03 薬草園の教師
バニラの四年生としての学園生活は三つの試練を抱えたことにより、『奥の手』を使っても忙しさを極めた。
「おはようございます! ドウェイン先生」
「やあ、おはよう。バニラ君。今日も早いね」
夜明けと共に目覚めて、バニラが向かうのは薬草園だ。
冒険者はクエストの中で薬を使うことも多い。
その薬の材料となる薬草をつくるためのドーム型の温室には、いつも決まった男が待っている。
薬草園の管理者であり、バニラの担任、そしてリオンの兄でもある男。ドウェイン・フラメル。
フラメル家の証である黒い髪は、リオンの星空を思わせる髪よりも暗い色をしている。
闇夜を連想させるその黒く長い髪は絹糸のようにまっすぐだ。
ドウェインは、その髪を揺らしてこちらを振り返った。
「今日もよろしくお願いします! 薬草のお世話で大丈夫ですよね?」
「そうだね。バニラ君は薬草の知識が豊富だから、お任せできて助かるよ。僕は君が来てくれるようになってから、さぼってばっかりだ」
ドウェインの金色の優しげな目が、眼鏡の奥で緩やかに弧を描く。
ほほえみの貴公子と呼ばれる彼は、いつも人好きする笑顔を浮かべていて人当たりも良い。
もちろんリオンの兄であるため、恐ろしいほどに顔も整っている彼には、リオン同様生徒によるファンクラブもあるほどだ。
美形兄弟恐るべし。
朝からまぶしいほどのイケメンに目を細めてから、バニラは薬草の世話をはじめた。
この薬草園の薬草たちからは様々な薬がつくられる。
世界でも有数の薬草の種類を誇るこの薬草園は、わざわざ有名な冒険者が訪れることもあるほどだ。
一年間でクエストポイントを十万ポイント獲得するためには、効率的に動く必要があった。
お手伝い程度の支援クエストは討伐クエストとは異なり、ひとりでも請け負える。
毎日同じ時間、同じ場所でできる支援クエストでそれなりに稼ぎのいいもの。
その条件を満たしているのが、この薬草園の手伝いだった。
夜明けから三時間労働で五十ポイントを獲得できるこのクエストはおいしい。
更にこの支援クエストはバニラにとって、もうひとつおいしいことがあった。
それは無料で薬草を大量にもらえることだ。
「ドウェイン先生、ポパイ草とリンベルの花を今日もいただいていいですか?」
水やりや肥料の調整、成長の確認、収穫等。
すべての仕事を終えて、制服の上に着ていた作業着を腰までおろしたバニラは泥を頬につけたままドウェインに訊ねる。
薬草園の片隅にある小屋の中で薬を煎じる鍋をぐるぐるかき混ぜていたドウェインは、バニラを振り返って笑みを深めた。
「もちろんさ。面倒この上ない仕事を手伝ってくれるのは君くらいなものだからね。たま~に他の女の子が来てくれることもあったんだけど、みんないなくなってしまった」
「あ~、肉体労働ですもんね。朝も早いし」
「しかも、薬草は種類によって世話の仕方も違うんだから、こんなに面倒な仕事も珍しいくらいだよ。バニラ君はよくやってくれているよ、ありがとう」
穏やかに微笑みながら、毎日のことだからか既に用意してくれていたポパイ草とリンベル草を詰めた袋をドウェインが渡してくれる。
たまに手伝いに来ていたという女の子は、きっとこの先生のファンでこの笑顔を見るためにここにきていたんだろう。
その価値がこの美貌の笑みにはある。
「それにしても君は本当にその薬草が好きだね。副作用のこともあるんだから、無理は禁物だよ」
「副作用のことは承知です! ご心配と薬草ありがとうございます! それでは、今日はこれで失礼しますね」
「うん、ありがとう」
ひらひら手を振るドウェインに一礼をしたバニラは、薬草園を出ながら袋の中の薬草を確認した。
体力回復のポパイ草、魔力回復のリンベルの花。どちらも青々しいにおいを放っている薬草は、きれいに洗われているようだ。
むしゃむしゃとヤギのごとく草を食べながらバニラが向かった先は図書館だ。
四年生になると授業は選択式になり、受けるも受けないも自由。
三年間の座学期間中にほぼすべての授業を受け終えたバニラにとって、今日はめぼしい授業はなかった。
「おはようございます。今日もおじゃまさせてください」
とっくに顔見知りの司書は挨拶をするバニラを見て嫌悪の表情を見せたが、それは今にはじまったことではない。
ぺろっと口についた薬草を何でもない調子でなめて、バニラは司書に図書館の利用を申請してからいつもの席についた。
図書館奥の一番人目につきにくい場所。
そこがバニラの特等席だ。ほかには誰も座らない呪われていると呼ばれた席が、その席。
席につく途中で手に入れた難解な古代語の本を机に置いたバニラは、その分厚い本を開く。
集中モードに入った彼女の背中をたまたま見つけた様子の生徒が「うわ」と小さく声をあげた。
「勇者の出来損ない娘だわ」
「今日も相変わらずガリガリ勉強してんなぁ」
「相変わらず影薄いなぁ。さっきまでいなかったろ。気味わりぃよ」
ひそひそと会話をして去っていく生徒の声はバニラの耳には届かない。
それがあまりにも日常だからだ。
勇者の娘であるバニラは、入学当初たいへん注目された生徒だった。
冒険者である育ての父ヘリオス・ラッカウスは、若い頃に魔王を倒し、勇者となった。
誰もが憧れる冒険者の星、勇者。その娘のバニラが冒険者育成学園であるバレンティアに入学したのだ。
注目されないわけがなかった。
しかし、期待の注目を受けていたのはほんの一瞬。
バニラに実力がないとわかるや否や生徒たちは、バニラの傍からいなくなった。
バニラは攻撃魔術が一切使えない。
ガリ勉で知識は豊富にあれど、攻撃魔術が使えない冒険者は致命的だ。
更にバニラが遠巻きにされるようになったのはその容姿も災いしていた。
勇者ヘリオスは赤髪赤眼の大男であり、その体躯によく合う大剣使い。更に彼は結婚もしていない。
金色の髪に緑の瞳、小柄なバニラはヘリオスに似ても似つかなかった。
バニラには勇者の血が流れていない。
バニラ自身隠していたわけでもない事実はあっという間に広がり、勝手に期待した連中は勝手に離れていった。
学園に入る前からバカにされる経験は多かったため、バニラはもう気にしていない。
気にしていないことにしなければ、明るく元気な女の子ではいられなかった。
「ちょっと」
どのくらいの時間が経過しただろう。
一冊を読むのに一日かかると言われるその本を草を食べつつ読み終えたのと、机がドンと揺らされたのは同時だった。
声がした隣へと視線を向けると、机をたたいたのはどうやらこの女生徒のようだ。
気の強そうな美人の彼女は後ろにもう二人女生徒を引き連れている。
怒っている様子の三人組にバニラはきょとんと目を丸めた。




