02 おしゃべりの小竜
冒険者育成学園バレンティア。
名の通り、冒険者を育成するこの学園ではバディ制度が設けられている。
二人一組のバディは、討伐クエスト中は一心同体。
バレンティアではその信頼関係を学ぶためにも、バディは生活を共にすることになっている。
寝室のみ分けられたルームシェア式の同居生活のはじまりだ。
「いよいよ、先輩と私のハッピーライフ第一章がはじまるんですね! あ、お茶でもいれます? 私、甘いお茶を持ってきて……あうっ!」
先ほど玄関先で告白をすげなく断られ、無理難題の三つの試練をふっかけられたとは思えないほどバニラは楽しげだ。
月色のふわふわとした髪を弾ませてうきうきしているその平均よりも小さな体が、突然ひょいとつまみあげられる。
二つ名付きの魔術師でも使いこなすことが困難と言われる重力魔法を使って、バニラを子猫のようにつまんだリオンは嫌悪感むき出しの表情でバニラの顔を覗きこんだ。
「なにがハッピーライフ第一章だ。本当に阿呆だな、おまえは。俺がおまえとお茶なんかすると思うか? 今しがたおまえを振ったばかりだぞ、俺は」
「失敬な! 私は、振られてなんかいませんし、これからも振られることはないと言ったはずです。先輩が出した三つの試練をクリアすればいいんですから」
一つ 試験で総合一位をとること
二つ 一年間で十万クエストポイントを獲得すること
三つ 全力で戦ってリオンに勝つこと
リオンが交際を考える条件として提示した三つの試練は、恐ろしく困難なものばかりだ。
それは普通の人間が聞けば、思わず笑ってしまうほどのもの。真剣にとらえているバニラは異常だ。
そんなバニラの異常ぶりにリオンは呆れを隠せない様子だった。
「あ、その目は私には無理だって思ってますね」
「無理難題をだしているんだ。無理なようにな」
「無理じゃないですよ! 確かに、今の私では先輩に勝つことは難しいですよ。でも、他の二つは今から全力で努力すれば間に合う可能性大です! 試験まであともう少しありますしね。がんばりますよ!」
ぐっと拳を握るバニラが言っているのは、春の試験のことだ。
バレンティアでは季節ごとに試験が行われる。
リオンが出した試練の『試験で総合一位をとること』というのは、その春夏秋冬の四回すべての試験の合計点で学年内一位をとるという意味だ。
バニラの前年度総合成績は三年生最下位。
リオンには、バニラがなぜ自信たっぷりにしているのかまるで理解できなかったはずだ。
バニラは「まあまあ、見ててくださいよ」と言って、相変わらず重力魔法につままれて宙に浮いたまま、にまにまと口角をあげた。
「それよりも、問題は二つ目です! 十万クエストポイントは、先輩の協力もなくちゃ達成できないですからね。協力してもらいますよ」
プロの冒険者となれば、現金で支払われるべき報酬だが、ここは飽くまで冒険者育成学園。
クエスト達成の際に現金代わりに支払われる報酬がクエストポイントだ。
魔物退治を請け負う討伐クエストは命の危機が伴うため、もちろん稼ぎが多い。しかし、生存率をあげるためにバディでの行動が義務付けられている。
リオンの協力なくして、十万クエストポイントの達成は不可能だ。
試練達成のために協力を仰ぐバニラにリオンは目を眇めた。
「おまえは、俺が去年稼いだポイントを知っているか?」
「はい、もちろん。噂になってましたよ。先輩が前代未聞の六万二千五百ポイントを獲得して進級されたこと。さすがですね!」
「進級および卒業に必要なクエストポイントは?」
「一万ポイントですね」
「俺がおまえに要求しているクエストポイントはいくつだ?」
「十万ポイントです!」
自信満々に答えるバニラを見てリオンがかわいそうな子を見る目をする。
「……一万と十万の差はわかるな?」
「バカにしないでくださいよ。九万ポイントです!」
むっとした様子で小さな唇をとがらせて答えるバニラにリオンは頭を抱えた。
学年一位をとるために勉強をしながら、その合間でクエストをこなして年間十万ポイントを稼ぐことは時間的にも体力的にも不可能だろう。
つまり、リオンは不可能なことをバニラに要求しているのだが、バニラには欠片も伝わってなどいなかった。
「意地悪して手伝わないなんて言わないでくださいね!」
「ああ、バディだからな。俺もクエストポイントをできる限り稼いでから卒業したい。だが、おまえにある程度の実力がつかない限りは足手まといで討伐クエストに赴くこともできん。足手まといにならない程度の実力は俺に示せ」
「わかってますよ! 最終的には先輩に勝たなきゃいけないんですから、しっかり腕を磨いておきます」
バニラは、制服の腕をぐいっとまくって力こぶのひとつもない細腕を見せつける。
バチンとウインクをひとつ決めると、リオンはきょとりとして突然しかめっ面を見せた。
腕がなにやらまずかっただろうか。
露出した二の腕をもみもみして「ん?」とバニラが疑問符を浮かべると、リオンは宙に浮かせたままだったニラの体を少々乱暴に移動させた。
「わ、わわっ。なんですか、先輩」
「おまえは阿呆だとばかり思っていたが、やはり阿呆だ。フラれたばかりとはいえ、男相手に生肌を見せつけるな」
「ん? なまはだ? え? 二の腕くらい常時見せつけてる人いっぱいいるじゃないですか!」
「けしからんことだ。阿呆は部屋にこもって、試験勉強でもしていろ」
ひょいと放り込まれたのはバニラの寝室。
尻もちをついた腰をさすりながら文句を言おうと振り返ると、困ったように眉を寄せたリオンと目が合う。
バニラが首を傾げたその時、月色の柔らかな髪をなにかが肩口でもふりと持ち上げた。
ぽすりと肩に乗った小さな重みと暖かさに、「あ」と視線を向けると、そこには見慣れた銀色の小さなドラゴンがいた。
「よお、バニラ。痛かったろぉ、かわいそうに」
「そうですよ、先輩! 乱暴よくないです!」
ぴっと抗議のために向けた指先に居たリオンはぽかんとしている。
そういえば、まだこのバニラの鞄に住んでいる銀竜のことをリオンに紹介していなかった。
「あ、先輩。この子は……」
「よ~お、むっつり先輩。御覧の通り竜のシャルル様だ。よろしくぅ」
バニラが紹介するより早く銀色の小さな鱗をつやつやさせて、シャルルは笑む。
ぽかんと口を開けたリオンは、驚愕に震えた声をあげた。
「竜が……しゃべっただと。そもそも、竜、なのか? その小ささは……?」
「小さい言うな!」
「シャルは私の使い魔ですよ。お父さんとの旅の途中で出会ったんです」
「おま、使い魔って……」
衝撃を受けた様子のリオンは口をぱくぱくと開閉する。
整った顔がコミカルな動きを見せると、なんだか可愛らしい。
リオンの新たな一面にバニラが乙女らしくキュンとしていると、リオンはさっと顔色を白くした。
「先輩?」
「おっと、爬虫類アレルギーとか言うなよ? 竜は爬虫類じゃねぇかんな」
「……誰にも」
ぽつりと言ってから、リオンはこちらにずいっと歩み寄ってくる。
がしっとバニラの肩を掴んだリオンの手には痛いほど力がこもっていた。
「ッ先輩?」
「おまっ、バニラに何してんだよ!」
「誰にもこの竜のことは話していないだろうな?」
顔色の悪いままにリオンがバニラを見下ろす。
影になっていてよく見えないが、その赤い目は揺れているようにも見えた。
リオンを威嚇しているシャルルをなだめるために、その狭い額を撫でてから「はい」とバニラは頷いた。
「話してませんよ。シャルと相談して決めてたんです。バディが先輩ってわかったときに、先輩にだけはシャルのことは伝えておこうって」
「命預け合う相手なんだ。使い魔がオレみてぇな激レアすげぇ竜様だってことも伝えておくべきだろが」
なだめても、相変わらず威嚇モードのシャルルがリオンに精一杯の炎を小さく吐く。
大した攻撃ではないとわかってはいたが、バニラは「こらっ」と小さく注意した。
リオンは、シャルルが吐き出した炎を見てハッとした様子だった。
「すまない」と慌てた様子で、バニラの肩から手を離して、そのまま一歩後ろに下がる。
バツが悪そうな様子でうつむいたリオンは、静かに頭を下げた。
「竜が嫌いだとかそういう意味で、こういう態度をとったわけではない。竜はその希少さ故に狙われかねん。シャルルが実験動物になるような目にあいかねんと動揺した。突然大声を出してすまなかった」
真面目さたっぷりにこちらに謝罪をするリオンに、バニラは目を丸める。
「へ~」と、こちらもきょろりとした可愛らしい大きな青い瞳をまん丸にしたシャルルは、バニラの頭の上にちょこんと乗って小さな手で器用に頬杖をついた。
「実験動物たぁ失礼な話だがよ。むっつり先輩に謝られるたぁ、思わなかったぜ。思ってたよりかは優しいじゃねぇの」
「おまえのような小さな動物が痛めつけられることを考えて喜ぶ者は外道だろうが」
「誰が小動物だ! オレ様はしゃべれる上に火も吐ける激レア竜様だぞ!」
「実際小さいだろう。それより、なんだそのむっつり先輩というのは……」
「そんなことより! 先輩ひどいです!」
顔をあげたリオンとちび竜の微妙な言い争いの合間に割って入ったのは、泣きそうなバニラの声だった。
ぎょっとした様子で「おいおい、バニラ?」と戸惑っているシャルルと同じく、リオンも驚いている。
「ううう」と涙をこらえて唇を噛んだバニラが、今度はリオンの腕をがしりと掴んだ。
「どうして! シャルのことは名前で呼んだんですか!?」
「は?」
「しかも、初対面でめちゃくちゃ心配してるじゃないですか! もしかして先輩は小動物愛好家で、人間の女の子に興味はないんですか!?」
「おいおい、困るぜむっつり先輩。オレ様がいくら愛らしいからってよ」
「そんなわけがないだろう」
「ていうか、バニラ。今オレ様のこと小動物扱いしてなかった?」
悔しさいっぱいで、「うぐぎぃ」と奥歯をかみしめたバニラは、惚けているリオンに「もう!」と大きな声をあげてから、ドアに手をかけた。
「いつか絶対に先輩には、あま~い声で『バニラ』って呼んでもらうんですから! 覚悟していてくださいね!」
バタンとわざと大きな音を立てて閉めたドアを背に、バニラは「もう!」と一声あげる。
リオンに甘い声でその名を呼んでもらうためにも、まずは勉強をして試験で一位を取るしかないだろう。
机に向かったその手には青々とした草が握られていた。
「早速『奥の手』かぁ? 無理したら優しいオレ様でも怒っちまうかんな」
「先輩と結婚するためなら、無理くらいいくらでもするよ、私は」
机の上から心配そうにこちらを見上げるシャルルに微笑む
そして、バニラは青臭いにおいを放つその草をむしゃりと食べた。