小春の願い。
騒ぎも収束し、ホームルームの時間も終わり、放課後と相成った。
俺は相変わらず学祭の準備を一切手伝うことはせず、ギターケースを手に取り、今日も今日とてスタジオに向かう、がその前に軽音部に一瞬だけ顔を出して、俺らの持ち時間などを聞いておかないとならないだろう。
しかし、俺は教室を出るとすぐに沙由菜に引き留められる。
「今日もスタジオ練でしょ?」
「あぁ、そうだけど」
「今日もついていくからねー。あ、でもちょっとだけ用事あるから少しだけ待っててほしいんだけど、いい?」
もう当たり前についてくるな……。いや、沙由菜が付いてくることに関しては特にはもう思うことはない。好きにしてくれ、という気持ちと沙由菜にとっては俺がすでにもう心に決めたことがあると知らないだろうからまだ心配してくれているのだとわかっている。
「俺も少し軽音部に顔を出すから、校門で待っててくれ」
「ん、わかった」
と沙由菜が言うと、走ってどこかへ向かっていく。
俺は気を取り直して軽音部の部室に向かい始めると、3組から冬菜が出てくるのが見える。どうやら、3組は今日の学祭の準備は全体では休みということらしく、他に残ろうとしている人もちらほらしかいない。
思えば、うちのクラスはどうなんだ? 沙由菜は2日連続で俺についてきているが仕事は大丈夫なのだろうか。昨日に関してはふぉうちゅんに顔を出すという大義名分もあったんだろうが。
とりあえず、俺は俺から避ける理由もないので、冬菜に声をかけてみようと思う。
「おーい、冬菜」
と俺が話しを掛けると、冬菜は立ち止まりこちらに振り返る。
俺の顔を見ると顔を真っ赤にして、あたふたし始める。
いや、いくらなんでもあからさまに態度に出すぎだろ……。
「壮馬くん……。な、なにか御用ですか?」
「ん? いや、冬菜が見えたから声かけただけだ。今帰りか?」
「えっと、そんなところです。私、ちょっとこの後予定があるので急ぎますね、ごめんなさい」
冬菜はそういうと、俺との会話を避けるように走り去って行ってしまう。
いや、まぁ、確かに俺が返事を先延ばしたからか少し気まずくてこういう避けてしまうような態度をとっても然るべきなんだろうが……。
それ自体はなんとなく気持ちを察しているからよいだろう、それに用事があるなら急いでいても何も問題はない。
髪の長さは違うが、瓜二つの二人の走り去っていく後ろ姿がデジャブのような既視感を俺に与える。
俺はその冬菜の後ろ姿を眺めつつ、冬菜の姿が見えなくなってから軽音部へ向かった。
軽音部では部長との打ち合わせを軽く行い、言われたのは俺らがトリをすること、トリの時間は40分、準備撤収の時間を含めて1時間は取ってあるということだった。
俺らは部外者でしかないので、さすがにトリは断ろうとしたが、お前らに他のところやらせたら他の部員が委縮してしまうからと拒否されてしまった。あとは全て任せると言ってくれているので、あとはこちら側で打ち合わせることだろう。
俺は軽音部部長との軽い打ち合わせを終え、校門へと向かう。
校門の前には約束の通り、沙由菜が一人待ってくれていた。
遠くからでも沙由菜の特徴であるツインテールはよく目立つ。今となっては時たま髪を下ろしたり、俺がプレゼントしたシュシュを使って一つにまとめたりとしているが、やはりツインテールが沙由菜であるという印象がある。高校生にもなって、とたまに自分でも言っているが、その髪型がある意味では自分のチャームポイントであると思っているのだろうか。
今にして思えば、俺が沙由菜だと一目で認識できるのは髪の長さや身に着けているモノくらいなのかもしれない。
例えば、冬菜と全く同じ服装、同じ髪で目の前に現れたとき、俺は二人を見分けることが出来るのだろうか。仮にどちらかの気持ちを受け入れるのだとしたら、外見的な特徴がほとんど一致しているからこそ、しっかり見分けなければならなくなるのだろう。
こいつらの外見的な特徴以外の癖とかそういうところをはっきりと意識してみなくてはなかなか難しいのだろうが。
俺はそんなことを思いながら、校門で待つ沙由菜に声をかける。
「待たせたな、沙由菜」
「大丈夫。それじゃあ、行くわよ!」
と沙由菜は気合のこもった声を発するが、俺は立ち止まらず、そのまま沙由菜を引き連れて、スタジオに向かうために駅へと向かう。
いつも通り、沙由菜は俺の隣で歩く。この光景はある意味では日常的なものであろう。
だからこそ、俺は駅へ向かう道中、隣の沙由菜を横目で見ていてその歩く姿に少し違和感を覚える。
普段の沙由菜はもう少しすたすたと歩いていく印象だが、ぎくしゃくしているというかいつもよりその印象が薄いというか。
何となくの違和感ではあるが、それ以外の様子などはいつも通りだし気にすることでもないのだろうか。
もし怪我をしていたとしたらそれを労わるべきかもしれないが……。気のせいかもしれないし、今は触れないでおこう。
俺は少しの不穏な空気を感じつつ移動を続け、再び昨日訪れたスタジオにたどり着いた。
大五郎や裕也はまだ来ていないが、俺たちがたどり着く前からそこに待っていたのであろうそいつは俺たちを見つけるなり、神妙な顔つきで、
「壮馬君」
と声をかけてきた。
他でもない、小春だ。
昨日、俺たちの会話を、というか俺が付き合うつもりなどすでに持ち合わせていないという言葉を聞き、無反応ならともかく悲しげな表情をし、逃げるように帰っていった。
それに何の意味があったのか正直深くは考えたくないのだが、小春とこれからもかかわっていくつもりなのであれば、そこははっきりした方がいい気がしている。
「壮馬君」
小春は俺の目を真剣な表情で見つめる。
小春も俺に話があるため、早めに来て待っていたらしいことは小春の様子から感じ取れる。
俺は一度隣にいる沙由菜の方に目を向けると、沙由菜も少しの緊張感を含んだような困った顔をしている。
俺も何から話せばいいかまったくわからず、押し黙ってしまう。
例えばだ、お前は俺のことが本当は好きなのか? なんて聞くわけにもいかないだろう。そんなことを言ってしまえばなんていうか自意識過剰な変な奴みたいになってしまう。
だが、俺が小春に聞いておきたいことはそういうことだ。
それにもし、そういう気持ちをもってくれているのだとしたら、俺はもう未練もなく小春と付き合う未来を選ぶことはないだろうということをしっかりと伝えなくてはならない。
「小春、なんていうか……」
と俺が言葉を紡ごうとするが、その前に沙由菜の口が開く。
「小春さん、私は小春さんに聞いておきたいことがあるの」
「えっと、沙由菜ちゃん?」
と小春は先に何か訝しんだような顔を沙由菜に向ける。
なんだ?
「それは……、今はどうでもいっか。壮馬君とお話しする前に沙由菜ちゃんの聞きたいことからどうぞ」
小春の眼差しはいつもの朗らかな笑顔とは対照的で俺が見たこともないくらいに張りつめたような真顔だ。
「単刀直入に聞くけど、小春さんはそーまのことどう思ってるの?」
「さ、沙由菜! いくらなんでもそれは単刀直入すぎだろ!」
俺は慌てて沙由菜を止めに入るが、小春は意にも介さずその質問に答えるために口を開く。
「ごめん、沙由菜ちゃん。それは答えないでおこうかな。それを言ったところで壮馬君は私のことをもうそういう風には見てないみたいだし、沙由菜ちゃんの意図した意味の質問に答えても何の意味もないと思うけど?」
小春は努めて冷静で、実に合理的な判断を下す。
仮に小春が本当は俺のことを実は好きでも俺にそういう気持ちがなければすでにフラれているに等しいわけだし、この場でそれをいう意味がどれほどあるのだろう。それに本当に好きではないのならそう答えるしかない上に、無暗にそういう人を傷つけそうな言葉を小春は言おうとしないはずだ。
であれば、回答不能に近しいし、ただの友達だと答えたところで沙由菜は納得しないだろう。
ひとまず、ここは俺がこんな気まずくなるだけの時間を終わらせよう……。
「沙由菜、前に変に喧嘩売るなっていっただろ? ちょっと待て」
俺の言葉に沙由菜はものすごい勢いでこちらに振り向き、少しにらんだような目つきで俺を見てくる。
振り返ってきたときに沙由菜の方からは清潔感のある石鹸のような柔軟剤のような香りが鼻をくすぐる。
こんな時になにを言っているのかと思うだろう。だが、俺はその香りに少しの違和感を覚えるからこそ、そちらに気持ちが行ってしまう。
「それで、沙由菜ちゃんの聞きたいことはそれだけ?」
俺の感じる違和感を他所に小春は話を続ける。
「……あとは、そーまに近づいてきた理由は? バンドの再結成の話をするなら、わざわざ小春さんがくるんじゃなくて、他のメンバーが来ればよかったよね?」
と沙由菜はさらに突っ込む。
だが、その質問が来たときに小春の張り詰めた顔は少しばかり弛緩し、ほっとしたような表情を浮かべる。
「それに関して本当のことを伝えようとしたからこそ、私は今ここにいるんだよ。昨日、急に帰って勘違いされてたら困るし、ちゃんと説明するね。私がここでこうしてる理由はただ一つなの。沙由菜ちゃんが思ってるような理由じゃないと思うから安心して?」
「ここでこうしてる理由?」
俺は単に大五郎に頼まれてきたと小春が言っていたからそのままの通り言葉を受け取った。それ以上の理由があるのか?
そう思いながら、俺はオウム返しのように小春に聞いてしまう。
そして、小春は少し緩んだ顔を再び引き締めなおし、俺らへの後悔を告げる。
「そう。私は私が壊しちゃったものを何とか元に戻したいって思ったんだよ。私のせいで壮馬君も大ちゃんも、トモくん、裕くんが頑張っていたのを全部壊しちゃった。だから、壮馬君がもしもう一度歌いたいって思えるようになったら私が何とかするんだってずっと考えてた。だから、あの日壮馬君に会いに行ったんだよ。大ちゃんでも裕くんでもなく、他でもなく私が」
俺たちは小春のその告白に言葉も出ない。
俺たちを見かねたのか小春はそのまま言葉をつづける。
「だから、私は壮馬君たちが元に戻ってさえくれたらそれでお役御免。沙由菜ちゃんが私に対してそういう疑いの目で見てしまうのも仕方がないと私も思うよ。だから、それを見届けたらもう壮馬君には近づかないから安心して?」
「小春……」
いや、小春は自分のせいだと言っているが、決してそういうわけではない。
バンドの解散に至ったのは俺が弱かったからだ。
俺の心が弱くて、心が折れて、勝手にやめた。もし、小春が当時の俺の気持ちを受け入れてくれたのだとしても、あんなに弱いままの俺だったら、その後どうなっていたのかもわからない。
別の理由でやめると言い始めることだって起きたかもしれない。もちろん、そんなのは推論でしかないから何とも言えないが、少なくとも小春が俺たちを引き離してしまった直接的な原因ではないことは間違いない。
小春がそんなことで負い目を感じてしまう必要なんて何もない。
そして、俺はもうそのときの俺ではない。あの時、俺が手を放してしまったのは小春に対しても同様だ。
強くなって、この手にあるものの大切さに気付いた。だからこそ、俺からもう手を放してやるつもりはない。
「小春の気持ちはありがたいけど、俺は昔に戻るつもりなんて一切ない。俺たちは先に進むんだ」
だから、小春の願いが叶うことは金輪際訪れない。
勝手に俺の、俺たちの元から離れていくなんて許してやるつもりはない。
沙由菜がもつ疑いが事実であろうとなかろうと、例え俺がそれを選ぼうと選ばなかろうと、俺たちが先に進むためには少なくとも5人一緒であることが必要だと考えている。
そこからまた始める。それが俺の誓いだ。大切であるものを大切にしていく、たったそれだけのちっぽけな誓い。
「それでも、私は私の思うように動くよ。今日は……、もう帰るね。これ、差し入れ」
と小春は飲み物などを俺に渡してきて、小春は俺に一目もくれずにスタジオから立ち去っていった。
その後、小春と入れ替わるように大五郎と裕也がスタジオにやってきた。
二人は俺らのいくばくかの緊張感を見て、顔を見合わせる。
それでも特に二人からは何も聞かれず、俺たちは今日の練習を開始した。




