11 困惑の日々
「ありゃぁ、魔物にやられた感じじゃねぇな」
「うん。魔除けの結界のど真ん中だもん。魔物が襲ってこられるはずがない」
悲惨な光景とはいえ、バニラはこういった死を目撃することが初めてではない。
ショックを受けている他学生よりは遙かに冷静に遺体を見ていたバニラに対して、リオンは真っ青なままだった。
リオンは冒険者育成学園バレンティアの最高学年とはいえ、まだ冒険者ではない。
バニラのように旅をした経験もないのだとすれば、もしかすると彼は遺体を見ること自体が初めてだったのだろうか。
「先輩? 大丈夫ですか?」
押し黙ったままのリオンにバニラはおずおずと声をかける。
ハッとした様子のリオンは口元を押さえて小さく首を横に振った。
「気にするな。なんでもない」
「でも、顔色が……」
「ちょっと、何事ですの!?」
バニラたちを含めた全員がロイアの遺体を遠巻きに見つめている中、響いたのは可愛らしい声だった。
人壁をかき分けてロイアの遺体にツカツカと歩み寄ったのは、銀色の髪の少女だ。
目を引く可憐さを持った彼女は空色の瞳に強い光を宿して、ためらうことなくロイアの遺体に触れる。
彼女は真剣な表情をしたあとに、悔しげに眉を寄せた。
「クーリア様、そんな急に……! もう! こちらをお使いください」
息を切らして慌てた様子で追いかけてきた蒼い髪の男子生徒が、クーリアと呼ばれた銀髪の少女に自身の上着を差し出す。
クーリアはその上着を黙って受け取ると、祈るように目を閉じる。
それから、そっとその顔を隠すようにロイアの体に上着をかけた。
「ロイア、そんな……! なんで!? さっきまで生きていたのにッ。僕はなにを……」
「落ち着け。なにがあってこんなことに……」
「どうしました?」
ようやくバディの死を受け入れられ始めたのだろう少年が取り乱しはじめる。
蒼い髪の男子生徒が少年を宥める声を遮るように現れたのは、ドウェイン・フラメルだった。
騒動の中心へとゆったりとした足取りで歩いてきたドウェインは、クーリアによって隠されたロイアの遺体を見下ろす。
「ああ」と残念そうに眉をさげたドウェインは、なぜか一瞬呆然としているリオンに視線を送った。
その視線が表情とは裏腹に鋭いものに感じられたのは気のせいだろうか。
バニラが息をのんでドウェインの瞳を見たときには、彼はもう憐憫の表情をそのきれいな顔いっぱいに浮かべていた。
「落ち着こう、みんな」
悲しみを含んだ声色は、それでも不安に満ちた場を包み込むように穏やかだった。
ドウェインの言葉を聞こうとざわめいていた場が静まる。
「彼女が何が原因で亡くなったのか、今は考えたところでわからない。もちろん調査はするけれど、彼女が静かに眠ることができるように祈る。それしか、今この場での俺たちにできることはないんだよ。悲しみはわかるけれど、騒いでも仕方がない」
恐怖をにじませた表情で震えているバディの少年は、ドウェインに「立てるかい?」と声をかけられてゆっくりと立ち上がる。
よろけた彼を支えて起こしながら、ドウェインは周囲を見回した。
「冒険者を志す君たち。魔物を討伐するということは、殺める力を持つということだ。その力を自分に向けられることも考えなければいけないよ。恐ろしければ、冒険者の道をはずれても構わないし、その判断は賢明なものだ。進路相談にはいつでも乗るからね」
最後に微笑んだドウェインがパチンと指を鳴らすと、広場の端に木箱がいくつも現れる。
ドウェインはその箱を指さした。
「討伐証明はそこに入れておいて。君たち、とてもよくがんばったね。傷を癒して、また勉学に邁進するように。それでは、学園までも気をつけて帰るんだよ」
ドウェインが言い終えると同時にロイアの遺体と一緒にドウェインとバディの少年がその場から消え失せる。
転移魔術なんていう高度すぎる魔術をいとも簡単に使って、この場をドウェインが去ったのだと理解するや否や学生たちは少しずつ動き始めた。
未だ動揺する者。
冷静さを取り戻して討伐証明であるウルフの爪を木箱に入れに行く者。
少しずついつも通りの自分たちになろうとしている周囲を見回してから、バニラは未だ様子がおかしいリオンを見上げた。
「先輩。今は行きましょう」
それぞれが反応を示す中、動き出さないリオンにバニラがそっと声をかける。
「ああ、すまない。行こう」
こくんと頷いたリオンは木箱に、討伐証明の入った誰よりも大きい袋を突っ込む。
その袋の大きさに周りがどよめいたが、ふたりは振り返ることなくその場を去った。
*
「ドウェイン先生、質問よろしいでしょうか?」
「はい、バニラくん」
「先生と先輩は仲が悪いんでしょうか?」
「先輩というと?」
「それはもちろん、リオン・フラメル先輩です!」
「ああ、君はなんとも直球だね」
カラカラとおかしそうに笑うドウェインにバニラは真剣な表情を向けている。
本日はペーパーテスト当日。
あの凄惨な終わりを迎えた合同討伐クエストからは二日が経った。
衝撃的な事件の報せは学園中を駆け回り、バレンティア全体にはピリピリとした空気がただよっている。
そんな中でも呑気にしているのが、このドウェインだ。
遺体を回収した張本人でもあるドウェインは、さすがは冒険者を育成するこの学園バレンティアの教師。
あの凄惨な事件を感じさせない朗らかさだ。
事件翌日から依頼クエストで薬草園に顔を出したバニラにも「やあ」と陽気に挨拶をしてきて、そのまま事件のことも一切話さず昼寝をしたりしていたのだから肝が据わっている。
「リオンがなにか言ったのかな?」
今日も今日とて薬草の世話をしているバニラの隣でガーデンチェアに腰かけて、まったりと読書をしていたドウェインが本を閉じてゆるく首をかしげる。
バニラはその質問に「いいえ」と首を横に振った。
「先輩はな~んにも言ってくれないですよ。でも、ドウェイン先生を怖がってるのかなって思ったので聞いてみたかったんです」
「え、心外だよ」
リオンはあの事件の日は確かに様子がおかしかった。
バニラの体調を気遣って、再度きつくペーパーテストを受けるまでの間『氷結する世界』の使用を禁じてからリオンはすぐに部屋にこもってしまった。
食事に誘っても出てはこず、「疲れている」と小さく言ったその顔は相変わらず白かった。
それでも次の日にはリオンは、いつも通りの様子になっていた。
何を聞いても「疲れていただけだ」と答える彼は嘘が上手ではない。
なにか隠していることはわかったが、彼は決して答えてはくれなかった。
それならば聞くべき相手はこの兄かと思い、訊ねてみたところだ。
だが、つかみどころのないドウェインは相変わらずである。
メガネの奥の垂れた瞳を大きくして、大げさに驚いた様子を見せたドウェインは「はあ」と小さくため息をこぼした。
「俺はこんなにもリオンをかわいがっているのに。あの子にはまったくもって伝わらないのだから、愛というのはややこしいことこの上ないね」
「ドウェイン先生が先輩をかわいがってるな~っていう瞬間、見たことないんですけども」
「それこそ心外だよ。あの子が反抗期で俺に近づくなオーラを出しているから、距離をとってあげているだけさ。小さい頃はよくかわいがってあげたものなんだから。魔術の実験だってたくさん一緒にした仲だよ」
「まあ、先輩は反抗期な感じありますよね」
「まったくもってそうなんだよ。昔は『兄さまのようになる』って口癖のように言っていたのにね。寂しいものだよ」
つまらなそうに肩をすくめるドウェインに、バニラは思わず笑ってしまう。
小さなリオンが兄に憧れる姿を想像するとかわいらしくて笑みがこぼれてしまったのだ。
想像上のリオンでさえ、バニラにとっては愛しすぎる。
「じゃあ、先輩は血液恐怖症とかです?」
「いや? そんな柔な男じゃないだろうね」
「でも、先輩はあの事件のとき顔がもうびっくりしちゃうくらい真っ青になってたんですよ。具合もとっても悪そうで心配しました」
「クエスト終わりだったし、疲れていたんじゃないかい?」
「それもそうですけど……」
「それか」
ドウェインの言葉が重たくなった気がして、薬草に向けていた視線をドウェインへと向ける。
目が合うと金色の目を細めたドウェインは、ぞっとするほど美しかった。
「君が同じ目に合うんじゃないかと、怖かったのかもしれないね」
「へ?」とバニラは上ずった声をあげる。
本当に自分自身もロイアのようになってしまう気がした。
腹に大きな穴をあけられて、血の海をつくって、冷たい地面に転がって、こぼれていく命をつかめずそのまま。
「なんてね。犯人はまだ調査中だし、なんとも言えないのだけれども」
あのときの情景をリアルに思い出して血の気が引いたバニラに、ドウェインは何でもない様子で笑う。
呪縛を解かれたような心地になったバニラは「も、もう!」と涙声をあげた。
「怖いこと言わないでくださいよ!」
「ごめんごめん。けれど、犯人が捕まっていない以上同じ事件が起こらないとも限らないのは事実だよ。身の回りには十分に気をつけなければいけないよ、バニラ君」
怒るバニラに「ははは」と愉快そうに笑って、再びドウェインが本を開いた。
ドウェインにリオンが反抗する理由が少しわかった気がする。
この兄は少々むかつく。
*
今日も今日とて薬草園での仕事を終え、バニラは草を食べながらペーパーテストの試験会場へと向かっていた。
周囲が何やらひそひそ言っている声がいつもより大きいのは、先日の合同討伐クエストの結果が原因だろう。
ウルフ一匹を討伐するごとに与えられるクエストポイントは五十。
多くの生徒たちが五百ポイントほどを得て喜ぶ中で、バニラとリオンが得たクエストポイントは群を抜いていた。
そのポイントは一万と一千クエストポイント。
計算としてはウルフ二百匹で一万ポイント、あとの一千ポイントはリオンが倒したあの大型の魔物だ。
大型の魔物は、この辺りの森の主として時々出現する魔物らしい。
普段は森の奥深くから出てこない化け物級の魔物で、その討伐報酬は大きかったようだ。
クエストポイントは一万ポイントで進級および卒業が確実なものとなる。
それだけのポイントを一晩で稼いできたバニラとリオンを誰もが畏敬の念を込めて見るかといえば、そうではない。
今までの噂から、バニラへの偏見が強まってしまう結果となった。
「あの子よ、リオン先輩のおこぼれで進級確定した子」
「いいよな。攻撃魔術も使えないくせに」
攻撃魔術も使えず、剣も振るえないバニラにあれほどのポイントを稼げるわけがない。
それが周囲からの目だったが、実際はバニラもウルフを百匹ほど倒している。
『氷結する世界』が使用できることを公表すれば、バニラを見る目は変わるのかもしれなかったが、あれだけの古代魔術を使用できることが知られれば、気味悪がられる可能性どころかその力を狙って危険な目にあう可能性も高い。
それならば、現状を受け入れるほうがバニラにとっては得策だ。
散々な陰口を右から左へ受け流しながら、バニラは草をもしゃもしゃほおばってペーパーテストの自席につく。
『氷結する世界』は今日まで禁じられてきたが、バニラは死ぬほど勉強してきた。
難関と言われるバレンティアのペーパーテストは本当に難しい。
絶対に一位とってやる……! あれだけ勉強したんだからいけるはず!
シャルルがつくってくれた夜食を食べながら勉強した日々を思い返すと熱い涙があふれそうになるほどの勉強期間だった。
ペーパーテスト中に『氷結する世界』を使ってしまえばカンニングし放題という案も浮かぶには浮かんだが、リオンの隣に立つ女性としてその技はあまりにも不似合いだろう。
リオンにふさわしい女の子になるという夢がある以上、バニラにその選択肢はない。
ペーパーテストがはじまるまで、瞑想して集中しようと目を閉じた瞬間、ダンっと激しく机をたたかれた。
前にもこんなことあったな……。
嫌な予感を覚えながら、そろりと目を開く。
そこには、可憐な顔を不機嫌に染めた銀髪の少女がいた。
「いましたわね。バニラ・ラッカウス」
「へ? い、いました」
恨みのこもった声に、バニラはぱちぱちと瞬きをする。
この少女は確かクーリアと呼ばれていた少女だ。
亡くなったロイアの傍に一番に駆け寄っていたあの気の強そうな少女。
頭の中で彼女の顔と名前が一致したのと、クーリアがこちらをびしっと勢いよく指さしたのはほぼ同時だった。
「あなたなのでしょう! ロイア・イディスを殺したのは!」




