、バニラはすぐに火がつけられたのだと察した。


 泣きながら衛兵のところに転がり込んで、スラムの子どもであることを少し邪険にされながらも救いを求めると、ようやく衛兵は動いてくれた。


 懸命な消火活動が行われたものの書庫は全焼。

 中にいた者たちは全員死亡が確認された。


 呪われた教会。

 そう呼ばれるようになったこの教会が邪教の聖域だと知ったのは、スラムで暮らすようになってからのことだ。

 気の狂ったシスターが、気の狂ったような愛の教育を行っている場所。

 それが、この教会だった。


「暴力をふるう子が誰もいなかったのも、喧嘩をしたことがなかったのも、そういった争いの種になりそうな子をシスターが売り払うことで運営資金を稼いでいたからだって、あとから知りました。それでも、私にとってシスターは確かにお母さんだったんです」


 ぽつぽつとバニラは過去を語った。

 リオンと結婚を望むなら、いつかは話さなければ、いや話したいと思っていた過去だった。

 だが、勇気が出ずに話せずにいたこの過去を伝えてしまったのは覚悟が決まったからと言うわけではない。


 寝不足による疲労と魔力不足による意識の混濁、そしてトラウマの残る地に戻ってきてしまったことへの衝撃。

 それらによって判断能力が鈍ってしまった結果のことだ。

 

 魔力拘束具に解除術式を流し込みながら話を聞いてくれていたリオンは、ベンチに座ってぐったりとしているバニラに何も言わない。


 やっぱり話さない方がよかったのかも。


 こんな話を喜んで聞く者なんていないだろう。

 魔力不足で苦しい中、バニラは自嘲の笑みを浮かべた。


「私みたいな、悪魔が……先輩のこと好きになっちゃいけませんでした。三つの試練もやめた方がいいのかもしれないです。こんな私じゃ、先輩に好きになんてなってもらえません」


 ああ、余計なことを言っている。

 面倒くさいことこの上ない。


 わかっているのに、弱った精神は不毛な言葉を吐き続ける。


「私なんかがバディじゃ、先輩に迷惑がかかるばっかりです……。ドウェイン先生に相談してみます。私以外の、もっと優秀な方とバディが組めるようにって。だから、迷惑をかけるのも、これっきりにします」

「もう黙っておけ」


 カシャンと首から拘束具がはずれる。

 行程が多く、手の掛かる解除をお願いしなければならなかったのも心苦しくて仕方がなかった。


 もうこれ以上面倒なことを言うな。

 そう言われたのだろうと解釈して、バニラは唇を噛む。

 言われて当然だ。

 バディ解消の相談なんて、黙ってすればいい。

 三つの試練なんて頼まれて挑戦しているわけではないのだから、勝手にやめてしまえばいいのだ。


 わかっているのにこぼれ出てしまう自分の弱さに辟易していると、リオンがバニラの座っているベンチの背に、バニラを挟むようにして両手をついた。

 ぐっとリオンの顔が近づいてくる。

 輝くほどに整った顔が間近にあることに体を硬直させていると、リオンの目が不機嫌に歪んだ。


「勘違いするなよ」


 なにを?


 そう言いかけた唇になにか触れた。

 柔らかくて心地いい何かだ。

 リオンの顔がとても近い。

 伏せられた目が目の前にある。


 キス、されている。

 そう理解したのは、体に魔力が流れ込んできたからだ。

 最も効率のいい魔力供給。

 これはキスではないから勘違いするなということだったのだろうか。


 混乱しているバニラをよそに、柔らかな唇はゆっくりと離れていく。

 真っ赤になっているリオンの顔を見ると、リオンは不機嫌に表情を歪めてバニラを抱きしめた。


「まりょくきょうきゅうですか?」

「……俺は、おまえが大事だ。勘違いするなと言っている」


 心臓が強く鳴る。

 リオンがバニラを大事に思っている。

 それは感じていたことだ。

 バディとして、リオンはとてもバニラを大事にしてくれている。

 そのことに感謝もしている。

 だが、言葉にされると恥ずかしくて仕方がなかった。


「三つの試練を途中で投げ出すことは許さん。バディ解消など言語道断だ。これから、この俺に新たな人間関係を構築しろなどと面倒この上ないことを強要する気か?」

「でも、先輩……、私人殺しなんですよ?」

「今の話を聞いておまえが人殺しだと思うのは、おまえくらいのものだ。おまえは仲間を救おうと悪に立ち向かっただけにすぎない。おまえが、おまえを責め続けることは勝手だ。だが、俺の傍から離れる理由にするのであれば、俺はそれを許さんぞ」

「悪魔でも、傍にいていいんですか?」

「なんだろうがおまえは俺のバディだ。当然だろう」


 ぎゅう、とリオンが抱きしめてくれる腕の力が強まる。

 バニラもぼろぼろと涙をこぼしながらリオンにしがみついた。


「もっかい、魔力供給してください。胸が、苦しくて仕方がないんです」

「……勘違いするな」


 ぼそりとバニラの耳元で呟いたリオンの声が熱を帯びていたのは気のせいだろうか。

 ふたりがもう一度口づけを交わした数分後、教会には衛兵と医者が到着した。


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