唐突なラブコメ回に君も踊る。
「ふぁうあ……」
と俺はあくびをひとつかく。
最近、毎日のように動き回っているせいか、疲労がたまっているのだろうか。それでも、俺は家に帰ってきてもギターをいじりまわしている。
だが、俺のあくびが移ったように、読書をする冬菜も小さなあくびをしている姿が見える。
食事が終わり、後片づけなどもほとんどが終わり俺は飽きずにもギターを触り始めると、冬菜も突然眼鏡をかけて読書をし始めた。
俺があれだけ弾き語りでギターを演奏してきたというのに今この瞬間にギターに触るのも、練習だけではなく曲を作る練習をしなければいけないからだ。
バンドをやっていたときの曲の大半はリードギターとしてメインのギターパートの智也が、作曲や編曲をしていた。他にもいくつかの曲で俺がある程度作ったつたないコード進行の曲を智也が膨らませ、アレンジしていくというようなスタイルで、作詞は歌を歌う本人である俺だけで書いていた。
だからこそ、再結成が出来ない可能性まで考えたら、俺は自分自身で曲を作れるようにならなければいけないだろう。
では冬菜はご飯も食べて、結構いい時間になってきたのにも関わらずなぜうちで突然読書をし始めたのだろうか。
もちろん、ゆっくりしていってもらうのは構わないので、特に早く帰ってほしいとかそういうわけではないのだが。
「冬菜は時間、大丈夫なのか? 本読み始めて」
「あ、すいません。お邪魔でした?」
冬菜は本を読むために顔を伏せていたせいで少しずり下がった眼鏡を直しながらそういう。
なるべく冬菜に気を遣わせないようにいったつもりだったが、やはり冬菜は気を遣ってしまうようだ。
いくつかのコードのパターンを軽くさらいながら、俺は、
「いや、そうじゃないんだ。ゆっくりしていってくれてかまわないんだけど、むしろ本を読むなら一人の方が集中できるんじゃないかな、って思って」
と問いかける。
しかし、俺の問いかけには冬菜ではなく、残りの洗い物を終えてキッチンから出てきた沙由菜が答えてくる。
「最近、冬菜あんたの歌を聴きながらよく本を読むのよ、ね?」
「お姉ちゃん、しー、しー」
キッチン側に座る冬菜は後ろに振り返り、沙由菜にいきなりの暴露をそれ以上言うなというようにそういう。
冬菜は秘密にしていたかったのか、最近覚えたらしい音楽を聴きながらの読書という新しい読書の楽しみ方を恥ずかしんでいる。
「あはは、なんだそりゃ」
「この前、CD全部貸してほしいっていうから、持っていったら、いつの間にか音楽プレイヤーなんて買っててさ、私も驚いちゃった。冬菜が本以外にも興味を持つなんてね……」
と、沙由菜は改めて冬菜の隣に座り、その会話をさらに掘り下げる。
「それは失礼だよ……、私だってドラマとかバラエティも見るし、漫画も読むよ?」
冬菜は少し顔を赤らめながら、沙由菜のその言葉を軽く否定した。
「でも、あれなんでしょ、ルームメイトの影響。あんたのルームメイトの子結構騒がしいもんね。ザ・体育会系って感じ」
そういえば、そうだ。俺は以前冬菜の部屋に行った時はルームメイトがまだ部活から帰ってきてなくて鉢合わせることはなかった。だが、そのルームメイトとはちゃんと仲良くやれているのか、とか疑問に残るところはある。
「それはありますけど……」
「ふーん、冬菜のルームメイトってどんな奴なんだ? 冬菜のこととか大体知ってたりするのか?」
今思えば、何年も共同で生活していると考えれば、冬菜の素顔を知っているだろうし、冬菜が抱えていた問題もわかっていたかもしれない。今更気付いたところで、という感じだが。
「ルームメイトの二人は両方ともバレー部の子なので、大体二人で話すことが多いんです。でも、いつもよくしてくださるので、佳乃たちを除けば唯一の友達だと言えますね。私のことは、もちろんなんとなくは気付いていたみたいですけど、私が言わなかったので特に触れたりはしてくれなくて、気を遣ってくださってとてもいい人たちですよ」
棘のある言葉ではないが、なんとなくぐさりと刺さる。確かにその件に関してだけ言えば、俺は放っておきもせず、べたべたと触れまくったし、冬菜のルームメイトとは対極にあってしまったのかもしれない。
「あ、ルームメイトと言えば、佳乃のこと心配だから、先に帰るね!」
「え、それなら私も」
「冬菜はゆっくりしていけばいいじゃない。お願いしたら、生歌聞きながら読書できるかもよ? じゃ、そーまそういうことで、私帰るね」
「あぁ、沙由菜! ありがとう、今日も美味かったぞ」
急いで支度をすませ、そそくさと帰る沙由菜に俺はそれしか言うことが出来なかった。
佐藤には申し訳ないが、小日向もいるのだからあんなに焦って沙由菜が帰る必要もないのにと少し思いながら、しかしそれが沙由菜のやさしさであることもよくわかる。
「行っちゃいましたね……」
「そうだな、まぁ、冬菜はゆっくりしていっていいからな。帰りも送るし」
その一言に、冬菜はくすっと笑い、いたずらな顔をする。
「寮の中ほど安全な場所はないと思いますけどね。でも、それならお言葉に甘えさせてもらいます」
確かに、寮内のセキュリティはしっかりしているし、もし、そういう悪いことをするとしたら内部の者だけだろう。つまり、夜道を歩く女性を襲うとしてもそれは学校の生徒でしかない。そんなことをする輩がうちの生徒にいるとは思えないし。だが、それでも夜道を一人で歩かせるわけにはいかないだろう。いつぞや、俺が死ぬほど心配したのをこいつはきっと知らないに違いない。
「じゃあ、何か歌おうか。近所迷惑になるから、静かな曲を静かに歌うくらいしかできないが……。あ、そうだ。冬菜の読んでる本に合わせた感じの曲があればそれにするか、何読んでるんだ?」
冬菜が読むその本はブックカバーが施され、冬菜が何のタイトルの本を読んでいるかわからない。
「な、内緒です……。歌っていただけるんだったら、私は何でも……」
と冬菜は読んでいる小説を隠す。隠されるときになるんだぞ。
お前らの隠し事が何なのか気になっていろいろ行動したように、今こうして隠されると余計に気になる。
俺はギターを持ったまま食卓の椅子から立ち上がると、何をされるのかすぐに察した冬菜もすっと立ち上がる。
「そ、壮馬くん。別に本当に気にしなくていいんですよ、読んでる本なんて」
「怪しい……、まさか冬菜、俺に隠さなきゃいけないほど変な本でも読んでるのか?」
「いえ、まさか、あはは」
俺が一歩冬菜に近づくと、冬菜は一歩後ずさる。
ほう、逃げるというか。
俺は、持っていたエレキギターを置くためにテレビの隣にあるギターラックに置きに行く。
玄関から見て左手側、食卓から遠い方の壁側に向かい数歩分程度の間隔を取ったところにソファがあり、その奥の壁際、窓の近くにテレビなどがある。
俺はギターを置き、臨戦態勢に入ることにする。
俺がそうしているうちに、冬菜は俺と対角線上に移動し、距離を開ける。持っていた本は両手で抱える様にし、確実に奪えないように守っている。
俺の部屋の構造は玄関から家にはいり、玄関から居間に入りすぐ右手にカウンターキッチンのように台所が存在し、すぐ左手にはトイレや浴室のあるスペースがある。
立ち位置的には俺は浴室のあるスペースと居間を隔てる壁のところにいることになる。
そして、俺が食卓で座っていた側の奥に寝室のドアがある。
つまりは、俺と対角線上にいる冬菜が逃げ込めるスペースは俺の寝室しかない。しかし、俺の寝室に忍びこめば、そこはもう出口のない行き止まり。あってもベランダで、そこから飛び降りるなんてことはできない。これは俺に地の利がある。
俺は遊びなしに冬菜との対角線をそのまま突っ切り、冬菜に襲い掛かる。いや、襲い掛かるというと語弊があるかもしれない。
冬菜は俺から見て左側、つまりテレビ側の方に逃げ込もうとする。
だが、残念だ。俺の方が歩幅は広い。
俺がソファを超えたあたりで一気に対角線の動きを横の動きに変え、冬菜に肉薄する。
冬菜はなんとか俺の動きを捉え、俺が元いた方にソファを超える。
それでもやはり特に冬菜の狭い歩幅では俺に追いつかれることになった。
俺は冬菜の腕に掴みかかるが、冬菜はそれに驚いて、体制を崩す。
俺も冬菜の重心がずれ体制を崩してしまうことで、巻き込まれるように倒れてしまう。
咄嗟に、俺は冬菜の腕から手を放し、冬菜の頭を守るように腕を伸ばす。
幸いにも、背の低いローソファーに倒れこむことが出来たのもあり、衝撃もそこまでなかった。だが、さすがにこれは俺の想定した出来事でもなく、申し訳ない気持ちになりながら状況の把握にいそしむ。
「すまん、冬菜、やりすぎ……った?!」
俺は先に口で謝り、すぐにその状況を把握する。
確かに俺は右手で冬菜の頭を抱えた体勢になっていて、左手はソファに手をついている。だがらこそ、俺は冬菜の上に覆いかぶさっていることになる。
冬菜の顔はそれなりにすぐ近くにあり、目を大きく見開き顔を朱に染めているのも見える。
これはあれだ。ラブコメ的お約束展開というやつだ。
この光景を誰かに見られたとき、明らかに俺が冬菜を押し倒しているようにしか見えない!!
俺はその結果に冷静さを失いそうにもなるが、俺がここで動揺してはいけない。
すぐに冬菜から身体を離し、
「すすすす、すまん、わざとじゃない、本当だ、わざとじゃないんだ!!」
俺が身体を離しても冬菜はやや放心した状態で、だが事態を完全に飲み込めてからはすぐに起き上がり、少し瞳に涙をためて、
「壮馬くんはラノベ主人公なんですか、なんなんですか! 見せたくないんですから、しつこくしないでください! しつこい人嫌いです!」
と、冬菜の怒りがダダ漏れる。いや、本当にごめんなさい、弁明の余地などない。
「ほ、本当に悪かったって……! 許してくれよ」
本当に何を根拠に許してほしいとのたまうんだろか。だが、冬菜は気付いていなかった。
自分が持っていた本も先ほどの衝撃で手元から離れていたことに。
俺の視界にはブックカバーの外れたその本が目に入る。
「『君に届け』? って、あの少女漫画の?」
名前だけは聞いたことがあるが、少女漫画は読まないし、そもそも小説版が出ていることさえ知らなかった。
俺のその一言に冬菜は自分の持っていた小説が手元にないことに気付き、あたふたし始め、ようやくにソファの下に落ちているその小説を見つける。
「…………」
「え、その小説をなんで隠す必要があるんだ?」
と、俺が聞くと、冬菜の怒りは一瞬にしてどこかに消え去り、きょとんとする。
「もしかして、壮馬くん、読んだことないんですか?」
「あぁ、俺、少女漫画はまったくよんだことがないな」
その質問に返答すると、冬菜はあからさまに大きな安堵のため息をつく。
そして、そのおかげで急に冷静になれたのか、冬菜の怒りの表情は消え去っていた。
「もう、いいです……。さっきのは事故ですし。でも、本当にしつこい人は嫌いですからね?」
と言われましても、俺は冬菜にしつこいことしかしていない気がするぞ……?
俺、もしかして実は冬菜に嫌われているのか?
いや、そんなまさか。嫌いな奴にアイスクリームをあーんとはしないはずだ、嫌われてはいないはずだ、大丈夫、俺、あからさまに傷つくな。
「もうちょっとだけ、本を読んで落ち着いたら私も帰ります……」
冬菜はその小説を手に取り、そのままソファで読書をし始める。先ほどまでは特にいつ帰るか、までは言及していなかったし、やはり冬菜はまだ怒っているのだろうか……。
俺は暗い気持ちを抱えたまま、一度寝室に引っ込み、アコースティックギターを手に取る。
家にいるときは、アンプをつながずにエレキを引いた方が響かないため、基本的にはエレキを使う。仮にもっとエレキの音をしっかり聞きたいときはヘッドフォンを接続するためのアンプに差し、そこから経由してヘッドフォンでその音を聞く。
お詫びでもないが、俺はひとつだけ冬菜に歌をプレゼントして、少しは気をさわやかにご帰宅いただこう……。という気持ちである。
しかし、俺は俺自身の曲を歌わない。
その小説や原作の漫画、映画化もされているようだがそのすべてを知らない。ただ、中学生の頃、色々な曲を練習させられた中で、たまたまその曲があった。その小説の映画の主題歌だ。
話こそわからないが、その主題歌は知っているし、それならどう頑張っても雰囲気が合わないということはないだろう。
もう一度居間に出てきて、俺は冬菜の隣に座る。
その曲の原曲はピアノの音から始まるが、それをアルペジオで表現し、その後は簡単にダウンストロークで和音とリズムをなぞっていく。
そして、俺は息を吸い込み、声というもう一つの楽器を奏で始める。
その歌詞に込められた思いはその曲を作った人の気持ちなのか、映画の雰囲気に寄り添って書いた歌詞なのかはわからない。
だが、この歌詞は今歌ってみて初めて、その数か月前に出会った冬菜に対して歌っているようで、俺は少し気恥しい気持ちになる。
だが、照れ臭がって、声がよれたりするのは許されない。俺は真摯な気持ちとして、真っ直ぐに君に届けという気持ちに共感しながらそれを歌い切った。
歌い切ったところで、俺はその視線に気づく。
本を口元のあたりにおろし、眼鏡越しに冬菜の目が見える。
そして、俺と目が合った瞬間に、冬菜は目を逸らす。
俺はその様子を見て、うるさかったかなと少し思いつつ、
「どうした?」
と聞くが、冬菜は小さなため息をつく。
「壮馬くんは……、なんかずるいです」
ず、ずるい? どういうことだ?
俺は何もずるいことはしてない、なんでもいいっていったのだから、自分の歌でなくてもいいはずだ、それはずるではない、そう、ずるくないだろう。
冬菜はソファから立ち上がると同時に、眼鏡を外す。そして、食卓の椅子の陰に置いていたカバンの中から眼鏡ケースを取り出し、眼鏡をしまい再びこちらに戻ってくる。
「やっぱり、もう少しいようと思います。ですから、私にも小春さんとのことをお話ししてもらえませんか?」
「え、なんで?」
「私だけ、壮馬くんの過去を少ししか知らないなんてフェアじゃないです。だから、おしえてください」
「もちろん、いいんだけど、唐突だな……」
まぁ、いいか。俺は、冬菜に俺の過去にあった小春との出会いについてまずは話そうと思う。






