18 執事の過去
「クーリアってすっごく眠りが深いんだね」
「ええ。クーリア様は一度眠られると八時間は絶対に起きません。すばらしい睡眠力をお持ちなんです」
勉強合宿をするはずが、禁断書庫探し合宿をすることになったバニラは、眠るクーリアを前にぽかんとしていた。
昨夜はクーリアが「友達は、きっと同じベッドで眠りますわ」と言って、バニラをベッドに招き入れてくれた。
狭いベッドで身を寄せ合ってした話は禁断書庫を探し回っても見つからなかったという情報はもちろん、大概は恋バナだ。
リオンがいかにかっこいいか、すてきか、美しいか。
同じ男を好きな者同士、興奮しながら話していたら真夜中になっていた。
八時間は眠るということは、つまりクーリアはまだまだ起きないということになる。
薬草園に手伝いに行く関係上、日の出と共に起きるバニラはすやすやと眠るクーリアのきれいな寝顔に「いってくるね」と小さく呟いてでかける支度をはじめた。
「もう帰られるのですか?」
エドガーも朝は早いらしい。
ずれたクーリアの布団をなおしながら問いかけてくる彼に、バニラは首を横に振った。
「ううん。支援クエストに行かなきゃいけないんだ。薬草園のドウェイン先生のお手伝い。……あっ、ドウェイン先生なら禁断書庫のこと知ってるかもしれないし、聞いてみる?」
「学園の先生方にもだいぶ話は聞いたんですが、ドウェイン先生はまだでしたね。聞いてみましょうか」
バニラの提案に快く頷いたエドガーがなぜか上着を羽織る。
「ん?」と首を傾げると、エドガーも笑顔で小首を傾げた。
「私も行きますよ。クーリア様のためですから」
宣言したエドガーは本当にバニラの支援クエストについてきた。
討伐証明を持って行けばクエストポイントをもらえる討伐クエストと、支援クエストは違う。
支援クエストは受理しなければクエストポイントはもらえないのだ。
つまり、エドガーはただ働き。
申し訳ない気もしたが、エドガーは「気を遣わないでください」と言って、薬草園に向かうバニラの隣を歩いていた。
「こうやってついてきたのは、あまりいい意味ではないんですから」
「え? なんで?」
「ラッカウス様はクーリア様のお友達です。もちろん信じたい気持ちでいっぱいですが、なにぶん裏切りに慣れている身でして。ラッカウス様が情報を持ち逃げしないよう監視の意味です」
穏やかな表情を浮かべるエドガーは、本当に笑顔の爽やかな優しげな男だ。
言っていることは「バニラを信用できない」という内容ではあるが、言われてまったく嫌な気持ちにはならない。
バニラは「そっか」と笑って頷いた。
「昨日友達になったばっかりだもんね。そりゃ全面信用してって言っても無理な話だよ。ほんとに、エドガーはクーリアが大好きなんだね」
「大好き、というのは少し違いますね。私のこの感情は忠誠です」
胸に手を当てて、エドガーは目を伏せる。
穏やかで包み込むような雰囲気がある彼は、リオンのように華のある顔立ちではないが、きっと多くの女の子の理想はこういう男だ。
なんでも許してくれそうな暖かさが、彼からは感じられた。
「クーリアに忠誠を誓ったのは、やっぱり執事だから?」
「クーリア様が私を執事にしてくれたから、忠誠を誓ったんです」
「ん? クーリアがエドガーを執事に誘ったの?」
「一緒に禁断書庫を探すんです。秘密にしているわけでもないので、お話ししましょう」
エドガーは隣を歩くバニラに微笑みかけて話し始めた。
「俺は、船で働く奴隷だったんです」
記憶をたどる限り、エドガーには家族がいなかった。
ゴミを漁りながら生きていたエドガーはある日拉致され、船で働く奴隷として生きることになる。
満足な水も食べ物もない劣悪な環境で働いていたエドガーは、船が港に止まると隙をついて逃げ出した。
そして、出会ったのがクーリアだった。
「クーリア様が禁断書庫を探している理由はご存じですか?」
「クーリアは自分の力を抑える魔術を探してるって」
エドガーの話を静かに聞いていたバニラが答えると、エドガーは「そうです」と頷く。
「クーリア様は呪術師一族であるアレイアード家の中でも最高の才能を持つ方です。今は魔力減退の薬草で抑えていますが、魔力をたどる才能があるあまり、クーリア様は他人の心まで読める力を手にしてしまっていました」
他人の心がすべて読めるという力は便利ではあったが、幼いクーリアにとっては傷つくことの方が多かった。
クーリアを心配したアレイアード家が、クーリアのために用意したのは大量の本と静かな離れ。
そこに転がり込んだのがエドガーだったのだ。
「すぐに奴隷船に引き戻されそうになった私を、クーリア様は助けてくださったんです。『これは私の召使いにするんですの』ってね」
「すごい……! なんだか物語みたいだね!」
「クーリア様はすばらしい方です」
うむうむと腕を組んで感慨深げに頷くエドガーに、バニラは「エドガーもだよ」と声をかけていた。
「え? 私ですか?」
「うん。エドガーもすばらしいよ。よく逃げられたね。奴隷船だなんて大変だったでしょ」
幸いバニラは奴隷商につかまったことはない。
だが、つかまった者は何人も知っている。
彼らはある日突然、スラム街から消えるのだ。
エドガーは「ああ」と奴隷だった当時を思い出したように遠い目をしてから首を横に振った。
「俺は本当に弱虫だったんです。スラム街にいた当時、少しの間でしたけど一緒にいた子がいましてね。その子が俺を助けてくれていなかったら、俺は死んでいたでしょうね」
「スラム街か。あそこは弱肉強食だもんね。ちょっとくらい強気にいかなくっちゃ、ひろってきた食べ物すぐに取られちゃうんだもん」
「よく知っているような口振りですね」
きょとんとしているエドガーに、バニラは「そりゃそうだよ」と、笑顔を向けた。
「だって、私、スラムにいたことあるんだもん」
「え?」
「ラッキーなことに教会の孤児院にいたんだけど、いろいろあってね。スラム街で暮らしてたことがあったの。そこでお父さんに出会ったんだよ」
「てっきりあなたは勇者ヘリオス様が孤児院から引き取られたのだと思っていました……」
驚いている様子のエドガーに、バニラは自分自身を指さしてなんでもないように言った。
「でも、血がつながってなくたって、お父さんは私のことを本当の娘だって言ってくれてる。私もお父さんのこと、本当の父親だって思ってるよ。だから、私はお父さんがそうしてくれてるように、何を言われても勇者の娘を名乗る」
凛とした瞳をバニラが細める。
月色のふわふわとした髪が揺れるのと、その強い瞳はあまりにアンバランスで、同時に美しかった。
エドガーの記憶の端に何かがかすめる。
「スラム暮らしは大変だったけど、私もスラム街で助けてくれた子がいてね。その子と誓ったの。『どんなに辛いことがあっても、幸せをあきらめない』って」
――辛いよね。でもさ、どんなに辛いことがあっても、幸せをあきらめないって。今ここで、私たちで決めちゃおうよ。そうしたら、生きていける気がしない?
そう誓って、小さな手を取り合った彼女をエドガーは思い出す。
エドガーはその誓いがあったから、奴隷船を脱出できた。
幸せを諦めないでいられたのだ。
初恋相手との、その誓いのおかげで。
「だから、私はお父さんの娘になれて幸せになれた。あのときのぼさぼさ髪の女の子。元気にしてるかなぁ?」
ふふっと笑うバニラに、エドガーは何も言えなかった。
スラム街にいた頃のエドガーは栄養不足からか小柄で、伸ばし放題の髪は長く、よく女子に間違われていたのだ。
「きっと……」
「ん?」
エドガーの声が震える。
バニラは、頬を赤らめるエドガーを不思議そうに見つめる。
エドガーはごくりと唾を飲んでから、力強く声を出した。
「きっと、絶対に、その子は幸せに生きてる。絶対だ」
エドガーの言葉にバニラは笑みを深める。
「ありがとう、エドガー」
日の光がバニラの髪を煌めかせる。
エドガーには、バニラが輝いて見えて仕方がなかった。
「その、ラッカウス様。俺……」
「大丈夫かい? 君。熱でもあるのかな?」
突然割って入ってきたのんびりとした穏やかな声。
ふと気がつくと、バニラに手を伸ばしかけたエドガーの前にはドウェインが立っていた。




