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17 祈りの信託


 ひとりで夕飯を食べることはリオンにとって久しぶりのことだった。

 いつも喧しいシャルルとバニラと囲んでいた食卓に、今日はリオンひとりだ。


 あいつは本当に勉強できているのか。


 バニラが勉強合宿の教師役に選んだクーリアは、以前に何度も会ったことがある仲だ。

 彼女は素直でなく、かなりめんどくさい性格である。

 バニラは彼女を落とせたのだろうかと考えて、まあ落とせるだろうなという結論に至った。

 バニラはめんどくさい人間をものともしないことを、めんどくさい人間であるリオンはよく知っている。


 自分のためだけの食事は適当な食材を炒めただけという実に簡素なものだ。


 さっさと食べ終えたリオンは昼間確かにバニラからシャルルを預かったが、あの小さな竜はここには居ない。

 「バニラ……。オレ様を置いてくなんてひでぇぜ」と、しばらくしょんぼりしていたシャルルが、「傷心の旅に出てくるわ。探すんじゃねぇぞ!」と去っていったのは夕方のことだ。


 しんと静まった部屋の真ん中で寂しさを覚えている自分に嫌気がさす。

 寂しいなんて、そんな感情を抱くほどに他人に深入りしている自分が嫌だった。


 コンコン


「……あいつか?」


 食事を終え、しばしぼんやりしていたリオンは、聞こえたノックに立ち上がる。


 思い浮かんだのはバニラの顔だ。

 寂しくなって帰ってきたというのであれば、呆れた調子で軽く馬鹿にして、それから一緒に茶でも飲んでやろう。

 自然に足取りが軽くなってしまった自分に気がつかないまま、リオンはためらわずドアを開け、そして目の前にいる人物に顔をしかめた。


 ツンツン跳ねる灰銀色の短い髪。猫のような青い目。

 着ている服が制服ではないということは、学外の人間なのだろう。

 不機嫌オーラダダ漏れのその男をリオンは知らない。


「誰だ? おまえは」


 腕を組んで不愉快そうにしているその男を睨んで、リオンは一歩下がる。

 いざとなれば、魔術でこの男を吹き飛ばすつもりは満々だ。


 灰銀色の男は「これは失礼」と小さく頭をさげた。


「あまりの不機嫌さに名乗ることをうっかり忘れていました。オレの名はシルヴァと申します。バニラ・ラッカウスの兄、といえば警戒を解いていただけますでしょうか?」

「は?」


 気づけば裏返った素っ頓狂な声をあげていた。


 あいつの兄?

 兄が居るなんて聞いたことあったか?


 頭の中で混乱している間に、シルヴァは「失礼します」と言いながら、リオンの脇を通って室内への侵入を果たしていた。


「おま、勝手に……。あいつから兄がいるという話は聞いたことがありません」

「あなたが彼女のことを知ろうとしたことがあったとも思えませんがね」


 言葉に詰まる。

 必要以上に知ってしまっては困るから、知っていない。

 だから、バニラに兄がいることを否定することもリオンにはできない。


 冷たい声音で言われる言葉は図星を的確についていて、リオンは攻撃の意思があるようにも思えない彼を受け入れるしかなかった。


 シルヴァの歩き方は紳士然としていた。

 育ちの良さを感じる動きに、バニラの兄としては違和感を覚えるが否定もできない。

 いざとなれば、シルヴァに向けて魔術を放つシミュレーションをしているリオンは、シルヴァがソファーに座っても、自分は決して座ることはしなかった。


「それで? お兄さまがなんのご用でこちらに? あいつはいませんよ」

「今日は、あなたに話があってきたんです」


 ソファーに座り、こちらを睨むシルヴァの視線は突き刺すようなものだ。

 リオンは、いい話ではないことを察しながら「なんでしょう」と答えた。


「あなたはバニラが、どれだけ苦しみながら三つの試練を乗り越えようとしているか知っていますか?」

「……なぜ、試練のことを?」

「あの子は筆まめでよく手紙をくれるんです」


 確かにバニラは部屋にこもってよく手紙を書いていた。

 だが、あれは父に送るものだとばかり思っていた。


「そこには、なんと?」

「『氷結する世界』を使って、あなたの試練を乗り越えようとしていると書かれていました。あなたは古代魔術の危険性について、きちんと認識していますか?」


 古の時代に失われた古代魔術。

 すさまじい力を秘めたその魔術は、現代を生きる人間が生まれ持った魔力量では到底操ることはできない代物だ。

 生まれ持った魔力量が少ないバニラは、その古代魔術の魔術書を解読、分析し、記された術式を変更。

 少ない魔力でも、古代魔術が使えるようにしていることはリオンにもわかった。

 そして、その危険性も理解しているつもりだった。


「あいつは恐らくひとりで魔術書解読と術式変更を行った。その頭脳と情報が表向きになれば、国が奪い合うレベルだろうということは認識しているつもりです」


 魔術の術式は考案することは大変だが、変更することは誰にでもできる。

 古代魔術においてもそれは同様。

 バニラの頭に入っている術式さえわかれば、誰もが『氷結する世界』を使えるようになる。

 時を止める魔術を使う戦士の軍勢ができれば、国家間の勢力図は大きく変わることだろう。

 バニラが古代魔術を使えるという事実は、そういった危険をはらんでいる。


「そんなすさまじい魔術を使って魔力と体力をすり減らしてまで、あの子はあなたに認められようとしている。それなのに、リオン。あなたは、バニラの名前すら呼ばない」


 責める視線でシルヴァがこちらを見ている。

 彼がバニラの兄なのか。

 それはわからなかったが、彼がまちがいなくバニラを大切に思っていることは理解できた。


 そして、彼の意見はもっともだということも。


「色恋沙汰の話です。リオンがバニラに一切の気がないのであれば、それは仕方がない。そう伝えれば済む話でしょう。それなのに、あなたはどうして、あえて彼女を苦しめているんですか? 正当な理由があるのならば、教えていただきたいと思い、今日は来たんです」

「正当な、理由……」

「あなたは、バニラのことどう思っているんですか」


 シルヴァの端正な顔の眉間に寄ったしわが深まる。

 その瞳をまっすぐに見つめ返して、リオンは本心を口にした。


「好きですよ。愛しています。あの子は、俺にとって世界で一番大切にしたい女の子だ」


 シルヴァが驚いた様子で目を見開いている。


「初めて会ったときのことも本当は鮮明に覚えている。あいつが入学してきたことも、必死に勉強していたことも全部知っていた。あいつの図書館の特等席が見える席が、俺の特等席だった」

「それなら……、どうして三つの試練なんか課しているんですか。告白を受ければよかった話でしょう」


 怪訝そうな表情を浮かべたシルヴァは、バニラを本気で大切にしている。

 言動からもわかるが、同じ女を大切にしたいと想っている人間同士なのだからわかる。

 だからこそ、リオンは伝えることにした。


「シルヴァがあいつの兄なのか。本当のところ、俺には確実にはわからない。だが、シルヴァがあいつを大事に思っていることはよくわかる。だから、おまえがバニラの安全を一番に考えて胸にしまっておいてくれると信じて伝える」


 リオンは一度息をつく。

 ぐっと唇をかんでから、意を決して声にした。


「俺はこの学園を卒業したら、死ぬことになっている」

「死ぬ、だと?」


 シルヴァの口調と纏う雰囲気が少し変わる。

 本気で驚いている様子のシルヴァにリオンは続けた。


「三つの試練だって、どう考えても困難すぎる。クリアできるとも思っていないし、何より『俺と全力で戦って勝つ』という試練で負ける気はさらさらない。三つの試練はクリアさせるために用意したものではないんだ」

「なら、どうしてバニラにそれを課したん、ですか?」

「バニラを立派な冒険者にするためだ。あいつは俺と結婚するためなら、きっとどんな努力でもする。成長すれば、あいつは危機に晒されても、それを脱する力を身につけられる。この試練は、俺が死んだ後にあいつを守るためのものだ」

「なんて、回りくどい……」


 呆然としているシルヴァに、リオンは小さく吐息をこぼした。

 今まで抱えていた秘密を一気に話したことで、少しだけ肩の荷が降りた気がした。


 それに、このシルヴァという男は何者なのかはわからないが、とにかくその体に宿る魔力量は異常なほどにすさまじい。

 魔術師として明らかに強者である彼が、バニラを大切に思っているという事実に、リオンは自分の死後の世界に

希望を見たのだ。


「回りくどくする必要が、どうしてもある。あいつは、叶わなかった初恋を思い出にして、次の幸せに進んでいかなければならないんだ。俺はひっそりと姿を消して死ぬ。あいつを悲しませないために、俺の想いは決してバレてはならない。絶対にだ。それに、俺が大切にするものには必ず害が与えられる。そういう風になっているんだ。だから、より回りくどくしている」

「おまえは……なんで死ぬん、です、だよ」


 シルヴァの口調はすでに無茶苦茶だ。

 一体こいつは誰なのか。

 それがわからなくても、彼がバニラを大切に思っているという事実にすがるほど、リオンはバニラを守ってくれる誰かを捜していた。


「俺は殺される。だから、死ぬ。シルヴァ。おまえはあいつのことが好きだろう」


 シルヴァは息を詰めたように黙り込む。

 無言は肯定だ。


「俺が死んだら、おまえがあいつを守ってくれ。あいつを幸せにしてやってくれ。世界で一番、あいつを大切にしてやってくれ。そうでないと、俺は安心して死ねない」


 バニラの名前を呼ばない理由。

 それは、彼女の名前を呼んだ瞬間。

 どうにか閉じこめていた感情があふれてしまいそうだったからだ。


 出会ったときから特別な女の子だった。

 まだ幼いバニラに恋愛感情は抱かなかったが、こんな自分を好きになってくれた彼女がかわいらしかった。


 学園に勇者の娘が入学したと聞いたとき、あの子の顔が見られると喜んでしまった。

 それでも、遠目から見ていたのは、彼女を大切に思っていることを悟られれば、彼女に害が加えられると考えたからだ。


 遠目に見ていたバニラは、いつも一生懸命だった。

 周囲に好き勝手言われようとも、凛と前を見つめていた。


 ふわふわと揺れるあの金の髪に何度指を通したいと思っただろう。

 柔らかそうな頬に、ほんのり色づいた唇に、どれだけ触れたいと思ったことだろう。


 それは、すべて叶わない。

 叶えてはならない。

 リオンは死ぬ、いや、殺されるのだから。


「俺が生きている間は、俺はあいつを守る。命に代えてもだ。その約束は果たせるが、ひとつめの『結婚する』という約束は果たせない。俺が死んだあとには、あいつを守り抜いてくれる誰かが必要だ。だから、シルヴァ。おまえが、それになってくれると信じて俺は話した」


 力強く話したリオンは深く深く頭を下げる。


「どうか、頼む」


 声が震えた。

 死ぬことは怖くない。

 それはもうずっと昔から決まっていた未来なのだから。


 だが、古代魔術を使うバニラをこの世界に残していくことは怖くて仕方がない。

 バニラが『氷結する世界』を使えると知ったときは好いた女の優秀さに驚いた。

 大袈裟なまでに興奮したのは、バニラが思った以上の危機を抱えた女の子だったことを知って動揺したからだ。


 冒険者として生きていくだけの危険なら、三つの試練クリアを目指す中で、乗り越える力を身につけられるだろう。

 だが、古代魔術を使えるその頭脳を狙われるとなれば、危険レベルは跳ね上がる。

 バニラを守ってくれる誰かが、リオンには必要になった。


 情報量が多すぎたのだろう。

 頭を抱えたシルヴァは「ちょっと待ってくれ」とぼやいて、しばらく黙っていた。

 その間ずっと頭をさげていたリオンは、シルヴァが立ち上がった衣擦れの音で視線をあげる。


 シルヴァは、リオンに歩み寄るとなだめるようにその肩に手を置いた。


「オレはバニラが好きだ。だから、おまえに言われなくても守る。でも、おまえが殺されるってのも受け入れられねぇ」

「っ俺が死ぬのは、決定事項なんだ」

「……考えさせろ」


 ぽんぽんとそのまま肩をたたいて、シルヴァが去る。

 玄関の戸が閉まる音を聞いて、リオンはその場に崩れ落ちた。


「俺なんかに惚れられて……不幸だなぁ、おまえは」


 絞り出した声が、誰も居ない部屋で小さく鳴った。

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