24 愛の告白
喉にナイフ。
それを持っているのは、エドガー。
たったそれだけのことを理解するのに数秒の時間を要した。
見上げたエドガーの顔は困惑に満ちている。
この状況を作った張本人の表情とは思えなかった。
「エドガー!? なにをしているんですの!?」
「動くなァァァ!」
喉が裂けるような叫びをあげて、エドガーはバニラを抱えたままずるずると後ろに下がる。
喉元に触れたナイフが揺れて、少し動けば切れてしまいそうだ。
呼吸もままならないほどの緊張感で体が動かなかった。
「貴様、どういうつもりだ」
エドガーを睨むリオンの表情は恐ろしいものだった。
今にもエドガーを殺してしまいそうなリオンにバニラは涙ぐむ。
なにが起きているのかはわからない。
だが、これがエドガーの本意でないことは理解できた。
「エ、エドガー? どうしたの? なに? びっくりしちゃうよ」
「ラッカウス、様。申し訳……俺は、あなたを殺したくて。殺したくて殺したくて殺したくて、頭が、おか、おかしくなりそうなんです」
舌が回らない様子でエドガーが話す。
握られたナイフには力がこめられているのに、バニラの喉を切り開くことはなく、ただそこでガタガタと震えているばかりだ。
「エドガー……あなた、どこでそんな厄介な呪いをもらってきたんですの」
「呪いだと?」
眉を寄せたクーリアが険しい表情で頷き、目を閉じる。
クーリアの周囲に光の粒子が舞い上がりはじめた。
「呪いとは脳をだますこと。たとえば有名な『口寄せ』は魔物を呼び寄せるにおいをだせると体に思わせて、体内から魔物が好む香りを発生させるんですの。エドガーの脳は今何者かにだまされていますわ」
「……なんの呪術かまでわかるのか?」
「こんな呪術は初めてで全く検討もつきませんわ。でも、私なら解呪可能ですわ」
光の粒子はまとまった線状となり、エドガーの体のいたるところに触れる。
「相当深いところまで潜らなければいけませんわね……。バニラとリオン様はエドガーに声をかけ続けてくださいませ。エドガーはもう一人の自分と戦っている状態ですわ」
正気の自分と狂った自分がせめぎ合っているのだろう。
ナイフをガタガタ揺らしているエドガーに最初に声をかけたのはリオンだった。
「おい、おまえの主人が尽力しているというのに、その友人を殺してしまえば、おまえは一生の罪と共に拭えない後悔を背負うことになるぞ」
「……リオン・フラメル」
舌足らずに呟いたエドガーが、一瞬リオンを見て、ぎょろりと藍色の瞳をバニラに向ける。
見開かれた目でバニラを見つめるエドガーは、今までで一番葛藤しているように見えた。
「だめ、だ。ダメだダメだダメだ。やめろっ! クーリア様のため、この女が、いなくなれば、でも俺は……俺はこの子、この子のことが」
「エドガー……? 私を殺したいのは、クーリアのためなの?」
「ぐ、うがァ……」
息を荒げたエドガーが苦しげにうめく。
それから、錆びた機械のような動きでギシギシと頷いた。
「クーリア様の、ため。クーリア、様が、幸せに。願いを叶え」
「クーリアのためか。エドガーがそう思うなら、そうなのかもしれないけど。でも、私は死ねないよ。死ぬわけにいかない。先輩と結婚しなくちゃいけないし……、エドガーにも言ったでしょ。誓ったの、私」
優しさに満ちた海のようだった藍色の瞳が、今や嵐のような輝きに満ちている。
そのエドガーの瞳を見つめて、バニラはそっと目を細めた。
「幸せになることをあきらめないって」
エドガーの目が大きく開く。
その瞬間、クーリアがエドガーにつなげていた光の粒子がはじけたように舞い上がった。
「解呪! 完了ですわ!」
さすがは希代の天才呪術師。
一般人では魔力量も技術も足りず、到底行えない解呪をいとも簡単にすませたクーリアが、ツンと得意げに顎をあげる。
喉元に突きつけられていたナイフが地面に転がり、命の危機を脱したと気づいたバニラは足の力が抜けてしまった。
へたりこもうとした体をそのままエドガーが支えてくれる。
元通りの優しい彼に戻ったのだと、声をかけようとした瞬間。
体をくるりと反転させられた。
「エ、ドガー?」
体中が暖かい。
気づけば、エドガーがその高い背を丸めてバニラを包み込むように抱きしめていた。
肩に寄せられた額がくすぐったい。
真っ赤になったバニラが指一本動かせずにいると、肩口でエドガーが何かを言った。
「……です」
「え? エドガー? だ、大丈夫? まだ調子悪い?」
「大好きです」
「へェ!?」
さっきまで殺意を向けてきていた相手からの唐突な告白に、おかしな声が出てしまう。
しかし、エドガーはバニラを抱く力を強めただけだった。
「あなたは俺のことがわからないのかもしれない。でも、俺とあなたは、ずいぶん前に出会っているんです」
「エドガーと……? ご、ごめんね。わかんなくって」
出会いを忘れられる悲しさはよくわかっているのに、まったく思い出せないことが申し訳ない。
思わず見やったリオンは、何か思い詰めた様子でこちらを見ていた。
「スラムは盗みが生活の基本だ。なのに、あなたは一切誰からも奪わなかった。誰かの食べ物を奪うくらいなら死んだ方がいいとまで言って、いつもお腹をぐうぐう鳴らせて笑ってた」
エドガーも昔スラムで暮らしていたと言っていた。
そして、奴隷船に乗せられたと。
一瞬蒼い髪のあの子が浮かんだ。
だが、あの子は記憶では女の子だったはず。
混乱しているバニラにエドガーは続ける。
「イニジオの街。スラムの片隅にあるパン屋の裏。おいしいにおいがするからって、そこでいつも寝ていたあなたは俺と一緒に毛布をかぶって寝てくれたんだ。食事だって一緒に探した。ごはんを奪われて悔しくて一緒に泣いたりもした」
「なに……エドガー。あの子ってば、女の子じゃなかったの?」
「ああ。バニラより、ずっと背も高くなった男だ」
生きていた。
スラムで出会ったあの子が生きていたという喜びが全身を駆けめぐった。
ぎゅうとエドガーを抱き返すと、その温もりを強く感じる。
あふれた涙がエドガーの服をぬらしていても、どうすることもできなかった。
「なんで、あのとき名前教えてくれなかったの? 教えてくれてれば、すぐに気づけたのにっ」
「バニラは俺のこと女の子だと思ってたから一緒に居てくれるんだと思ったんだ」
「そんなの気にしなかったよ」
すんと鼻を鳴らしたエドガーが、抱きしめていた体をそっと離してバニラをのぞき込む。
優しさにあふれた穏やかな顔。
女の子みたいだったあの子が立派な男性になっていることが嬉しい。
涙をこぼしたままに笑むと、エドガーは涙を浮かべた目をやんわりと細めてもう一度告げた。
「バニラ。ずっとあなたが大好きなんだ。俺と付き合ってほしい」
禁断書庫でがんばった2章もこれにて完結です。お読みいただきありがとうございます。
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