佐藤先生。
「あぁー、だめだ私ちょっと部屋で休憩してくるわ……」
と結局ご飯を食いすぎた沙由菜は自分の部屋に引っ込んで行ってしまう。
俺も少しだけ休んでから部屋に帰ることにしよう……。
俺が食べたものの食器を台所のシンクに下げ、裕也から借りたパソコンを再び開く。
その間に冬菜は食器を洗いにキッチンへと向かっていくのが見える。
小日向は少し回復してきたのか、少しずつずずずという頻度が高くなってきている。
そして、佐藤は俺の方をじっと見ている。
「どうした、佐藤、そんなにみられると集中できないんだが」
「え? 曲作りの方は順調なのかなーと思って」
「いや、正直まったくできてない」
というと、佐藤はソファから離れ、俺の方にやってくる。
「あの本に書いてあることやればいいだけじゃないの? 私も読んだけどあれが全てじゃん」
「は? あれ読んだのか?」
「うん、少し休憩がてらにね。後、私楽譜読めるしコードも全部わかるし。たぶん、やろうと思えば作れるわ、曲の一つや二つくらい」
俺は驚きの事実を突きつけられる。いや、じゃあなんで少なくともバンド活動をしてある程度音楽を齧っているはずの俺が全くできないんだ……。
佐藤は開いたパソコンのDTMソフトの画面を見る。
「うわ、本当に何もできてないじゃん……。ってか、曲を作ろうとしてるのはわかったけど、なんで急に? 作らなきゃいけなくなったって言ってたよね?」
そういえば、佐藤にはしっかりと話していなかった。
もちろん、話す必要性もないのだが。
「バンドの再結成の条件として、智也がこの曲を完成させろって。学祭ライブまでにな」
と俺はPDF化された智也が作った譜面を佐藤に見せる。
「なるほど……。確かに、あんたたちの曲はトモヤが全部作ってたもんね。私にはトモヤの意図がわかったけど……、教えてあげようか?」
佐藤も俺たちの曲は好きだと言っていた気がするから、それくらい知っているらしく、説明が省けて助かる。が、気になるのが佐藤の言う智也の意図だ。
「智也の意図?」
「あぁ、でもやっぱりだめ。そーちゃん、何かあったら力になるよって言ったのに全部一人で抱え込もうとしてる気がするし。そういうつもりなら自分で考えた方がいいよ」
そうだ、いかにも俺は自分一人で全部やろうとしてる、それは俺が一人でやらなければいけないことだからだ。
だが、智也の意図、というのが気になる。あの譜面を見ただけで何か智也の意図が出てくるのか?
「本当になにもわかってなさそうだね……。先に忠告しておくけど、たぶんこの課題はそーちゃん一人で学祭の日までに終わらせるのは無理だよ」
「そ、そんなことやってみなきゃわからないだろ?」
と俺が言うと、佐藤はため息をついて、
「じゃあ、このコード進行を1小節1つのコードで16小節分くらいピアノの音で、キーはCメジャーでそのソフトで作ってみてよ」
と佐藤が言う。とりあえず、俺は裕也が一緒に渡してくれた説明書を読みながら、佐藤の言う通り作ってみる。
「できた、それで?」
「再生して。今からは私が適当に鼻歌を歌うから」
俺はその声に急いで再生する。
それに従い、佐藤は鼻歌で適当というメロディを歌い始める。
その曲は適当というにはふさわしくなく、なぜかどこかで聞いたことがあるような曲だ。
「本当にこれは今私が即興で歌ったやつ。でも、なんとなくこの響きは聞いたことない?」
「確かに、なんかの有名曲じゃないんだよな?」
と俺が聞いても、佐藤はそれを否定するように首を横に振る。
「私がこのコード進行に合うように音を選んで適当に歌っただけ」
「待て待て、それじゃあ、素人の佐藤が簡単にできるなら、俺にもできるってことにならないか?」
俺はなぜそんな簡単に佐藤がこのコード進行をわかり、そして簡単に歌えたのかもわからない。
「なんかもう答えをいっちゃいそうなくらいなんだけど、例えばじゃあこれ、これは普通に有名曲ね」
といって勝手に再び再生し、佐藤はその歌を歌い始める。
『瞳をとじて』だ。一部の音楽の教科書にですら載るくらいには有名曲だろう。
それを普通に歌える理由もわかる。俺らが作った『誰のためでもないラブソング』がカノンコードをベースに作られたもので、そのカノンコードを用いた曲は世にあふれている、つまり同じコード進行の曲が世の中には非常に多いのだ。
「それなら、俺もわかる。そのコード進行が『瞳をとじて』と一緒ってことだろ?」
「そうだね、それくらいはさすがに知ってるか。このコード進行は日本ではカノン進行と同じくらい有名で、よく使われてる。4536進行って言われてて、俗にいう王道進行っていうんだよ。もちろん、メロディとか楽器の使い方によって全く違う曲にはなるけど、どうしてもコード進行が同じだと響きが似てきちゃうんだよね」
それはわかった。じゃあ、なぜ佐藤は俺一人ではできない、と断言するのか。
俺にはわかった気がする。さっき適当に歌ったっていう佐藤の鼻歌がそれを物語っているということだ。そして、俺がとりあえず適当にキーを決めて、試行錯誤してみてもしっくりこない理由も、おそらくそれなんだ。
「わかった、お前の言いたいことが分かってきたぞ。俺が一人で素人の浅知恵で作っても、何かの曲と似てしまうとかそういうことを言いたいんだろ?」
そして、それだとおそらく智也が納得のいく楽曲ではない、だから俺は全然うまくいかないと思えたのだろう。
「まぁ、そんなところ。ほら、どう? そーちゃん一人で作れそう?」
「俺が一人でやってみてしっくりこない正体がそれだったんだろうな、きっと……」
それはわかった。だが、智也の意図っていうのは何だ? その答えに行き着いたとして、それはある意味では俺と再結成するつもりは最初からない、と言いたいのか?
「私も想像だから、合ってるかはわからないけど。たぶん、同じような気持ちを抱えてる人はあんたの周りにはたくさんいると思う、っていうのが私から最後に言えるヒントね」
「いや、佐藤ありがとう。っていうか、なんで佐藤はそんなに音楽の知識があるんだ、俺よりよっぽどあるじゃねぇか」
確かに、俺は歌を歌うのが上手いだけの人だと言われたら否定はできない。ギターを弾く技術は智也のおかげでついただけで、実際に曲がどうとかこうとか作り方もすべてはわかっていない。
佐藤は俺の質問に対して、言いよどむ。
が、その答えはソファに座って茶をすする小日向がその解答を話した。
「佳乃は小学校の先生になりたいんだよね、本当は」
「ちょっと、美里!」
沙由菜が佐藤は医者の家系で、佐藤は医者になると言っていたのは覚えている。だが、小学校の先生になりたいなんて一言も言っていなかった気がする。
「まぁ……、そーちゃんになら話してもいいか。特に隠してるわけでもないし。私が風邪ひいてようが、彼氏が出来ようがただひたすらに勉強をしてるのは何も医者になるからってだけじゃないってこと」
「つまり?」
「あーもう、察しが悪いね。私は、今すぐ大学受験しなさいって言われても医学部なんてちょっとした失敗さえしなければ受かるのよ、今年のセンター試験だって、9割5分取れてるし。でも、私が本当になりたいのは医者なんかじゃない。医者もそれはすごく素敵な仕事だとは思うけど、私はずっと小学校の先生にあこがれてたの。それで、今時の小学校の先生は知識が全然ない、嘘を教えてるとかなんとかいう世間の評価がむかつくから、私が全部を百点取って、そんなことないって言ってやりたいのよ……」
「っていうと、あれか? 小学校の先生も音楽を教えなくちゃならないから、独学でそこまでやったってことか?」
と俺がようやくに察し、そう聞くと、佐藤は珍しく思い切り赤面し頷く。
こいつ、どんだけストイックなんだ……。
「じゃあ、あれか、俺たちにエロいことをいきなりいうのも性教い……」
「そ、それはそうだけど、そうじゃない! まったく何言いだすのよ……」
どの口がそれを言って恥ずかしがるのだろう……。
「佳乃って面倒見良いし、あたしは小学校の先生になればいいのにって言ってるんだけどね」
「それは……、親が許してくれないから。でも、私は親の人の命に向き合う姿勢とかすごく尊敬してる。だから、私もそんな人になりたいって気持ちもあるから、もはや、趣味なの。私が小学校の先生になれないのはわかってるけど、なりたくて頑張ることをやめるのは自分自身が諦めることになるし、立ち止まってしまったみたいで不安なのよ……」
佐藤の悩みもどちらかと言えば俺と近しいものなのかもしれない。
俺の場合はちゃんと直談判して選択肢を選ばせてもらうことが出来た。でも、実力だとか考えが足りなくてとか、そんなことでうまくいきそうにないと頭を悩ませた。
一方で、佐藤は逆だ。実力を手に入れるため、ストイックに自分を痛めつけて、それが趣味と呼べるほどまでに昇華しきっているが、自分自身では選択が出来ない。
佐藤は俺のようにやりたいことをやれば。俺は佐藤みたいにもっとストイックに、そして実力を……、いや違う。
そのやり方で一人でやろうとしたから勝手に悩んで落ち込んでいるんだ……。それなら、俺はどうやればいい……。
「佐藤、今回ばかりはお前に感謝しなくちゃいけないかもな、本気で。だからこそ、俺が今回の学園祭ライブでお前のそのどこか諦めた心に止めを刺してやる」
「でたよ、ミッドナイトサンだ……。かっこつけんなーこの童貞!」
と佐藤は笑いながら、俺の言葉へと茶化すように返事をしてくる。
せっかく格好つけて言ったのに、すべてが台無しじゃないか!
顔が赤くなるのを隠せず、俺は避難を開始することにする。
「くそう、帰る……」
「あ、待ってください、壮馬くん」
とキッチンで洗い物をした後どこへ行っていたのやら、冬菜が俺の帰宅を察し出てくる。
そして、沙由菜の部屋に一度顔を出し、
「お姉ちゃん、私と壮馬くん帰るからね?」
「わかったー」
と、だけ微かに沙由菜の声が聞こえ、俺たちは三人の部屋を出た。
冬菜は部屋を出た瞬間に立ち止まる。
「さっきの話ですけど……」
「さっきの話?」
「あの、あとで二人で話したいって」
「あぁ、それか。えっと、そうだな。俺も作曲の作業を少しは進められそうな気がしてるから、それやりながらでもいいか? 場所は?」
一応、ギターもパソコンもある、俺はどこででも話すことはできる。
ただ、女子寮は三人部屋が一般的だから、基本的にルームメイトがいるはずだろう。
であれば、冬菜さえ急いでいないのなら今日ではなくて、明日とかでもいいのではないだろうか。わざわざ家に来させるのも申し訳ないし。
「ルームメイトの二人はたぶん今日は22時くらいに帰ってくるので……」
「え、それって?」
「あの、家に来てください……」
と冬菜は少し赤面しつつ、そういう。
そんな顔をしてそういわれるとこちらも少し恥ずかしくなる……。
今でちょうど21時を少し過ぎた頃。時間はそこまで長くないから、話すだけなら十分な時間だろう。
他意はない。俺を避けていたであろう冬菜が俺と話したいと言ってくれたのだから、俺に断る理由なんて何もない。
「わかった、じゃあ少しだけ、な?」




